夫婦【魔】
〈苗代のまひまひの仔の親に似ず 涙次〉
【ⅰ】
野方に小洒落たカフェが出來た。その事はカンテラ、もぐら國王から聞いたのである。
カンテラは、君繪を連れた悦美と、朝の珈琲ブレイクと洒落込んでゐた。君繪は滅多な事では人前で泣かない。愚圖ると云ふ事もない。
と、そんなカンテラ夫妻に話し掛けて來る者あり、それは(懐かしや)女占ひ師の、* 武里芳淳である。男を一人、連れてゐる。
「カンテラさん、悦美さん、お久しうございます。わたしの事覺えてゐらつしやるかしら。芳淳です。ご結婚なさつたんですつてね」カン「あゝ、あんた確か女辻占の」「わたしもこの人と結婚するんです」男「だうも。これ(と芳淳を顎で示し)が髙名なカンテラご夫妻と関りがあると聞いて、いつかお會ひ出來たらな、と思つてをりました」こゝで名刺(カンテラも名刺ぐらゐは持つてゐる)の交換。男の名刺には、「田螺谷総研社主・田螺谷兵庫、と黑々と印刷されてゐる。「失禮だが、經営コンサルタント、かな?」「さうです」
悦美と芳淳は、互ひに人の妻。かつての蟠りも忘れ、女同士の會話で盛り上がつてゐる。
「田螺谷さん、あんた田螺谷末吉の-」「さうです、先祖にそんな者がをりました。かつてカンテラさんにご迷惑をお掛けしたとか。こゝでお會ひ出來て良かつた。お詫びの言葉を一言云ひたくて」
* 当該シリーズ第34話參照。
【ⅱ】
芳淳はかつて「夢の人」であり、【魔】である田螺谷末吉に惚れてゐた。田螺谷がカンテラに敗れると、横恋慕、と云ふカタチで、カンテラに近付いてきた... 大方のあらましはそんな處である。
(その子孫と結婚か。三つ子の魂百まで、だな)だが、簡單にカンテラたちの世界に入り込んで來たので、この兵庫もまた【魔】であると云ふ事を、彼は見逃してゐた。これはカンテラの落ち度である。
もぐら國王が掘つた「思念上」のトンネルは、特に埋め立てられると云ふ事もなしに、放置してあつた。カンテラとしては、「敵に鹽を贈る」事の一環として、さうしてゐたのである。第一、【魔】の存在なくば、カンテラ一味の仕事も淋しい。鰐革男に、立派な(?)魔界の盟主となつて貰へば、そこから【魔】たちが、以前のやうにわらわら湧いてくる- カンテラの目論見は、鰐革に知られる事なく、この田螺谷の末裔に依つて實証された譯である。
【ⅲ】
顔では笑みを取り繕つてゐるものゝ、この田螺谷の家代々、カンテラは一族の敵として語り継がれてゐた。その執念き事、と云つたらない。カンテラの首級を上げて、一族の恥を灌がんと、今か今かとチャンスを狙つてゐたのだ。
さうとも知らず、芳淳は、あらう事か兵庫の影響をぢはり、と受け、自らも魔道に墜ちかゝつてゐる。女と云ふものは、閨での寢物語に弱いものである。
芳淳が【魔】の道に迷ひ込む事は、鰐革男には、嬉しい誤算であつた。なるべく、カンテラ夫妻と近い位置にゐる者に、刺客としての権限を與へやうと思つてゐたからだ。
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〈惜春や暑いとこぼす老一人 涙次〉
【ⅳ】
兵庫、芳淳、共に胸に匕首を呑んでゐた。たゞ、この場では余りに目立つ。警察など恐れてはゐない彼らだつたが、流石にパトカー蝟集ともなれば、たゞでは濟まない。どこか- 格好の「処刑場」はないか、と思ひを巡らし、出た結果が、「カンテラ一燈齋事務所」の所内。
兵庫は結界の為、その内部では犯行には及べない。しかし、彼にコントロールされてゐて、しかもまだ人としての特徴をその脳にありありと殘す芳淳ならば... カンテラ、何かあるな、程度の問題ではないぞ! と作者は云ひたい。しかし、この積もる話は、事務所で、悦美の手料理を味はつて貰ひながら、と云ふのも惡くないな、とカンテラ、油断に油断が重なつてしまつた。
【ⅴ】
と云ふ譯で、この「招かれざる客」は、カンテラ事務所の人となり、一味の生活圏に食ひ入る事に、兵庫は成功した。
「どいつもこいつも甦り、だ。新しい血、と云ふものは、魔界にはもうない」と、前回カンテラ自身思つたのではなかつたか。先祖傳來の恨み、とは云へ、兵庫はその「新しい血」、蘇生組には入らぬ【魔】である。
その點、じろさんは「野性の勘」がさうさせるのか、この外來者たち、何かある、と感じてゐた。事務所のリヴィングで晝食を共にしながらも、じろさんの警戒心は解けなかつた。ふと、芳淳がカンテラに近付く- 危ない!! じろさんは彼女に足払ひを飛ばした。匕首- これぞ動かぬ【魔】の証しである。
【ⅵ】
「じろさん、助太刀濟まぬ!」カンテラ差し料の中から、脇差しを採り、芳淳に突き付けた。カンテラ、こゝで、いつものパターンを踏襲せぬ行ひに出た。ずぶり、とは行かなかつたのである。
「兵庫とやら、魔界に帰つて鰐革に傳へろ。昔のあんたの卑劣さが戻つてきたやうで、カンテラ一味は喜んでゐた、とな」
芳淳は氣絶した。兵庫は、ふつと姿を晦ました。
【ⅶ】
「さて、向かうさんも本氣だ。性根据へてかゝらねばな」と、じろさん。ともあれ(今回はノーギャラだつたが)、収入源が帰つてきた一味。テオ(ぼそりと)「相變はらず、恐れをパワーに變へる處なんざ、まさしくカンテラ兄貴だね」-この一件、この一言に盡きる。
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〈一味かけ掛け蕎麦啜る暑さには母の信仰汗への信仰 平手みき〉
お仕舞ひ。