悪役令嬢形勢逆転されて悔しがる
「最近、リュゼ様がひどい」
「え、めちゃくちゃ仲良しじゃないですか」
ええ。表ではそうでしょう。
わたくし彼の方があれほど外面がいいとは思いませんでした。
それにしてもミカまで彼の方に騙されるとは油断なりません。
「昨日は」
「とのの手わがきみのころもにふれ肩はだけしところ知恵熱にて我があるじ絶え入りたまう。大躍進ですね」
死んではいませんけど概ねその通りです。
ものすごく良い雰囲気でしたのに。
「一昨日は」
「ただの石を買い取ることでくちさのない街の人から『領主様はバカ女を娶った』と言われているのを聞いた旦那様だけは『君を誇りに思う』と耳元で囁かれて」
ええ。そこまではわたくしおぼえていましてよ。
「そこでまたもお嬢様は知恵熱でお休みに。そのあと二日連続で旦那様が寝室まで抱っこして行きました」
そうです。
最近、主導権を彼に奪われている気がします。
あと、抱っこの話は今聴きました。
そんな良きことを覚えていないのはくちおしゅうございます。
「まぁあっちの方が歳上ですし。子供の扱いはフェイロンとかを見ていると上手ですよね」
ミカはかように宣うのですが、これは深刻な状況です。
「わたくし、子供ではございません」
「はい、マリカは可愛いね。偉いですね。お茶でも淹れましょう」
彼女は優雅に立ち上がるともう茶器の用意を始めています。
昨今は石炭を焼いて作られた燃料や石炭の粉を松脂で固めたものがあり大変便利になりました。
「お茶など結構です」
とはくちにしたものの、彼女の淹れるお茶がポットを濡らす香りは心地よきものです。カップを温める音も快くその味は。
「結構なお手前で」
「そうですそうです。お茶でも飲んで落ち着くのがいいです」
つまり、積極的に彼を押していく行動が子供のそれと変わらないと彼をはじめとする城の人々に見抜かれてしまったわけですが、その原因はこの幼馴染に有り。
「虚勢はいつかバレます。
それにほら、気づいたらシーツにくれないはあっても内容はさっぱりだし全然良くなかったしあちこち痛いしヤリ捨てで男の影もないなんてことよりは。
彼の方はお嬢様を寝室に寝かしつけて子守唄を歌ってから執務に」
「ミカ。さすがに子守唄はやりすぎでしてよ」
彼の方が『小さなレディ』と呼ぶのは子供の頃の延長ですが、最近は扱いが子供以下になっています。
従者でありながら主人の弱点である知恵熱のことを皆に公開するなど迂闊どころでは有りません。
「ミカのばかぁ」
「枕投げの挑戦ならいつでも受け付けております。あうるべあちゃんに当たらないでください」
胸の谷間に戻って来た梟熊のぬいぐるみを抱き抱えて睨め付けるわたくしとお菓子を出してくる彼女。
ちなみに梟熊とは梟でも熊でもなく、温帯にて苔と共生する珍獣でございます。
大きな爪の強烈な印象に反して、代謝を抑えることに特化した生き物で、身体を覆う苔を維持してくれる蛾のため稀に池上に降りる時を除きほぼ全く動かないことから怠け者という字名も持つようです。
「今はアウルベアちゃんがいなくても眠れますから」
「懐かしいですね。二人で抱きついて寝ていました」
お父様も『ミカを養女に欲しい』と幾度か彼女の父と祖父に打診したのですが。
『は? てめーじゃあるまいしなんで娘が貴族なんかをやらなきゃなんねーんだふざけんなバカ野郎。娘は本人が好いた相手にやるつもりだからな。政略結婚でなけりゃ嫁も貰えないオメーと一緒にすんなやトンカツ(※原文ママ)』
彼らは初代国王陛下に功績を認められ子爵位を賜わるべき時も同じことを言い出して断っている豪傑ですから仕方ないとはいえ海賊気質が過ぎましてよ。
そしてミカ本人も「わたくしが姉なら構いませんよ」と言い出して今に至ります。
「ところで、お嬢様」
お茶のおかわりは少しぬるくも苦味強め。
そのかわり香気溢れる氷果を彼女は用意してくれました。
