16.赤髪の令嬢②
イリスは慌てて咳ばらいをした。
「ごほんっ! あの、レオン様もローズヒップティーをいかがですか!?」
「…………ああ、いただこう」
レオンは何か聞きたそうな顔をしていたが、聞いてほしくなさそうなイリスの真っ赤な顔を見ると、開きかけた口を閉じた。
紳士なのである。
代わりにオリヴィアを紹介してくれた。
「イザベラ、彼女は以前話した大商家の娘だ。きみのミントポーションの販売権に興味を示している」
「……あっ、リースフェルト商会の……!」
イリスはハッと目を瞠った。
そういえば、以前レオンが言っていた。
近々、辺境伯領随一の大商家がミントポーションの見学に来る予定だと。
だがそれは今日ではないし、オリヴィアがその関係者だとは思いもよらなかったが。
バートンがレオンの分のお茶を淹れ、イリスのカップの隣に置く。
自然、レオンはイリスのすぐ隣に腰を下ろした。
どきりと心臓が跳ねる。
こんな風に隣に座るのは初めてなので、ちょっと落ち着かない。
内心そわそわしながらも、イリスはオリヴィアに話しかけた。
「リースフェルト商会のご令嬢だとは存じ上げず、失礼いたしました」
「いいんですのよ。あなたがどんな人なのか知りたかったですし」
「それが目的だろう……わざわざ俺の留守を狙って来るとは」
レオンが眉間にしわを刻む。
オリヴィアとレオンの会話は気安かったが、イリスが想像したような親密さは皆無だった。
変に勘ぐってモヤモヤしていた自分が恥ずかしくなる。
オリヴィアは美しくほほえんだ。
「だって、気になるでしょう? どんな美人にもお金持ちにも見向きもしなかった貴方が、ついに結婚を決めたんですもの。しかも相手は話題のミントポーションを作る才媛だって言うし。でもこのあいだ劇場で見かけた奥様は……こう言ったらなんですけれど、まるで平民の娘みたいな格好をしていて……これは間違いなく、わたくしの出番ですわよね?」
「出番?」
きょとんとするイリスに、オリヴィアはウインクをした。
「任せてくださいな、イザベラさん。このわたくしが、貴女を究極に美しくして差し上げますわ!」
オリヴィアが合図をすると、部屋の隅に控えていた彼女のフットマンたちが一斉に動きだした。
ローテーブルの上いっぱいにカタログを広げ、衣装やアクセサリーの入った箱を次々と開いていく。
応接間は一気にきらびやかな雰囲気に包まれた。
「どれも最新流行のデザインですわ。わがリースフェルト商会は総合商社ですが、特に女性向けの商品を重点的に扱っておりますの。今日持ってきた品物は、店に出したら定価で瞬く間に完売してしまうでしょうけれど、他ならぬレオンの奥様ですもの。特別に、全品二割引きとさせていただきます! ああ、わたくしのこのドレスやアクセサリーもすべて対象品ですわよ」
目がチカチカする。
ドレスはどれも一級品で、華やかなものも控えめなものもあった。
「……相変わらず商売上手だな。イザベラ、せっかくだから好きなものを数着選ぶといい」
思ってもみなかったことをレオンから言われ、イリスは戸惑った。
「で、ですがレオン様……」
「気にするな。きみはいつも働き過ぎるくらい働いているから、特別ボーナスだと思ってくれ」
特別ボーナス。なんて甘美な響きだろう。
だが、イリスはミントポーションの売上金の一部を受け取るという契約書をレオンと交わしており、来月には現金支給もされることになっている。
それに、すでに実家に送られた支度金のこともある。
本来ならその支度金で服装を整えなければならなかったのに、家族に使い込まれてしまった。
そのせいでレオンに余計な出費をさせることはためらわれた。
けれどもオリヴィアの言う通り、このままでは辺境伯夫人としてあまりにも貧相だろう。
しばらくのあいだ思案すると、イリスは顔を上げ、レオンにほほえんだ。
「ありがとうございます、レオン様。ですが、ドレスはできれば自分で買いたいと思います」
「自分で? 来月まで待つということか?」
「後払いもご利用できますわよ」
すかさずオリヴィアがローンの契約書を取りだす。
だがイリスは首を振った。
「いえ、ローンではなく……オリヴィアさん、ドレスの代金として、私の作ったローズヒップティーを買い取っていただけませんか?」
オリヴィアは灰色の目を丸くした。
「買い取るって……そんなにたくさん在庫があるんですの?」
「はい! ちょっと待っていてください」
イリスはいそいそと応接間を出ていき、少しして侍女のベスと二人がかりで、大きな木箱を抱えて戻ってきた。
中には乾燥ローズヒップティーが入った大きな瓶がいくつも詰まっている。
「私がこのシュヴァルツブルク城に来たとき、広い庭園にはワイルドローズがたくさん咲いてました。レオン様は庭園を好きにしていいとおっしゃいましたので、遠慮なく実を収穫させていただき、すべて乾燥させてハーブティーにしました。ローズヒップティーは王都ではよく飲まれていますが、辺境伯領ではまだ知られていないようなので、効能を前面に出し、リースフェルト商会さんで売り出していただければ、女性を中心に人気が出るかと」
