7.追跡の足音
「もっとこう、目を見張る人材はいないもんかね」
いったい、何度口にしたか。
丁泉の使命は一にも二にも、人材の確保だった。
大河を有する天下の要衝。肥沃にして雄大な大陸の中央。
しかし、荊央州は小さい。もちろん、荊央城も。
いかに良く見せようと、この国を取り巻く現実は厳しい。
北には正統たる系譜を持つ帝国『北陽』。
そして、東西にも、かつての英雄が建てた国がある。
それらに比べれば、弱小もいいところだ。
(臥龍鳳雛なんて、簡単には見つからん、が)
後頭部に手を回し、ぼんやりと外を眺める。
夏の昼は長く、夜の訪れにはもう少し間がある。
暗くなるまでに、もう一仕事できる。
肩の凝りをほぐしながら書に手を伸ばした、そのとき。
扉を叩かれた。
「入れ」
「失礼します」
予想していたが、やはり桓範だった。
丁泉の執務室を訪れる人間は少ない。
せいぜい、食事を告げにくる者か、書類の補充と回収にくる者くらいだ。
喧しい桓範は護衛をと言っていたが、それも断った。
人材は好きだが、他人はあまり好きではない。
だから、できるかぎり一人でいたい。
桓範はいつもの素振りで礼をし、口を開く。
「丁泉様、お話がありますがよろしいですか?」
おおかた、仕事の進捗が悪いとか、また女が毒殺されただとか、そんな話だろう。こいつの話はたいて耳に痛い。
口うるさいし、嫌なことばかり。優秀なことは間違いないが、どこの姑かと思う。こいつの仕事だから仕方ないのだが、もう少しやりようはないだろうか。
(できるなら、聞きたくないねぇ)
しかし、そうもいかない。
たっぷり間を取り、呼吸を落ち着ける。
眉間を固くし、どんな苦言にも動じない態勢を整える。
大丈夫だ、いける。きっと、受け止められる。
「なんだ、言ってみろ」
ひとつ、ふたつ、みっつ……。たっぷり三秒。
ごくり、と喉が鳴る。
桓範の言葉は……。
「例の娘。見つけました」
(『レイノムスメ。ミツケマシタ?』)
『例の娘』とは、誰だ。それに『見つけました』とは。
瞬間、脳裏に電撃が走る。思い出した。
先日の、城の下女が毒殺され、小船で見つかった件。
『船が下流から遡った』と告げた、へたくそな絵描き。
そして、極上の味だった『包子』。
身を乗り出して卓に手を突く。積まれた書類が零れた。
「でかした!!」
小躍りしてしまいそうなほどの朗報だった。
「えぇ。楽子山が偶然会っていたようで」
なるほど、楽子山か。やつなら市井でも顔が利く。
それにしても、この短期間で見つけ出すとは。
零れそうになる笑みを押し殺し、桓範に向き直る。
やはり、できる人材は違う。結果が伴う。
これなら、桓範も格上げしてやっていい。
姑から、小姑くらいには。
「そうか。それで、いまどこに?」
「西の枝江、その付近の宿にいるようです」
「なるほど。しかし、あんな娘がいた記憶はないが……」
丁泉は目を閉じて回想する。
荊央に城は二つ。領郡は五つ。
人口は約四百万。戸数は百万とすこし。
(枝江にあのくらいの齢、背格好の娘は……)
八千九百三十二人。しかし、該当者が思い当たらない。
(あれだけ使えそうなら、見逃すはず、ない)
部屋にこもっては、戸籍と記録を読み、市井を巡っては人相と評判を見聞きしてきた。
『すべては、人材発掘のために』
もちろん、すべて漏らしていないとは言えない。
それでも、できるだけ見てきた。
この州のほぼ全員を、だ。
「えぇ。露店の店主の話では、『訳あり』のようです」
「……まさか、流浪の者か?」
できるだけ戸籍の整備には尽力している。
それでも、国境を越えてきた者や、人里離れ暮らしている者たちの中には、戸籍から抜け落ちてしまう者もいる。
それが『流浪の民』だ。
彼らは人頭税の対象からも外れ、公には存在を認められていない。荒れた時代には『流浪の民』が賊となり大暴れしたこともある。
平和なときが続いているのであまり問題にはならないものの、彼らの数が戦争の行く末を左右することすらある。
(そういえば、北陽からの商人から妙な噂を聞いたな)
『北で食料が買い占められている』と。
見逃すほど『流浪の民』が増えているとしたら、噂は事実かもしれない。
丁泉は顎に手をやって思案する。
あの娘を見逃していた理由としては、十分にも思える。
しかし、調べておく必要はある。
「はい、詳しい事情まではわかりませんでしたし……、」
桓範は妙なところで押し黙った。
「どうした?」
「いえ……。珍しく楽子山が神妙な顔で言うものですから。『あの娘は、不可思議な力を持っている』と」
あの悪人面の楽子山に、神妙な顔をさせる娘と来たか。
顔が緩んでしまうのを、堪えきれるはずがない。
丁泉は、即座に立ち上がった。
「なら、俺が直接確かめればいいだけだ」
そんな面白そうな娘だったと聞かされて、ただ待っているなんてできるか。何としても手に入れて、その才能を使い倒さなければならない。