1916年ユトランド沖海戦
「連合王国からの気象観測では波は最大でも2mでしたが、当てが外れましたな」
戦艦榛名の艦長、百武三郎大佐はようやく慣れてきた欧州の海に身を揺られる遣欧艦隊司令の東海桜花中将から声をかけられた。
今年で45歳となる百武大佐より5つ下の年齢の東海中将と会話するのは年齢の差もありどこか弟と接しているような雰囲気となる。そのためついつい口調が緩くなってしまうがそこは戦艦榛名の艦橋、そんなところであまり階級を蔑ろにするような態度は慎むべきだとしてやや硬い口調で返した。
「これでは副砲は使えません。防波布はつけたまま固定具解除も取りやめにするべきです」
現在連合王国の巡洋戦艦部隊に続きユトランド沖に向かい歩みを進める戦艦榛名は波の影響を考慮して防波布を解除していなかった。本来であれば偵察の駆逐艦などから入ってきた情報でもうすぐ敵の艦隊が見える頃合いである。
しかしそんなギリギリの時間になっても波は収まる気配を見せなかった。その上霧も発生しており視界は良く無かった。
榛名とその後ろを進む霧島の副砲は砲廊と呼ばれる小さく区切られた小部屋に収められ船体側面から砲身をのぞかせている。
その位置は最上甲板より下に位置し、今でも艦首が立てる白波と時より横から迫る波で砲身が現れ砲廊自体も波に濡れていた。
皇国海海戦でもここまで波が大きければ副砲は使われなかっただろうと言える。
無論無理をすれば副砲も使用することが可能だ。しかし砲廊の可動部分の防水加工だけでは限界があり入ってくる水は排水しなければ重石となって艦を沈めていく。
「副砲無しでの戦いか……味方との連携が重要になる。無線の調子はどうだ?」
悩んだ末に東海中将はいざという時は副砲の代わりとして護衛に当たっている駆逐艦隊を使うこととした。
本来であれば主力艦同士の戦闘であれば敵の艦隊に突撃を行い魚雷を用いて攻撃をするのが駆逐艦だ。そのほかにも突撃をしてくる敵の駆逐艦を追い払う役目も持ち合わせている。しかしその場にいる皇国の駆逐艦はわずかに一個戦隊4隻だけであった。これは派遣した艦隊の規模と現在シーレーン防衛に駆逐艦が駆り出されている状況であり余剰の駆逐艦が一個戦隊しか無かったためだった。
それでも護衛の駆逐艦は神風型駆逐艦の春風、時雨、疾風。そして海風型駆逐艦の海風の4隻であり護衛としての任務を全うするのであれば十分とされていた。
彼女達の主砲は神風型が8cm砲、海風で12cm砲と榛名、霧島の15cm砲と比べれば見劣りするものであったが交戦距離が飛躍的に上昇している今次大戦ではそもそも副砲の間合いまで敵艦が入ってこないことが考えられた。
「本艦の無線全て正常です」
「帝国の戦艦は軒並み12インチ砲と聞いている。なら多少の不利はどうにか相殺できる」
敵艦と遭遇したと無線が伝えたのはその十分後だった。
5月31日ビーティー中将が率いる前衛偵察部隊は偵察予定の海域から連合王国のジェリコー大将が率いる主力艦隊と合流すべく14時に北へ変針した。
偵察のために出された艦隊は第一軽巡洋艦戦隊、第一、第二巡洋戦艦戦隊、第五戦艦戦隊、第1水雷戦隊とその隷下の第1駆逐連隊だった。これでも並の海軍からすれば大艦隊と呼べるものであった。
「右舷4時の方向、船影あり‼︎」
艦隊が北へ転身を行った直後の14時15分、第1軽巡洋艦戦隊に所属する軽巡洋艦フェートンの見張りが東方に国籍不明船を発見した。当初ライヒ帝国海軍の偵察艦と思われていたが、この船は中立国の貨物船だった。しかし確認のために第一軽巡洋艦戦隊の旗艦ガラティアが向かう事となった。
