7号艦設計変更
7号戦艦の会議は意外な形で紛糾した。
その原因はウォースパイトの設計を流用し、新機軸をかなり盛り込んだことで意見が分かれたせいだった。
元々結月中尉にとって意見が分かれるのはわかっていたことであったが、その分かれ方が問題だった。
大砲屋同士での意見の食い違い。そしてそれに便乗して対立を煽る水雷屋と航空屋というかなりの混沌となっていた。
海軍の派閥と言っても一枚岩ではない。大きく分ければ艦艇勤務と地上勤務で派閥や考え方は異なる。
その結果2回ほど議論をしたがなかなか7号艦の詳細は決まらなかった。
「それでどうしろと?」
手元にある資料と坂本少佐を交互に見ながら結月中尉は頭の中を整理し始めた。
「垂直装甲の傾斜化はなかなかの発想だ。しかしこれでは水線下やその近くになるにつれて非装甲部分が増えることになる。これが問題だとなってね」
傾斜装甲。
命中するであろう砲弾に対して命中角度をつけることで見かけの装甲厚を量増しし、貫通される可能性を下げるというもの。
装甲配置は結月中尉が担当したA-110案からA-120案までの全てに組み込まれ
この案から艦内の装甲配置が既存の艦艇と大きく変わっている。これが意見を大きく分けた。
この傾斜装甲により垂直装甲は垂線に対して上甲板から船体中央に向かって25度の傾斜を持ち水雷防御並と安定性確保の為に大きく横に突き出した大型のバルジの上端まで設けられる。またこのバルジ上面には逆方向に傾斜した152mmの装甲が装甲に接続している。更にバルジ内側には垂直に戻った下部装甲が76mm。これらがヴァイタルパートの垂直防御であった。
この他にも一部装甲厚の違いを含んでいるが彼が作った10の案は殆どがそのような垂直装甲であった。
傾斜装甲については1916年に連合王国に派遣した戦術武官や技師達が連合王国フューリアスの舷側が傾斜している事に気付いていたが、その効果については懐疑的であった。
その認識を改めることとなったのが同年に横須賀工廠造船部長の山田佐久造船少将の呼びかけで行われた亀ヶ首での実射試験であった。
主砲は14インチ砲、弾種を5式徹甲弾とし行われたこの実験では傾斜装甲の有用性が確認されることとなった。
しかし傾斜装甲にはある種の欠点があるとされていた。それが水雷防御への貧弱性だった。
内側に傾斜していく装甲はそうであるが故に水線近くになるにつれて非装甲部分が増加する。ここに被弾を許す場合なまじ装甲化されていないため被害が広範囲に広がり浸水を招きかねないとされていた。
特に魚雷の被弾による破損で被害が広がりやすく浸水区画が広がってしまうという反対意見が目立った。
反対派をどうにか抑えるために結月中尉自身が会議で話す必要があると坂本少佐は考えていたようだ。
「水雷防御に装甲はあまり適していません。戦艦での被雷は金剛や榛名で発生しましたがやはり装甲部分は貫通されずとも歪みなどで接合部分が破断し浸水しています」
「うむむ、それほどまでか」
「むしろ衝撃で反対側のリベットまで破損しています。今のリベット打ちでは装甲による水雷防御は不十分と言わざるおえません」
結局振動と衝撃が船体に与える負荷というのは魚雷の方が大きい。
その上リベット工法の弱点がここにきて大きく露呈することとなった。
「しかしこの多重空間装甲というのもな。中に液体を充填していては重量が嵩む。どうにか空気とかにできないか?」
空間装甲と言われているが実際に空間があるわけではなくバルジ内部に重油タンクと水タンクなどの一部を装備しており液体の衝撃吸収能力を持って魚雷防御を行うこととなっていた。なお被弾すれば当然タンク類は破壊される。
「以前までの水平装甲は薄い表面装甲とその内側に石炭庫や兵員室を設けて重要防御区画へのダメージを軽減していました。その方法は水雷防御ならまだ有効です」
砲弾と違い魚雷の弾頭は装甲化されておらず貫通力自体も低い。それでも重量1トンに迫る物体が速度40ktで接触するのだから溜まったものではないが。
結局そのことを海軍局の会議で熱弁をしどうにか反論する者たちを片っ端から押さえつけるなど立ち回りを全く知らない結月中尉の暴走によりどうにか7号戦艦の剪定は完了したのだった。
本来皇国海軍の軍事ドクトリンに照らし合わせても本土近海での迎撃戦に主体を置いていたため重油や真水タンクが多少破損しても本土で十分な修理が可能だという考えがあった。
しかしその後六六艦隊計画そのものが大きく変わることとなり7号戦は再び計画に変更が出た。
それは1919年、7号戦艦の建造がようやく承認された直後のことだった。
