悪役令嬢、流刑地にてかつての商売の師匠に出会う
「こんにちは。騎士爵さまご機嫌よう」
少々前のお話になります。
その殿方はわたくしも存じている方でした。
「デンベエ・ショーヤ! よくもおめおめと顔を出せたものね!」
ミカが人前で素を出しているのは、この商人が島流しになった経緯からです。
「ん? ミカ。ショーヤと知己があるのか」
「旦那さま! 塩を撒いてくださいませ!」
「塩も何もミカ」
リュゼ様はおっしゃいます。
「彼は我が家の塩、そしてその他なんでも扱う御用商人だ」
「塩屋ですからな。塩なら売るほどありますわい」
久しぶりに会ったデンベエはいやらしい視線を注ごうとするのでその前にわたくしは扇を開きました。
彼は数年前ミカの父にぐるぐる巻きにされたまま小舟に乗せられて海流に放たれたと耳にしましたが。
「まぁ、日頃の行いが良いからでしょうな。お嬢様もご健勝のようでしばらく会わないうちにますます」
本日の装いは首筋まで覆った新しいドレスですが、体型は隠せないものです。
もっともこの時点では身体すら隠す気のない方と知り合いになるとは思いもよらなかったのですが。
「お互い命あっただけでも僥倖。
今はお互いの再会を喜びましょうデンベエ」
「えー! お嬢様。ヒノモトびとの恥晒しですよこいつは!」
しかし我々も海賊の末裔で修羅道畜生道ですからね。
とはいえ、可愛いミカに手を出そうとした方にはわたくし幾年過ぎようとも容赦はしませんよ。
報いはいずれ後日。
「しかしお嬢様とこの地にて再会するとは長生きするものです」
わたくしあなたが明日お隠れになっていても驚きませんが。
「あの神隠しからこの仙郷とは名ばかりの地獄についてもうすぐ四〇年ですぞ! わしももう67です!」
わたくしたちのお祖父様たちとデンベエはともに気がつくとこの世に居たということで、デンベエはそのときからこの地に流される3年前に至るまでわたくしたちムラカミを支えあるいは裏切り王国独立戦争を商人の立場で戦い抜いたという経緯だけでいえば間違いなどなく英傑の一人です。
「わしはもう余命なく、一度でもいいから故郷の土を踏みたく商売という餓鬼道を生き抜いてきました」
幾度か道を踏み外して不幸と踊りかけていますね。
「他のムラカミはもはや諦めたかもしれませんが、私は諦めません。
必ずやまとびとの仲間をひのもとの地に導く術を」
冬の海を流されれば、もはや命生くこともなければうまく海流に乗って反対側に行くこともありませんし、そもそも財産のない状態から数年で再起することなど得難しこと。
「そう言ってはちょくちょくやまとびと仲間のお金を抜いたり怪しい商売に手を染めたり帝国に通じたりしてクソ親父の逆鱗に触れたのですよね」
とはいえさすがかつての英傑。
未だ杖も待たず、その身のこなしは四〇を過ぎたばかりの脂の乗った剣士もかくや。
同じ英傑でも兵士ポールの祖母であるロベルタの方が彼より老いて見えますからね。
もっともロベルタの病は若い頃の無茶がたたり、呼吸器を痛めたのが原因らしいのですが。
彼は酒も煙草もやらず、食道楽も控えめで女好き以外の趣味もなく。
「……それで、穢らわしくもわたくしのかわいいかわいいミカに手を出そうと。まだ14の子供に……」
「待ってくださいお嬢様。お声が漏れていますから! ほらほらショーヤの爺さんビビらなくて大丈夫です。お嬢様はお優しい方ですから」
あらわたくしつい。
でもミカ。あなたは自分に汚い手を触れようとした老体にも優しいのですね。
デンベエには商売についてはわたくしの師匠と言ってよいのですが、時折わたくしのお財布にも手を伸ばそうとするので辟易していましたところ、ミカを手籠にしようと画策していたと彼女の父に勘付かれたのが運の尽きですわ。
