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異皇国大戦  作者: 鹿尾菜
1/13

3号艦建造計画



1912年明治45年

春の日差しが降雪した雪を水へと変化させるにはまだ早い日の朝。息が白くなることはないがそれでも外套を着込んだその人物は未だ現役の馬車から降りると身を震わせた。

立派とは言い難いが風情のある鉄門。その門に寄り添うようにして作られた万華鏡を縦に置いたような守衛室にその人物は身分証を見せた。直立不動だった守衛はそれを一通り確認して門を開放した。

桜の木を何本か歩いて通り過ぎると赤煉瓦の三界建ての建物の出入り口に到着した。入ってから数分。他に分かれ道もなく狭い敷地だとそんな事を思っていた。

建物に入る前に外套を脱ぎ丁寧に折り畳む。その人物の襟には海軍少佐の襟章が縫い付けられていた。


建物の中に入るとちょうど迎えに上がった20代後半と思われる男性が出迎えた。

同じ軍服を着ていたが着なれていないためか動きはぎこちなく着させられている雰囲気があった。


「艦艇設計局開発主任の平賀守と申します」

彼は技術士官であった。海軍所属で階級こそ少佐ではあったが、軍服を着るのは重要な場でしかないためこれまで両手で数えるほどしかなかった。

「君が平賀君か噂は聞いている。私は海軍局出向員の坂本龍之介だ」

坂本少佐に艦政技術局の出向命令が降ったのは一週間前のことであった。

前任の少佐が事故のため職務遂行ができなくなったからだと彼は聞かされていた。

坂本少佐は技術学校を出たわけではない。故に新技術や構造に詳しいと言うわけではなかったが出向員は海軍局とその外局にあたる艦政技術局とのメッセンジャーのようなものであった。それゆえに詳しい知識は必要ない。

必要なことは本部で決まった要求を満足する兵器の開発を行わせるする交渉術であった。

「坂本少佐ですねよろしくお願いいたします」


「なに同じ少佐なんだ。そう固くなるな気楽にやろう」







「では早速だが、海軍局としての第三号計画艦の要求はこれに決まった」


白いクロスのかけられた机を挟み、坂本少佐と平賀少佐、そして設計技師である青年の合計三人の目線が書類に落とされた。

最初に書類を拝借し読み進めた平賀は進展のなさに呆れていた。

排水量の規定はなし

ただし要求性能は21ノット、

主砲10インチ〜14インチ砲

砲数8〜12門

副砲、航続距離は前回と同じ。

二回目の会議である程度決まっていたとは言えど主砲の口径すら決まっていない状態であった。具体的な要求がない状態ではどのような設計をすれば良いのかすらわからない。


一回目と二回目では砲のサイズも航続距離も速力もなにも決まっていなかっただけマシであるのは確かだ。最初に決まっていたのは金剛型戦艦と同程度の戦力となる純皇国設計の戦艦ということだけだった。そのため幾つもの案が出ていた。しかしその多くは設計に無理があるものだったりすぐに陳腐化してしまうものかあるいは野心的すぎるため時期尚早となった。


「河内型も良い船だったが、流石に列強の兵器の進化には追いつけない。私としては河内型よりも大口径砲を搭載した案を個人的に押しているのだがどうかね?」

河内型戦艦。皇国が建造した弩級戦艦。

対帝国戦争後連合王国のドレッドノート級戦艦が誕生したことによりその計画は大きく変更されることとなった。

主に主砲配置の見直しと砲口系の統一化。その二つが主に行われ、河内型戦艦は船体軸線上に背負式として前後二基づつの12インチ砲を搭載した戦艦となった。

しかし主砲として採用したアームストロング 1912年型 30.5cm砲に問題があった。

50口径と従来の45口径砲と比較して長い砲身の強度が不足しており常に砲先端が重量に耐えきれず撓んでいたのだ。

そのため主砲使用時には砲身が大きく振動してしまい散布界が悪化してしまう問題があった。


「おおむねこちらも14インチ砲を押していますが装填速度があり砲数を稼ぎ数で推すことが出来る12インチ砲を支持する声も多いです」


実際には皇国が使用する12インチ砲の連射速度は毎分1発であり実は14インチ砲と大差ない。しかし砲弾の給弾機構と装填補助装置を追加で組み込み戦艦摂津は発射速度を毎分2発まで向上させていた。彼らの主張は皇国海海戦において中小口径の砲による鶴瓶撃ちが勝利の一因だとして砲の小型化速射性向上を主張していたのだ。


