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怒れる凸民  作者: たかさば


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7/7

牛乳、怒る。

 冷凍庫の中の大掃除をした次の日の朝、年末恒例の冷凍パン一掃モーニングを堪能し、散々食い散らかされた食卓を黙々と片付け、パンくず一つ落ちていないテーブルでゆったりドリップコーヒーでも飲もまい(飲むかな)と腰を下ろした、その時。


 ピンポーン!


 間もなく10時になろうという頃…、誰だこんな時間に。旦那からは来客の予定を聞いてないけど…またなんかやらかしたのか…?


「はい…どちらさまで?」


 ドアを開けると、どこそこ田舎くさい雰囲気を纏ったお兄さん?中年?微妙な年代の男性が、無難なグレーのスーツ姿で立っておられる。


 …見た事ない人だ、誰?

 ネームプレートを下げていないところを見ると業者ではない…?

 めんどくさい人じゃないことを祈りつつ、失礼ながら疑いの目を……。


「わたくし、牛乳と、申しますが」


 げえ!!


 またしても変なやつ、キター!

 思わず目を見開き、音も出さずに大口を開けた私にほのかな笑みを向け、牛乳の人が…ぬるりと玄関の中に入ってきたぞ!


「いつもご愛顧いただき、誠にありがとうございます。突然のご訪問について、ご勘弁ください。そのぅ…どうしてもお伝えしておきたいことがございまして」

「ええとー!!スミマセン、また何か失言した感じですかね、先に謝っておきますごめんなさい、許してください…」


 怒れる凸民にはとりあえず謝り倒すのがよろしいのだと、過去の経験で私は学んでいる。

 下手に口答えやいいわけをしたところで、人様の怒りというものはそうそう穏やかに解消したりはしないのだ。


「わたくしはまだ何も言っておりません。その…話も聞かずに謝罪をするというのは、こちらの話を聞かずに場を治めにかかってきているように感じてしまいます。対話を避けているような印象を与えてしまうので、おやめになった方が…」

「確かにおっしゃる通りでございます…ええと、では、本日は具体的にどのようなお話が…」


 この手のご訪問者の皆さんの、恐ろしいまでの丁寧な言い回しよ…。

 なぜに腹の底に怒りを沈殿させて穏やかな水面を見せ付けてくる方というのは、こうも末恐ろしいものなのか。はたして私は何を聞かされるのだという、不安がですね。身構える必要性がですね。


「まずは…連日のご愛顧、誠にありがとうございます。シンク下で側面と底部分にハサミを入れられ平面状になって重なっている204枚の牛乳パックともども、深く感謝しております。今朝がたも、ご主人様、お嬢様、おぼっちゃまと三人で一リットル入りの私を飲み干してくださって…数多くのご家庭でも類を見ないレベルでのご愛飲、恐悦至極でございます」


 そうだね、うち、牛乳の消費量がハンパないんだよね!

 そうだね、普通は一パック買ったら2~3日は持つもんね!


 もっとありがたみを持って心して飲み込めという訴えだろうか…?


「なんかありがたみも感じずにガブガブ飲んでてすみません、でも決して軽んじているわけではなく、家族はみなあなたの事が大好きで、伸ばす手を止められないと言いますか…なんかもう背を伸ばす必要のない大人が過剰摂取するのが許せない感じですかね、もしかして。でも、そのぅ…中年期以降はカルシウムをとるようにしないと骨折の危険性がね?」


探り探り、言葉を選びながら…様子を見る。

。激しい怒りのようなものは感じられないものの、なんだろう、この…


「わたくし、気軽にお飲みいただけることに関しましては、一抹も不安を感じておりません。むしろ…昨今、牛乳の消費量が減っていることが多い中、非常に心強いご家庭があるのだという安心感がございます。…ここに参りましたのは、ひとえに…わたくしの狭い心が疼いたためでございます。こんなにも求められ、消費していただいているというのに…わたくしの心が狭いせいで…カルシウムが豊富なくせに、怒りを抑えきれずにこんな…突撃をしてしまい……」


