悪役令嬢。推しの騎士様とはじめて本気の口喧嘩をする
「夜を待たずに旦那様はお楽しみだった模様で。爺は喜びに咽せそうです」
執事頭のジャンが妄言を放つのは、わたくしたち四人が枕に詰まった羽毛をつけてから遅い朝食に現れたからです。
もちろん身なりを整えてから食堂に向かいましたことよ。
「違う。童心に戻り枕投げをしていた。証人はこのミカとフェイロンだ」
「枕投げですか! ほうほう奥様と枕投げと……いやはや王妃教育を受けていらっしゃった方と枕投げとは」
物凄い誤解をしているジャンですが、これはわたくしには好都合です。
「ええ、朝より彼は」
「すとぅーぷ!!」
「(唐突に情熱的に押し倒し嫌がるわたくしめをまるであばずれの娼婦の如く……)むぐぅ」
彼はわたくしの扱いに慣れてきたようです。
「これで亡き奥様旦那様もお喜びに」
「爺。誤解だと言っているだろ」
「だまらっしゃい! ぼっちゃま。
妃教育を受けた貴婦人が騎士や従者などと枕投げなぞするはずがないでしょう。場合によっては打首ですよ!」
ミカがニコリと笑いかけます。
わたくしは彼女の視線を扇で隠すことにします。
足元ではポチとタマがまとわりついてうるさいです。
いくら辺境で親の目が届かないとは言え、少々この環境を楽しみすぎていますね。
それより『奥様』ですか。
彼の母をジャンは知っているようです。
わたくし、彼に関することは調べる限り調べたのですが、あまり詳しくはわかりませんでした。
「ええ。リュゼ坊はアルダス様の忘れ形見です」
あっさり執事頭のジャンはわたくしでも知り得なかった秘密を打ち明けてくれました。
「まぁ、あまり褒められたことではないのだが」
「奥様を侮辱なさるのでしょうか。坊」
あ、これはその。わたくしたちの実家のような事情ですね。
お聞きしない方がお互いのためでしょう。
とはいえ、どこの貴婦人やらわかりかねます。
勇者は潔癖な方であり、その名声に反してかような噂を聞きません。
「奥様はとある商人の娘でしたが、アルダス様を一目みたときから『ズキュンと来た』とおっしゃり」
「ごめんなさい。やっぱりいいです。ジャン」
何故だか自分に打撃が返ってきそうですから。ええ。
「物心着く頃にはとある山小屋で爺たちと暮らしていたからな」
本当に良く生きていらっしゃいましたね。リュゼ様。
「でも、旦那様ってミスリル王家に連なる方では?」
ミカが不躾な質問を放ちます。
彼女がわたくしやリュゼ様しかいない時以外かような態度をとることは珍しいのですが。
「伝説ではミスリル王家のさらにはるか祖先の子孫となっている」
そのような家があるのは初耳ですわ。
「民間伝承でな。ほら、ライムの実家がプーカ妖精の執事と『黄金の鷹』の子孫を名乗るようなものだ」
「あ、なるほど。うちの母の実家のオハラもそうですね」
ミカの母……わたくしの記憶の中のノリリは優しい乳母ですが、若い頃は残忍な魔導士だったと聞きます。巨漢の戦士と機械教の使徒を引き連れ『やっーておしまい!』と叫んでは悪事を成していたとか。
「ミスリル王家の興る遥か前、始祖アルダスを名乗るものがいたという。
その始祖アルダスの子孫と思われるものが名もなき村で翼ある少女と結ばれ、平和に暮らした。
その子孫がわたしの母の実家だと言うのだ。
平民ゆえ家名は特にないが『小渓』などと村の外では称したらしい」
「へー。翼云々はさておき、珍しい伝承ですね」
今のリュゼ様が『ミスリル』を名乗らないのはそのような理由ですのね。
絶えて久しい王族と家名が同じなのは色々面倒なことになりますゆえ。
「ではリュウェイン卿。わたくし、自らの夫の本名すら教えていただけなかったという理解で宜しいでしょうね」
彼は戸惑い気味に答えました。
「は?」
「はっではございません。
わたくしの実家、侯爵家の掟はご存知でしょうか」
一斉にわたくしとミカ、リュゼ様がつぶやきます。
『ナメられたら殺す(ですわ。です。だったか)』
良くご存知で。