「やはりか。しかし主砲の大型化は急務だ」

ただし中小口径の砲による鶴瓶撃ちで対抗できるのはあくまでも自信と同格が精一杯でありそれ以上の巨砲を積む艦船相手には良くて相討ち。下手をすれば殲滅させられる問題があった。

「否定はありません。しかし速射性の改善も同時に行う必要があります」


「最もだな」


坂本少佐の掴みは良かったらしい。彼自身は大口径も中口径もその運用ドクトリンで短所にも長所にもなるとの考えがあった。

そのため主砲の大きさに確たるこだわりはなかった。しかし彼の上司である海軍局の多くは大口径砲を望んでいた。

若い設計技師も口径のサイズは14インチ砲が好ましいとの意見であった。


しかしこれではどのような艦が欲しいのかすらわからない。再び会議は瞑想するのではないかと思われていた。しかし平賀少佐は前回の会議以降際保険として幾つかの案をこちらで用意する事にしていた。

「こちらも幾つかの案を用意していますのでそちらを結月技術少尉に説明してもらいます」


スッと音もなく立ち上がった青年は素早く足元に下ろしていた鞄から紙の束を取り出して坂本少佐に手渡した。

用意されたのはラフスケッチ。砲塔の配置と船体の大まかな形状が描かれたものだ。それとは別に仕様書が書かれていた。

その2枚がセットとなり5種類の案が記載されていた。

同時に内容の簡単な説明を行う。


それぞれ連装砲を6基搭載する案、三連装砲を4基搭載する案あるいは連装と三連装を混載する案などが描かれていた。

それも主砲は中心線上にあり背負式であった。だが中には三連装3基を艦首に集中配置する奇抜な案まであった。

「ふむ、14インチ砲設計だけか」

それらを20分かけて一通り目を通した坂本少佐は一言うなづいた。


「砲の大型化を考えれば14インチ砲とするメリットの方が多いです」

それは河内型で採用した30.5cm砲の構造的欠陥を考慮すれば真っ当なものであった上に列強戦艦は14インチ砲が主流となりつつあった。

特に帝国に変わり新たに海軍の仮想敵となった合衆国海軍の戦艦も14インチ砲搭載艦の新造が相次いで行われていた。

その上金剛型戦艦も14インチ砲である。

巡洋戦艦よりも小口径の戦艦というのも見栄えが悪い。内心大砲屋はそのように考えている節があった。

「金剛型の時もそうだったからな、そこは良い。だがこの案にある換装可能というのはどういうことだ?」

そう言って坂本少佐が目をつけたのが最も砲数が少ない案だった。しかしそこには他の案とは違い換装可能と言う文字があった。

「こちらは結月技師の案で、14インチ連装砲を将来的に16インチ連装砲へ換装するために余剰空間を設けておくというものです」


「可能なのか?」


彼はその発想は金剛型戦艦の主砲選定時に着想を得たと答えた。

確かに金剛型戦艦は本来なら12インチ砲を連装で5基搭載する予定であった。

しかし搭載予定であった50口径12インチ砲の欠点、そして重量や大きさがさほど変わらないことから45口径14インチ砲に搭載砲を変更した経緯があった。

「十分な砲塔の大きさがあれば可能です。装甲もあらかじめ対40センチ砲を視野に設計しておくことで対処します」


「しかし技術進歩を考えれば砲弾の威力の増加もあり得るが……」

坂本少佐の懸念は尤もだった。主砲はともかくとして主に装甲。


先の対帝国戦争の勝利により皇国は南満州の権益と樺太全土、カムチャッカ半島の領有権、遼東半島の租借権を帝国から得た。加えて朝鮮半島からも手を引かせた。

しかし莫大な戦費によって国家財政は破綻寸前であった。このため皇国は国債を買ってくれた合衆国と連合王国の資本に対して南満州を開放することとなった。そのため大陸の開発に必要な工業製品の生産拠点として皇国は急速に工業能力を強化していた。