この年ようやく世界大戦と呼ばれる欧州の大戦争が停戦となり戦後処理の会議が長く続いていた。
その会議がひと段落した直後にそれは発表された。
最初の発端は合衆国が打ち出した大艦隊計画であった。
当時世界の工場とされ幾つもの駆逐艦や巡洋艦、そして欧州大戦で使う兵器を連合軍側に輸出しては外貨を稼いでいた合衆国。しかし戦争に直接関与したのは停戦の二ヶ月前であり講和会議での存在感はイマイチであった。
それが尾を引いた形になったのか番外での威圧とも捉えかねない大艦隊の整備計画。その計画内容に各国は衝撃を受けた。
しかし合衆国の言い分としては大戦中に海軍の増強が、欧州への民間船舶需要と軽巡洋艦と駆逐艦などへリソースが取られてしまい思うようにできていなかったからだというものだった。
これに最も反応したのが連合王国、そして皇国だった。
首相、閣僚に海軍局長や陸軍局長まで集められた緊急の会議が行われたのちに皇国首相は戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を基幹とした大規模艦隊増備計画を発表した。
新造で戦艦4隻、巡洋戦艦8隻を含む大艦隊だった。
最もそのことは海軍関係者も寝耳に水、というより完全に不意打ちの拳であり発表後1時間もせず海軍局局長である新島海軍大将の元には上級将校に艦政局長まで詰め寄る大混乱となっていた。
「八八艦隊計画⁈なんですかそれは」
「海軍局からそのような事は聞いていません!」
「海軍局としても今回の件は寝耳に水だ。そもそも六六艦隊計画だって欧州大戦の終結で一部が縮小されるかもしれないと考えていたのだぞ」
「おちつけ!」
結果本来の目的を話さざる終えなくなり上級将校と格外局の局長のみを会議室に集め詳細を説明することになった。ここまでで発表から12時間が経過していた。
「八八艦隊計画はただの陽動だ」
「陽動⁉︎」
真っ先に飛び出した言葉に会議室の面々は驚くこととなった。
「合衆国の発表は世界に対して大きな影響を与えた。海軍増備が各国で計画されるが際限なき軍拡など不可能。どこかで必ず軍備の制限が入る。しかしそれは一国が軍拡を進め続けている状態では発生することはありえない。外務省からの報告では既に連合王国が軍縮会議の提案を漏らしたらしい。今回の会議はそのことが主な議題だった」
つまるところ軍拡をちらつかせることで逆に相手の軍備に足枷をつけるということであった。現状国力差が10倍以上と言われる合衆国相手ならむしろ国力の低い皇国にとっては軍縮はメリットのほうが勝る。
そのことに半数の人間は納得をした。納得ができていないのは軍拡に賛成の意見を持つ者達であったが現状発表された八八艦隊計画がどう考えても皇国の国家予算を1/3も食うとなれば声を上げることは出来なかった。
「なるほど現状連合王国は大戦で大きく疲弊しています。建造レースとなれば真っ先に脱落するのはあの国だ」
「軍縮により合衆国との軍事差を押さえつけるということか」
「海軍としてはこれ以上の過度な軍拡は無理です。現状でさえ乗組員不足の問題が表面化しているんですから」
そんな中連合艦隊司令長官の立場にあった坂田中将は現場に近いが故に人材不足を大きく懸念していた。
現在海軍は敵主力への攻撃を主に行う峯風型駆逐艦と対潜水艦などの護衛を行う樅型駆逐艦の二種類を建造していた。
この二種類により欧州大戦で大損害を被った駆逐艦や旧式艦を置き換え戦力を補充していた。
しかしUボートとの死闘は当初有効な対潜装備が無かったことから損害ばかりが積み上がり人的損害が主に致命傷となって海軍にのしかかっていた。
更に潜水艦の有用性が確認されたことから潜水艦建造にも拍車がかかっていた。
艦は比較的容易に建造できても人の育成を行うのは容易なことではない。
同じ理由から欧州の地で損害を出している陸軍は自然と師団編成の削減と人員縮小をせざるおえなかったほどだ。現在の皇国では特需景気のため民間でも人手不足が常態化しており戦時の非常召集ならともかく平時から人員増加は逆立ちしたところで不可能であった。
「現在建造している分でも限界か?」
「むしろ六六艦隊分すら減らしていただきたい。旧型の置き換えが限界でとてもではありませんが水雷艦隊の増設は不可能でしょう」
結果として海軍としては駆逐艦と巡洋艦の建造計画を一時凍結せざる終えなくなり必然的に予算が浮くこととなった。
その予算は航空隊と潜水艦隊に振り分けられることとなるがその一部、それが艦隊派の工作により7号艦の建造費に上乗せされることとなった。
艦隊が完成しないのならせめて建造する艦さえ強力な艦としたいという考えからだった。