暖房はやや強めで、少し香木が入っていますね。
「まぁ確かにお嬢様が『平たい石を買い取ります』と言い出して買い取る条件として主要道路に敷かせた時はわたくしもお嬢様がおぼほれ給ふなむたのかと」
「ミカがいちいちひどいです」
子供のお小遣い程度なのですが、道路敷設よりは安く済みますし、子供たちがやったことが皆の利益になると気づいた人々が自主的にやってくれるのを促すようにしましたもの。
そしていくさで身体と心を壊した老人と知り合ったわたくしは彼を道路掃除人として暫定的に雇い入れ、丁寧にチリや牛馬の汚物などを掃除してもらいました。
結果的に人々は『洗濯物が汚れなくなった』など概ね彼に対する評価を改めてくれました。
「でもまあ、旦那様はお嬢様のお知恵を認めましたから。……ほらそこ! 後ろ向いて拳握らない! ニヤニヤしない!」
ううう。わたくしが妃教育を師事したディーヌ伯爵夫人ですかあなたは。
「あのまま夜着を温めあう仲になりそうなとても良い雰囲気でしたのに、肝心なところでまたも知恵熱にて朝まで意識を失っていたなどまこと口惜しや」
「って、そこでいつもの資料や論文読み込む代わりにエロ本見たところであんなの所詮は本ですからね」
彼女曰く、「おふたりのお役には立たないと思います。まあ、赤ちゃんが二人揃っているようなもんですから」と不遜の範囲が広がっているように感じます。
さらに、「赤ちゃんが三人になったら面倒見るわたくしが大変です。おふたりともゆっくり慣れてくださいませ」とのことで、知らないうちにリュゼ様が『マリカ』と時々名前で呼んでくださるようになったと共にミカがリュゼ様を呼ぶ呼称も「あいつ」「あれ」「チビ」「ハゲ」などから『旦那様』に落ち着いてきています。
前は無礼でしたが今は気安すぎます。
「だって、今回の嫁入りだって陛下がお嬢様を妃として使えないなら、ややこしい暗殺者どもからお嬢様をお守りするために策を練っての『チビハゲデブブサイクと評判の田舎騎士に嫁いだ』って名目でして、王都から取り寄せた書類を見る限りお嬢様はまだ結婚していません」
「どうりで簡素でした」
「いや、簡素と感じるのはお嬢様基準でしょう。
辺境の結婚式ってあんなものかと」
でも、彼が城の皆さんや領民に慕われていることだけはわかりましたね。
彼は終始笑顔一つ見せませんでしたけれども。
窓を見るとスライムさんが手(?)を振ってくれています。ここは2階なのですけれど。
「さらに婚約破棄は教会がクソうるさいからお嬢様は『競売で売られた』とか訳のわからない処理になっていますよ。前例がありませんしいい歌のタネです」
売られた貴婦人だの、くっころせだの、悪役のご令嬢が遂には婚約破棄されてしまう歌劇だの、王都では色々尾ひれがついて目も当てられないと聞きましたね。
耳を塞ぎたくても入ってくるものです。
まさか離婚や婚約破棄を教会に認めさせるために、たとえ形の上だけでも『花嫁や花婿を競売に出す』が慣例にならないでしょうね。
今から心配です。
「太陽王国だってギロチンの雨の挙句、議会制立憲君主国になっています。あっちから流れてきた連中はこっちでも権力掌握とギロチンの雨を降らそうと色々画策していますから」
王国はひとの尊厳をかけて帝国と戦っており、ひと同士で争ういとまなどありましょうや。とはいかぬものですね。
「実質女王候補が辺境送り。
議会制を狙う連中は大喜びです」
そのあたりはとても心苦しいのですが、あのままではわたくしも儚くなっていたかもしれません。
元婚約者は愚かではありますが建国の英雄たちがついています。
案外うまく立ち回るかもしれませんよ。
「アレっすか。お嬢様。『三代目身代潰して花実らす』ですね。初代は始めること二代目は落ち着かせることに生涯を使うからアホの三代目こそ初代と二代目が本当にやりたかったことを自ずから成すという。
