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悪役令嬢、未来の反乱分子たちに憂慮する

「ミカ、また恋文が届きましてよ」

「まぁ世の中、字が書けるだけすごいと当地に来て悟りましたから」


 つまり捨ててください。

 主人に振り返りもしない彼女の無礼はわたくしの教育の至らなさですが、かくいうわたくしも恋文には辟易していましたので婚約者だった方と学友カラシ君以外のお手紙は開けませんでしたね。


 例えるならば身分もありまた女助祭や甥などいらっしゃるかたなどは特に何をお考えあそばせているのやらです。ええ、これは戯言ですわ。


 ミカの話です。


 彼女は学舎に通う代わりに、未来の王妃付きになるべくディーヌ伯爵夫人に師事したはずなのですが。


「はい。できました」


 他の目がなきときに限った礼法にはじまり、身分に煩いほかの女官を黙らせるほどだったはずのディーヌ伯爵夫人の指導の痕跡を未だわたくしにみせぬはあやしき。


「今日もお嬢様は世界一お美しい方です。さぁ今日も健やかにお過ごしください」


 わたくしが知る中でミカほど美しい女性にょしょうはございません。多くの方は近づくだけで窒息してしまうでしょう。だってミカほどかわいい……。



「お嬢様」


「なにぞ」

「また変なこと書いていませんか」

 えっと。わたくし愚昧にして、ふみなど人並みに書けるはずもなく。


「あら、差し出がましいことですが、よろしければ添削致しましょう」

 ぷるぷるぷるぷる。


 この日、わたくしどもの胸元に幾度枕が行き交ったかについては伏せておきます。



「ミカちゃんだいすきけっこんして」(城下の粉屋の息子 6歳児)

「あなたほど可憐なスケはご見えたことなどネェから今すぐ俺のカァちゃんになれやください」(推定元海賊 32歳)



 前者は愛らしいとして、後者はなんとか丁寧に書こうとする成長が見られますね。

 これらまだまともで文を開ける前からおぞましき内容を察するもの多数あり。



「メイの手習に使う裏紙にはなります」

 あなたまだあのむすめに手を貸しているのですか。

「わたくしに手紙を書きたいとか」

 あら。よき心構え。


「と、言うわけで裏紙を真似されては困りますので、できればお嬢様。例文として今隠したそのふみを」

 ミカはわたくしの枕を繕いたいようです。



 さて。皆様そろそろお気付きでしょうが、わたくし幾度か当地の海賊の皆々様に会い、さまざまなお言葉をやりとりいたしましたがその多くはここに記しておりません。おそらく今後もないことでしょう。


 されど噂に尾鰭がついて辟易致しておりますので一例に触れるだけに留めます。



 わたくし自らが掛け札となり、リュゼ様がおぞましき所業でとある姫君を傷つけた頭目とボクシングで決着をつけたお話でのわたくしは、下がれ下郎と彼を威圧し、ドレスの脱がせ方などわかるまいと宣うが早いか短剣で自ら肌を晒し、玉の血を白い肌に流しつつも眉ひとつ動かさず夫の勝利を見守った女傑であるという歌として流布しております。

 誇張にもほどがあります。


「城つき吟遊詩人アランのあの歌はウケにウケて『すげえ奥方を娶ったぜ俺らの大将は』と」

 やめよそは戯言。

 海賊たちのみならず街中の女性たちからも「素敵」「かっこいい」と評判のようですけど。

「まぁ私も寒うございました」

 文字通り決定打でしたね。



 リュゼ様は彼ら海賊の頭目にして、入港税や街中での商売許可。

 彼が独占する製粉関係の販売、果物など物資補給、帝国への海賊行為の黙認などを司りますが、彼ら海賊が海の上で行う数々のおぞましき所業を制しきることができるわけではございません。


 もちろん、我らムラカミも『同じ穴のむじな』とお爺さまはおっしゃっていましたが、ムジナとはどのような生き物なのかは説明されてもわたくしわかりかねました。

 そのムジナなるもののけは人を化かすそうですが人が人を化かすのは良くないですね。


「お嬢様、この手紙が何か」


 ミカには伝えていませんが、わたくしは王都における専売の弊害をよく知っており、領主が独占する製粉関係や教会が独占する灯に使う脂のようなものなどもう少し自由に取引して高品質なものを安価に使いたいのです。


