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「えっ…?中学生の体験レッスン?」
「はい、そうですね。中学生の男の子です。親御さんからお申込みがあって個人レッスンでお願いしたいとのことです。春募集の成果を出す時期ですし、生徒さんを一人でも増やしたいですから、お願いしますね」
受付裏の事務室でパソコン作業をしながら、前田みはるは極めて事務的に、問答無用の口調でサトルに告げた。
「いや、でも、ここって大人の音楽教室でしょ?僕、中学生のレッスンとかやったことないですし、僕じゃない先生にお願いした方が良いんじゃないでしょうか?…」
今から約7年前、まだキャリア3年目で、池袋教室には赴任したばかりの若手講師だったサトルは、慎重に言葉は選びつつ、やりたくないオーラは全開にして提案したが、
「何をおっしゃってるんですか?中学生でも親御さんの承諾があればレッスンは問題なく受講できますよ。会員規則、読んでないんですか?それに、やった事のない事をやっていかなきゃ経験なんて積めないと思いますけど?」
みはるの容赦ない袈裟斬りのような言葉に、ぐうの音も出ない。
「はい、ごめんなさい。では…やらせて…いただきます」
と、声の響きとはうらはらに、限界まで無理をした笑顔を作って答えた。みはるはその笑顔には見向きもせずに答えた。
「では、受講可能な旨を先方に伝えますので、よろしくお願いしますね」
音楽教室は学校とは違い、入学時期というものが無い。基本的に一年中、いつでも生徒を募集しており、いつからでも始められるようなカリキュラムが組まれている。
やりたい時にすぐ始められるところが音楽教室の良いところだが、逆に言えば明確な卒業が無いため、辞める時はいつでも辞められる、とも言える。
そのため、転勤や人事異動といった人の変動が起きる3月や9月にはやはり、多くの休会者や退会者が出てくる。これは大人の余暇を充実させる音楽教室の性質上、致し方ない事であり、誰の責任でも無い。
しかし、在籍生徒の減少は教室存続に関わる大きな問題であるため、〈動いて続けられない人が居るなら、動いて始められる人も居るだろう〉という観点から、春と秋に向けて毎年2回、音楽教室は大規模な募集キャンペーンを張るのである
特に4月は、それまでの成果が如実に顕れてくる月なので、店長はじめスタッフ達は、常にピリピリしながら仕事している。当然ながら呑気な若手講師などに斟酌している暇はないのである。
「中学生の男の子かぁ…どうなるんだろ」
顔いっぱいに不安を載せながら、レッスン室に向かって歩いていくサトルの背後から、チャキチャキした声が飛んできた。
「ははは、白髪先生、みはるちゃんにしっかり叱られましたね〜」
「あ、沢田さん。どうも…、聞かれてました?」
「えぇもう、バッチリと!裏でニヤニヤしながら聞いてました」
「ははは…まいったな」
新参のサトルと、すでに受付のリーダー的存在、沢田あかりである。当然、サトルはまだ〈さん付け〉である。
「ごめんなさいね〜、みはるちゃん、真面目で真っすぐな子なので、ハッキリ言っちゃうんですよ。あ、でも、悪気は無いのと、後に引っ張ったりしないので、許してあげてくださいね」
この頃から全体をよく見ていて、さりげなくフォローを入れる卒の無さを持っている沢田である。
「あ、いや、とんでもないです。僕が消極的な事を言ってしまったので…。前田さんの仰る事はごもっともです!しっかりと挑戦する気持ちで頑張ります!」
「おー!心強い!私や伊藤店長、そしてもちろん、みはるちゃんも白髪先生には大いに期待してますので、どうかよろしくお願いします!」
「はい!ありがとうございます!では、次のレッスンに行ってきます!」
気持ちを切り替えて、意気揚々とレッスン室に向かうサトルの背中を見ながら、沢田は言い忘れていた情報を伝えた。
「あ!そうそう、全部ってわけじゃないですけど、中学生の体験レッスンは大体、親御さんもレッスン室に入って見学しますので、そのつもりで心構えしておいてくださいねー」
「……はい?」