この時点で第一軽巡洋艦戦隊は本体を離れ東へ舵を切った。
この時ライヒ帝国海軍もまたこの海域で中立国の貨物船を発見していた。
この時、第一軽巡洋艦戦隊の50海里東方を航行していたヒッパー中将率いる第一偵察群の旗艦巡洋戦艦リュッツオウもこの船を発見していた。
どちらも霧の影響で遠方の視認性が悪く今まで艦隊を発見することが出来ないでいた。
ライヒ帝国軍側は飛行船を用いた偵察を行おうと画策していたが霧と風の影響で午前の一回のみ実施できたに留まっており空からの偵察は機能不全であった。
14時を過ぎた頃から少しづつ霧が晴れてきており、貨物船を見つけることができたのもこのおかげだった。
調査のため後続の第2偵察群の軽巡洋艦エルビンクが中立子機貨物船へ接近する事となり互いに霧で両者の姿を捉えられていなかった両国の艦はどういうわけか中立船を目標にして互いに接近していき視界に入った。
当初どちらの軽巡洋艦の艦長も近づくにつれて相手が中立国の旗を上げた貨物船であるのに気づきどこか気が抜けていた。しかしその直後貨物船の影から出てくるようにしてあわられた互いを見ては両者共に大混乱となった。
最も混乱していたのは挟まれてしまった中立船の方だったが。
敵対する国同士の艦が自らに迫ってきているのだ。巻き添いになるのはごめん被ると言う考えだった船長命令により増速した貨物線は、更に不幸が降り注ぎ機関故障を引き起こしてしまった。その後ユトランド沖海戦の見物人として最も近くから戦闘を見る事となった。
14時28分、第1軽巡洋艦戦隊旗艦ガラティアが敵発見を本隊へ打電、これに対するエルビンクも同様に打電し、ユトランド海戦の幕が上がる事となった。最初の砲撃戦はガラティアとエルビングが演じる事となり、エルビングの遠距離の砲撃が運悪く第一煙突基部に被弾し、炸裂。機関室に被害が発生し速力が低下。優位性を一気に失うことになった旗艦ガラティアはその後砲戦を継続するが巡洋戦艦同士が戦闘を行う頃に艦橋を吹き飛ばされ大破漂流する事となった。
この時皇国遣欧艦隊は連合王国の主力艦隊の前衛におり艦首を南東に向けて進んでいる最中だった。
敵艦隊発見の報告が上がってすぐ、連合王国の司令長官ジェリコー大将は遣欧艦隊と第三巡洋戦艦部隊に対し速やかに前衛偵察部隊へ合流し援護せよと指示を出した。
その艦隊の中で金剛型は最も優速でありなまじこの艦隊と共に前進するより先んじて向かわせた方が有利であると判断したためであった。
本来高速で活動できる巡洋戦艦である榛名と霧島は偵察艦隊に組み込まれるべき存在だったが、ジェリコー大将は派遣した艦隊に何かあれば支援が減る可能性を危惧して比較的目の届きやすい主力に配備していた。
榛名と霧島が最大戦速で戦場へ向かうが砲戦が可能になるまではまだ時間があった。
この時点でビーティ中将は北東に、ヒッパー中将は北西に針路をとり、互いに増速して接近し砲戦を開始していた。しかしビーティの部隊に当日になって編入された第5戦艦戦隊は進路変更の信号を見落とし艦隊から離れた位置にいた。そのためヒッパーの巡洋戦艦部隊に対して戦力の逐次投入という形になってしまった。
ヒッパー中将率いる巡洋戦艦部隊が作戦にしたがって針路を南東へ反転、それに呼応する様にビーティ中将も艦隊を南に転身し砲戦へ移行した。
「目標、敵1番艦。砲撃開始」
「砲撃開始!以降砲術長判断で射撃続行」
偵察部隊旗艦ライオンの主砲が左舷を向き、試射遠行う。やや先に敵の主砲に閃光が煌めき、ほぼ同時に着弾。どちらも初弾は遠弾となった。
