24.真実を告げるとき①
城へ帰ると、執事のバートンが温かいお茶を淹れてくれた。
イリスが茶葉を作っておいたミントティーだ。
爽やかな香りが、今日あった出来事で乱れた心を落ち着かせてくれる。
口数の少ないイリスに、レオンが気づかわしげに尋ねる。
「元気がないな。どうかしたのか?」
ついに、言わなければならないときが来た。
イリスはティーカップを置き、レオンにまっすぐに向き合った。
「レオン様…………」
綺麗な緑色の瞳が自分に向けられる。
冷血で残酷という噂の、けれども実際は思慮深く温かい、レオン・シュヴァルツ辺境伯。
こんなに素敵な人と二か月ものあいだ夫婦でいられたのだと思うと、それだけで幸せだったと思えてくる。
誰にも顧みられず、庭園にしか居場所のなかった実家での暮らしからすると、夢のような生活だった。
でも、それは偽りの上に築いた不安定な生活だ。
イリスを一人の人間として大切にしてくれる彼に、これ以上嘘をついているわけにはいかない。
本当のことを告白して、命を助けてもらえるならばここを出て、どうにか生きていく方法を探しに行こう。
母の遺してくれたハーブレシピノートがあれば、贅沢を言わなければ案外やっていけるような気がする。
そして、もしも嘘が許されなかったなら────そのときは裁きを受けるまでだ。
なんだか吹っ切れた気分で、レオンを見上げた。
「レオン様、申し訳ございません。私はイザベラではありません」
「……と言うと?」
すっと息を吸い込み、イリスは思い切って真実を告げた。
「今日、廃教会にいた私の家族が言っていたことは本当です。あそこにいたのが本物のイザベラで、私は異母姉のイリスです。父は二か月前、私をイザベラの身代わりとして、あなたのもとへ嫁がせたのです」
────言ってしまった。
目を伏せ、じっとレオンの反応を待つ。
心臓がどくどくと音を立て、全身が石のように強張る。
彼はなんと答えるだろうか。
厳しい罰を与えられるかもしれない。
けれどその一方で、もしかしたらイリスの置かれた状況を理解し、許してくれるのではないかという一縷の望みが捨てきれない。
だがしばらくして、レオンはきっぱりと言った。
「それは看過できないな」
目の前が真っ暗になった。
やはり、花嫁の身代わりなど、許されることでは────。
「厳正な対応が必要だ。明日はきみを拘束する。歌劇の新しい演目のチケットがあるんだが、一緒にどうだろうか」
「………………え?」
一瞬、何の話かわからなかった。
遅れて理解すると、今度は(どこが厳正な対応なのかしら)と意味がわからなくなる。
むしろご褒美のようだ。
イリスは顔を上げた。
レオンの綺麗な緑の瞳は穏やかで、口元には笑みさえ浮かべている。
「ブリジットも、『ぜひまた領主様ご夫妻に観ていただきたい』と言っているそうだ」
「……レオン様……」
歌姫の可憐な姿が、瞼に浮かんだ。
レオンとともにふたたびブリジットの舞台を観に行くという未来も。
そうできたらどんなに幸せだろう。
けれど本当に、そんなことをしても許されるのだろうか……?
「あ、あの……ですが…………父に命じられたこととはいえ、私は自分をイザベラと偽ってあなたに嫁ぎました。辺境伯であり騎士団長という責任ある地位にいる方を騙した罪は、重いのでは…………」
レオンは少し首を傾げ、イリスを見つめた。
「あれで俺を騙せていると思っていたのか。心外だ」
「なっ……」
イリスは呆然とした。
頑張ってイザベラのふりをしていたつもりだったのに、ちっとも騙せていなかったのか。
宙を見てレオンがぽつりとつぶやく。
「……まあ、愛らしかったからいいんだが」
「えっ」
厳しい叱責どころか甘い言葉が聞こえた気がする。
イリスは頬を染めつつ混乱した。
「そ、それでは、レオン様は身代わりに気づいていたのですか? 一体いつから……」
「割とはじめからだが……ああ、ちょっと待ってくれ」
イリスのカップが空になっていることに気づいたレオンはバートンを呼び、お茶のお代わりを頼んでくれた。
○
気の利くバートンはあらかじめ熱いお湯を用意していたようで、すぐにミントティーのお代わりを注いでくれた。
湯気の立つティーカップの向こうで、レオンは花嫁の身代わりに気づいた経緯を話しはじめた。
「俺は、あの夜会できみがくれたミントシロップで求婚を決めたと言っただろう? わが領地はずっと昔から魔物害に悩まされていて、辺境騎士団は精鋭揃いだが負傷者も多かった。だが市販のポーションの魔素はどうしても体に合わない者もいて、じれったい思いをしていたんだ」
戦場において、ポーションは一番基本的な所持品だ。
負傷したときにいつも魔導士が回復魔法をかけてくれるとは限らないし、攻撃を担っていて手が回らない場面もある。
そんなときに、魔法が使えなくても自分で回復することのできるポーションは便利な必携である。
だが、魔素が含まれるせいで非常に不味いことでも有名だ。
それどころか体質に合わず、飲むと逆に具合が悪くなる者も一定数いる。
ポーションは生死を分けることもある重要アイテムだが、使い勝手がいいとは言えなかった。
「だからきみのミントシロップが回復効果を持つと知ったとき、是が非でもきみが欲しくなった。量産化すれば騎士団に供給できるだけではなく、誰もがこぞって買いたがるほど価値あるものを作れるのだからな」
温かいお茶を飲み、レオンの話を聞きながら、イリスは体温が上昇していくのを感じた。
実家では「魔女みたい」と蔑まれ、嫌がられていたミントシロップ作りを、彼はいつも手放しで褒めてくれる。
それがくすぐったいと同時にうれしかった。
「だが、俺は夜会のあと、すぐに領地へ帰らなければならなかったんだ。ちょうど夏は魔物の活動が活発化する時期だし、領内の仕事も増える。そこで俺は部下に『あの夜会に参加していた茶色い髪のミントシロップ作りが得意な貴族令嬢』を探すよう命じ、領地へ帰った……二週間後、帰ってきた部下の報告によると、『件の令嬢の名はイザベラ・ローゼンミュラー』とのことだった」
だから、レオンは夜会で会った自分を「イザベラ」だと誤解したのだ。
同じ茶色い髪の異母妹のイザベラが、イリスのミントシロップを自分が作ったと偽り、友人たちに配っていたせいで。
イリスの胃が、ズンと重くなる。
「妹がご迷惑を……」
「……いや、こちらの調査が甘かったせいもある。とにかく、俺は『イザベラ』に求婚した。値千金のミントシロップを作れる令嬢なのだからさぞ引く手あまただろうと思い、支度金も相場よりかなり上の額を提示した。意外にも、きみの父親はすぐに了承の返事をくれた。それでこの城の庭園にもミントを用意させたんだ」
引く手あまたどころか自分には一人の求婚者もいなかったし、欲深い父が法外な支度金を提示されて断るはずもなかったのだが、そんなことは言えなかった。
レオンは数秒、黙ってイリスを見た。
イリスはどぎまぎしながら彼に視線を返した。
彼はおもむろに言った。
「『いつから身代わりに気づいていたか』ということだが、最初に不審に思ったのはきみがこの城に来たときだな。あれだけの支度金を受け取っておきながら、花嫁がなぜあのような古ぼけたドレスを着ているのだろうかと謎だった」
「大変申し訳ございません…………」
眩しいほど素敵な夫からそんな疑問を抱かれていたことに、イリスは消え入りたくなった。




