六六艦隊計画原案
1917年。10月20日に伊勢と名付けられた戦艦が横須賀の船台を離れその二日後には日向と名付けられた二番艦が呉のドライドックから進水式を終えた。
これら2隻の竣工は1918年10月を予定しておりこの2隻が加わることで皇国海軍は超弩級戦艦4隻、超弩級巡洋戦艦2隻、弩級戦艦2隻の体制となる。
しかし皇国海軍ではさらなる軍整備に余念がなかった。
「海軍六六艦隊計画?ああ、六四艦隊計画のことか」
横須賀に設けられている艦政本部に結月中尉がやってくると、同期の小春立夏中尉が声をかけてきた。
彼は艦政きっての噂好きであり髪の毛も規定寸前の長さまで伸ばしている変わり者でもあった。
それでいて普段の素行は真面目そのものであり上官からの受けが良い。髪の毛が長いことを除いてだが。
「どうやら明日の決議で海軍に使用する予算として新たに組まれるらしいぞ」
「対帝国戦争の国債すら返済してないのにか?」
どうしてかそう言った情報を持ってくる小春中尉は反応してきた結月中尉に得意げになって話始めた。
「あれは別で予算取ってるだろ。そっちはそっちで例年通りだ」
「よくそんな予算降りたな。ギリギリだったんじゃないのか?」
結月の言う通り予算としてはかなりギリギリであった。現在でも建造中を含めれば超弩級戦艦が4隻、さらに巡洋戦艦3隻と大御所であった。
それでもまだ海軍は民意を見ても余裕があった。
対帝国戦争終結直後からの海軍はすぐさま大幅な軍縮を行なっている。
しかし動員解除を行い兵を直ぐに除隊することができる陸軍と違い海軍の人員の大半は船乗りという技術職であり個々の能力を平時から高めておかなければならない。下士官であっても戦時増員で容易に増やすことはできないのだ。ましてや軍艦の頭脳となる士官の重要性は陸軍より高く容易に除隊させることはできなかった。
それゆえに海軍では艦艇の数を大幅に減らすこととした。
それは1906年に連合王国にて就役したドレッドノート級戦艦就役によるドレッドノートショックもまた追い風となった。
当時皇国海軍は戦争における急速な艦艇増強を行うため連合王国へ戦艦建造の依頼を行い戦艦6隻装甲巡洋艦6隻の六六艦隊を有していた。
さらに対帝国戦争に備えて当時連合王国で建造中であったキング・エドワード7世級戦艦をベースとしてビッカース社に新型戦艦として発注を行う予定であった。
しかし、1904年に時の防衛大臣と総理大臣以下官僚十数名に及ぶビッカース社の献金があったとされる情報がリークされビッカース事件へと発展した。
この結果戦艦発注は取りやめとなりまた新鋭戦艦建造は戦争までに間に合わない可能性が濃厚となってしまった事から着工は行われず予算を陸軍に回していた。
そのため戦争終結時の大幅軍縮では新たに建造し就役させる2隻の弩級戦艦と入れ替わる形でそれ以前の主力艦の9割を海外へ売却していた。
さらに旧式化した砲艦や駆逐艦も5割がスクラップや中古艦として売却されることとなった。そのため対帝国戦争で活躍した大型艦で残っているのは横須賀で記念艦とされている三笠と砲艦松島だけだった。
砲艦松島は砲塔を撤去し大型クレーンを搭載したクレーン工作船となっている。
そのことが国民からは些か好評だったらしくその記憶がまだ新しい1917年現在でも六六艦隊計画には好意的な意見が多かった。また皇国の経済もまた世界大戦の特需景気と大陸側への玄関口としての発展とが重なり好景気を維持していたため軍拡を支えることが可能だった。
さらに海外への発言権の増大のためにも目に見えて戦力とわかる海軍の増強は国家の成長と共に必要なものとされていた。
「そもそも六六艦隊計画ってどんなものだったんだ?六四艦隊計画からでかくなっているのは確かだが」
