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身代わり花嫁の幸せガーデニングライフ  作者: 岩上翠


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17/27

17.ささやかな贈り物

 オリヴィアと会ってから、イリスは庭園の作業中にぼんやりすることが増えた。


 父からこの結婚の話を聞いたとき、自分は身代わりがバレないかどうかだけを心配していた。

 イザベラのふりをして嫁ぐことが相手に嘘をつくことだとはわかっていたが、実家で虐げられていたイリスには選択肢などなかった。

 冷血と言われているレオンは、たしかにドライで厳しいかもしれないが、相手に対する気遣いのできる優しい人だ。

 彼の事情を知った今、彼を騙しているという罪悪感が日に日に増していった。


(やっぱり、ちゃんと打ち明けた方がいいわよね……でも、もしもそれで嫌われたり、追い出されたりしたら……)


 さすがに問答無用で斬り捨てられることはないだろうが、レオンは裏切り者を許さないだろう。

 イリスが嫁いできてから二か月。

 そのあいだにいくらでも本当のことを言う機会はあったのに、イリスはそれをしなかったのだ。


 ミントポーションはリースフェルト商会の協力を得て販売開始し、ぐんぐんと売り上げを伸ばしている。

 ローズヒップティーも試飲販売に力を入れ、女性を中心に人気を博し、完売目前だそうだ。

 どちらも、辺境伯夫人「イザベラ」が作ったものとして売り出されている。


 辺境伯領で少しずつ増えてきた知人も、みんな「イザベラ」として出会った人たちである。

 使用人たちも、歌姫のブリジットも大商人の娘オリヴィアも、知り合って間もないけれど、すでにイリスの大切な人たちだ。

 言うまでもなく、夫であるレオンも。

 居心地が良く温かいこのシュヴァルツブルク城に、本当は、「イリス」の居場所などどこにもない。


(ここに……レオン様のそばに、ずっといたい……)


 イリスは心からそう願った。

 ここを追い出されたら、いやそれ以前に、レオンに失望され嫌われたらと思うと、胸が潰れそうなほど苦しくなる。


 上の空のイリスは、ミントの切り戻し作業中に、うっかり鋏で自分の手を傷つけてしまった。

 左手の人差し指からぷくりと赤い血が膨らみ、地面に落ちる。


「奥様、大丈夫ですか!? 早く手当てを……」


 調子を崩している高齢のマックスに代わり、今は庭師のリーダー代理をしているヤンが血相を変えた。


 ちょうどそのとき、城の方からレオンがやってきた。

 魔物討伐に出かけているはずだったが、今しがた帰ってきたところなのだろう。

 まだ装備も解いていない彼は、騒ぎを聞きつけ足早にイリスへ近づいた。


「どうした」

「旦那様、奥様がお怪我をされて……!」

「これくらい平気です」


 笑顔を取り繕ったが、レオンはイリスの腕をつかみ傷の深さを見ると、そのまま彼女とともに城へ向かった。


「レオン様、一人で手当てできますので……」

「片手では困るだろう」


 レオンは有無を言わさずイリスを自分の部屋へ連れていくと、慣れた手つきで消毒し、軟膏を塗って包帯を巻いた。

 手際が良く、普段からこうした傷の手当てをしていることがわかる。

 大きな手で丁寧に包帯を巻いてもらうと、痛みは消え、体の中が温もりでいっぱいになった。


「ありがとうございます、レオン様」


 ほほえんで礼を言うと、向かい合って座るレオンはなぜか視線をさまよわせた。


「いや、礼には及ばない…………その、実は、きみを捜していたんだ。渡したいものがあって」

「渡したいもの? まあ、なんでしょうか」


 仕事関係のものだろうか?

 新しい注文書とか? それとも明細書?


