19.思いがけない再会②
ヘルマンは朴訥と語った。
「旦那様たちはそんな調子ですし、もう庭を楽しんでくださるお客様もいらっしゃいませんし、真剣に去就を考えていた矢先に手紙が届いたんです」
「手紙?」
「はい。辺境伯様からでした」
「レオン様から!?」
イリスは驚いてミントを摘む手を止めた。
なぜレオンが、仮面夫婦の妻の実家の庭師であるヘルマンに手紙を書くのだろう。
まさか、身代わり結婚がバレて、身辺調査のために手紙を出したとか?
だがそれなら貴族の誰かに尋ねるだろう。
ヘルマンは珍しく読み書きができるが、マックスやヤンをはじめ、多くの庭師は読み書きができる者の方が少ないのだから。
動揺するイリスに、ヘルマンは優しく説明した。
「心配はいりません。あの方は別にお嬢様を怪しまれているわけではなく、逆にお嬢様のために私に手紙を書かれたのですよ」
「……どういうこと?」
「辺境伯様は、あなたが家族に支度金を使い込まれたのではないかと考えておられました。そしてそのことを、実家であなたと親しくしていた庭師の私に手紙でお尋ねになったのです」
それを聞いたイリスは、夫の優しさと、自分を含めたローゼンミュラー家がしたことのいたたまれなさに、頬が熱くなった。
妻である自分がドレスにも事欠いているから、レオンは心配して、わざわざ王都のローゼンミュラー家にいるヘルマンに手紙を出して問い合わせてくれたのだ。
レオンとのティータイムにしばしばイリスが「頭も腕も良くて優しくて誠実で頼れる最高の庭師」と褒めちぎっていたヘルマンに。
そういえばたしかに一度レオンから「その庭師は読み書きが出来るか」と聞かれたことがあった気がする。
はい、と満面の笑みでうなずいたけれど、そのときすでに彼はヘルマンへ手紙を出すつもりだったのだろう。
「辺境伯様には先ほどお会いして、お嬢様はご家族から虐げられており、支度金もご本人のためには銅貨一枚使われなかったことを証言いたしました」
「……ありがとう。それにごめんなさい、ヘルマンさん。あなたのことも巻き込んでしまって……」
「構いませんよ。お嬢様が、嫁ぎ先でも私のことを忘れずにいたと知ってうれしかったですし」
ヘルマンはぱちっと片目をつぶった。
寡黙な庭師だがお茶目なところもあって、そんな彼がいたからこそ、イリスは辛い実家での暮らしを耐えられたのだ。
「あなたを忘れるわけがないじゃない。でも、それでレオン様に説明をするためにわざわざここへ?」
「いえ、手紙にはもう一つ用件があったのです。『シュヴァルツブルク城で庭師として働かないか』と……ま、スカウトですね」
「……えっ!? で、では、ヘルマンさんはそれを……」
「受けましたとも。もう一度イリスお嬢様の近くで働ける、またとないチャンスですから。先ほどお会いしたときに、正式に雇用契約を結びました」
「うれしいわ、ヘルマンさんっ!」
子どもの頃のようにヘルマンに抱きついて喜んだ。
ヘルマンも目を細めて、イリスの背中を抱き寄せる。
「私もうれしいですよ。結婚の話を聞いたときはずいぶん心配しましたが、辺境伯様はあなたのことをとても大事にされているようですね」
「……ええ……」
「どうかしたのですか?」
イリスは黙ってヘルマンから離れた。
首元で、レオンからもらったネックレスが揺れた。
「……こんなに大事にしてもらっているのに、私はレオン様に嘘をついているの。私はイザベラではないわ。でも、ここでの生活は全部『イザベラ』として築いてきたもので、あなたも『イザベラ』のためにここへ来た……今さら打ち明けることなんて、できないわよね……」
「言えばいいじゃないですか」
「へっ?」
あっさりと言われ、貴族女性らしからぬ声が出た。
「名前なんてたいした問題ではありませんよ。花だって、似ているものは名前を間違えることもあります」
「そ、そういう問題では……」
花と一緒にされ、イリスは脱力した。
