悪役令嬢、悪徳商人に救われる
これは困りましたな。
いおうとしてモゴモゴ。
あいつ本気で縛って流しやがった。
こんな小舟で海は渡れないぞ。
だいたい寒いし。
村上塩屋伝兵衛は胡座をかいたまま縄を外そうとするがなかなかうまくいかない。
猿轡は苦しいし目隠しまでしやがって。
そういえばあいつ若い時はそんな性格だった。
今のべらんべえな性格の方が成長しているとは奇々怪界なりゃ。
「いやぁあの時は困りましたわ。波も高いし櫂もないし」
デンベエは当時の大変さを、勝手にわたくしのお茶を呑みつつ語ります。
敵中で堂々と胡座をかき、股間を掻きあるいは耳をほじりつつお茶を淹れる手つきは大したものですね。
あのポットはお気に入りでしたけど買い替えます。
「いといみじげなりや」(※大変でしたね)
「ほんと、じいちゃんなんで生きてんですか」
彼は長年わたくしたちの祖父と暮らしていたので関節くらい外せますわいと呵呵大笑しますが、多分商人の本分ではございません。
ヒノモトびとの先祖伝来の品をミンで改良したという、今では珍しい三尺の倭刀を握り、無雑作にそれを片手で大きく振るデンベエ。
「さてさて、急急如律令。この小娘どもは返してもらうど。文句あらぁこれ見ど」
しばしして彼の湯呑みがお茶ごとするりと切れてから、ばしゃんと音を立て湯気と共に香りになりました。
「見だが? 小僧ども、死にとうなかぁだらこぅねる前に往ねぇや。
寝る前におっかあに教わらんだか。
いぐさばぁでぇ爺見だぁら生き残りど思ぃぇやと」
彼は歳を召した悪徳商人ですが弱くはないのです。
ミカとわたくしの祖父たちが異常なだけなのです。
「はっ。助かったわい」
石を素手で割る時は鉄や別の石にぶつけるなどさまざまなはったりがございますが、先ほどの絶技は堪能いたしましたわ。
デンベエが強者と判断した曲者どもが去ってさらに三尺の刀を一閃。
わたくしどものドレスやワンピースには数ひとつついておりません。
「デンベエ。これも仕込みなりゃ」
「流石に猫又どもに太歳と座敷童に鳳と凰。そして動く城に幽のものどもに護られるおん嬢を出し抜くのは無理ですわ。おっとあとあの小僧ですな」
デンベエはわたくしどもを襲わせてから自ら助けて恩を売るくらいはしますからね。
「小僧ではございません。リュゼ様です」
だいたいあなたは少々でしゃばりすぎでしてよ。
「まあ、子供にドレス着せようとする変態ですけど。デンベエじいちゃんは」
ミカが会話の成立しない空言を放つと彼はがっくりと肩を落としておりました。それくらいにしなさい。
正直助かりました。
普段なら真っ先にリュゼ様、もとい『護衛騎士様』が追いかけてきてくださいますが、本日は席を外しており、『うたうしま』からは塩気を嫌うスライムさんや水を嫌がるポチやタマが動くには少々手間がかかります。
シロもパイもあまり遠くには飛べませんし、フェイロンは『ちょっと出掛けてくる』と書き置きを残して不在です。
「まぁ、ぶっ刺すなら普段と違う時じゃ。それくらいそのたんねぇおつむに叩き込んどけぇおん嬢。ちょっちてんまぇがかしこいと調子ごくからで、どだらずぁ」
くやしゅうことに普段の習慣そのものが油断ですからね。城を替える前のように二人だけで街に行ったのがよくありませんでした。
「でもデンベエじいちゃん、なんでここがわかったの」
ミカの疑問はもっともです。
「ミガぁ。てんめえせんに猫どもに夜闇に紛れて襲わせだらんが。むつ替えたったぁごだぁ忘れたかぁ。あん?!」
そういえば以前、町中の猫たちからデンベエが袋叩きに遭ったと耳にしました。ミカの指図でしたか。
「……それは知らなかったけど、乙女としては正直知りたくなかったですね親父のバカ野郎。あとそれでも助けてくれてありがとうデンベエじいちゃん」
ご愁傷様です。ミカ。
「まぁミャーミャーと騒ぐわ引っ張ろうとするわで、また猫又どもの仕業かとわかったわけで。普通の猫は知恵が足らんし、逆に乗り込むのがバレるのが怖かったですわ。お嬢様。これは貸しですな」
おかげさまで快適な監禁時間でしたわ。
並の殿方たちがわたくしどもの肌に触れんとしますと卒中を起こします。
そこへ。
「あっ! 奥様いだぁー!」
「奥様ご無事ですか」
「奥様ァー!」
ライムにポール、そしてセルクが駆け込んできました。こちらも早いですね。
「お嬢様。こう言う時まで時間を測らなくて良いですから」
ところでわたくしどもには襟一つ乱れなきままなのに救出にきたはずのライムがほとんど裸なのはなぜでしょう。
「『私はネズミじゃない』とはいつも言ってるけど、犬でもないわよ! ヤマネに『匂いでたどれ』とか二人とも無茶苦茶なのよ!」
「見つかったからいいだろうが!」
「服まで変身できないのは大変だろうが、まぁ今度いいもの食わせてやるし許せライム」