 6歳の子供はこれほど達者な文章など書けません。


 彼自身は間違いなくミカに好意を持っていたとしても、親が例文を用意しているでしょうね。


 ……後ろで何かあやしきふみをわたくしの妹に向けて書いている嬰児みどりごは例外とします。



「うーん。内容はさておき、メイには6歳の子供が文字どころか文章書けると伝えて奮起してもらおうかなぁ。あ、でも『ミリオンは書けます』と言われそう」


 後ろでフェイロンはわたくしも驚く達者な詩を書いていますが、わたくしたちは見なかったことにしました。


 それにしてもミカはわたくしについてきたばかりに親兄弟はおろか生まれたてで可愛い盛りの叔母とも別れてきたわけですが、当地にて友人ができたのですね。

 ちょっとさびしいです。


 いえ、この頃は肌も隠そうとしない方と生涯友誼を結ぶなど仮に夢に出てくるならば、そは悪夢とおぼしたことでしょう。



「ところで、お嬢様。今までお聞きできなかったのですがお手紙つながりでお聞きしたき議が。

 ……子爵様はどうなりましたか」


 彼女が心配しているのはわたくしの『おともだち』でした方のおつきの娘でしょう。


「……白山羊のふみ、黒山羊のくちに」(※お手紙は戻ってきませんでした)

「お嬢様、お辛きことに触れいたし申し訳ございません」


 かのむすめはデンベエが何を血迷うたのか買ってきてしまったので関係者の斬首を免れるため、少女を陪臣に加え、教育を与え子爵家のつとめに出したのですが。


 あの方たちはあの騒動でわたくしを嘲笑していましたからね。


 かつては腹心の友と呼びし方。

 子爵に過ぎずともケイブル家は二代しか遡れないムラカミ侯爵家など及びもつかない旧家。

 ミカのため同じムラカミのため少し調べておきましょう。



 皆様へ。

 流民にまつわる一連のこのふみについては、歴史的事実上登場せねばならぬ方が幾人もいらっしゃいます。

 されどただでさえ長期間に渡って行ったことゆえ混乱を生じるため、ここにはあえて記さないことにいたし彼ら彼女らへの謝辞は別のふみに残すことにいたし、このふみではあえて思いつくまま記すこととします。


 仔細はリュゼ様の日記や当地年代記をご覧いただくか、おそらくあなたもお住まいの『うたうしま』城の幽霊にお尋ねあそばせ。


 え。幽霊などいるのかと。

 ふふ。お確かめくださいな。

 まこと比翼連理の素敵な方々で。



 歴史に興味を持った方は既にご存知と思われますが、後のうたにはわたくしの道路事業は一年で街道にまで伸びたとありますが、その頃ならば実態はあずまや(※ガゼボ)ひとつ、そして今後の計画書の作成。街中の主要道路に石を埋め始めたばかりでしょう。


 また、皆様ご存知のようにわたくしの道路はのちに図らずして改めることと相成りました。


 その不幸を礎に、後の世に馬車や早馬を超える何かが現れることを見越して、わたくしたちは当初計画の遂行及び輸送道路を整備するのみとして次代に託したのです。


 わたくし個人の夢想といたしまして、そはおそらく蒸気か何かの力で地面に敷かれた刃の上を駆ける船、あるいは列を作って進む大きなくろがねの蟻のようなものかもしれませんね。


 未来のことと過去のこと、そしてひとづての話、真実から伸ばす未来の希望と空想は物語との境目、『子供たち』の仙境の入り口だと、かの文豪とその妻を名乗る幽霊たちは言いました。


 例えば創作に過ぎないものがたりも別の流れでは真実であるので、この世界では創作に過ぎない『夢を追うもの』のものがたりも真実の話であるところがあり、それは互いのところにおける未来のなかでは同じことが重なると。あるいは未来や過去に行く術あらば実在のひとを通して物語の国に行けると。


 仙境については思うところありますが、本題であるこのふみに記す流民たちの処遇については記憶のままとはいえ、ただしく記す所存でございます。


 儚くなられた各々のお家の名誉回復についても、後の紋章官の皆様の参考として頂くことになるでしょう。



 わたくしどもの代におけるこの領の紋章官は帝国奴隷出身のバーナードですが、戦時の彼は敵の家紋を見て正確に敵味方の数と被害状況を算出し、勲功を決める役目があり、また伝令として戦場に出ること華々しく。