その考えにどこか乗り気になった国防省の人間達によって41cm連装5基だった7号艦は再び結月中尉の元に戻された。間の悪い事に次の仕事に取り掛かっている最中であった。
彼も流石に発狂した。
松本市に生まれ17の年月が過ぎるまでその土地で奔放に過ごしつつ、人並み外れた努力によって海軍士官学校を卒業した彼の初めての発狂であった。
しかも要求書には防御と攻撃力を両立させるため41cm3連装砲四基ないしは三基との要求が書かれていた。それでいて速力は据え置きの26kt維持である。
最初にコストと生産性から却下した3連装を採用せねばならなくなり色々吹っ切れてしまった彼はその日のうちに一つの案を提出した。
そこには船体幅を変えずに全長をやや短くした3連装砲4基12門の詳細な案が書かれていた。
鬼気迫るその顔に坂本少佐はその案を何としても通すしかなかった。
7号艦
戦艦長門
公式上皇国海軍初の16インチ砲搭載戦艦。建造当時その大きさと火力は世界でも類を見ないものであり比較的国民への公開が多く外交でもよく使用されたことから最も有名な戦艦とも呼ばれる。
その建造には紆余曲折があり計画段階では改伊勢型として建造される予定であったが連合王国のクイーンエリザベス級戦艦と合衆国海軍が15インチ以上の砲を搭載する戦艦を建造するということから早急に16インチ砲艦として建造が見直された。
当初の案は伊勢型、扶桑型を拡大したものから連装砲を5基搭載する案まであったが八八艦隊計画の施行により3連装砲4基の案となった。
船体
全長215m、全幅30m、基準排水量34200t
船体形状はクイーンエリザベス級を参考に長船首楼型船体を採用している。艦首は伊勢型に続きカッターバウを採用し速力の増加を最優先とした。そのためシアの緩い艦首は波を被りやすくブルワークが錨の巻き上げ装置手前まで伸びている。
2番主砲塔の後方から艦上構造物が始まり、司令塔と航海艦橋がある。その上に7脚の特徴的な前楼が組まれている。前楼は頂上部から円筒状ケース内に射撃方位盤を収めた射撃所、射撃指揮所、檣楼指揮所、半段下がって両側に副砲指揮所、大型の10m主砲用測距儀が置かれた高所測距儀所が続きその下が探照灯区画、その下に副砲用4m測距儀が搭載され艦橋と指揮所が前楼基部に設けられていた。
武装
当時としては最大の火砲である16インチ砲を搭載する事を公に公表し建造されていた。そのことから使用する砲そのものは扶桑型や伊勢型と同じものであったが名称が異なり45口径3年式40cm砲とされていた。これを3連装にまとめ4基12門と非常に重武装となっていた。
二番、三番砲上部には6m測距儀が装備されており砲塔側での射撃も可能としていた。ただし予備である。
本砲の砲身は直径67.4cmと連合王国のの15インチMk.Iよりも小さく、技術的に優れた軽量砲であった。
性能は初速790m/s〜760m/s、最大射程30320m、主砲塔の最大仰角30度、砲弾重量は5式徹甲弾で1tだった。
装甲貫通能力は距離15キロで甲鈑貫通力406mm、距離20キロでは271mmに達した。ただしこれは皇国の装甲で試験した結果であり5式徹甲弾の破砕のしやすさも相まって実際の数値はもう少し下方となっていた。
副砲は伊勢型から引き続き14cm連装砲を搭載しており連装の砲架で左右合計8基16門としていた。
このほかに対空戦闘用に8cm単装高角砲4門と7.7mm機銃が6丁装備されていた。
当初は魚雷発射管を搭載する計画であったが主砲の重量増加と艦内に余裕を持たせるため伊勢型に続き再び魚雷発射管は搭載されていない。
装甲
主垂直装甲 274mmVC (ヴィッカース浸炭装甲)+HT(高張力鋼装甲)18mm傾斜15度
最外部垂直装甲38mmHT傾斜25度
砲塔前盾 305mmVC傾斜40度
バーベット VC299mm
主水平装甲 100mmNVNC (新ヴィッカース非浸炭装甲)+20mmHT
水平装甲 弾薬庫天板 23mmNVNC+10mmHT
水平装甲 機関部天板 64mmNVNC+38mmHT
砲塔天蓋 152mmNVNC 水平~傾斜7度、横傾斜4~9度
当初の予定より垂直装甲を薄くしているものの垂直装甲は最大厚と最低厚の差を100mmまで下げており傾斜による防御力強化のほか水平装甲も強化され集中防御に徹している。
このため当初からの排水量増加は最低限になっている。
機関
主機、主缶共に国産で新型のロ号艦本式主機3型、ロ号艦本式缶2型を搭載していた。
出力は合計で80000馬力、速力26ktを捻り出す。
このほかにディーゼル発電機2基、蒸気タービン発電機1基、予備発電機1基を搭載している。