「よくなぁい! 乙女の尊厳が食い物で誤魔化せると思わないでよセルク……で、何奢ってくれんの」
妖精の執事には変身能力があるとは文献で見ましたがその末裔にもその能力の一端があるとは、時々小さくなる奇癖をもつ御婦人なみの信憑性と思っておりました。
ライムはくしゃみをした時とある程度自分の意思でヤマネになったり戻ることができるらしいのです。
「お嬢様。ネズミって匂いで追跡できるんですか」
「『私はヤマネ』っていっているでしょミカぁ! 助けに来てあげたのに人に噛みついたりゴミを漁る生き物と一緒にしないで!」
ミカの小声にライムはいちいち反応しました。
「鼠の仲間に地雷壺探索を行わせることができる可能性を示し実証した論文ならば存在しますね」
わたくしがミカに小声で漏らすのを聞きつけたデンベエは。
「地雷なら踏むまで土の外に出ず大人しくしとりますわ。ワシは普通に買い出ししとりましたからな。女子の救出はあきんどの業務外ですわ」
ぐうの音もございません。
よりにもよってデンベエに借りを作るとは。
ごめんごめんとミカはライムに謝っていますが、ライムは「『ミカちゃん助けに行く』と泣いて服に齧り付くメイに留守番を託すのに手間取って出撃が遅れた」と愚痴を溢しておりありがたいことに後ろでわたくしめにむけて意味ありげに微笑むガクガのことまで気が回らない模様。
「手紙、受け取った」
わたくしは熱くなる頬と耳を扇で隠して彼女とその差し出す『手紙』から目を逸らします。
初期の宣教師が三部族の言葉について記した間違いだらけの辞書の切れ端ですが、『よく飛ぶ紙飛行機の比較実験』を学生仲間たちが試行した結果をまとめさせた論文が役立ちました。
「まぁ、今回は助けることができてよかったですわい」
小声で彼が漏らしたことばをわたくしは聞き逃しませんでした。
「デンベエ。今回とは」
「教会を信じすぎました。連中にとっては我々ムラカミは聖具を扱えても国を盗んでも所詮は夷狄なんでしょうな。お嬢様に迫っていた生臭司教……おっとこれは冗句としまして」
なにゆえひめごとをこの地に流されたあなたがご存知なのかはわかりかねますが、概ねそうですね。
修道院行きよりは国王陛下とリュゼ様の助けに一縷の望みをかけたのは彼の想定外だったようですけど。
「普通は女二人だけで死地に向かいません。
連中に手籠にされてでもおとなしく修道院に行くでしょう。
そちらに行ってくださればそれなりに手を打てたのですが、まぁ私もこんな僻地ではできることは限られます」
わたくし、殿方のご期待を裏切る悪癖がございまして。
あと少々あなたを誤解していましたね。
「でも、デンベエじいちゃん、ひょっとして女の子助けたの一回じゃないでしょ。手際いいもん」
「はっ? 金子にもながねだをなごたすけるわぎゃねぇだろミカっ子!?」
ミカはほとんど戦えませんが他人の身のこなしを見る目はあります。あとデンベエが狼狽えているか否かも。
「興味ありますね」
セルクは綺麗に切れているデンベエの湯呑みを見て教えを斯う気持ちが生まれたようです。
武術そのものは部下二人に劣りますがこの辺は隊長の器ですね。
「わたしもわたしも」
「後学のために俺も」
お調子者のライムとポールのみならずングドゥやンガッグックまで興味深々と言った態度です。
三尺刀を一挙で納め、「ガキどもは家に帰れ」と文句を言うデンベエですが、若者たちのキラキラした目を見て諦めたらしく、やがて地面にあぐらをかくと。
「まぁこれは私の『知人の商人』の話です……」
わたくしども若人に向けて彼は昔話を語ってくれました。
村上『塩屋』伝兵衛ことデンベエは数え25歳の時この地を訪れました。
つまらない不正で捕らえられ、隠岐なる島に流される中、ムラカミによってさらに捕らえられて、どこに流されるかと危惧していたとのことです。
以下は『デンベエが語るあくまで知人のお話』です。
「この地にて言う、25歳。数え27の時でしたな。『その商人は』まだ若かったのです」
とある子爵家の血筋を持つと名乗る困窮した娘と知り合い、彼女と恋に落ちたと言うことですが、あの歌は真実とは異なるようで。
「あっ、頻繁にひのもと仲間の金に手をつけたのは」
「『頻繁に』は言い過ぎですわ。ミカのガキぃ」
ひとたびみたびではございませんよ。全く。
「私どもはいつかひのもとに帰る身です。
彼女と添い遂げるわけにはいきません」
かと言って素直に女性を助けるためと仲間に説明するのは厭うたわけですね。
彼女は『事情をよく知る』元陪臣の青年と子爵家を再興します。そこまではわかりました。
「で、で、その後どうなったの」
ライムはこのような話が好きですね。
とはいえ、ガクガたち三人も年頃ですから色々酒の肴を取り出して聞く気のようで、それぞれ皆に配り出しています。
「『私の聞いた話』では……」
デンベエ:湯呑みは金継ぎした。