 そしていくさなき平時の彼は。



「バーナード様。わたくしは帝国貴族ナント・カー伯爵の子孫です。是非とも家系図を」「そのような家系は帝国に存在しません」


 そもそも正しき帝国貴族は皇帝と我々が呼ぶものを含め家名も爵位を名乗りません。紋章も存在しません。お母様がいい例です。


「わたくし実は高貴な家の出でして、その証明についてお話したく」「はあいくらで調査しましょう。あなたの家紋に教会の記録や墓跡の銘など調べることは無数にあります」


 その調査はこのような辺境ではほぼ無理でございます。



 リュゼ様がこの地を治めてわずか3年。


 戦場を駆ける勇者であるバーナードはいま、ねずみ算のごとく増える流民や流刑民そして政治逃亡犯の、特に金で身分を買おうとするあさましきものどもの身分証明に追われております。


 もちろん海賊の皆様方にも『高貴な方々の血を持つ方』はいらっしゃっいます。

 そのおぞましき経緯についてはおそらく皆様のご想像あそばすままでしょう。


「お金もったらあとは身分なんだねー」

 と、鍛治師チェルシーは言いました。


 そのあたりわたくしたちムラカミも他家のことは言えません。


「そんなことよりバーナード、あとで四阿あずまやいこ」

 チェルシー、かように使うのは許しませんことよ。



 さらに煩わしきことに、リュゼ様がこの地を平定するきっかけとなった帝国外交官である『あぎと』様は当地を『化外の地』と評し領有権を放棄するがごとき失言あそばしました。


 それを踏まえリュゼ様は海賊たちに続いて三部族を平定しましたが、わたくしがわたってくる少し前に太陽王国から本物の貴族を自称するものたちが移民株式会社を勝手に作って鉱山技術者や冶金術者を連れて乗り込んできたことがあったのです。


 彼ら太陽王国のジェントリたちは存在もしない金銀ミスリルを求めて三部族を拉致して、彼らが持つ貴金属を溶かして延べ棒を作ろうと企て、山を潰し鉱山を建設せんと企み、独自の街を作って太陽王国の領有権を当地にて主張しようとしました。


 彼らの第一陣はわたくしが渡ってくる前、すなわち去年の冬にほぼ儚くなられたそうですが、移民株式会社は懲りずに冶金技術者や鉱山技術者そしてリュゼ様言うところの役立たず(自称貴族)しか送って来ないと。



 その過程でまたリュゼ様より爵位の高い貴族をこの地で名乗らんとする平民ジェントリが増え、太陽王国からも『たかが騎士』に対しての威圧的なお手紙がやってくる悪循環。



「太陽王国は貴族制度を廃止して議会制立憲君主制となったのではないのか」

 リュゼ様はぼやいておりました。


 かように家名とそれが名家でかつ旧家というのは侮り難きものです。



 リュゼ様はわたくしを『容姿と教養と血筋は最高』と評しました。


 しかしムラカミはケイブルなど他家と比べればむしろ根無草に等しきもの。


 今思えば彼のいうわたくしを選んだ理由たる主張のひとつには無理があります。



 わたくしの『血筋』の根拠は『ムラカミは聖具を扱える』という事実についての教会の承認及び、初代国王の姉君たるお祖母様と帝国貴族であるお母様の血筋にあります。



 されどお母様のような真の帝国貴族は家名を名乗りません。紋章も掲げません。歴史に登場するのはここ100年程度であり、帝国貴族は歴史書を編纂することに興味を持ちません。

