25.真実を告げるとき②
レオンはそうした事情もおおむね察していたのだろう。
責めることもなく、話を続けた。
「その後もきみの装いは『遊び人』とは程遠いものだったし、庭園を案内していたとき、きみが石畳の上のミミズを素手で救出したことも衝撃だった。普通、貴族女性はミミズになど近づきもしないからな」
「そうでしょうか」
「そうだ」
イリスの一番身近な貴族女性は「ミミズを大事にしなさい」と諭すような母だったので、その言葉には少々疑問を覚えた。
だが、一般的にはそういうものなのかもしれない。
「決定的だったのは、きみが初めてミントポーション作りを実演してくれたとき、そのレシピを母上から教わったと言っていたことだ。きみがここへ来てから、俺は『イザベラ』の母親から、何度か支度金の追加を要求する手紙を受け取っているんだが……」
「えっ」
顔からサーッと血の気が引いていく。
まさか、継母がそんな厚顔無恥なことをしていただなんて。
レオンは少し言いにくそうに続けた。
「……その手紙は、お世辞にも魔法学校首席の人間が書いたとは思えないようなものだった。支離滅裂で誤字脱字だらけだし、花嫁はもう到着しているのに追加の支度金というのも、あまりに常識を欠いている」
イリスは継母の非常識な行動が恥ずかしくなった。
自分が無自覚に、本当の母であるアザレアのことを話してしまったことも。
ここでは常に「イザベラ」を演じなければならなかったのに、ミントポーションのレシピを教えてくれた魔法学校首席卒業の母のことを、つい自慢げにレオンに話してしまっていたのだ。
ちなみにイザベラの母は、普通の貴族学校を落第すれすれの成績で卒業している。
「そこで俺は部下を呼び出し、王都での再調査を命じた。部下がきみの実家で働いているハンナというメイドをつかまえて話を聞いたところ、イザベラ・ローゼンミュラーは実際には庭園にはまったく寄りつきもせず、伯爵の後妻の母親と一緒になって異母姉のイリスを虐げ、おまけにイリスの作ったミントシロップをたびたび奪っては友人たちに自分が作ったと偽り配っていたということだった」
「……ハンナが、そんなことを……」
ハンナが自分のことをかばうような証言をしてくれたと聞き、イリスの胸はいっぱいになった。
実家ではイザベラたちの目を気にしてかイリスに冷淡な態度だったが、ここへ来るまでのあの馬車の旅で、彼女の心境も変わったのだろう。
レオンがイリスに、いたわるようなまなざしを向けた。
「ローゼンミュラー家の庭園でシロップやハーブティー作りをしていたのは、きみの母上、アザレア殿だったのだな」
「………………はい」
優しく母の名を口にされ、イリスの目に涙がこみあげた。
貴重なミントポーションを作れるほど優秀だったのに、父によって屋敷に閉じ込められ、庭園にしか居場所のなかった母。
けれど、人知れず書き綴っていたハーブレシピノートは娘のイリスに引き継がれ、ミントポーションは人々の役に立ち、今はこうしてレオンにもその存在が認められた。
記憶の中の寂しげな母の横顔が、少しだけ、明るい表情に変わった気がした。
(……お母様、私は身代わりで嫁ぎましたが、旦那様はとてもお優しい方です)
母に会ってそう言えたらいいのにと、心から思う。
ぽとりと、涙が一粒零れた。
レオンは立ち上がり、椅子に座るイリスの足元に跪いた。
そしてイリスの手を恭しく取った。
「レ、レオン様?」
驚いて涙が引っ込んだ。
なぜこんな、お姫様を前にした騎士のような姿勢を取るのだろう?
動揺するイリスとは対照的に、レオンは綺麗な緑の瞳を迷わずイリスへ向ける。
「最初から、俺が欲しかったのはきみだ」
「っ!」
まっすぐに言われ、イリスの顔が朱に染まる。
「だから、身代わりのことはもう気にしなくていい。きみは俺が是非にと望んだ花嫁なのだから」
レオンの顔つきは見たこともないほど真剣だった。
大事なことを、伝えようとしているのだ。
「あの夜会以来、きみのことが頭から離れなかった。……ミントシロップのことも、半分は単なる口実だったのかもしれない。王都の令嬢たちの中から、きみを捜しだすための」
「レオン様……」
まるで、今世界中には自分たち二人だけしかいないような空気の中で。
レオンは真摯に告げた。
「イリス・ローゼンミュラー。俺の生涯をかけてきみを守り抜くと誓う。改めて、俺と結婚してほしい」
「……はい」
震えそうな声で答えて、ほほえんだ。
レオンの、常に冷静沈着な顔に血の気が昇る。
それ以上に真っ赤になっているイリスは、急いで言った。
「ですがレオン様、私はすでに『イザベラ』としてあなたと結婚しているのではないでしょうか?」
「ああ、そうだ」
「そ、それは問題ないのでしょうか……?」
なぜかさらりと肯定されたが、本当にそれでいいのだろうか。
彼は少しだけ首を傾げ、思案顔になった。
そんな表情もかっこよくて、思わず見とれてしまう。
「……そうか、きみは知らないのだな」
レオンは小さくつぶやいてから、イリスを見た。
「この辺りの人間は皆、真名を伏せて、通称を使っているんだ」
「真名、とは?」
聞いたことのない言葉だ。
「昔から、この辺境伯領は危険で過酷な環境だった。死亡率も高かったから、産まれた子どもには仮の名を付けて通称とし、真名は家族以外には隠したんだ。そうすれば、悪魔は子どもを連れて行くことが出来ないと考えられていた」
「……王都にいたころ、本で読んだことがあります。北の方にはそうした風習があると」
イリスが初めて辺境伯領の街並みを目にしたとき、栄えていることだけでなく、建物や行き交う人々の違いに驚いた。
そして見た目だけでなく風習も、王都とはずいぶん異なるものがあることも、のちのち知った。
これもその一つということだろう。
「俺たちは生まれたときから二つの名を持っていることが普通で、本当の名である真名は、親以外には知られてはいけない。結婚するときの書類も、書くのは通称の方だ」
「徹底しているのですね……」
婚姻届という重要書類にまで通称を書くなんて驚きだ。
あまりの異文化に目を瞬かせるイリスに、レオンが優しくほほえみかける。
「……だが、結婚相手だけは例外だ。一生の伴侶と決めた相手には、結婚するときに、互いの名を教え合う」
跪いていたレオンが、イリスの座っている椅子に手をかけ、ぐいと体を近づけた。
今までにないほどの至近距離で、緑の瞳に見つめられる。
心臓が激しく鼓動を刻む。
彼はイリスの耳に唇を寄せ、囁いた。
「俺の本当の名は────」