「クイーン・メリー、タイガー、共に敵4番艦を攻撃中!」
砲撃による水柱で後続の艦の様子は先頭の旗艦からは分かりづらい。
しかし第三射を放ったところからビーティは異変を感じていた。艦隊全体での被弾の報告は数あれどこちらの砲弾が命中したとい報告が被弾の報告より少なかった。
「風で排煙が左舷に流れています!」
左舷の見張りが叫んだ。風は西風となっていたため自身の出す排煙と主砲の発射煙が煙幕のように艦の左舷側に集まっていたのだ。
最前方にいるライオンはその影響を受けていなかったものの後続は前にいる艦の煙によって射撃精度が落ちていた。
この時クイーン・メリーとタイガーから狙われていた巡洋戦艦モルトケは攻撃をタイガーに集中させていた。
28cm砲最大10門による攻撃と34.3cm砲の撃ち合いは連合王国側の命中制度の低下により5分で一変することになった。
砲撃開始こそ早かった連合王国側は、しかし夾叉する前にタイガーに命中弾が出た。
すぐにモルトケの全火力がタイガーに殺到。2分の合間に8発の28cm砲弾が命中し船体中央部の副砲を5門吹き飛ばし内部に飛び込んだ砲弾で中甲板は破壊され火災が巻き起こり、煙突が吹き飛び、Q砲塔も被弾で吹き飛ばされていた。流石のタイガーも立て続けに発生する被害と煙突を破壊されたことによる一層の射撃精度の低下、機関出力の低下で艦隊から落伍した。
最初の決定的破局はその直後ライヒ帝国巡洋戦艦フォン・デア・タンと撃ち合っていたインディファティガブルに起こった。11インチ砲の3発の砲弾がインディファティガブルの弾薬庫を直撃。誘爆により船体が真っ二つに割れての典型的な轟沈を見せた。
当然ライヒ帝国海軍側も被弾が重なる。しかし損失艦は未だ発生しておらずギリギリのところで耐えていた。
遣欧艦隊が飛び込んだのはその20分後。第五戦艦戦隊と帝国の本隊が戦場に加わり砲戦が激化しようとしている直後だった。
既に砲戦は始まっており、遠くの海面には黒煙と水柱、そして沈没寸前かあるいは沈没が始まっている船の艦首などがそこらに浮かんでいた。
護衛の駆逐艦と一度距離を取り戦艦同士の砲戦に巻き込まれにくい位置へ移動する駆逐戦隊を尻目に2隻の巡洋戦艦が第五戦艦戦隊に追いついた。
「左舷砲戦開始!目標、敵三番艦!」
榛名の艦橋で東海中将は指示を出す。ヒッパー中将の艦隊に追い縋るようにして後方のザイドリッツへ砲撃を開始した。2隻で1隻遠相手に取る形となった。
第五戦艦戦隊とも距離があり排煙と砲撃煙の被害は受けづらかった。
第三射で榛名の砲弾が夾叉を得た。
「夾叉しました!」
指示を出してしまうと比較的することがない東海は敵艦を双眼鏡で見つめながら、その報告を聞いた。艦影の前後で水柱が登る。その直後ザイドリッツの後方にいた艦の主砲に閃光が煌めいた。少しして霧島の前方に水柱が上がる。
敵が霧島に標的を切り替えた証拠だ。
ここからは純粋な砲撃の殴り合いとなる。東海は湧き上がる感情を抑えつつ、砲戦の推移を見守る。
ザイドリッツの艦影に炎と煙が混じる。榛名の斉射が命中し砲身のようなものが空高く噴き上がっていた。
この時ザイドリッツは一番砲塔周辺にまとまって落下した4発の14インチ砲により艦首側の火力を損失していた。さらに艦側面にも破口ができており艦首側に浸水し速力が低下していた。さらに追い討ちとして落下してきた霧島の砲撃が艦尾に命中し舵を破壊。この結果ザイドリッツは左に回頭を始め完全に艦隊から落伍した。