彼を睨め付けて差し上げます。
「いや待て。私としてはほとぼりが冷めるまで侯爵家に代わり君を保護するものと理解している。それにだ。正しき名前は正式な結婚式の時に教えるもので」
「つまり下民の言うところの『キープしとこう』という理解で宜しいでしょうか」
「あ、夫婦仲の地雷壺ってこうやって踏むのですね」
「ミカ殿。私は止めませんが宜しいのですか」
ミカはのんびりとジャンにむけてか自分の気持ちかわからぬことを放言しました。
「お嬢様は結構溜め込む方ですので。
それに夫婦喧嘩は犬も食べませんし。
わたくし猫アレルギーですけど馬の世話は好きです。人より乗れないからといって蹴られるほど無粋でもございませんから」
彼女はジャンを連れて席を外してくれました。
ジャンは小声でミカに囁きます。
「前言を撤回します。
あの奥方様は枕投げくらいはするかもしれません」
ミカは平然と秘密を暴露しました。
「しますよ。そりゃ」
こうしてわたくしたち初めての夫婦喧嘩はどちらも譲らず場所を変え寝室にて。
「マリカ。ひまー」
ちょっと待ってくださいなフェイロン。
「ねえねえリュゼ。まだー。ごはんたべたいー」
「フェイロンか。わたしたちは今真剣な話をしている。すまんが先にミリオンのところに行ってくれ」
フェイロンはつまんなーいとつぶやくとどこかへ。
普段彼はリュゼ様の執務室にある仮眠用寝台を占領して寝入っていたりしますが、今夜はパイのお腹の上で眠るのでしょう。
「これで」
「ごゆるりと心置きなく」
こういうことばを夫婦がなする時、いささか違う状況では。
などと普段ならば指摘してくれるミカはこの場にはいませんでした。
ーー「あ! ミカきた! いいとこ取ったの。あとミリオンとこからここ20年最高の酸苺ワインを」
城から少し離れた高台にてコカトリスの背に乗って夕日を眺めて待っていた少女はブンブンと手を振る。
そんなメイにミカは嘆息。
「その盗癖を直せと申しましたよね。その首が繋がっている理由を忘れていませんか」
「わかっているわはってまふ! おでうひゃまのおかぎぇでぇふ!?」
ミカの母方の実家はマリカの記憶の範囲では『アイスなどと宣う自称男爵家の末裔。ドレスに出会って憧れのあまり平民でもドレスに触れるデザイナーに押しかけ婚して徒弟になったが、それより数世代前の子孫の方が有名』だが続きがある。
分家となった所謂『氷の小剣』は暗殺や傭兵を生業とする。
尤も、ミカは父が仕込もうとした武術も体術も適正に欠け、母譲りの才能があるはずの魔法すらも『使えるような魔法はなかった』のだが。
「昨日は『初代の酸苺ワインを思わせるここ100年で尤も伝統的な味』という酢だったじゃないですか」
「だーかーら! ミカ。このワインは昔から年度ごとに売り文句が変わるのです! 今日は本当に美味しいですから……多分」
「カワセラー」「ナマセロー」「ウモソー」
もふもふ。自分が座るパイ以外のコカトリス、シロとコマたちに埋もれつつポイポイと蕎麦粉菓子を投げるメイ。
それを容易く首を伸ばして受け取るコカトリスたち。ちなみにコカトリスの首は油断すると蛇のように伸びるし、彼らの首は分厚い筒型の鎧を思わせる鱗がある。
「ほんと可愛い」
蕩けたように呟く。
どうもメイは可愛いものや美形に弱いらしい。
デカくてかわいいならなお好きでスライムがなついている。
その様子を見ていたミカの足元が揺らぐ。
「え、おまえもいるの」
もぞぞ。末端を伸ばして表面を掻くような仕草をするスライム。
ミカに対して照れているようにも見えなくもない。
「冷たさが癖になるよ!」
何故か自慢げなメイに渋面を見せるミカ。
「今夜も冷えそうなのに」
「こう、スッキリした感じで寝心地いいの! ね! ね! スライムさんお邪魔します」
「カポッ」
この間のこともありまだ恐怖が抜けていないミカは恐る恐るスライムのソファに背を預ける。
ぷよんぽよんとして楽しい。