「それに、あなた議会派にも通じていましたよね」
「お嬢様、誤解でございます。わしはただ良かれと思いまして教会の皆様と」
今さとったことではありますが。
わたくしの修道院行きの手伝いまでしていただいたようで、まことにことばもございませんわ。
敵味方に飛び交う刃の代わりに嚆矢のように情報をもって飛び交い金の動き言葉の動き機会の動きそれらを乗りこなすことこそ商人の戦い。
されど。
「おまえが当地に来た理由はそんなことだったのか」
「金子で満足してらっしゃれば同じやまとの輩のよしみ、まだ許しましたが、ミカに今後近づくならば、不幸な事故にお気をつけて」
さらに奴隷売買に手を染めようとしたのもいけませんね。王国で発覚すれば死罪ですことよ。
お隠れになったと思していました商売の師匠との再会。
わたくしがこの『ひざのまち』に流刑者どもが縛られることもなく大手を振って生活している事実を知ったのはこのような経緯からでした。
後日、お父様はわたくしからのお手紙を見てデンベエが生きていると知り『案ずるな。すでに人ではないが猫をやった』と書いていました。
……ねこ?
よくわかりませんね。ねぇ。タマ。ポチ。
「にゃあ。なの」「マリカ。私も撫でろ」
よしよし。
デンベエが新月の夜に町中の猫に追い回される不幸に遭って引っ掻き傷だらけになるのは後のお話として、この城に塩を含めた物質を搬入していたのは彼の仕事だったのですね。
道理で懐かしい味がしました。
わたくしとリュゼ様の距離は少々縮まり、お話ができるようになりましたころ。
「リュゼ様。塩と申しましてもデンベエの塩は」
「うむ。君には申し訳ないのだがヒノモトびとの製塩技術はン族のそれとは比較にならん。にがりが多過ぎてすぐに溶ける」
その通りです。
「デンベエの塩は量を確保できて安いのは良いが純度に問題があるな。うっかり専売にして後悔している」
そのためやまとの国ではミソなるものを作って運びやすくします。
されどもこの『ひざのくに』半島は高品質な塩に事欠かないようで、王国本土への塩の販売は王家の権利もしくは関税対象だったはずなのです。
「これまで王家や一般向けの高品質な塩を供給してくれていたン族からも抗議がきているし、塩だけに事態は深刻でな。
闇塩を名目だけでも取り締まる必要があるのに『ショーヤの塩はマズイ。ン族の塩が一番』というのが大方の主婦の意見なのだ」
「デンベエの塩は内陸部に運ぶなら溶けてしまいますわ。ひのもとでは輸送のためにミソというものに加工するようなのですが、ミソを作るためにはコウジというカビとある種の豆が必要で、これが王国にはないのです」
あるいは藻塩という製塩法がありますがこれをデンベエが行うなら当地の人々、海賊や三部族との争いは避けられないものとなります。
ああ。あの独特の臭いを思い出してしまいました。
どうしてこれほど美味しいものが食べられないのだと呆れるお父様とお祖父様のお顔が蘇るかのよう。
「ミソ? あああれか……あまり美味いと言えないな」
「やまとびとのみ好む珍味ですから。
柑橘類と砂糖を入れてジャムにすればまだ」
なぜか『ひざのまち』にミソがあったのはそういう経緯だったのですね。
デンベエはそれでも侯爵領にいるうちは祖父たちからせっつかれてなんとかミソを作ったようでしたが、ここでは流されて日にちも経っておりません。
当地のミソの品質についてはわたくしがあえて以前記した街の様子の中にも触れずにいたことからも皆様にもご想像できると思います。
ミソはわたくしのみならずミカもちょっと。
お母様は好き嫌いなくお召しになりますけど。
デンベエが金貨一枚で仕入れてきたという、その経緯からして怪しげな聖ユースティティアの調理本に記された、ユーズミッソなるジャムもしくはソースならば我慢すれば口にできますが、高価な砂糖を使うほどのものとも思えません。