 だが、レオンは上着の内ポケットから大事そうに細長いベルベットの箱を取りだした。

 蓋を開け、中身をイリスに見せる。


 それは繊細な細工のネックレスだった。


 細い銀の鎖の先に、ダイヤモンドが埋め込まれた四つ葉のチャームが輝いている。

 とても美しく可愛らしいデザインだ。

 同時に、とんでもなく高価な物であろうことは、先般オリヴィアが持ってきたカタログに隅から隅まで目を通したイリスにはわかった。


「……レオン様、これは……」


 顔を上げて問うと、レオンは熱のこもったまなざしをイリスに向けた。


「きみは自分でドレスを用意したいようだが、俺にも妻にささやかな贈り物をする権利を与えてほしい」

「……っ!」


 イリスは心臓を鷲掴みにされたようだった。

 ため息が出そうなほど美しいレオンの顔は、まっすぐ自分だけに向けられている。

 恥ずかしくて目をそらしたいのに、ずっと見つめていたい。

 真っ赤になって言葉を失ったイリスに、レオンは少し困ったように眉を下げて聞いた。


「……構わないだろうか?」

「は……はい……喜んで」


 どうしよう、声が震える。

 こんな反応、軽薄な異母妹のイザベラはしないだろう。

 だけど今のイリスには演技をする余裕なんてどこにもなかった。


 レオンは立ち上がると、ネックレスを手に取ってイリスの後ろに回り、そっと首にかけた。

 傷の手当てをしてくれたときとは違う、壊れ物を扱うような不慣れな手つきで留め具を嵌める。

 彼の指先がうなじに触れるたび、イリスの心臓は壊れそうなほど高鳴った。


 優しく手を取られて椅子から立ち上がり、姿見の前へエスコートされる。

 等身大の鏡には、頬を紅潮させ美しいネックレスを身に着けたイリスと、その後ろで誇らしげに立つレオンが映っている。


 まるで夢の中にいるみたいだった。

 ふわふわと幸せなのに、きゅうっと胸が締めつけられる。


 イリスはようやく気がついた。


(私はとっくに、レオン様に恋をしていたんだわ)


 初めての感情に戸惑いながらも、イリスは心からネックレスのお礼を言った。


「……ありがとうございます、レオン様。とても綺麗……」

「気に入ってくれたならよかった。思った通り、きみによく似合っている」


 鏡の中のレオンが自分を見てとろけるような甘いほほえみを浮かべたので、イリスはパッと目をそらしてしまった。

 ときめき過ぎてめまいがしそうだ。

 けれど、今ここで、イリスもレオンに渡したいものがあった。

 くるりと後ろを向き、夫を見上げる。


「あの、レオン様……実は私も、あなたにお渡ししたいものがあって……」

「俺に?」

「は、はい。もしよかったら……」


 このネックレスのあとでは気が引けたが、常に多忙なレオンに渡すなら今しかない。

 急いで自室から贈り物の箱を取ってくる。

 レオンは同じ場所で立って待っていてくれた。

 ドキドキしながらその箱を渡す。

 彼が箱の蓋を開けた。 


 中に入っていたのはマントを留めるブローチだった。

 円形の純銀で、中央には幸運を願う四つ葉の意匠が彫られている。

 

 レオンが遠征から無事に帰ってこられるようにと願いを込め、リースフェルト商会のカタログの最後、男性用装飾品のページに載っていたものから選んだ。

 彼が今使っているブローチは魔物との激しい戦闘によって欠けている。

 けれどもその忙しさゆえ、なかなか新調できずにいるらしかった。

 イリスが「自分用の靴を一足減らしてこのブローチが欲しい」と言うと、オリヴィアはふわりと笑って了承してくれた。

 そして先日、ドレスと一緒に届いたのだった。


 期せずして夫婦でお揃いのようになったことは少し気恥ずかしいけれど、とてもうれしい。

 だがレオンは箱の中をのぞきこんだまま、無言で固まっている。

 気に入らなかったのだろうか?

 イリスはおそるおそる彼を見上げた。


「レオン様?」

「……付けてくれないか」


 言うなり、レオンはマントから古いブローチをむしり取った。

 その勢いに驚きながらも、イリスは彼にブローチを付けてあげた。


 鏡に向き直るレオンとともに、イリスもそちらを見た。

 思った通り、純銀のブローチは彼の銀髪にとてもよく似合った。

 鏡の中のレオンがうれしそうにほほえむ。


「ありがとう、イザベラ。大切に使う」


 喜んでくれたことがうれしくて、イリスも鏡越しににっこり笑った。

 すると、鏡に映るレオンの銀髪が、少し下の方へ動いた。

 本物のレオンを見上げると、彼の端正な顔が、自分のすぐ目の前にあった。

 鼻先が触れるほど近くに。

 なんだか、これではまるで、キスをするような距離感だ。

 彼の顔がさらに近づく。

 まるで、イリスにキスをしたいかのように────。


「旦那様、大変です! マックスさんが……!」


 激しいノックの音とともに、ヤンの叫び声が響いた。

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