「あ、これはお嬢様のお部屋にはいった新しいソファで二人遊んで壊して叱られた時よりいいかも」
「えっ。ミカってすごいことしてる。面白そう」
「子供の頃ですよ」
「あっみてみてミカ。星が出てきた」
この子は今年で十四歳だったっけ。
ミカはメイを見る。
彼女の掌は同じ使い女でも明らかに荒れている。
そばかすだらけの頬にはシミもたくさん。
決して不器量ではない愛らしい顔だけに却って自分が彼女から見て平民とは名ばかりと思い知らされてしまう。
それより。
彼女はカップでワインを口にする。
「……まずい」
「ミリオンのばかぁ」
悪態をつく二人に草を踏む音が複数近づく。
「ぼくのせいにしないで。ぼくから盗もうなんて思うからだよ」
「うーん。スライムのソファ最高。喉にもいいのかな」
城の主だったものの何名かは抜け出してきたらしい。
コック長のミリオンはさておき、麗しの吟遊詩人は何故か裸足でスライムに足を突っ込んでいる。
「ミリオンよ。おまえいい酒持っているだろ」
「そうそうバーナードの言う通り! チェルシー様が全部呑んであげるから出しなさい!」
「おとーちゃーん」
「あっスライムさんだ」「スラちゃんだ」「すらすら」「シロだシロだ」「コマちゃん。ベルグさんとこから貝殻もらってきたよ!」「パイぢゃーん」
「あんたー。つまみもってきたよ」
何人くるのだ。
呆れる二人の娘だがふと。
「セルクとジャンとライムとポールはどうしたのばっちゃん。あとピグリムさん」
「おやおやメイや。こんばんは。あの子たちはお勤めだしほら……色々やらかして7日間泊まり込み勤務だよ。セルクさんには世話になりっぱなしだねえ」
「もうセルクのやつトサカ。
ってすまねえシロおまえじゃねえ。
いい野菜できてるからよ」
クムが豪快に笑うとその妻サフランは呆れて腰に手をあてぷりぷり。子供たちは二人によじよじ。
「あんたもう酔ってるのかい。園丁は朝早いのだから飲み過ぎ厳禁だよ」
「てやんでえ。だから飲むのが早えのよ!」
「自慢できるこったいな!」
兵士二人のサボタージュには散々な目に遭ったミカがぼやいた。
「あいつら。7日後には休めるじゃないですか」ーー
マリカです。
やがて月は巡り星は光に身を隠し太陽が登らんとするころ。
どこかでシロとコマそれにパイが鳴いていますね。
いい加減罵り言葉も尽きてきました。
なお会話内容は経験の浅い夫婦の拙いものに過ぎず、わたくしの独断にて伏せることに致しますがご了承の程よろしくお願いします。
「待て、マリカ」
「なにかございましょうかリュゼ様」
二人、思わず力が抜けて互いの額がごつんと音を立てました。普段ならわたくし興奮して叫んでいたことでしょうが。
「すまん。君の大事な話がまだ尽きないのは理解している。しかし……眠い」
「わたくし昨夜は人生でいちばん罵り言葉をおもてに出す愚行をあなたに成してみせました。ですが……後半は同意しますわ」
正直今になれば何故喧嘩になったのかわかりかねますこと。
「休戦だ」
「よろしくてよ」
お互い散々罵りあったのにわたくしたちはソファに倒れるように同じうして……寝入ってしまいました。
気づけば彼はわたくしの膝に。
わたくしは彼を上から抱きしめるようにしていて。
……。
「マリカ……か」
……。
「昨日は済まないことをした。いやいつもだな」
「”『あな心憂。その世のつみは、みな、しもとの風にたぐへてき』とのたまふ愛敬も、こよなし”です……」
「それはヒノモト言葉か」
「よしなに」
彼はわたくしが昨夜のように感情に任せて罵り言葉を放ってこないことに気づいていらっしゃるのかしら。いまやかように瑣末ごとゆえ、わたくし一向に構いませんわ。
「もし君が本気で私と添い遂げてくれるのなら嬉しく無いわけでは無いのだ。だが今はここまでだ」
「えっ」
わたくしの頬に躊躇いがちに、柔らかく頼りなげな。
殿方がすると考えるにはあまりに頼りない香りが。う……れ……しゅ……。
「……はぅっ」
「マリカ? マリカ??! おい。だれかあるか。城のものはいないのか!」