しかしそれでも産業革命の波に乗り遅れた影響は大きく、製鉄。主に装甲などで使う鋼の性能は連合王国よりも低かった。特にヴィッカーズ社の装甲鋼と比べればその差は歴然と言われていた。



「装甲も将来的な改装で増設、あるいは装甲の交換もできるようにするつもりです。そのための集中防御方式です」

当初3号艦の計画では全体防御を採用する予定であった。しかしこの案を採用する場合その装甲配置は主砲弾薬庫や機関部などの重要区画のみを守る集中防御方式の選択が必須となる。そうでなければ船体の排水量に対する装甲の重量比が大きくなりすぎてしまうからだ。その上改装の際に装甲を換装するにも船体全てに手を加えてしまうため後期期間と費用の増大につながる。


「しかし集中防御では非装甲部分の被害が拡大するのでは?」

集中防御の欠点として前後の非装甲区画が損害を拡大させてしまう可能性があった。

主に艦首、並びに艦尾への被弾は時として操舵機械室の破壊や貫通した砲弾による浸水で速力が低下したりと致命傷ではないが戦闘に支障が出る場合が懸念されていた。特に防水、排水ポンプの能力が弱い場合などである。

「問題はありません。船体の予備浮力が大きい大型艦なら多少の被弾ではびくともしません」


「それに加えて被弾の損害は被弾後の応急処置で変わります。事実対帝国戦争でも帝国の戦艦の主な被害は被弾時の火災によるものでした」

付け加えるように平賀が結月の説明に補足を付け加える。勝利の要因と対策は海軍局でも行われていたがその多くは軍艦の運用面が主だったもので艦の構造に起因するものは行われていなかった。

「それらは対策がいくつか考案されています。近いうちにそれらの資料をそちらに送ります」

その資料の存在に内心驚いていた坂本少佐だったがすぐに気を切り替える。

しかし改めて口を開こうとした少佐を遮り結月が爆弾を落とした。

「付け加えるのであれば全体防御方式は艦隊決戦を主流とするなら既に旧世代となっていると言っても過言ではありません」


「どういうことだ?」

そのような意見が技師から出てくるのは意外だったのか坂本少佐は驚いた声で尋ねた。

現状世界一の海軍国である連合王国でも主力戦艦はすべて全体装甲として100mmほどの装甲を艦首から艦尾まで施されている。そこに追加する形で複数の装甲を内側、あるいは外側の要所に装着して装甲厚を部分的に上げていた。

「砲の威力増大に装甲性能が追いつかないからです。現状金剛型の14インチ砲でさえ初期案の全体装甲方式の3号艦では防御不可能です。すべての箇所が等しく貫通される装甲など無意味に過ぎません」

だからと言って装甲を厚くすれば喫水線は下がり速力低下や重心向上による転覆の危険性もある。

それに戦艦ほどの予備浮力が有れば多少被弾したところで沈むこともない。軍艦にとって沈没の危険が発生する事態は砲戦中で言えば弾薬庫の被弾誘爆や機関の蒸気爆発ですと付け加えた。

そもそも全体防御を施す理由の一つとして駆逐艦や巡洋艦の攻撃から身を守るという意味もあった。しかし艦隊決戦では主力艦同士の戦闘を想定しており巡洋艦以下の艦艇は同じ巡洋艦以下の艦で戦う事がほとんどであった。