 お祖母様の生家の祖先であるアナスタシア朝の正当は断絶したという説もあります。


 つまり、ただでさえ祖先を異とする太陽王国の自称貴族たちには、わたくしの家名が響くことはないのです。

 リュゼ様ほどの方ならもっと家格のある方をお金と名声で迎えることができたでしょうに。



「ははは。リュゼ様はそれでも奥様が良いのです。それに帝国にだって過去の王朝貴族の末裔はいます。そうでなくば王国に貴族がいるはずがありません」


 紋章官バーナードは最近やつれ気味ですが、仕事はこなしています。

 当地には王国や太陽王国のみならず帝国から流れてくる過去の王朝貴族の末裔も少なからず。

 それらの身分証明に追われているのです。


「でも、わたくし彼を支えてあげたいのです」

「無名こそ真の帝国貴族です。

 彼らはここ100年ほどの間に急に現れた存在で、墓も作らないし歴史も公開しないし紋章も掲げません。そもそも食事すらとっているのか謎です」

 偏見でございます。お母様は時々お食事をなさいますわ。


 わたくしが園丁であるクムの世話する『りゅうをはぐくむたいりん』のそばで休憩していた彼に相談すると紋章学の講義が始まりました。



「過去に真の帝国貴族を娶った方はあなたのお父様を含め実に少数なのです。

 奥方様が考えるより遥かに帝国貴族の血筋は尊重されます」


 そうでしょうか。それでもわたくし不安です。

 彼のつれない態度に枕を濡らしたこと幾度やら。

(※この頃のリュゼ様はまだ意地を見せていらっしゃいます)


「奥様のご実家が根無草? とんでもございません。異世界から来たと称する家はいくつかあります。それらを祖とすればいくらでも権威づけできますが奥様はそのような真似など不要に存じます。

 無税に等しかった帝国時代を未だよかったと回想するものは身分を問わず多いのですよ。

 過激なものは帝国貴族の血筋を入れるためならば手段を問わないかと」


 そういえばお母様の礼法は積極的に王宮の皆様が取り入れようとしていました。

 王国は帝国から独立したはずなのに、結局治安を考えれば、昔の支配の仕組みや礼法を使おうとしてしまうものなのですね。


「ましてあなた様はアナスタシア朝の末裔でしょう。

 アナスタシア朝はさらに魔導帝国皇族家『はなみずき』に遡ります。『はなみずき』は魔導帝国最後の皇帝『ゆうたまぐさ』の直系とされます。そしてさらに遡り魔導帝国太守後の魔導帝国皇帝リュウェイン公の妹君と彼の腹心の友アルダスの娘……」

 ひょっとして、バーナードは我が学友カラシくんの同類の気配あるやもしれません。



「バーナード、わたくしリュゼ様から別の用をお願いされていましたわ」


 カラシくんは講師であるシィース子爵令嬢リン様の講義がお気に入りで、授業のたびに天啓を受けては早口で奇天烈な話を叫び授業を止めてしまう悪癖がございました。


 そのようなときリン様はサラサラと数式で彼の主張を完全に表して黙らせるのがいつもの光景だったのですが、そのあとの彼は知的興奮に任せた珍妙不可思議としか評するしかなきふみを何故か大量にわたくしと当時の婚約者のもとに送りつけ、大量の参考文献を添え示して翌日にはわたくしたちに感想を求めてくるのです。


「え。奥方様。これからが面白いのですよ。例えば『くろきはり』もしくはケイブル家という家は子爵家ながら大変興味深い旧家でして、さすがに魔導帝国時代にまでは遡れませんが、それでも騎士もしくは男爵アイアンハート家に迎えられました女性を祖としまして、かのアイアンハートはさらに三国時代魔導帝国の末裔たる皇女『はなみずき』に仕えた騎士ポプラの……」


「休憩の邪魔をしてあいすまぬや。

 お茶をメイに淹れるようにわたくしからお願いしますのでしばしそこで」

「あっ奥様お待ちを……」


 わたくしは、これから長々とした講義が始まることを察した園丁のクムより受け取った、当地にのみ生息する大ラン、『りゅうをはぐくむたいりん』を一鉢自ら持ってリュゼ様の執務室に向かうことといたしました。



「あっお嬢様だ」



 急に不躾な言葉に振り返ると多少のシミやそばかすあれど見目麗しくも愛らしさの方が勝る少女が。

 このむすめはかなり手癖が悪く、以前稚拙な横領を行っていた事実があります。

 彼女は不躾にもこちらが用を告げる前に話し出しました。



 わたくしは『お茶をバーナードにお願いしたいのですが』と口に出しかけ。


 気づきました。

 あなたにはミカの友であったカナエの面影がありますね。


「わたしの顔に何かついています? あ、ミカからクッキーもらったからかな」


 学園の離れの丘でわたくしたち三人が戯れている中、ミカたちが不動のまま並び立っていたことを思い出します。

 かように彼女のおもてを眺めていますと。



「??? きょ、今日は何もとっていません」

 わたくし今のところ何もお願いしておりませんが。


「白状します。お嬢様。コック長のミリオンのところから今日はベーコンを盗みました」


 そのような些細なことですか。


「あら。食べ盛りですからね。

 ミリオンに黙って持ち出したことを素直に謝れば山盛りしてくれますよ」

「えっと、えっと。……この城のみなさんは叩かないのですか」


 あなたわたくしを、リュゼ様以下この城のものたちを、少女を見れば奴隷や囲いものにしようとしたという『テンセーシャ』とかいう過去の記録にある侵略者か何かと勘違いしていませんか。


