1.夜会にて
新連載をはじめました。
よろしくお願いします!
シャンデリアの何万という蝋燭が煌めき、着飾った紳士淑女が笑いさざめく夜会。
イリス・ローゼンミュラー伯爵令嬢は、こういう場は不慣れだった。
どうしても断り切れない付き合いがあるので出席しろと父に言われたのだが、夜会に出るよりも、タウンハウスの庭園でバラの水やりをしている方がずっと気が楽だ。
一つ下の異母妹、イザベラの方がよほど社交性があり、今も華やかな人々の中心で楽しそうにお喋りしている。
それに……なんだかさっきから、自分に向けられる視線が刺々しく感じられて、いたたまれなかった。
十八歳だというのにろくに社交界に顔を出さず庭園で土いじりばかりしている自分が、誰かから恨みを買うことなどないと思うのだけど……。
誰からも話しかけられず、ダンスにも誘われないイリスは、外気を吸うために庭へ出た。
夜空に浮かぶのは細い三日月だが、庭園にはオイルランプが灯っている。
ひんやりとした夜の空気が気持ちよかった。
少しだけ散歩をするつもりで歩いていたら、近くのベンチに人が座っていることに気づいた。
その男性はなんだか具合が悪そうだった。
月明かりの下なので髪の色も顔色も判然としないが、背中を丸めてぐったりとしている。
普段こうした夜会には出ないイリスは、その人が誰かはわからなかった。
知らない相手だが、見つけた以上は放っておけない。
「あの、大丈夫ですか?」
男性はうつむいたまま、目線だけでちらりとイリスを見たようだった。
「……問題ない。魔物討伐の遠征帰りにむりやり呼ばれたから、少し休憩しているだけだ」
「まあ、それは大変でしたね」
このゼールラント王国は、昔から魔物害に悩まされている。
王都近辺はそうでもないが、北の山脈の向こうは瘴気にまみれていて、山脈を超えて魔物がやってくる北東の辺境伯領は激戦地帯となっているらしい。
遠征帰りというなら、この男性は王都の聖騎士団にでも所属しているのだろうか。
よほどくさくさしていたのか、彼は自嘲気味に言った。
「大変だとも。いくら倒しても、魔物は無限に湧いてくるからな。だが王都の貴族たちは守られて当然だと思っていて、夜会を開けるような平和を享受しているくせに、魔物の血の匂いには顔をしかめるんだ」
そう言われてみると、彼の周囲にはかすかに鉄の匂いがした。
戦いが終わったあとで、着替える間もなくお偉方に呼び出されたのだろう。
イリスは彼に同情した。
令嬢には珍しく、ガーデニングが趣味……いや生きがいのイリスには、土の匂いに顔をしかめられた経験が何度もあるからだ。
自分も声を大にして言いたかった。
土の何が悪いのか。
あなたたちが食べている野菜は全部この土から採れたものなんですよ、と。
だから、勢い込んで告げた。
「その血の匂いは、誇るべきものだと思います。あなたが勇敢に魔物と戦った証ですもの」
「………………」
「……あっ、すみません、わかったようなことを言って……」
自分も、今日彼に会うまでは、魔物のことなど考えもしなかった。
その他大勢の貴族と同じだ。
だが、彼の硬質な雰囲気は、ふわりとやわらかくなった。
「いや……ありがとう」
夜目にもほほえんでくれたような気がして、イリスはうれしくなった。
そういえば、とドレスの隠しポケットから緑色の小びんを取りだし、男性に手渡す。
「これ、私が作ったミントシロップなのですが……よかったらどうぞ。気分が良くなるかもしれません」
人の多い場所が苦手なイリスが、人酔いしたときのために持ってきたお守りのようなものだった。
庭園で採れた新鮮なペパーミントをふんだんに使った、亡くなった母直伝のレシピで作ったミントシロップだ。
そのとき、邸内でイリスをきょろきょろと探す継母の姿が見えた。
勝手に庭に出て見知らぬ男性と話していたことがバレたら、どんな目に遭わされるかわからない。
イリスは急いで挨拶をした。
「それでは、私はこれで失礼いたします。良い夜を!」
くるりと踵を返し、早足でその場を離れる。
背後で、彼がガタッと立ち上がった音が聞こえた。
ぶしつけだったかもしれないが、そのまま邸内へ戻る。
継母はかんしゃくを起こすとイリスに折檻をし、屋敷に数日間閉じ込めることもざらにある。
折檻はまだ耐えられるが、庭園の世話ができなくなるのは耐えられなかった。
信頼できる庭師はいるのだが、手塩にかけた花のつぼみが開く姿はやはり自分で見届けなくては。
継母と合流して一通り小言を言われ、イリスはふと、窓の外に目をやった。
明るい室内から見た庭は真っ暗で、何も見えなかった。
本日、あと3話投稿します。