伸びてしまったわたくしを見て駆けつけてきたみなさんの前でミカは述べました。
「旦那様。ご存知ないのですかお嬢様は」
「病気か!? 最高の医師を! ピグリムを呼べ! それとも魔導士か?! 機械教徒でも構わない。金に糸目はつけん!」
「知恵熱です」
場の空気が白けたとは後で聞いた話です。
『ちえねつ』
驚き呆れる一同に。
「お嬢様はえっちな話やコトが、もう聞くだけでもダメですから」
ミカはショウが最近新たに手沢した『初代国王言行録』を手にボヤきます。
「こういったものでも興奮のあまり気絶します。
わたくしはこちらに来る時これを何冊も持ち込むために断食を覚悟しただけですけど」
「えっ!? ミカ殿それは!?」
ミカは悪びれずにぺこりと首だけ礼をして。
「あ。ショウさん新作ありがとうございます。
王都にいる仲間に郵便で送りますので可能なら献辞をお願いします。皆喜びます」
何を勝手な。
リュゼ様も続きます。
「待て待て。普段彼女は」
「ああ。旦那様と戯れている時のアレですね。……ただの耳年増です」
『みみどしま』
全員またも声を詰まらせたそうです。
「一応淑女教育の一環でそう言う技術本は読みます。読みますが……」
きゅう。
「こんな感じです」
『………』
「あの、ミカ殿。このようなことを口にすれば処される覚悟をせねばならないだろうが」
吟遊詩人のアランは王都でのわたくしに対する流言も耳にしています。
「その、奥様は……」
「こんな身体で、この美貌で。しかも次期王太子の婚約者で手に入れることはできないのですから、あちこちでものにできない男たちが悔し紛れに流言蜚語を飛ばし女たちも低俗な噂くらい流しますよ。あのバカどもがお嬢様を疎かにしだしたらワンチャン狙いの激烈バカどもがウヨウヨやってきてお嬢様に気付かれる前に片付けるのは大変でした」
えっとその。ライムはつぶやきます。
「ひょっとして奥様って、わたしたちより進んでないのかなポール」
「昨日の晩のあれは事故だろっ! おまえが『あの姿』で飛び降りてきたのはその……良いだろ関係なくね?! みんな笑うなっ!?」
「え、坊。まさか未だにキスもまともにできてないのですか」
呆れる執事頭ジャンとその息子である兵士長セルクにリュゼ様はため息。
「今更そこかよ爺。(ぼそっ)……なら」
『ん? ヤリましたか!?』
「おまえたち! 揃って我々の夫婦問題に口を突っ込むな!」
「えー。いいじゃないですか」「え、夫婦って遂に認めるんですね」「おー進展だ進展だ」「おし侯爵家に喧嘩だ。早速旦那様、『娘は帰さん』と手紙書きましょうぜ」
「きーさーまーらー!」
「リュゼおこったらとしとるよ」
「人間は度し難いな。そう思わんかフェイロン」
二つの尻尾を振りつつもの言う猫たちに、フェイロンが呟くのをわたくしは聞いていませんでした。
「まぁ、面白いもんね」
「それでいいんだ……」
星輝きソーセージをポトフにしたからと皆を呼びに来たミリオンは彼に、そして皆に呆れていたそうです。
わたくしたちの夫婦生活。
その前途は当初の想像以上に多難のようです。
「あ、お嬢様はお部屋までわたくしが運びますのでお手数不要です。はいお嬢様おつかれ様です。ちゃんとベッドで寝ましょうね」
うーん。すやすや。
「『彼はわたくしに覆い被さると以下略』……むにゅう」
「詩文の才能がないのはかつてのミスリル王家並みですよねお嬢様は」
ミカは嘆息すると、眠るわたくしの髪を少し上げて改めて瞼を下ろし。
「おやすみなさい。マリカ。いい夢を」
そして立ち去っていくのです。
解説。
「『あな心憂。その世のつみは、みな、しなとの風にたぐへてき』とのたまふ愛敬も、こよなし」
「『あーウザ。昔の罪はみんな科戸の風でふっとばしたよ』といたずらっぽく言うのも最高だ」(源氏物語より。翻訳は『エモい古語辞典』より引用)
科戸の風は日本神話の級長津彦命が起こす一切の罪や穢れをぶっ飛ばしてくれる風。