結月が知る六四艦隊は1915年に決定された海軍整備計画であり超弩級戦艦6隻、巡洋戦艦4隻を中心に水雷艦隊6個を整備する計画だった。
現在この計画案に基づいて戦艦7号艦、8号艦、3500t級軽巡洋艦2隻とと1200t級駆逐艦4隻の建造が行われていた。しかし巡洋戦艦は金剛と霧島の損失、榛名が大破しており連合王国にてドッグ待ちとなっていることから金剛型を置き換える巡洋戦艦の設計計画も海軍局では立案されていると噂があった。
「既存艦合わせて超弩級戦艦6隻、巡洋戦艦6隻を中心として新造の駆逐艦と巡洋艦による水雷艦隊を4個艦隊、従来艦の再編成で4個艦隊それと新設で2個航空隊を設立する計画だ」
それはまだ会議ですら上がっていない内部案でしかなかったが概ねこの通りのものとして議題に上がる予定であった。
「随分と壮大だな」
結月は皇国の国力から行ってかなり無理をしているように感じられたがまだ現実的な案だろうと思っていた。実際元案ではもっと大規模な艦隊整備計画を立案しておりその規模もまた桁違いだったのだが。
「だがこれでもかなり縮小されているんだぜ。元々は新造で戦艦8隻巡洋戦艦8隻だ」
実はその案ではさらに新造艦による水雷艦隊を10個艦隊分整備する計画であった。
一個水雷艦隊の規模は防護巡洋艦から発展した旗艦機能を持つ嚮導巡洋艦2隻と、4隻からなる駆逐隊4個16隻からなる。
そのため駆逐艦と巡洋艦だけでも新造艦180隻の壮大な計画なのだ。
「それは無理だ。維持費も入れたらとんでもない額になるぞ」
「流石に縮小したさ。大蔵省が猛反発するだろうし」
「だが今の計画でも相当な数だ。人員は足りるのだろうか……」
それでも六六艦隊では四個水雷艦隊として72隻の建造が予定されている。
既存艦の置き換えとしても純粋な艦の数は増える。当然人員は不足する。
主に駆逐艦や軽巡洋艦の艦長、戦隊指揮官の少佐や中佐と言った左官クラスの不足は深刻であった。
「海軍学校でも新しく作るかもしれないな。それとこれも昨日本局で聞いた噂だけど、どうやら女性士官を採用するらしいぞ」
「女性士官⁈」
元々採用できる条件が変化しなければ国内の総人口が増えない限り人員を増やすことなどできない。
それゆえに採用条件の緩和と変化は六六艦隊計画が始動した時点で確定していた。
陸軍などでは2年前から採用枠を増やすために視力による採用基準を全部隊一斉に緩和していた。
これは視力矯正によって視力の差が出にくいことが既に医学的に証明されているからであった。さらにやんごとなきお方もまた弱視であったことがその動きを加速させていた。
「まだ噂だがな」
流石に女性が駆逐艦を動かすなどという事態には流石の結月も驚くしかなかった。
「また思い切った事をするもんだな」
「まあな……お、それが例の7号艦か」
会話が途切れた瞬間を見計らい小春が机を覗き込んだ。
「まだ案だけだ。一応四つ案がある」
7号艦に携わっているのは彼ともう一人朝倉という青年だった。しかし朝倉は本来5500t級軽巡洋艦の設計を行なっておりあまり7号艦の設計に携わるつもりはないようだった。
しかしそのせいか一人で最低でも10案以上出さなければならず結月の負担が大きかった。さらに元々7号艦は現在建造中の伊勢型戦艦の改良型として14インチ砲搭載艦として設計していたのだ。
しかし合衆国と連合王国で15インチ以上の砲を採用するという話が入ってきたらしく海軍局ではついに脱14インチ砲を掲げることとなった。
「16インチにこだわるか」
16インチ砲を三連装として12門搭載したものから連装砲で8門と10門などいくつかの案があった。
「元の要望だ。なんでも連合王国が15インチ砲に移行しているから16インチ砲搭載にして欲しいんだと。砲艦外交さ」