「ふむ、たしかに言われてみてばそうだ。中小砲の破壊力では例え貫通されても戦艦の戦力低下は最低限。あたりどころの悪い大口径砲に備えた砲が合理的ということか」


「沈まない艦を作ることこそ皇国のためですから」


「なるほど、確かに我が国の財政能力と造船能力では短期間に大量の船舶を揃えることは不可能だし補充に関してもそう簡単には行かない。ならば欧米の船より沈みづらい船にする必要があるというものだな」


「この船は主砲の威力と装甲を向上させることで将来30年にわたって運用しても一線級の能力を持たせられるよう設計しています」


「なるほどな。面白い案と言える。わかった。ではこの案を上に提出してみる」


程なくしてA-41案と呼ばれる設計計画は海軍局でも多少の賛否はあったが賛成多数にて国防省へ上げられた。東郷平八郎も主砲換装で火力を大幅に増強できると言うことから否定することはなかった。

なによりも火力と防御力を簡単に引き上げることが出来ると言われては大砲屋も魅力を感じる。

14インチ砲の威力を限界まで向上させるより16インチ砲を搭載する砲が打撃力は簡単に上がるからだ。

その後三回の会議を得て多少の仕様変更が行われ、二ヶ月後には船台が乾ドッグに設置された。

その二ヶ月の合間に建造計画は承認され、皇国議会において戦艦建造の予算が可決された。主に初期の14インチ砲12門の案より建造費が抑えられていたことが好印象でありおおむね賛成多数の結果となった。この予算削減は主砲の数と装甲材料の削減、さらに船員の数(主に砲科)が抑えられた事に起因するものであった。


資材搬入と設計図製作を得て建造開始はその半年後となる。

また1912年11月に行われた補正予算案において3号艦と同型の戦艦を3隻追加で建造する計画が承認されその予算が組まれることとなった。この時点で艦名を扶桑とすることが決定され3号艦は書類上戦艦扶桑と呼ばれる事になる。




途中世界大戦の影響により三番艦の建造が一年の延期となり大規模な改良が行われたため扶桑型戦艦は扶桑、山城のニ艦体制となる。

金剛型戦艦を派遣したユトランド沖海戦での戦訓をもとに水平装甲の改装などが行われることとなった。





1913年


「そういえば新しい部門が作られるみたいですね」

3号戦艦、扶桑と名付けられたその戦艦の設計がひと段落した平賀は年初めで賑わう街の居酒屋にいた。結月技術少尉と共に息抜きをしにきたのだ。

アルコール飲料と焼き物のにおいが充満し、空腹を煽る。欧州の一角では大戦争の予兆が見えていたがどこの国もそのような大戦争になるだろうとは考えていなかった。そのためまだ皇国も余裕があった。相変わらず国債の返却に苦しんではいたがそれでも国力は増加傾向にあり人々は希望を持っていた。


「ああ、航空設計局な。陸さんと共同で運用するらしい」

そんな中艦政でも新たな部署立ち上げの噂があった。どこから聞いてきたのか結月は自分の上司にそのことを尋ねた。

「陸軍とやるのは初耳です。うまくいくんですかね?」


「うまく行かせるのが俺たちの仕事だ。それにしても兼任とはな」

「主任ほど航空機にも精通している人はそういませんからね。一応陸さんの兵器開発局の人ももいくのでしょ」


「ああ、技術学校時代の一個下だったやつだ」


現状飛行機と言ってもそれは数十分間高度50m前後を飛ぶだけのようなものであったが、平賀少佐はライト兄弟が世界で初めて飛行機を発明した時からそれに興味を示しており常に動向を探っていた。

