12.初めてのデート①
レオンと歌劇に行く日がやってきた。
普段、イリスは日曜日でもいつもと変わらず朝から庭園に出て、ミントや他の植物の世話をしている。
だが今日はなぜか庭園に入ったとたん、水やりをしていた庭師のヤンが血相を変えて走ってきた。
「何をしてるんですか奥様! 今日は旦那様とお出かけの日だと伺ってるんですが!?」
「ええ。でもまだ時間があるし、雑草が増えてきたから草抜きでもしようかと……」
「ぼくがやりますから! 奥様はどうか身支度をなさってください!」
必死に言われ、それならと屋敷に戻ることにした。
途中でイリス付きの侍女のベスに会い、ぎゅっと手を握られる。
「奥様、捜しておりました! すぐにお部屋へお戻りください。お支度をいたしますので!」
「え、ええ」
いつもはいたって冷静で侍女のお手本のようなベスが血相を変えて自分を捜していたので、イリスは目を白黒させた。
自室のドレッサーの前に座ったとたん、ベスはああでもないこうでもないとイリスの髪をアレンジしだす。
「……ずいぶん気合いが入っているのね?」
「当たり前です! 奥様と旦那様の初めてのデートですからね」
「デ、デート?」
その可能性を考慮しないでもなかったが、歌劇を観に行くのはミントポーションの販路拡大のためのものだろうと自分に言い聞かせていた。
レオンと自分は仮面夫婦なのだ。
いやでも、だからこそ、対外的に円満な夫婦であることをアピールするという狙いの「デート」でもあるのかもしれない。
うん、きっとそうだろう。
デートの中でも、これはビジネスライクなデートなのだ。
ヘアアレンジの方向性が決まったようで、ベスは鮮やかな手並みでイリスの髪を結っていく。
「バートンさんからも、『全力でご夫婦のデートのお膳立てをするように』とのお達しが全使用人に出ております」
「バートンさんが!?」
執事のバートンさんは真面目な人だと思っていたのだが、案外お茶目な人なのだろうか。
もし真面目に言ってるのだとしたらプレッシャーがすさまじい。そして恥ずかしい。
人生初のデートで、全使用人たちにお膳立てされて送り出されるなんて……そういえばヤンがお出かけのことを知っていたのは、これが理由だったのか。
代わり映えのしないドレスだが、ベスのヘアアレンジのおかげでいつもより少しだけ華やかになった見た目で、大階段を下りていく。
玄関ホールにはすでにレオンが待っていた。
見慣れた仕事用の服とは違う、よそ行きの服装だ。
銀色の髪もきれいに整えらえていて、美しい容貌が一層際立っている。
彼の緑の瞳が大階段を下りる自分に向けられ、イリスは頬が熱くなった。
「……お待たせいたしました、レオン様」
「いや、待ってない。それでは行こうか」
「はい」
スッと腕を差し出された。
見事な刺繍の入った上等な上着に目がくらみそうになる。
こんな素敵な人の隣に立つなんて引け目しか感じないのだが、今の自分はイザベラであり、イザベラはおどおどした顔など一度も見せたことがない。
思い切って彼の腕に手を絡め、明るく言った。
「昨日は楽しみで眠れませんでしたわ」
ふと気がつくと、レオンはこれまでに見たことのないような────春の日差しに氷が解けたかのような表情を浮かべていた。
驚くほど優しいまなざしをイリスに向ける。
「俺も楽しみにしていた」
イリスは心臓が止まりそうになった。
自分と違って、レオンは演技をする必要なんてないはずで……いや、仮面夫婦であることは二人しか知らないから、これは使用人たちを欺くための演技なのだろう。
彼は抜かりのない人だから。
いつの間にかたくさん集まってきていた使用人たちの笑顔に見送られ、夫婦は馬車に乗り込んで城下町へ向かった。
○
馬車は城下町の広場で停まった。
大きな噴水のある石畳の広場には、週末ということもあってたくさんの人がいた。
ここからは丘の上のシュヴァルツブルク城がよく見える。
その城の主であり、辺境伯領主であり、辺境騎士団長であるレオン・シュヴァルツはさすがに顔が知られていた。
馬車から降り立って女性をエスコートする彼は、人々の注目の的だった。
(見られているわ……! そして、遠巻きにされている……!)
ひしひしと三百六十度からの視線を感じる。
注目されているが、だからといって寄ってくる者はいない。
冷血で残酷という噂の辺境伯は、城下町でもやはり恐れられているようだ。
「まずは昼食にしよう」
「はい」
レオンは周囲から向けられる視線など、少しも気にしていないようだった。
イリスをエスコートしながらゆっくりと石畳を歩く。
忙しい彼は普段は大股で颯爽と城内を歩いているのだが、今はイリスのために歩調を落としてくれているのだと思うと、なんだか胸の辺りがそわそわして落ち着かない。
緊張を紛らわせようと辺りを見渡すと、広場を囲むように建っている店の多くは、日曜日なのに閉まっていた。
ここが王都なら、週末でこの立地だったら書き入れ時で、どの店も元気に営業しているはずなのに……。
きょとんとしているイリスに、レオンが尋ねた。
「何か気になるものでも?」
「あ、はい……日曜日なのに、閉まっているお店が多いなと思って」
「ああ、王都は日曜日でも営業するのだったな。北部では閉まっている店がほとんどだ。昔、日曜日には重要なミサが行われるので、店を閉めて参加しなければならないという法律が作られた名残だ」
「そんな法律があったのですね」
生き馬の目を抜くような商魂溢れる王都で育ったイリスには驚きだった。
しばらく歩くと、街路樹の枝に何かがぶら下がっていた。
よく見るとウサギのぬいぐるみのようだ。
イリスはぎょっとした。
さらに、その隣の木には、大きなカブの入った籠が引っかけられている。
「あれは何かのおまじないでしょうか?」
レオンに尋ねると、彼はウサギやカブに驚きもせずに答えた。
「いや、あれは落とし物だろう。ここでは落し物は木の枝にかけておくものだから」
「木の枝に……」
イリスは目をぱちくりさせた。
王都では、落し物はすぐに警邏隊の詰所に届けるのが常識だからだ。
けれど、たしかに落とし主が探しに来たとき、近くの木の枝にかかっていたら見つけやすいかもしれない。
ここは色々な場面で王都とは少しづつ異なっているけれど、辺境伯領の人々の敬虔さや親切さ、おおらかさを知ることができた気がして、イリスは少しうれしくなった。
それから二人は、レオンが予約したレストランへと向かった。