そして結月からすれば、どういうわけなのかと頭を抱えることになる事態が発生していた。それは海軍局から世界初の15インチ砲搭載戦艦クイーンエリザベス級の戦艦ウォースパイトの設計図が送られて来たためである。
「扶桑型の主砲換装で良くないか?」
「それもやるはずだ。もう16インチ砲の設計は終わっている。製造するだけだからな」
当初14インチ砲戦艦として発表されていた扶桑型は1919年にドッグ入りの予定がなされていた。表向きは国産の45口径36cm砲に欠陥が見つかったためとされており主砲を50口径36cm砲へ交換するとされていた。
実際の皇国の16インチ砲は極秘扱いではあるが1913年6月から設計が行われていた。
主砲の制式名称は、五十口径三年式三六糎砲。実際の口径は41cmでありメートルで設計された最初の砲であった。試作は1915年に完成し試射を行なっている。陸軍でもこの砲を使用したトーチカ、列車砲の試作が考えられていた。
「なんだ軍機か」
「当たり前だ。砲の換装はトップクラスに極秘だよ」
そう言ったところで一呼吸おいた後結月は小春に案が書かれた紙を渡した。
「それでお前ならどの案が良い?」
「そうだな……三連装は開発の時間も製造コストもバカにならないからボツだ。実績がある36cm砲と構造が似てる連装砲にするべきだ」
そんなコストがかかる3連装砲を惜しみなく採用する上に最大装甲厚が400mmを越えるゲテモノ戦艦を作り出す合衆国との国力差が目に見えてしまう結月だった。
それでも信じて作らなければならない。
「なら8門か10門か」
「扶桑型と伊勢型のノウハウを考えたら8門だけど合衆国では16インチ砲10門搭載の戦艦の計画があるからな……」
「あの新型標準型戦艦か」
ニューメキシコ級戦艦から続く標準型戦艦と合衆国が呼ぶグループだった。
これは極力船体を共通化させ生産性を稼ぐものと見られていた。そのため皇国でもこの方式を真似て多用途に使える汎用設計艦を考えていた。そのためにまずは部品の規格化が必要とされていたため六六艦隊計画と共に国会に上げるつもりだった。
「あれを発展させれば16インチ12門も可能だ」
「なら火力増強を望むだろうな」
そうなれば連装で5基10門、あるいは扶桑型初期案のような6基12門とつぶやいた。しかし連装6基ではバイタルパートの長さが伸びてしまい装甲重量の増加や排水量の圧迫などが問題であった。結月の信条は弱点となる部分は徹底して守るだ。それゆえに守る範囲が大きくなりすぎる方式は取りたくなかったのだ。
「連装5基か。また難しい配置だ。俺なら後部に3基まとめる」
そう言いながら結月は小春が持つ資料の中から一枚を指差した。その書類に描かれた概略図はどこか1世代前の戦艦を彷彿とさせた。
「アイアン・デューク級みたいだな。確かクイーンエリザベスもベースはそれだったな。逆に艦首側にまとめてみるのはどうだ?」
クイーンエリザベス級の場合三番砲を搭載せず機関室として機関を大きくしていた。しかし小春は逆に艦首側に3基搭載する方法を提案した。
「重量配分がシビアになるだろうそれは」
「だが艦橋を艦中央まで寄せれば……」
「それなら煙突を折り曲げて後ろに向けるか前楼を密閉式にしないと排煙を被るな」
この時の7号艦は石炭と重油の混成燃焼ボイラーを使用していた。そして前楼が排煙を被る問題は既に扶桑型で発生していた。主に追い風が吹く場合ではあるが。
「なら後ろに3基が無難か」
「あまり奇抜すぎるのも考えものだからな」
「そういや今度7000t級巡洋艦の設計も行うんだったな。あれは俺の班が担当だったが……試してみるか」
「まあ巡洋艦なら試作としてもちょうどいいと思うぞ」