肉食を禁じている修道院ならば需要あるかもしれませんが。
デンベエは軍略レベルの大規模な需要を満たせること、金さえ用意すればなんでも取り寄せるため大変貴重な人材であることはお父様やお祖父様も認めるところでした。
その才知を持って島流しを受けても出入り商人として再起し、こちらでも数々の専売を勝ち取ってきたということですね。
「かれとの専売を全て契約解除するわけに参りませんかリュゼ様」
ミカの一件が主な理由ですが、王都での悪法がこちらにもと思えば正直専売制度にはうんざりでございます。
ざれ歌にも『専売の火打石で専売の蝋燭をつけ専売のパンを専売の鍋で煮込み(以下略)俺の体は国王様でできている』とあります。
改良もできず不便で質の悪いものばかりがいつまでも残る悪政でございます。
「恥ずかしいことだがミカの件、あの時点では私は知らずにいたのだ。知っていればその場で申し渡してやりたいところだったのだが……難しいな」
リュゼ様は裁判の負担を減らすべく裁判所を設けるつもりでしたので、領主の専横と取られかねない裁きは今後の任命に響くためできないのです。
「それにマリカも知っての通り専売は期間更新まで日があるのだ」
くちおしゅうございますね。10年と記憶しております。
「突然契約解除を行うにしても重大な法律違反があるわけでもなし、侯爵家でもショーヤを内々に処分してここにやったのだろう? ……今のところこちらでは尻尾を出しておらん」
「では、次の更新は特許制度によるものに。そしてエナカおばあちゃんの案件については是非」
彼は王都でも儲かりそうと見るや専売許可を先に出して他人の商売を横取りする真似を繰り返しました。
あの付け爪と薬は町の女の子たちのもの。
デンベエの手に触れさせませんことよ。
「特許制度に株式会社制度か。
うむ……しかし風車小屋と水車小屋の建設まで届ける限り許可するのはやりすぎだ。
あの二つは私が独占できる貴重な税収なのだぞ」
「あら。わたくしリュゼ様を養って差し上げますよ」
「それはちょっと困る」
リュゼ様は苦笑いしております。
わたくし、とのがたには甲斐性などほとんど求めておりませんので一向に構わないのですけど。
わたくしがかのかたに求めるものはただひとつ。『誠実』ですから。
「それに水場はパ族が握っているし、風車を動かすならばガ族も絡む」
「パ?ガ?ですか……」
この頃のわたくしにとっての三部族はあざらし漁で揉めた内陸部の蛮族程度の認識です。
「市場は幸いにもン族が握っているから王都のギルドは当地ではただの同業組合程度の影響しかなく、もともと当地では海賊同士で手売りならば許可も要らない」
「ところでン?とは……」
もちろんリュゼ様はのちにちゃんと説明してくださいましたが、今までの記述と重複しますので省略します。
重要なことは王都と違い当地は三部族や海賊の勢力が強いため、この地のギルドは新規参入を阻害すること叶わないということです。
「むしろギルドは王都から来た職人たちの斡旋などを細々とやっている」
「そういうことで当地では王家とムラカミ直轄の冒険者ギルドではなく『冒険者の宿』が複数軒存在するのですね」
例えば『赤竜亭』などの赤青黄白黒のそれぞれの色の竜を名乗る小さな競合店がたくさんあって、彼ら冒険者を街中の治安維持や工事の監視員に、あるいは土木作業員にと、まるで『夢を追うもの』の喜劇の如く安くて使い勝手がよく扱えたのはそういうお国事情でしたか。
なかなか興味深いお話です。
それに『職人』と本人が口にしても、もともとは海賊や流刑者や蛮族ですからね。
「正直、今欲しいのは土木作業員であり、何より農民なのだ」