たしかにイリスは異母妹のイザベラと外見はよく似ているし、花の中でもパンジーとビオラ、ユリとアマリリスなどはよく似ているものだが、それとこれとは話が違う。
それに、ローゼンミュラー家はイリスをイザベラと故意に偽って差し出したのだから、やはり間違えましたでは済まされないだろう。
だがヘルマンは飄々と言った。
「大丈夫ですよ。誰でも間違えることはあるのですから」
「でも…………」
「イリスお嬢様にとっても、大事な人なのでしょう?」
その質問にイリスは息を呑んだ。
ヘルマンを見上げると、穏やかにほほえんで返事を待っている。
イリスはこくりとうなずいた。
「ええ、そうよ。レオン様は私の大事な人なの」
「そうだと思いました。辺境伯からの手紙には、あなたへの気遣いが感じられましたから」
ヘルマンからそう聞くと、レオンは本当に思いやりのある優しい人なんだと実感する。
それに、自分が彼から大事にされていることも。
「……ありがとう、ヘルマンさん。おかげで本当のことを言う勇気が出たわ」
「それはよかったです」
優しいまなざしに、イリスはにっこりと笑い返した。
レオンにきちんと話そう。
怒られて追い出されるかもしれないけれど、それでもいい。
彼のことが好きだから、これ以上嘘はつきたくないし、自分の本当の名前を知ってほしい。
今日の夕食のときにレオンに打ち明けようと、イリスは心に決めた。
○
夕食の時間になってレオンに会うと、イリスはまず最初に礼を言った。
「レオン様、ヘルマンさんのこと、本当にありがとうございます」
レオンは温かな笑みを浮かべた。
「さっそくヘルマンに会ったようだな。彼もここが気に入っただろうか?」
「はい、とても! 広々とした庭園に感動していました」
「それは何よりだ。彼は薬草についても知識が豊富らしいから、きみのそばにいた方がいいと思ったんだ。そうだ、これを彼に渡しておいてくれ」
レオンは胸のポケットから一本の古い鍵を取りだした。
それを受け取りながらイリスは尋ねた。
「これはもしかして、庭園の隅の……」
「ああ。立入禁止区域の鍵だ」
シュヴァルツブルク城の庭園の端には、柵で囲われ、扉に頑丈な鍵がかかったエリアが存在する。
そこには入ってはいけないとされ、マックスやヤンでさえも立ち入りは禁じられていた。
「あそこは重要な場所なんだが、管理が特に難しいんだ。マックスは高齢だしヤンは若すぎるので、しばらくのあいだ放置したままだった。だが、きみが特に信用している庭師のヘルマンなら任せても大丈夫だろう」
「レオン様……」
イリスを信用し、重要な場所をここへ来たばかりのヘルマンに任せるというレオンの気持ちがうれしかった。
「もちろんです! ヘルマンさんならきっと、上手に管理してくれるはずですわ」
「ああ、期待している」
ほほえみ合う二人のあいだに、親密な空気が流れる。
今が身代わりを打ち明けるチャンスだ。
イリスはごくりと唾を呑んだ。
「あの、レオン様……」
ちょうどそのとき、辺境騎士団の騎士が慌ててダイニングルームに駆け込んできた。
「団長、お食事中すみません! 街の北西に魔物が複数出現しました!」
「またか……すまないイザベラ、帰りは遅くなりそうだ」
「わかりました」
この辺りには瘴気溜まりが多く、魔物が頻繁に出現する。
辺境騎士団長であるレオンが急に呼び出され、出動するというのはよくあることだった。
身代わりのことを話しかったけれど、今はそれどころではない。
「ご無事のご帰還をお祈りしています」
代わりに心からそう言った。
すると、レオンは自分のすぐそばまで歩いてきた。
かがんで、イリスの茶色の髪をひと房手に取る。
そしてその髪に、そっと口づけを落とした。
イリスは燃えるように真っ赤になった。
そんな妻に、レオンはこれ以上ないほど甘いほほえみを向ける。
「行ってくる」
「…………行ってらっしゃいませ」
ようやく絞り出した言葉が、颯爽と城を出ていった彼の耳に届いたかどうかはわからなかった。




