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8.来訪者

 ごうごう、と鉄鍋が焼かれていた。

 ざっざっ、と鉄鍋の中で、米粒がぱらぱらと舞った。


 山積みにされた問題との戦い、ここはその中心だった。


 黄華(おうか)は、大皿へ鉄鍋の中身を盛り付ける。

 額を汗が伝っていった。


「炒飯上がったよ! 持っていって!」


 終わりが見えない。客の注文はまるで山のようだ。

 次の注文札をむしり取る。また炒飯。しかも、六人前。


「今度は炒飯十二人前です。華老板娘(あるじ)さん、頼みます」


 小明(しゃおめい)が追加の注文札をかけていく。


(じゅうににん……って)

 さすがに一人では無理だ。


 他の料理人はいないのか? 小明に難しければ、姉の鈴猫(りんまお)は? そう思って、小明へ声をかけようとする。


 けれど、厨房を出て行ったのか、小明の姿はない。


(いけるところまでは……何としても!)


 必死で鉄鍋を振る。もう、腕は棒のようだ。

 ただただ、鉄鍋が重い。


 それでも、立ち止まることなんてできない。

 なぜって、私はこの店の看板を背負っている。

 そして、それ以上に、『客が待っている』


「で、できたよ! 持ってって!」


 肩で息をして声を張り上げるが、給仕が来ない。

 客の「まだかよ」と不満が聞こえた。仕方ない。


「お待たせしました! こちら、炒飯六人前です」

「黄華姐さん、ありがとうございます」

「あんたねえ、遅いのよ。黄華! ほら、次急いで!」


 小明と鈴猫は、仲よく炒飯をついばんでいる。


(どうして? 二人とも……働いてくれなきゃ……)


 そう言葉をかけようにも、声が出ない。


「ちゃーはん。まだかよー?」


 えらく悪人面の男が大皿を箸で叩いている。

 あれはたしか……そう。楽子山(がくしさん)と言ったろうか。


「くそっ!」


 なぜ、あいつがここに? そんな疑問を振り払う。

 客が待っているのには違いない。厨房に戻らなければ。


「まだか。まだなのかー?」


 客たちは注文札を掲げて、黄華に詰め寄ってくる。

 その中には、悪人面の楽子山に、意地悪そうな鈴猫、そして、乏しい表情の小明までいる。


 困った。こんなの、作り切れるはずがない。

 ひとりきりじゃ、この注文の山には抗えない。

 でも、それで不手際があれば、店の看板に……


『傷がついてしまう』


 背筋に冷たい感覚が走った。

 黄華はもうすっかり取り囲まれていた。


「ちゃーはん。ちゃーはん」


 しゃがみ込む黄華の周囲を、客たちや見知った顔が、くるくると回りながら、と踊るように、歌うように。

 ただ、『炒飯』と繰り返してくる。


(も、もうやめて……)


 無理、あと二百人前の炒飯なんて作れるはずがない。米が足りない。それに、もう窯が火を吹いているし、鉄鍋がなぜか鏡に入れ替わっている。


 あぁ、もう腕が……上がらない。誰か。誰か。


「老板娘の肩書は降ろして、ぜひ私を婿に。諸葛華(しょかっか)さま」

「何を言う。我こそが秘伝のすべてを受け継ぐに相応しい」

「諸葛華さま。それがしをぜひ末席にお加えください」


 耳を塞いでも、求婚の言葉が次々と黄華を襲ってくる。

 もう、全部断ったじゃないか。もう料理なんて作らない!秘伝なんて知らない。私は……私は……。



「黄華、起きてくれない? 来客よ」

 鈴猫の顔が目の前にあった。


「……夢、かよ」


 臥床(がしょう)から崩れ落ちて、どこをどうしたらこうなるのか、半分逆立ちのような姿勢をしていた。道理で腕が痛いはずだ。


「起きたわね。いつもながら、あんたの寝起きは格別ね」


 言われるまでもない。最悪な目覚めだった。

 体中に気持ち悪い汗を感じて、黄華は息を吐いた。


「ひどい夢だった……猫姐さん、水、ある?」

「んー。あるけど、それ飲んだら、さっさと着替えて」

「なんで?」


 鈴猫は額に手を当てて呆れたように言う。


「寝ぼけてたみたいだから、もう一度言うわね」

 鈴猫はびしっと、人差し指を黄華の眼前に突き出した。


「あんたに、来客よ」

(来客……?)


 そのとき、蝉が暴れて飛んでいった。


「じじじ、じー。じじじじじ」


 蝉の寿命が短いのは、きっと、あんな大声で泣くからだ。

 目立たずに、静かに暮らせば、もっと長生きも出来よう。


 蝉が描く歪な軌跡。断末魔にも似た叫び。

 無意識に、目が窓の外へ向く。そして、気づいた。


「……もしかして来客って、あの馬で?」


 見覚えのある馬。

 あれはそう、河で絵を描いていた時だ。


 河を遡った小船。

 自分の性根に抗った末の長口上。

 そして、食われた昼飯の包子(ぱおず)と、代償に受け取った銀の匙。


 目立たぬようにと去る間際に見かけた馬には、たしかあんな鞍が載っていなかっただろうか。


「そうよ。やっぱり、知り合いだったの?」

「知り合いじゃないよ。せいぜい、顔見知りね」


 用向きも分からない、そう呟くと、黄華は水を呷った(あお)

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