15.赤髪の令嬢①
観劇の数週間後には、ブリジットをはじめとした俳優陣のたっての希望により、城下町の劇場にミントポーションが常備されることが決まった。
レオンが支配人に物申したことにより、公演の過密日程も見直しが決まったそうだ。
今後は売上だけでなく、俳優やスタッフの福利厚生にも力を入れていくという方針に変わったとレオンから聞き、イリスも喜んだ。
◯
そんなある日のこと、シュヴァルツブルク城に来客があった。
あいにく当主のレオンは留守だったが、立派な二頭立ての馬車で乗りつけてきたその客は、近隣の貴族なのだろうか。
だが、庭園にいたイリスが慌てて正面玄関まで来てみても、馬車に家紋は入っていなかった。
不思議に思いながら、玄関から出てきた執事のバートンと一緒に客の下車を待つ。
下車には時間がかかっていた。
白手袋を嵌めた御者が仰々しいくらいの丁寧さで、客車の扉を開く。
隙間から、豪奢な緋色のドレスと、ヒールの高い靴が現れた。
「ごきげんよう」
馬車から降りてきたのは見知らぬ女性だった。
手入れの行き届いた赤い巻き髪に、気の強そうな灰色のつり目。
赤いドレスは派手だが上品さも併せ持ち、最高級の素材を丁寧に縫製した一級品だ。
じゃらじゃらとたくさん付けたアクセサリーも、見るからに高価そうである。
一瞬圧倒されかけたイリスだが、辺境伯夫人としてしっかりと応対しなければならない。
だがその前に、バートンが進み出てお辞儀をした。
「ようこそお越しくださいました、オリヴィア様」
「お久しぶりね、バートンさん」
イリスは目をぱちくりさせた。
バートンがふりかえり、赤髪の女性を紹介する。
「奥様、こちらはリースフェルト家のご令嬢、オリヴィア様です」
リースフェルト家……どこかでその名前を聞いたような気もする。
だが記憶のどこを探っても、近隣の貴族の家名に「リースフェルト」という名は見つからない。
オリヴィア・リースフェルトはあでやかにほほえんだ。
「わたくし、レオンとは幼い頃からの付き合いですの。どうぞお見知りおきを」
レオン、と躊躇いなく呼び捨てする。
そして値踏みするようにこちらをじろじろと見てくる。
イリスは負けないように胸を張った。
「こちらこそ。私は……」
「存じ上げておりますわ。レオンの奥様のイザベラさんでしょう?」
「……はい」
先に言われてしまった。
オリヴィアはじろじろとイリスを眺め回す。
「先日、劇場でお見かけしましたわ。失礼ですけれど、レオンの奥様にしてはずいぶん……慎ましやかなお召し物でいらっしゃいますことね?」
カーッと頬が熱くなる。
ずいぶんと率直な物言いだが、その通りなので反論できない。
自分でもこれが辺境伯夫人にふさわしい装いでないこと位はわかっている。
しかも今はタイミング悪く土いじりをしていたところで、髪をお団子にしてエプロンをつけた姿は、奥様というよりもまるで下働きのメイドである。
女性らしい素敵なドレスを身に着け、髪を美しく巻いているオリヴィアが、納得いかないという風に首を傾げた。
「わたくし、所用で王都によく行くのですけれど、貴女のお噂も聞いたことがあるんですの。こう言ってはなんですけれど、結婚前は相当遊んでらっしゃったとか……」
ぎくり、とイリスは肩を震わせた。
どうしよう。この人はイザベラが遊び人だということを知っているのだ。
面識はなさそうなことが救いだが、今の自分はどう見ても社交界で浮名を流す軽薄な女には見えないだろう。
イリスは必死に頭を回転させ、とっさに思いついたアイデアを実行に移した。
イザベラを真似て、強気な視線でオリヴィアを貫く。
「……あら、お恥ずかしいですわ。たしかに以前の私は大勢の男性に取り巻かれて、いい気になっておりました」
それから、恥じらうように頬に手を当てた。
「ですが、運命の人……レオン様に出会い、私は変わったのです。今の私の喜びはあの方のお役に立つこと。それに比べたら、他の男性も美しいドレスも、ちっぽけなものに思えてしまうのです」
情感たっぷりに言って、ちらりとオリヴィアを見る。
彼女は灰色の瞳を見開き、赤い唇を半開きにして、驚きの表情を浮かべていた。
(……信じてもらえたかしら?)