ですね。
「いきなり押しかけ当地の事情も知らずに、土民をタダ働きさせて金だ銀だ銅だミスリルを掘らせる。探せ寄越せとかいうよくわからない太陽王国の移民株式会社の送り込む巫山戯た連中、その中でもなんの職業能力も持たないくせに高位貴族を自称するジェントリ、そして太陽王国の連中に限ったことではないが。……夫人の囚人の扱いに苦労している」
前者は当地に来る前は存じなかったことですが、結婚税を滞納しているご家庭の『家政婦』を売春婦として捕えて流刑にせしめる悪徳警官や判事の噂ならわたくしも耳にしましてよ。
「彼女らの中にはこちらに到着するまでに……いや、これは君の耳には入れたくない」
「夫を追ってあえて流刑を受け、この地に着くまでに悪逆な船長や船医者や他の囚人からおぞましき扱いを受けてから、酒と薬でこころを壊した方のお話なら耳にしています。なにごとも隠さずお願いします」
正直、女囚の扱いに関しては王国法の管轄なのでわたくしたちにできることは限られております。
しかしながら結婚税を滞納することは売春婦と呼べるでしょうか。
飢えた子供を救うためにパン一切れを盗むことは、二度と子供に会えないこの地に運ばれる理由たり得るでしょうか。
罪を犯し、彼らにより傷ついた者はもちろんおりましょう。
しかし過酷な労働を死ぬまでなんの報いも受けずに過ごすほどのこととは思えない方も少なからずいらっしゃるでしょう。
わたくしがよそごとに心よせているうちに彼は別のことを話しておりました。
「何より。あのデンベエの君を見るいやらしい顔と言ったらないな」
「わたくし、余計なくちは塞ぐことにします」
そのひとことだけでわたくしは満足しましたわ。
彼の背中はとても大きくて、力強くあたたかいのです。
先ほどのあなたの妬いたお顔をひとみにできるようになったことだけでわたくしは焼けるようにこころ満たされます。
「マリカ」
「はい」
「すまないが離れてくれ」
「いやです」
「ミカがニヤニヤ見ているのだ」
「彼女はわたくしたちが夫婦の証を立てたかわたくしの実家に報告する義務があります。なんぞ問題ありましょうや」
もうすぐ一年経ちますが、色々あって有耶無耶になっていますからね。
わたくしいつまでも自らの魅力がわからぬ初心むすめではございませんことよ。
ほんの少しだけ背丈も伸びてますます胸がくるしゅうに。
「だから……いやいい」
彼女ら流刑民がつみびとというならばわたくしが今このように幸せにしていることはなんでしょう。
彼女らとわたくしになんの違いがあるでしょうか。
あのときのこわさもかなしさも。
勝手につみびとにされ、婚約者に蔑まれ、友と呼んだ人々に嘲られ、下々に見下される。
震えることも涙を流すことも自らの枷でできないわたくしを彼はその背で守ってくださいました。
わたくしが彼の鎧であるとおっしゃってくださいました。
涙を受け止めて震えても温めてくれる背中を貸してくれました。
彼女たちにはわたくしにとってのリュゼ様やミカになる方がいなかっただけなのではないでしょうか。
こうしていると涙も震えもおさまるのです。
お父様を思い出しすこし首を振ります。
この方は父ではなく、夫になる方なのです。
でも少し甘えていいですよね。
リュゼ様。わたくし、ほんの少しだけ戯言を放って良いでしょうか。
「離れたくありません。だって当てているのですから」
殿方は本来こういう状況を好むと言います。
先ほどまでの震えと涙は幸いにも知恵熱を防いでくれました。
何より安らかな気持ちなのです。
「やっぱり離れていいぞ」
「いやです。おんぶしてください騎士様」
戯れ合うわたくしども。
ふと視線に気づいてミカを向くと彼女はニヤニヤ笑いつつ親指を立てておりました。
後でお説教でございます。