22.本物と偽物①
廃教会の礼拝堂にいたのは、イリスの異母妹のイザベラ、継母、そして父であるローゼンミュラー伯爵────王都にいるはずの、イリスの家族だった。
だらしなく座っていた三人は、扉を開けたイリスを見て勢いよく立ち上がった。
「ようやく来たか、イリス! 私たちを待たせるなんて何様のつもりだ!」
「本当にのろまな娘ね。さっさとこちらへいらっしゃい!」
両親が口々にイリスを罵る。
相変わらず派手なドレスを着たイザベラも二ッと笑い、高らかに異母姉に告げた。
「さあ、お姉様、ニセモノは退場の時間よ。あたしが本物の辺境伯夫人、イザベラなのだから!」
イリスはこの展開を半ば予想していた。
レオンが自分にあんな手紙を出すのは不自然だし、偽造するような人の心当たりは実家の家族しかいない。
相変わらず三人が自分にかける言葉は毒々しかったが、それを聞いても、イリスは以前のようには傷つかなかった。
家族に愛されるかもしれないという期待は、とっくにしぼんで風化してしまっていた。
残念だけれど、この人たちはこんな自己中心的な言葉しか言えない人たちなのだ。
そのせいでイリスが傷つく必要も、彼らのためにイリスが変わる必要もない。
ただ、ここにはオリヴィアも同行していた。
彼女の反応が気になったが、イザベラたちの言葉に不快そうに眉をひそめる表情からして、てんで取り合っていないのだろう。
イリスはほっとして、家族の方へ向き直ると、一応確認した。
「レオン様は、ここにはいないのですね?」
イザベラはその言葉に苛立ったようだった。
「見ればわかるでしょう? あの手紙はお姉様をおびきだすためのものよ! それより、身代わりはもう終わりよ。お姉様はお父様たちと王都に帰るの。お父様は、お姉様の作るミントシロップを王都で売り出すつもりなのですって」
イリスはぱちぱちと目を瞬かせた。
彼女は知らないことだったが、王都では今、イリスの作ったミントシロップが「どんなに酒を飲んでも遊び明かしても、翌朝にこれさえ飲めばスッキリ回復する不思議なミントシロップ」と半ば都市伝説化しており、女王陛下でさえご所望しているともっぱらの噂だった。
そしてそれを聞きつけたローゼンミュラー伯爵は使用人たちに命じて屋敷の庭園にミントを大量に植えさせた。
連れ戻したイリスを馬車馬のように働かせて、代わって辺境伯夫人の座に滑り込んだイザベラの仕送りと併せて借金を返済しようと目論んでいるのだ。
イザベラが馬鹿にしたように笑う。
「よかったじゃない、土いじりしか能のないお姉様も家族の役に立てるのよ」
「そうだ、イリス。すぐに王都へ戻るぞ。……ああ、辺境伯から贈られたドレスや宝石があれば取ってきなさい。それ位なら待てるからな」
「イリスさん、あなたのお父様が命じているのよ? もたもたしないで」
呆れるほど身勝手だが、言っている本人たちはその身勝手さにも気がついていない様子だ。
それから、自分たちがどんなに危険で愚かなことをしているのかも。
三人の後方に控えているローゼンミュラー家のメイドのハンナが、申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。
入り口に立ったまま、イリスは「わかっているわ」という気持ちをこめてハンナにうなずいた。
それが余計にイザベラの気に障ったようだ。
「何してるのよ、早くあたしの言う通りにして!」
イリスが何か答える前に、隣にいたヘルマンが厳しい表情を浮かべ、前へ進み出た。
ローゼンミュラー伯爵がうれしそうに叫ぶ。
「おお、ヘルマン! 急にうちを辞めたと思ったらこんなところにいたのか。ほら、早くイリスをこっちに連れてこい」
「無礼者!」
「……は?」
長年雇用していた庭師から突然罵られ、伯爵の目が点になる。
ヘルマンは容赦なく断じた。
「イザベラ様の名を騙る、図々しいニセモノめ!」
ローゼンミュラー家の三人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……な、何を言ってるのよ、ヘルマン。あたしが本物のイザベラよ!」
最初に気を取り直したイザベラが頬を紅潮させて叫ぶ。
ヘルマンがちらりとイリスを見た。
すぐにイリスはその意図を察し、うなずいた。
(……ええ、ヘルマンさん。これ以上、あの人たちの思い通りにはさせないわ)
イリスは胸に手を当て、堂々と宣言した。