しかし榛名と霧島も無事ではなかった。
「霧島夾叉されました!」
後方にいる霧島の左右に水柱が登っていた。夾叉、つまり主砲の散布界に艦が捕らえられたということだ。次からは命中弾が出る。
東海は一瞬霧島の副長をしている友人の顔を思い浮かべたがすぐにそれを振り払い霧島を砲撃している艦へ目標を変更させた。
この時霧島を散布界に捕らえた巡洋戦艦デアフリンガーでは次弾の装填が行われていた。全ての主砲に砲弾と装薬が込められて砲尾栓が閉じられる。
発砲、それからやや遅れて榛名の砲撃が初めてデアフリンガーに降り注いだ。直後振動が彼女を襲ったがそれは時すでに遅しだった。
一際大きな衝撃音が聞こえた。どこか被弾したのかと疑いたくなる音だったが、振動が全くないことからそれが榛名の被弾ではないことに東海は気付いた。
「き、霧島轟沈!」
「なんだと‼︎」
流石に東海も動揺が隠せなかった。
左舷見張り台に出た東海は艦尾側に身を乗り出しながら後ろの海を見た。
本来なら続く霧島の姿が見えるはずだった。しかしそこにいたのは急速に艦首を立てながら赤色の水線下遠見せつけ今まさに轟沈しようとしている霧島の姿だった。
既に第一煙突まで沈んでいるのか黒煙だけでなく大量の水蒸気が上がっていた。
この時霧島を襲った悲劇は3発の砲弾だった。
まず3番主砲のそばに落下した砲弾が上甲板に貼られた19mmの装甲板を貫通、本来なら砲弾の材質の問題で破損するはずだった砲弾は神の悪戯か悪魔の仕業か偶然にも最も強度のある部分で装甲板を貫きそのまま下部の装甲板に弾頭をめり込ませて止まった。
その僅か1秒後に到達した砲弾は第三砲塔と第二煙突に命中した。
砲弾の飛び込んだ第二煙突は飛び込んだ砲弾が炸裂し煙突は真っ二つになり左舷の甲板に倒れ、荒れ狂う爆炎は多くが破口から抜け出したものの煙路を逆流し第二煙突から排気をしていた主缶を周囲の人間ごと吹き飛ばした。
3番砲塔に命中した砲弾は元々薄かった砲塔上部のバーベットをあっさり貫通し砲塔内で炸裂した。
装填を待っていた砲弾が誘爆し、砲身と砲座を引きちぎり、砲塔上部の装甲板を捲り上げながら揚弾機に収められていた砲弾すら誘爆させた。
誘爆の衝撃で艦内の人間は等しく倒れ、状況を把握しようとした司令部を更なる衝撃が襲った。
3番砲塔被弾の振動で最初に命中した砲弾が誘爆してしまったのだった。
装甲板を貫通して止まっていた砲弾が爆発の熱と衝撃を装甲の内側に送り込み、すぐそばにあった弾薬庫を直撃した。
弾薬庫には未だ数百発もの14インチ砲弾が収められており、それらに信管によって作動し放たれた熱と衝撃の本流が襲い掛かった。
弾薬庫を守っていた装甲板は紙のようにひしゃげ、流れ込んだ衝撃が砲弾の一発を誘爆させた。連鎖的に弾薬の内部の砲弾が誘爆し数百発もの砲弾が一斉に炸裂した破壊力は3番砲塔周囲を根こそぎ吹き飛ばし竜骨を折り船体を二つに引き裂いた。
これが砲弾命中から僅か5秒の合間に起こった出来事だった。
流れ込んだ大量の海水が隔壁を簡単に破壊し、主缶室に到達。機関停止が間にわず蒸気爆発を引き起こし更に破口を生み出していく。
僅か1分の合間に船体の傾斜は10度を超え、脱出しようとする乗員を飲み込んで霧島は海底に向かって急速に沈み始めた。
霧島はこの海戦で損失した唯一の皇国艦だった。
生存者は見張り員が僅かに三名のみだった。
それでも戦闘は続いていく。
最終的に榛名は帝国の本隊に所属する戦艦ケーニヒ、軽巡洋艦ピラウを撃沈し、機関部に被弾し大破しつつスカパフローまで帰投する。