 悲壮感の漂いはじめた青年から、目が離せない。

 よく見ると…、この人のネクタイ、牛デザイン柄だな……。


「ご家族はもちろん、奥様が牛乳を愛して下さっていることは重々承知しております。週に一度はクレープを焼き、冬にはコーンスープを頻繁に作り、真夏こそ出番は減りますがシチューや飛鳥鍋も人気メニューですし、たまに思い出したようにココアをがぶ飲みしてくださったり牛乳寒天やムース、カレーの隠し味に巷でバズった牛乳せんべいなんかまでフォローして下さって、ホント、ホントに感謝してるんですよ?!でも…でもぉおおおおお!!!」


 突然泣き出したお兄ちゃんにビビりつつ…取り出したハンカチがホルスタイン柄であることもバッチリチェックしておく。

 徹底した牛ファッション恐れ入る…小脇に抱えているビジネスバッグ&シューズも牛革に違いないぞ…。


「そこまでご愛顧下さっているのに、奥様の…奥様の!!『牛乳はマズい(ーー;)』発言は、いかがなものかとですね?!」


いい大人の成人男性が、だばだば涙を流しつつ、鼻水までテロッとたらしながら…迫ってくるんですけど!!!


「確かにわたくしっ!!!味はございませんよ?!白くてモッタリした、のど越しがいいふりをしたキレの悪い液体ですよ!!中途半端に甘い処理をされると悪臭も放ちますし、真夏は気を抜けばすぐに腐るし、おかしな栄養素を混ぜ込まれたり成分を調整したりしなかったり、アホみたいに高かったりウソみたいに安っぽかったり…どれを選んでいいのかわからなくさせる愚か者であることは否定いたしません、でもね、でもね!!アタシャおいしい美味しいと言って喜んでるおやっさんや娘、息子に向かってそんなマズいもん飲むやつの気が知れないとか言われる筋合いはないっちゅーの!!風呂上がりに飲むあたくしのウマさが分からない人に…そんなもんがぶ飲みしてっからぶよぶよ太るんだとディスられてたまっかよっ!!!おら、なんでそこまで言われねばならねっすか?!」


なんという鼻息の粗さだ、やはり本物の牛は迫力が違う…って!!

ヤバイ、そういえば確かに今朝、牛乳をがぶ飲みする連中に向かって色々と苦言を呈した気がする。あれだ、大したことのない悪口ってさ、なんていうか心の奥底にしんしんと積もって行ってさ、ある日ちょろっと顔を出したらでろでろとつられて出てくるような…うん、スミマセン、私の口が悪すぎました。


「ごめんなさい、あの、なんていうか…おちゃらけて料理用の牛乳まで飲み干されて、怒り心頭で文句言ってたら、決して普段から思っているわけではないけれども一瞬思ったネガティブなやつがモリモリ出てきちゃって…今日は格別に嫌なことを言ってしまっただけであって、いつもは牛乳の存在は神だと思ってるんです、だからこその反動っていうか…」


 謝罪の念を込めて、丁寧に頭を下げる。

 …これで許してくれるといいんだけど。


「………存じて、おります」


 ド派手に鼻をずびーっとかんだ後、玄関先に座り込む音がした。

 …ちょっと待て、まだ苦情は続くんかい。


「旦那様が半額の牛乳を5本も買い込んできた時も、お嬢様が大枚はたいてお高い牛乳を買って賞味期限を迎えてしまった時も、おぼっちゃまが給食で余った牛乳パックを6つも持ち帰ってきた時も…奥様はいつも私を見捨てず、キッチリとお使い下さりました」


 しわくちゃになってしまった牛模様のハンカチを丁寧にたたむその姿は…実に、こう…切ない。

 玄関先で座り込む牛乳の人のつむじを見下ろしながら、問題を抱えた牛乳と向き合い、一滴も廃棄せずに調理してすべて胃袋の中に収めた日々を思い出す。

 …下手な事言ったらさらに傷つけてしまいそうだ。


「奥様のわたくし共に対する深い愛情、それを間近で感じているからこそ…降って湧いて出たような攻撃的な言葉が、どうしても…許せなくて。ご迷惑かと思ったのです、けれども…悲しみが抑えきれず、訪問してしまいました。わたくしとしましても、怒りの感情に振り回されてしまった自責の念に苛まれております……」