 もちろん減給をはじめ然るべき処分をリュゼ様は行いました。本来ならば雇用責任はリュゼ様が負いますのでわたくしはあなたにお願いはしますが何か申しつけるのは越権といえます。また責任問題に発展した場合はあなた如きがなんとかできることではございません。


 何より叩いてなおるのは熱した鉄剣のみですわ。


「みっ、みっ、ミルクも盗みました! 正直に申し上げました叩かないでくださいませ」


 あなた、打擲ちょうちゃくされたいのでしょうか。それともわたくしのおもてはそれほどまでに恐ろしいのでしょうか。



「お母さんごめんなさい叩かないで良い子にします!」



 咄嗟にしゃがみ込んで泣き出した彼女ですが嘘泣きの実績がありますからね。

 と申しましてもわたくし、少しだけミカが彼女を労甚(ろうた)くする気持ちがわかりました。



 彼女は親にも愛されず、一人で生きてきたようなのです。


 自分が愛したい親から無視されるよりは打擲されたほうがいい。

 そのような気持ちを理解できない程度にはわたくしはまだ恵まれているのでしょう。


 当地にはそのような子供がまだ多くいます。

 彼女が辞めれば大挙して同じようなむすめが城に来ることでしょう。

 リュゼ様が雇ったその時は人手不足でしたが、今後彼女のようなむすめが生きていくためには。



「メイ。わたくしがあなたの母になれるかは別といたしましょう。されどあなたはミカのお友達ですよね」

「いえ!? ミカちゃんはそんな……うん……だったらいいな」


 少なくとも、その左右を少し膨らませつつも飾り髪を入れ後ろを巻髪にしてまとめているメイの髪は彼女自身では結うことはできないでしょう。


 ミカはわたくしに対しては不遜ですが、他人への指導技術や面倒見の良さには定評がありました。

 ひょっとしたら王国最先端の礼法をこの娘はいつか身につけるかもしれません。



「ならわたくしにとってもあなたは大事な人ですね」

「えっとえっ。えっと……」


「手を」


 彼女はあかぎれだらけの手を差し伸べできました。

 よく見るとあちこちに古傷があります。

 子供にむごいことを。


「これは街のエナカ老からいただいたものです」


 わたくしは手ずから彼女にあかぎれの薬を塗りました。

「あなたに差し上げますわ。後で手袋を届けます。眠る時には清潔にした上でこの薬を塗ってから手袋を必ずつけなさい」


 わたくしのゆびさきが彼女のあかぎれが痛くないように薬を塗る間、がさがさしして緊張している硬い手のひらが少しづつほぐれていきます。


「ただし」


 わたくしはつとめて笑顔で彼女に告げます。


「今しがた鉢植えに気を取られているわたくしから抜き取った指輪はお返しくださいな」



 わかりましたか。メイ。

 それはリュゼ様から頂いたいのちにも代え難きもの。


 あら。何を震えているのでしょう。


「まだ日は高いですよ。

 寒気がするのならば医者のピグリムを呼びましょうか」

「ひ、ひえええっ?! お許しください手をはなして!」


「あら、まだ塗り終わっておりません。おとなしくしていてくださいな」


 ええ、わたくし夫の臣下を打擲するような差し出ましくまた低俗な真似は好みませんことよ。ほほ。

メイ:「一度も叩かれないのに、あんなにこわいひとはじめてみました。もうお嬢様のものを盗みません」


労甚(ろういた/らうた)しは弱くて無力なものをどれだけ苦労してでも守ってあげたい気持ち。転じてとても可愛く思うこと。女性や子供に対して使われることが多い。

例『うつくしきもの(略)かいつきて寝たる、いとらうたし』(枕草子)(『かぐや姫と覚える古文単語473』より)

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