月夜のコソ泥
サクッと読める短編す。
彼が狙いを定めた家は古く、隙だらけだった。きっと家主は老人だろう。戸締りは甘く、何処からでも入ることが出来そうだ。
とはいえ、用心に越したことはない。彼は日が暮れ、人々が寝静まるのを待った。夜なのにいつもより明るい。見上げると、秋の丸く大きな月がある。彼はそれを忌々しく思った。
街灯も疎な裏通りから、闇に紛れて狙いの家に忍び寄る。中から物音はしない。敷地に入り、足音を消してぐるりと一周した。玄関や勝手口と思われる扉は閉まっている。流石にそこまで不用心ではない。
彼はほくそ笑んだ。居間の少し高いところの窓に隙間を見つけたからだ。換気のつもりだろうか。流行病と違って、彼は命まで奪ったりしない。家主の判断はある意味、妥当かもしれない。
家の中はしんとして寝息すら聞こえてこない。窓から入り、革のソファを伝って床に降りる。古びた絨毯は彼の足音を吸収した。
鼻を効かせ、居間には目当てのモノがないと判断する。台所に移るとあちこちから食べ物の匂いがした。丁度腹の減っていたところだ。
引き寄せられるように見た先は、豆電球に照らされた団子だった。小さな皿の上に四つほど、小山になって置かれている。その白く丸い様子は、空に浮かんだ月を思わせた。
一度周囲を見渡し、変わりがないことを確認する。この家の住民はよく寝ている。起きてくる気配はない。それだけ、彼の手口が鮮やかだともいえた。
さっと皿に身を寄せ、団子に齧り付く。甘い香りが口の中に広がった。疲れた体に活力が戻る。もう一口、もう一口……。
団子を頂いた後も、彼は目当てのものを次々と見つけ出し、己が思うままに振る舞った。
そして、空が白み始めた頃だ。彼は自分の体に異変を感じた。急に体が怠くなり、喉がひどく渇く。流し台まで這うようにして辿り着き、水を飲もうとするが力が出ない。
体勢は崩れ、頭から排水口に突っ込むようなかたちとなる。それでも顔をあたる水気が有り難かった。汚れなんて気にしている余裕はない。ただただ水をすすった。そして意識は遠くなり──。
#
「おい、婆さん。流し見てみ」
パジャマ姿の老爺が嬉しそうに声を上げた。言葉に従い、老婆が台所にやって来て流し台を見る。そして眉間に皺を寄せた。
「お爺さんがその死骸、片してくださいね」
「なっ。俺の言った通りじゃろ? 市販のやつは効き目が弱いのよ。俺に言わせりゃ、殺意が足りない」
「……そうですねぇ」
老婆は諦めたように返す。そして昨日の昼間のことを思い出してまた嫌な気分になった。やっと昼食の片付けが終わった頃に老爺が台所にやって来て、何やら作り始めたのだ。
男の人は好きなことをやるだけで、つまらなくて面倒臭いことはやらない。事実、老爺の使ったボウルやまな板の片付けをしたのは老婆だった。
「やっぱりゴキブリにはホウ酸団子が一番なんよ。薬局に売っとるやつなんて効きゃーせん」
そう言って、老爺は台所の隅に置かれた小皿を指差す。
「はいはい。そうですねぇ」
あぁ。あの皿を片付けるのもきっと私だ。老婆は忌々しげに白く丸い団子を見つめるのだった。