あ、でもコリス嬢との結婚は身分的にもコリス嬢の性格などからもあり得ませんからどこかから適当な相手を見つけますよ。……まあ妹御様のミマリ様は若すぎますが」
王国は三代持たずしてクーデターに倒れそうですね。
お父様はわたくしが婚約破棄を受けた時にかなりお怒りでしたから。
元婚約者のあの方には『三代目身代潰して花実らす』ほどの知性はありませんが、議会制を狙う方々の欲望を乗りこなして案外天寿を全うしそうなのが恐ろしいですね。案外王国は太陽王国の影響を受けつつも700年は続くかもしれませんよ。
このような会話をしているわたくしたちの足元ではフェイロンがポチとタマとともに大きな独り言をしつつ積み木遊びをしていますが、この年頃の童はひとりごつはまだしももう少し背が伸びておかしくないような。はてさてあやしき。
「ところでミカ。あなたは最近優秀な間諜でも雇い入れたのですか」
異常に事情に通じていますけど。
「へっ? ないない。全部ポチとタマ、フェイロンとが教えてくれますよ」
猫は喋りません。
それにフェイロンは嬰児(※三歳くらいまでの子供)ですよ。
「いえいえ。城下のことも王都のことも筒抜けです。あとわたくし未だコリス嬢と文通していますから。こないだ『献辞をもらってくれてありがとう』とめちゃくちゃ喜んでるお礼の手紙もらいましたのでショウさんに見せたら研究ほっぽり出して長々と返信を」
賢者のショウが水道管研究を滞らせているのはあなたたちのせいですか。
「コリス嬢は最近養子扱いになったとはいえ元々平民ですし、陪臣のわたくしとは気が合います」
あなたとの交流がなければあの方とあそこまで関わることがあったのか疑問ですね。
わたくし、あなたからコリス嬢の人柄を耳にしなければ安易にお隠れになっていただくように手を打ったかもしれませんよと言うとミカは「ないない。あり得ません。お嬢様は妙に迫力がある美人ですから悪人のように思われることはあってもとても親切な方ですよ」とあっさりかえしてきます。
ミカ。
わたくしは善人ではございません。
わたくしはたいへん強欲ですことよ。
ただ、定命のこのいのち、いずれ散りゆく花なれば。
ただ己を飾り享楽を極めることになんぞありましょうや。
わたくし強欲ゆえにその程度で得られる賞賛も喝采も畏怖も満足できませんことよ。
欲しいものは手に入れるより、手の届くギリギリに置いておく方が良いこともあります。
ただそれだけでございます。わたくしめが欲薄い善人など誤解ですわ。
「ミカ、あなたの思う悪人とはなんぞや」
「は? たまに変なこと言いますね。自分の欲望のために他人を踏み躙ることに躊躇ない奴じゃないですか」
くすっ。
「わたくし大悪人でしてよ」
「ないないない。ないです」
彼女は楽しそうに茶器を片付けています。
わたくしはもはやミカの申すくらいではそれほど他人に憎しみを抱くことは無いのです。
何故ならば悪人とは底が浅きもの。
他人を踏み躙りながらも仁義礼智忠信孝悌のいずれかを他人に求めるものですからね。
そしてそれは全ての人に言えることです。
もちろんわたくしめにも。
これらを他人に求めない、裏切りを娯楽として楽しむならばいわゆるホトケか大悪人ですことよ。
「わたくし、アクセサリーをつけてみましょうか」
「はあ、そのルビーはとてもお似合いだと思いますけどどのような宝石を取り寄せましょうか。ユマキに頼めば帝国の宝石も容易に入手できますよ」
わたくしは微笑むと彼女に対して気取ってみます。
「『裏切り』ですわ」
「そうですね。お嬢様はいつも予想を裏切る残念さと予測を超える妙案を出して皆に誤解されますからわたくしが姉として見守ってあげないと心配です。ところでその寝台は掃除しますのでソファへ」
どこぞのアクセサリー露店が密輸を行なっている事実より大きな衝撃を受けわたくしは抗議します。
「あなた、主人に移動しろと」
「あっかんべーです。わたくしは小悪人ですから裏切りなんてつけたお嬢様なんて好きじゃないですよーだ」
