18.思いがけない再会①
ヤンのあとについて、イリスとレオンは急いで庭師の小屋へ向かった。
城の敷地の隅にあるその小屋には、住み込みの庭師のマックスとヤンが暮らしている。
八十一歳のマックスはここのところ体調を崩していたのだが、休憩時間に見習いのヤンが様子を見に行ってみると、苦しそうに胸を押さえていたのだそうだ。
「バートンにすぐに医者を呼ぶよう伝えてくれ」
「はい!」
レオンに言われ、ヤンは矢のように飛びだしていった。
苦しむマックスの額の汗を、イリスはハンカチで拭いた。
その位しかできないことがもどかしい。
じりじりと待っているとようやく医者が到着し、マックスを診察した。
幸い、今すぐ命が危ないというわけではないが、やはり年なのでしばらく安静にした方がいいということだった。
ひとまずはほっとしてイリスたちは庭師の小屋を出た。
元気になるまでは、城のメイドたちが交代でマックスの看病をしてくれるそうだ。
使用人の医者代を払ったり、看病を命じてくれる雇い主は少数派だ。
現にイリスの父親も、長年勤めてくれているヘルマンが病気になっても知らん顔をしていた。
だがレオンは冷血と言われているにも関わらず、倒れたマックスを見捨てなかった。
冷血どころか、思いやりに溢れた人だ。
にこにこしながら夫を見ていると、視線に気づいたレオンが訝しげな顔をした。
「……なんだ」
「いえ、レオン様はとてもお優しいのですね」
「そうじゃない。彼は事業にとって欠かせない人材だからな。必要経費だ」
照れ隠しのようにフイッと顔を背ける。
なんだかかわいくて、イリスはますます頬をゆるめた。
だが、庭師の最年長であるマックスを欠いたことで、ミントポーション作りは滞ってしまった。
まだ十五歳の見習いのヤンだけでは広大な庭園を管理しきれず、通いの庭師も二人いるが、それでも手が回らない。
出荷量が増えたことで各種ミントの栽培量も増えていたが、夏の日差しが強まる中、水やりすら追いついていない状況だった。
「困ったわ……注文はどんどん増えているのに、作業が追いつかないなんて……」
イリスは作業台に突っ伏し、つぶやいた。
一人でどうにか大きな籠二つ分のペパーミントとアップルミントを収穫したのだが、魔導士たちが来るまでにさらにもう一籠分収穫し、シロップにしておかねばならない。
けれども、水やりやアブラムシの駆除に時間を取られてしまい、思うように収穫が進んでいなかった。
ヤンは他の植物の世話で手いっぱいだし、一度やると言った以上、ミントの手入れは自分でやりたい。
そう思っていたが、これまではひそかにマックスがあれこれと助け、気を配ってくれていたのだと痛感した。
庭仕事は得意だとうぬぼれていたが、自然の前では自分一人の力などちっぽけなものだ。
だが、木のボードに貼られた受注リストにずらりと並んだ名前を見ると、イリスはガタッと立ち上がった。
こんなにたくさんの人がミントポーションを待ってくれている。
「……休んでいる暇はないわ。早く収穫をしてきましょう」
「お嬢様、お手伝いしましょうか?」
聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
イリスは青い目をまん丸に見開いた。
そんなはずはない。
彼がここにいるはずは。
でも────。
「お久しぶりです、イリスお嬢様」
ふりむくと、日に焼けた懐かしい笑顔。
頑丈そうな大きな体に、頬ひげに、優しい瞳。
イリスの実家、ローゼンミュラー家の庭師のヘルマンが、そこに立っていた。
「……ヘルマンさん! どうしてここに!?」
「まあ、色々ありまして……収穫しながらお話ししましょうか」
籠をひょいと持って歩きだした大好きな庭師の背中を、イリスは子どものように追いかけた。
○
並んでミントを摘み取りながら、ヘルマンはぽつぽつと語った。
イリスが嫁いだあとも、彼は王都のローゼンミュラー家で働き続けていた。
彼はイリスが渡した銀貨で真面目に治療を受け、肺の病気はすっかり良くなったそうだ。
そして相変わらず黙々と庭の手入れをしていた。
一方、雇用主であるローゼンミュラー家は坂を転げ落ちるように没落していった。
レオン・シュヴァルツ辺境伯から送られてきた支度金は、一部が借金の返済に使われ、残りは継母と異母妹のイザベラがすぐにドレスや享楽に使い果たしてしまったらしい。
全額借金の返済にあてるつもりだった父はあぜんとし、夫婦喧嘩が絶えなくなり、借金取りに追われる日々が始まった。
イザベラは「イリス」として王都に残ったのだが、美形の婚約者フロリアンとはすぐに別れたそうだ。
本物のイリスに付き添って辺境伯領へやってきた侍女ハンナから、辺境伯領は栄えていて領主レオンは目もくらむような美男子だという話を聞いたイザベラは、それなら自分が行くと言い出し、父から必死に止められたそうだ。
話を聞きながら、イリスはほっと胸をなでおろしていた。
まず何より、ヘルマンの病気が治って本当に良かった。
そして、イザベラがフロリアンとすぐに別れていたことも驚きだったが、ここへ乗り込んでくるつもりだったということにも驚いた。
そんなことになったら悪夢だ。父にはぜひ頑張って止めてほしい。
ヘルマンが話を続ける。
常日頃はイザベラに甘い父だったが、身代わりを明かすことだけは厳しく禁じていた。
まがりなりにも貴族社会に身を置くものとして、辺境伯が自分よりも重要な地位にあり、高い身分であることだけは重々わかっていたからだ。
身分が上の貴族にニセモノの花嫁を送ったと知られたら、王都の社交界でも信用を失うだろうし、辺境伯の報復も恐ろしい。
そのためイザベラは「イリス」として次の婚約者を見つけようと、両親にしつこくせがんで社交界に舞い戻った。
美しく社交的な自分なら、たとえ名前が変わっても同じようにちやほやされるだろうと軽く思っていたに違いない。
だが意気揚々と夜会に出た彼女は、自分が蒔いた悪評に苦しめられた。
イザベラは、異母姉イリスが自分を妬み虐める陰湿な姉だと吹聴していたのだ。
立場が逆転し自分がその「イリス」になったとき、周囲の貴族は彼女に刺々しい視線を向け、てんで相手にしなかった。
さらに、元友人たちは「イザベラが作ったミントシロップが欲しい」と迫ったそうだ。
「きみがイザベラを虐めて、可憐な彼女を辺境伯領などへ嫁がせたのだろう? ぼくたちと仲良くしたいなら責任を取って、それなりの物を持ってきてくれよ」と足元を見られ、それがもうローゼンミュラー家にないと知ると、興味を失ったようにイザベラから離れていった。
そのあとは、誰も「イリス」に近づこうともしなかった。
散々な目に遭ったイザベラは夜会の終わりを待たず、逃げるように屋敷へ戻った。
そして泣きわめきながら両親をなじった。
その声は使用人たちの耳にも届き、庭師のヘルマンにまで事情が筒抜けとなったのだった。