オリヴィアもレオンも、呆気に取られた顔をイリスに向けていた。
「……人は見かけによらないものですわね。たしかにこのハーブティーをいただいたとき、『売れるかも』とは思いましたけれど……貴女がこんなに手際が良くて聡明な方だとは思ってもみませんでしたわ」
「ありがとうございます、オリヴィアさん!」
褒められて、イリスはパッと笑顔になった。
レオンはしばらく眩しそうにそんな妻に見入っていたが、オリヴィアに向き直ると冷徹な表情で尋ねた。
「それで、返事は? もちろん買ってくれるんだろうな?」
「レオン、幼馴染に圧をかけるのはやめてくださる? ……はぁ、売り込みに来たのに逆に商談を持ちかけられるだなんて……いいでしょう。ご祝儀込みで買い取らせていただきますわ。対価は、そうですわねぇ、ドレス二着と靴二足でいかがでしょうか?」
イリスはドキドキしながらうなずいた。
自分から言い出したこととはいえ、とんとん拍子に話が進み、流れについていくのに精いっぱいだ。
ミントポーションに続いて、母のレシピで作ったローズヒップティーも商品化してもらえるなんて夢のようだ。
しかも、その報酬として素敵なドレスが手に入るのだ。
自分の力で手に入れた、辺境伯夫人にふさわしいドレス。
立ち上がり、イリスは両手を差し出して握手を求めた。
「よろしくお願いいたします、オリヴィアさん」
「こちらこそ」
オリヴィアも立ち上がり、両手でしっかりとイリスの手を握り返した。
○
そのあとで女性二人は別室へ移動し、オリヴィアがイリスの採寸をすることになった。
一見貴族令嬢のような外見のオリヴィアだが、てきぱきと採寸をし、帳面に数字を記入していくさまはいかにも商家の娘らしい。
感心しながら見ているとあっという間に採寸が終わった。
荷物を片付けながらオリヴィアが言った。
「ドレスと靴は二~三週間ほどでお届けできると思いますわ。今のドレスでは困る場面もあるでしょうから、見本のドレスを一着置いていきますわね」
「まあ、ありがとうございます」
「いいんですのよ。お会いする方に、これはリースフェルト商会のドレスだと宣伝していただければそれで」
なんだか歩く広告塔のようだが、とても助かるのでありがたく借りておくことにした。
オリヴィアは歯に衣着せぬが、面倒見のいい性分でもあるようだった。
ついでにイリスの手持ちのドレスもチェックして、似合う色のショールやアクセサリーの合わせ方を教えてくれた。アレンジを効かせれば、多少なりとも違って見えるらしい。
ファッションの手ほどきの合間に、オリヴィアはこんなことも言った。
「レオンはあれでも、この辺りの令嬢たちが結婚相手としてこぞって狙っていた男性ですから、あまりみすぼらしい格好はしない方がいいですわよ。貴女が大事にされていないと思われたら、たちまち蹴落とされてしまうかもしれませんわ」
「そ、そうなのですか?」
辺境伯が代替わりする際の恐ろしい話は聞いていたが、まさかその嫁まで血なまぐさいことになるのだろうか。
これまでのところ、幸いにも危険な目には遭っていないが……。
オリヴィアの瞳が曇った。
「それにここには、貴女の支えとなってくださるお義母様もいらっしゃらいませんし……」
「……レオン様のお母様は、今はどこに?」
「さあ。彼がまだ幼い頃に、他の男性の元へ行ってしまったのです。三年前に先代の辺境伯が亡くなったときには、両親のいないレオンの周りは敵だらけでしたわ。この地で商売を始め、先代の助けがあって発展したリースフェルト商会は、恩返しの意味も込めて微力ながらレオンを支えましたけれど……信頼していた人間から次々に裏切られ、命を狙われるという状況を、レオンは一人で乗り越えたんですの。けれど、それから彼は人間不信に陥り、冷血と言われるようになってしまって……」
イリスは何も言えなかった。
三年前なら、当時のレオンはイリスと同じ十八歳だ。
もしも自分が母や周囲の人間から次々に裏切られ、命を狙われたら、生きていけるだろうか。
レオンはそれを乗り越えて今ここにいるけれど……それはどれほど辛い道のりだったのだろう。
言葉を失ったイリスの背中に、オリヴィアは優しく手を当てた。
「だから、レオンが貴女と結婚して本当に良かったですわ。彼を幸せにしてあげてくださいませ、イザベラさん」
「……はい」
イリスは顔を上げ、ほほえんで返事をした。
自分は身代わりの花嫁だけれど、それでも、レオンのために何かできることがあればしてあげたい。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたしますわね」
「あっ……待ってください!」
帰ろうとするオリヴィアを引き留め、イリスは勇気を出して、ある頼みごとをした。