「…うん、ごめんね、私もいつもすごく重宝してるのに、ホント豊かな食生活をもたらしてくれることに感謝してるの、でもね、持ち前の根性の悪さがホントたまにペロッと顔を出して…申し訳ありません。今後はマズいとか言いません、だからそのぅ…許してください。私、牛乳は神だと思ってるの、それはホントだから!!」


 牛乳は、生で飲むとおいしくないけど…、料理には絶対外せない食材トップスリーには入ると個人的には思っている。牛乳が無くなったら、おいしい洋風料理が作れなくなるし、ホットケーキなんかも焼けなく…、あ、でも、練乳とか脱脂粉乳…、いやいやいやいや!!!牛乳はね、ずっとあってくれなきゃ困る!!!


「か、神?!そこまでの扱いはしなくても?!ありがたくその言葉はお受けいたします、でも、でもでも…今度流す涙は…血の涙かもなんですからね?そしたら、ピンク色の牛乳爆誕なんてパターンも、あるかもなんだからね?!うう、お願い、しますぅううう…!!!」


 神扱いされてビビったのか、言いたいことを言えたからなのか、牛乳の人は独特の乳臭さをふわりと残して消えてしまった。


 ……ああ、なんだ、まあ、うん。


 なんかこう、食べ物の好き嫌いについては、気軽に口出ししない方が無難だな。自分が嫌いなものを、自分の嗜好に準じて他人をディスるのはやめておくべきだ。

 そもそもマズいという感想は個人が持つべきものであり、誰かに言われて持つものではない。嗜好は変わるものだし、他人があれこれと口出しするべきでもなかろう。…まあ、牛乳に関しては、初めて飲んだ保育園の頃から中学校卒業までず―――――――――――ッと嫌いで、給食が終わったあとは一滴も飲まないまま暮らして…。


 …いかんいかん!!

 余計なことを考えては、またあの牛柄の人が…来る!!!


 …よし、気分の切り替えをしよう、楽しいことを考えよう。

 愉快なひと時に集中して、明るい毎日を過ごさねば!!


 そうだ、ドリップコーヒー淹れて飲もうとしてたんだった。

 美味しい缶入りクッキー、せっかくだから空けちゃおうかな。クッキーと言えば、ビスケットを牛乳に浸して作る簡単ケーキ、最近作ってないなあ。よーし、久しぶりに作るかな。


 コーヒーを飲んだあとにでもスーパーに買い出しに行こうと、玄関に背を向けた…その時!


 バン!!!


「失礼するよ!あたしゃインスタントコーヒーってもんだけどね!!」


 インターフォンも鳴らさずに、いきなりドアが開いて、ウルフカットのケバい姉ちゃんが入ってキター!


「あんた…インスタントはコーヒーじゃないって旦那に偉そうな事ぶうたれてたね?!アタシャこの道90年近いんだよ?!長きにわたって人様に愛されてきたってのに…コーヒーじゃない?!ふざけんな!!えっらそうにドリップは味が違うとか宣いやがって!!はん、あんな崩れ豆のどこにコーヒー豆の矜持があるってんだい、そもそもねえ…

「スミマセン、ほんとごめんなさい、インスタントコーヒーはちゃんとコーヒーです、手軽で美味しくてホント優秀です、さすがです」」


 なんだ…、食材の皆さんってさあ、ホントに元気だよね……。


 この自身の思いを素直にぶつけてくる感じ、どこそこ世の荒波に流されっぱなしになっている自分にはまぶしいぞ……。見習わねばなるまい……。


 私は怒れる来訪者に頭を下げ下げ…、気の弱そうな食材を使った晩ごはんのメニューは何だろうなと考えるのであった。

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― 新着の感想 ―
あー、ワタクス、牛乳さんにもインスタントコーヒーさんにも日々大変御世話になっておりまつ♪  インスタントコーヒー+牛乳のカフェオレ(無砂糖)が大好きで御座いまつ♪
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