「辺境伯夫人イザベラは私です!」
イザベラたちはあんぐりと口を開けた。
本物のイザベラを前に、イリスはこれまでさんざんレオン相手に練習してきたイザベラの強気な口調と表情で、きっぱりと告げる。
「イリスお姉様、お父様、お母様……いくら家族でも、そんなひどい嘘は許せないわ! 護衛のみなさん、あの人たちを捕まえてください!」
「なっ……イ、イリスお姉様、ちょっと待っ……」
イザベラがあわてふためく。
外で話を聞いていたオリヴィアも、眉を吊りあげて部下に命令した。
「イザベラさんの名を騙るなんて、ふてぶてしい人たちですわね! みなさん、全員ひっとらえなさい!」
はっ、と短く返事をしたリースフェルト商会の部下たちが素早く駆けだし、先に動いていたシュヴァルツ家の護衛に合流する。
「おっ、おい、こっちへ来るな!」
「なんの冗談よ!」
「いやっ!」
強面の護衛集団に追いかけられ、イザベラと両親は一目散に裏口を目指した。
そのあとをイリスたちも追いかける。
裏口のドアを出ると、教会の荒れた庭で、イリスの父と継母が捕らえられていた。
だが逃げ足の速いイザベラはハイヒールで器用に走り去ろうとしている。
その刹那。
夕暮れの空がにわかに暗くなった。
不穏な風が吹き、全員が空を見上げる。
上空を、猛禽類に似た巨大な鳥型の魔物が飛んでいた。
「ひっ……!」
爛々と光るその目は、庭に一人で立つイザベラを狙っているようだった。
両翼を広げた姿は十メートルほどもあるだろうか。
イザベラは恐怖に腰を抜かした。
「イザベラ! 何をしているんだ、さっさと逃げなさい!」
伯爵が叫ぶ。
だが生まれて初めて魔物を目の当たりにしたイザベラは、足が震えて立てないようだった。
さすがの護衛たちも、空の魔物が相手ではどうすることもできない。
そもそも鳥型の魔物は難敵だ。
熟練の騎士でも簡単には倒すことができないと、イリスも聞いたことがある。
イザベラは真っ青になり、歯の根も合わないほど震えていた。
旋回していた魔物が、滑空の姿勢に入った。
狙っている得物はイザベラだ。
イリスが異母妹の元へ駆け出した。
「奥様っ!」
不意を突かれたヘルマンも、すぐにあとを追う。
イリスは異母妹をかばうように前に立った。
涙の溜まった目で、すがるように、イザベラはイリスの背中を見上げた。
「お、お姉様……」
魔物が急降下してきた。
イリスは怯まずまっすぐにそれを見つめた。
目測で距離を測り、十分に引き付ける。
そして、ドレスの隠しポケットから何かを取りだした。
それは小さなスプレーボトルだった。
中にはどろりとした液体が入っている。
イリスはレースの手袋をした手でそれを構え。
襲いかかる魔物の顔面に吹き付けた。
「ギイイィィィーーーー!!」
耳をつんざくような叫び声が響き渡った。
魔物はドサッと墜落し、苦しそうにのたうち回っている。
すかさずヘルマンがイリスとイザベラの二人を抱え、その場から離れた。
魔物から十分に離れると、まだ呆然としているイザベラが口を開いた。
「な、何よ、あれ……お姉様、魔物に何をしたの!?」
イリスがふりむいた。
思わずイザベラは息を呑んだ。
彼女の姿が、今まで見たこともないほど美しかったからだ。
家ではずっと控えめで、自分の言いなりだった異母姉。
だが今は、別人のように凛として眩しく見えた。
まさしく辺境伯夫人の名にふさわしい威厳を、イリスはいつの間にか纏っていた。
「毒のスプレーよ。魔物に特効性のある麻痺毒なの」
立入禁止区域の庭園に咲いていた毒の花々。
その中でひときわ美しく咲いていた紫色の花は、長年シュヴァルツブルク城の庭園で毒草たちが交雑を重ねて生まれた変種、ドクスズランだ。
先代辺境伯が発見したその花は魔素を豊富に含み、抽出したエキスはあらゆる魔物に対して即効性の麻痺毒を持つ。
レオンは新しく雇った庭師のヘルマンに、妻が毒を怖がらないようなら、護身用にその毒を持たせてほしいと頼んでいたのだ。
人間にはそれほどの効果はないが、念のため使うときは手袋をするようにとのことだったので、外出時はレースの手袋を嵌めることにした。
まさか早速使うことになるとは思わなかったが。
イリスは心の中で夫の深謀遠慮に感謝した。
魔物が跋扈するこの辺境伯領で、それは一見物騒だが、何物にも代えがたい贈り物だ。
やはりシュヴァルツ家の秘密の庭園の毒は、誰かを守るための毒だったのだ。