そんな風変わりとも言えることをしていたからか彼はいつのまにか艦政の中で最も飛行機に通じている人物という評価を与えられていた。


「まあ設計なんてできないがな」


「みんな最初は手探りだから大丈夫ですよ」






戦艦扶桑

皇国の独自設計である初の超弩級戦艦として明治45年に建造が発注された。

元の設計案は多岐に渡り最終的に45の案があった。

その中には12インチ砲4連装のものや14インチ3連装砲を艦首に集中配備する斬新な設計もあった。

しかし技術的な問題もありそれらの案は初期の段階で破棄されることとなり、金剛型を発展させたA-41案が採用されることとなった。

表向きA-41案は14インチ砲を搭載する計画であったが、その実16インチ砲搭載の戦艦へ改装することを考慮した計画だった。このことは極秘とされ限られた人物のみが知るものとされていた。

主砲配置は金剛型を基本としつつ四番主砲を三番主砲に寄せた構造となっている。

第一次改装までは遠目で金剛型との扶桑型を見分ける点とされていた。

また見た目としても金剛型と似ていたためか諸外国からの本戦艦を見る目は強くなかった。手堅くまとまっている身の丈にあった戦艦と連合王国大使は自伝に記している。


船体


金剛型戦艦を手本とし各所に皇国独自の改良を入れた発展型となっている。

艦体は長船首楼型船体で、艦首は凌波性の良好なクリッパー型とされた。全長203m、全幅30m。基準排水量30200t。


前楼は計画当初は3脚のマストを計画していたが16インチ砲への換装を考慮した結果16インチ砲の爆風に耐えるほどの強度が確保できないことから中央に一本の太い柱を設置しその周りに4本の支柱を設置する5本マストとなった。

マスト上部と二番、三番砲上部に主砲射撃指揮所を設け長さ6mの測距儀を搭載し建造当時の艦では最も観測能力に優れた。さらに前部マストの頂上部の観測所には皇国戦艦初の方位盤射撃装置を搭載していた。

一段下の主砲射撃指揮所と併結されており統制射撃を可能としている。

また艦橋横に2.7m測距儀を搭載しており後日副砲射撃指揮所が設けられている。


武装


主砲として毘式36cm連装砲を参考に設計された四十一式36cm砲が採用された。4基8門の搭載となり配置は前部甲板に一番二番主砲塔、艦橋構造物と2本の煙突、後部マストを挟み後部甲板上に三番四番主砲塔となっている。


主砲は対艦徹甲弾で砲弾重量645kg、砲口初速750~780m/s、発射速度毎分1.5発であった。主砲塔の旋回及び砲身俯仰は蒸気機関駆動の蒸気ポンプによる水圧式となっている。

砲身の俯仰能力は-5度〜+20度、最大射程は22,500m。



副砲として50口径四十一式15cm砲を採用。これを単装砲架で舷側ケースメイト配置で片舷8門の合計16門装備した。

他に一番砲塔直下の水線下に53センチ魚雷発射管を左右合計4門装備していた。



装甲

金剛型戦艦が全体防御方式と呼ばれているのとは対照的に扶桑型戦艦は集中防御方式と呼ばれていた。

またこれは皇国初の集中防御式の装甲配置を施した戦艦でもある。しかしこれは装甲重量を抑えるために行なった措置であり必ずしも戦訓をもとにしたものではなかった。


舷側装甲305mm

第一甲板側面200mmとその内側に105mmの装甲板が水線までを覆っている。

水線から下は76mm

甲板上水平装甲

合計65mm

最上甲板34mm+下甲板31mm

これらが第一主砲の弾薬庫手前から始まり第四主砲までを覆う集中防御となっている。

主砲塔

前盾280 mm

バーベット部280mm

司令塔305 mm

ただし扶桑では艦尾周りにも厚さ100ミリの装甲を施しており集中防御黎明期の設計とも言える。



機関

本艦の機関は宮原式石炭・重油混焼水管缶24基とブラウン・カーチス式直結タービンを採用し、機関出力40,000馬力で速力22.5ノットを発揮する予定であった。

公試験時には扶桑が22.7ノット、山城が23ノットを記録した。しかしタービン軸受の損傷が発生するなどの問題があり第一次改装において艦本式タービンと重油専燃缶を搭載するまでの運用は21ノットが基本であった。

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