辛子明太子、怒る。
あさイチで玄関まわりの雑草を刈っていたら、思いのほか熱中してしまった。
汗びたびたになったのでシャワーを浴びてスッキリし、遅めの朝ごはんを食べて、猫とのんびり遊んでいると。
ピンポーン!
蝉の声に紛れて、インターフォンの音が。
間もなく11時になろうという頃、誰だこんな中途半端な時間に。
「はい…どちらさまで?」
ドアを開けると、やけに真面目そうなお兄さん?中年?微妙な年代の男性が、目にも鮮やかな色合いのスーツ姿で立っておられる。
…見た事ない人だ、セールスか?
断固拒否するぞ…。
「わたくし、辛子明太子と、申します」
げえ!!
また変なやつ、キター!
思わず大口を開けた私の横をすり抜け、辛子明太子の人が…玄関の中に入ってキター!
「昨日もご愛顧いただき、誠にありがとうございます。突然のご訪問をお許しください、失礼ながら…思うところがありましてですね」
「ええとー!!スミマセンまた何かやらかしましたかね、先に謝っておきますごめんなさい、許してください…」
怒れる凸民には謝り倒すのが基本なのだ。
下手に口答えやいいわけをして拗らせてしまった経験が、わんさかございましてですね。
「とりあえず謝るという姿勢は、やや悪印象です。訴えたい内容もわからないままの謝罪を受けても、意味はないと個人的には思います」
「確かにおっしゃる通りでございます…ええと、では具体的にどのようなお怒りが…」
この手の不満を訴える皆さんの、恐ろしいまでの丁寧な言い回しよ…。
腹の底から怒れる方というのは、こうも末恐ろしいものなのか。
「前々から言いたかったのですが…わたくし、薄皮を剥がさずともすべて食べる事が可能なのです。むしろ、薄皮がたまらなく好きだとおっしゃる方も少なくないのです。箸でしごいて粒をお出しになるのは結構ですが、捨てられた薄皮の中に残ってしまったものの悲しみを察してはもらえませんか。丸ごと食べていただければ、ごわつく玉ねぎの皮やしけったじゃがいもの皮と共にゴミ袋の中に入らずともすんだのです」
そうだね、私いつも、明太子の薄皮、捨ててました!
そうだね、もともとガサツでおおざっぱなもんだから、薄皮の中に多少明太子の粒が残っててもポイしてました!
そうだね、食べられる部分なのに気軽に捨てられたら、そりゃ腹も立ちますよね!
「ああ、ええと…、ごめんなさい、あの絶妙に口に残る感じが、生っぽい感じが気になって、ついつい気軽に捨ててました、以降気を付けます、許してください」
「わたくし、薄皮の中に包まれた粒一粒一粒の総意として、ここに参りました。普段…モノ言わず食されていく小さな小さな粒一つ一つには、心があります。全ての粒は、生まれることができなかった悲しみを乗り越え…食してもらって人の身を作り動かす糧となることを夢見るのです。一度苦節を味わったものに、更なる仕打ちを与えるのは…勘弁していただきたいのです」
悲壮感漂う面持ちの青年の目をじっと見つめ、渾身の謝罪心を込めて頭を下げる。
…これで許してくれるといいんだけど。
「………ふぅ」
オレンジ色のド派手スーツの男性のため息が、脳天を直撃した。
玄関先に座り込む音が聞こえてきたぞ…ちょっと待て、まだ苦情は続くんでしょうか。
「…すべての粒を、残さず食していただくことなど…果てしない夢であるとは、存じているのです」
玄関先で座り込む辛子明太子の人…。
ぼんやりはきつぶされた汚いクツの山を見つめるその姿は…実に、こう…切ない。
…こんなん、下手な事言ったらさらに傷つけてしまいそうだ。
「粒は、すべからく生まれてきた意味を求めているのです。すべての粒の望みが叶うとは思っておりません、しかしながら、少しの気遣いで…悲しみに暮れる、将来を無くしたものの数が減らせることは可能なのです」
そうだね、私ってやつは…いつも爆食食い尽くし系家族に自分のご飯食べられて毎回腹いっぱい食べたいとか言ってるくらいひもじいくせに、食べ物を気軽に粗末にしちゃって。
確かに…明太子をガブガブまるかじりにする旦那と比べたら、もったいないことをしているとは思う。
すぐ真横でまる飲みされてるやつがいるのに、自分は皮と一緒にバナナの皮なんかと一緒にラップの上に放置とか…そりゃ絶望もするわ。
「…なにも、そのまま食せと強要しているわけではございません。ごはんの中に埋め込んで飲み込んでいただいても、焼き海苔でくるんでパクッといっていただいても、かまわないのです。ですから、どうか…どうか、お願いです!薄皮だからと言って、捨ててしまう事だけはおやめいただきたい。…わたくし、無理なお願いをしておりますでしょうか…?」
…うっ!!
若い人の、潤んだ目っ!!!
な、涙浮かんでる!!
「す、すみません、今後は必ず、薄皮もおいしくいただくと…お約束しますから、ねっ?!」
「…お願い、しますね?」
言いたいことを言えたからなのか、私から言質を取ったからなのか…、辛子明太子の人は独特の海鮮臭をふわりと残して消えてしまった。
……ああ、なんだ、まあ、うん。
なんかこう、イクラ食べたくなってきたな…。
あれは薄皮も無くて、一粒一粒が大きいから無駄にできない感がハンパなくて…って!!
いかんいかん!!
余計なことを考えては、またあの恨めしそうな顔をした人が…来る!!!
またいきなり凸してきて玄関先に上がり込まれては、たまったものではない。
…よし、気分の切り替えをしよう、楽しいことを考えよう。
愉快なひと時に集中して、明るい毎日を過ごすんだ!!
そうだ、美容院に行ってる娘が帰ってきたら、なんかおいしいもんでも食べに行こうかな。
あの子は牛丼が好きだから、久しぶりに美味くて速いあのチェーン店に行こうかな、あそこの牛皿定食は抜群に美味くて……。
冷たいお茶でも飲んで気を引きしめようと、玄関に背を向けた…その時!
バン!!!
「失礼するよ!あたしゃ鮭の切り身の皮の部分をやっているものですけども!本日はどうしても言っておきたいことがありましてね?!お時間もらうよ!」
インターフォンも鳴らさずに、いきなりドアを開けて、モコモコパーマのおばちゃんが入ってキター!
「あんた旦那も娘もガッツリ皮まで食うのに、なんで毎回毎回ていねいに残してくれちゃってんの?!皮は一番うまいって毎回娘が力説してるのに聞かないでさあ!!母親がそんなんだから息子も皮を食べなくなったってわかってる?!いいかい、食べ癖ってのは一度ついたら認知能力がだだ下がるまでこびり付いてはがれることはないんだ、自分の婆さん見てて学んだだろ?!あの肉嫌い魚嫌いの婆さんがガツガツとハンバーグやサバの味噌煮を…
「スミマセン、ほんとごめんなさい、もう残しません、ちゃんと食べますから!!」」
なんだ…、食材の皆さん、ホント元気だね……。
私も、皮とか残さずにキッチリ完食するようになれば、どこそこバテ気味なこの猛暑酷暑当たり前のド真夏をフルパワーで溌剌と乗り越えられるのでしょうか……。
私は血気盛んな来訪者を眺めながら、今日のお昼ご飯はミミ付きのサンドイッチにしようかな…なんて思ったのだった。