わたくしは掃除する彼女を眺めながら余った氷菓を手にぼやくのです。
「フェイロン。ミカがひどいです」
「よしよし。いーこいーこ」
ーーそのころ。寝室の扉の外で。
辺境伯(通称)リュゼは気まずい気持ちであった。
いくらなんでも性急に過ぎたのでは。
自称新妻は睦言の途中またも失神した。
いや、あの知恵熱騒ぎから幾日も経っている。
毎日なので一応彼女も耐性がついているはずだ。
いやそれ以前に怯えられていたら。
あの子は意外と子供だから。
幼少期に戯れにあげたダンゴムシを大量に宝箱に詰め込んで叱られたとわんわん泣いている少女の記憶が蘇る。
彼女が読んでいた本にも子供を育てて妻にする話があるようだが、堅物かつ常識的な彼にとって、かつての可愛い少女と現在の女性的肉体的魅力において他に比類するものをみたことがない今の妻(※自称)が合致しない。
昨日は少しおかしかったのかもしれない。
いやむしろあのままの方が良かったのか。
彼だって性欲はある。
色々考えるより、本人と話した方が良い。
最近の彼女ならば遠慮なく罵声でも侯爵家に帰るなどでも自分の意思を伝えてくるはずだ。
「マリカ。入るぞ」
遠慮がちに開けるのは枕投げを妻たちが行なっていたことがあるからだ。
「あ。リュゼだ」
「フェイロン。マリカたちは今日はどうしている」
てくてく駆け寄ってくる養い子。
そういえばこの子がいるのを問題にしたことはない。
子供心に察するのか時々彼女とだけ話したいときは自らいなくなる。
少年はこう述べた。
「悪人ごっこしている。ぼくは大怪盗なんだ」
「……斬新だな」
妻はいい意味で彼の予想をいつも裏切ってくれる。
強引なところもあるが概ね領につくそうとしてくれている。
これはもう五体満足で返すという侯爵への約束は守れないかもしれない。
「あっ、旦那様。良いところに」
この侍女は大変優秀かつ協力的で、最初の猫の被りっぷりと今の落差でも驚かされた。
「リュゼ様! わたくしくやしゅうございます!」
いきなり妻に泣きつかれた。
何が起きたのやら動転しつつ顔には出さない。
そういえばこの間はこれでも気絶していたのだから進歩である。
「フェイロンが強すぎて捕まえられません」
「大人二人がかりで真面目にやっているのにです旦那様」
「二人して大人気ない真似を」
寝室は先程までミカが掃除していたなど思いもつかない悲惨な状況になっている。
寝台のカーテンにぶら下がって逃げるフェイロン。追う二人の娘たち。はしゃぎ本気で悔しがる姿はとても貴婦人と王宮つき侍女教育を若くして修了した天才には見えない。
リュゼは気まずい思いをするよりは良いと現状をあっさり受け入れた。
「おおどろぼうはどーこだ!」
振り返る間に大人顔負けの移動をしている。
これは強い。
「動いたぁ。待ちなさいフェイロン!」
「ミカこっちこっち」
「皇帝、王様、貴族、坊主、商人、農家のおじさんみんな揃ったどこにいる。とまーれ」
綺麗な歌声だな。リュゼはマリカの歌声に一時聴き惚れていた。それが良くない。
とまれと言われたのに止まらないなら初期位置に戻らないといけない。
「おおどろぼうはどーこだ!」
この間振り返るまで泥棒は『おたから』まで走って良い。
以下、大泥棒を捕まえるか、泥棒が『おたから』に触れるまで繰り返しとなる。
「わーい。また僕の勝ち」
「おかしい」「童だからと侮っていないはずなのに」「捕まえられません!」
結局、三人がかりでも捕まえることができず、城総出の大泥棒大会ののち、どこからともなく現れたコック長のミリオンに首根っこを掴まれてフェイロンはどこかに消えた。
疲れ切った二人は、ソファに寄りかかり頬をくっつけて朝まで眠るのであった。
『リュゼ様。でもわたくし、あなたにまで裏切られることがあったとしたら、つろうございますわ』
いつか漏らした彼女の寝言。
彼はそっと彼女に毛布をかけ直し、朝の訓練に向かったーー