執事のバートンが満面の笑みを浮かべて進み出た。
「オリヴィア様、恐れ入りますが、あいにく旦那様はお仕事でして……よろしければ、どうぞ奥様とご一緒に中へ」
「……ありがとう。そうさせてもらうわ」
イリスはひとまずほっとして、彼女を城へ招き入れた。
「それではこちらへどうぞ、オリヴィアさん」
○
応接間でイリスとオリヴィアは向かい合い、お茶を飲んでいた。
(……綺麗な人……)
ハーブティーの湯気の向こうから、イリスはちらりと相手を見た。
少々どぎつい色のドレスとアクセサリーだが、彼女のきつめの顔立ちにはよく似合っていた。
名前を呼び捨てているということは、レオンとはかなり親しい間柄なのだろう。
(もしかしたら、レオン様が私に仮面夫婦を提案したのは、オリヴィアさんがいたから……?)
レオンが彼女と寄り添い笑い合う姿を想像すると、キュッと胸が苦しくなった。
自分とレオンは仮面夫婦であり、お互いに自由にしていいという約束だ。
だから、オリヴィアがレオンの何だろうと、イリスには何も言う権利はない。
(……そうよ。逆に、私がどんな妻だろうと彼女には関係ないわ。慎ましやかなドレスだから何なのよ)
そう思うと、変なコンプレックスを感じるのもバカバカしくなった。
イリスはハーブティーを飲み干したオリヴィアにニコッと笑いかけた。
ちなみに、城に入るときに事情を察した侍女のベスが手早く髪を直し、エプロンを回収してくれたので、さっきよりも少しはましな見た目になった。有能な侍女がいてくれて助かる。
「お代わりはいかがですか、オリヴィアさん」
「……ええ、いただきますわ。このお茶は何なのですか? 初めて飲むお味ですけれど」
「これはローズヒップのハーブティーです」
イリスは手ずからお代わりを注いだ。
対応に困る相手だが、シュヴァルツ家にとって大事な客には違いない。
しっかりもてなそうと彼女が気に入りそうなハーブティーを選んだのだが、思った通り興味を持ってくれたようだ。
鮮やかな赤いお茶がカップを満たしていく。
その香りに包まれながら、イリスは説明した。
「バラの実から作られるハーブティーです。飲むとお肌が綺麗になったり、他にも色々な効能があるんですよ」
「本当に!? 飲むだけでいいのですか? 他の効能ってなんなんですの?」
オリヴィアがすごい勢いで身を乗りだしてきた。
予想以上の反応だ。
手作りのハーブティーに興味を持ってもらえてうれしい。
イリスはほほえみながら、オリヴィアの前にお代わりのティーカップを置いた。
「これを飲むと、お通じが良くなったり、風邪を引きにくくなったりするのです」
「まあぁ……! それはかなり良いですわ! 味は独特ですけれどハチミツを入れればマイルドになりそうですし、これはいけるかも……」
いける、とはなんのことだろう?
イリスの頭の中にいくつも疑問符が浮かんだとき、バンと扉が開いた。
入ってきたのは怖い顔をしたレオンだった。
つかつかとイリスの隣へ歩いてきて、正面のオリヴィアをにらみつける。
「オリヴィア、どういうことだ! 約束もなしに来るなど非常識な!」
「たまたまこの近くで時間が空きましたの」
イリスもたじろぐほどの剣幕だったが、幼馴染というだけあって慣れているのか、オリヴィアは澄ましてローズヒップティーを飲んでいる。
それどころか、彼女はレオンににっこりと笑いかけた。
「……そんなことよりもレオン、しばらく会わないうちに運命的な大恋愛をしていたようですわね? 貴方の奥様にさんざん惚気られましたわ」
「は……? 惚気……?」
レオンの涼しげな目元に、さっと赤味が差した。




