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ルーナはガンガンとドアを叩く音で目を覚ました。
「おはよう!朝だぞ~!一緒に朝食を食べよう!」
まだ眠い目を擦りながら宿のベッドを出てルーナはドアを開けた。立っていたのは勿論ニコルだ。
「おやすみなさい」
一言告げドアを閉めようとしたがニコルは慌てて足を挟みドアノブを掴んだ。
「おいおい起きろ!君達の事を考えたら一刻も早く王都に向かった方が良いと思って早起きして来たんだぞ」
ニコルが良い人なのは昨日充分過ぎる程理解した。
今後ぶつかるであろう常識も教えてくれたし、感謝はしているが寝起きに勘弁してほしいとルーナは頭を掻いた。
「お姉ちゃんを起こすから2人で食事して来なよ。私まだ寝るから」
「却下だ!さっさと朝食を済ませて君達の身分証を作らないといけないだろう?」
「え?そんなにすぐ作れるものなの?」
「ああ、俺にはコネがあるからな!分かったら急いで準備しろ」
昨日教えてくれたとても大事な常識の一つが『辺境の街と違い王都はしっかり身分を確認する。家を借りるにも身分証が必要』であった。勿論3人は持っていないし持っていても出せる訳がない。
ニコルが『身分証は俺がどうにかする!』と言ってくれていたのだ。
ドアを閉めルーナはすぐにニーノとノーラを起こし、ニーノに畳んである服を手渡した。
昨日ニーノが寝ている間にニコルとルーナは洋服を買いに行ったのだ。
ニーノが着ていた服も鞄に入っていた着替えもベージュ色の上下で汚れが染み付いている物だった。それを見て心が痛み綺麗な服を用意しておいたのだ。
畳んである服を広げるとニーノが目を輝かせ、驚いたのか口を大きく開けた。
「これ僕の?僕がこんなに綺麗なお洋服を着てもいいの?」
「勿論よ!昨日ニーノが寝てる間に買ってきたの。驚いた?」
「うん。あの……でも僕お金持ってない……」
うつむいたその目に涙が光りルーナとノーラは慌てて頭を撫でた。
「何言ってるの、ニーノにお金を払わせるわけないじゃない。今後はお金の心配はしないで。もう私達の弟なんだから。ワガママだって言っていいんだからね」
「ルーナの言う通りよ。こういう時は素直にありがとうの一言でいいの」
「ううぅ……ありがとう、僕を弟にしてくれてありがとう」
泣きながらハグしてきたニーノを抱きしめてこれからしっかり支えてあげようと誓った。
涙を拭いて新しい服に着替えたニーノはルーナとノーラに似合うと誉められ照れながらもニッコリ。
白いシャツに深い紺色のズボン。平民向けのお店しかなくて大分シンプルになったが、元々綺麗で可愛い顔をしてるので汚れていない服を着ただけでまるで良家のお坊っちゃまだ。
ニコルもニーノの服に思うところがあったのか服屋に案内してくれただけではなくサスペンダーを買ってくれた。
「これはニコルからのプレゼントよ」
最後にサスペンダーをつけるとニーノは益々笑顔になった。
部屋を出て待っていたニコルに抱きついてサスペンダーのお礼を言うニーノ。
ニコルはそんなニーノを抱き上げた。
「凄く似合ってるぞ!」
「うん!ありがとうお兄ちゃん」
「おう、そのうち本当のお兄ちゃんになるからなー!」
「馬鹿なの?」
ルーナの毒を持った返しに四人は笑いながら食堂に向かった。
テーブルに着くと恰幅の良いおばさんがニコニコと食事を持ってきてくれる。
「はいよお待たせ。それにしてもニコルにこんな綺麗な知り合いが3人もいたなんてねぇ!男の子まで綺麗なんだから大ニュースだよ」
「はっはっは!そうだろうそうだろう、だが残念ながらオレの親戚だ。訪ねて来てくれたんだよ」
「なんだ、そんな事だろうと思った。この街に来てから振られてばかりだもんねぇ。顔は良いのにそのお調子者の性格がダメなんだよ。勿体ない」
「余計なお世話だ」
ニコルが歯をむき出し顔をしかめるとおばさんは笑いながら奥へと入って行った。
「ニコルは本当にモテないの?」
これはルーナの純粋な疑問だった。食堂のおばさんが言う通り顔は良い方だ。性格もお調子者ではあるが情に厚く優しい。モテないどころか逆に凄くモテそうな気がしたのだ。
「モテるに決まってるだろう!俺レベルになると女の子達が恥ずかしがっちゃってね」
「あっそ。もういいや」
「はっ?!なんかもうちょっとないの?かっこいいもんね。赤い髪が素敵だものね!とかさぁ」
「そーいう事言う所がモテないんだと思う」
「グハー」
ニコルが顔をしかめて悲しそうな顔をするとノーラは楽しそうに笑った。
「フフッ」
「お?好感触。ノーラさんの身分証は僕の妻にしますか!?」
「するか!ニコルはいい奴だけど女性に対して軽すぎる!お姉ちゃん、真に受けすぎないで、もし好きになるならどんな人間かちゃんと見極めてから好きになってよね。特に女関係を見てから!」
「勿論よ、昨日会ったばかりだしニコルをそんな風には見てないわよ」
「そう?ニコルも、お姉ちゃんは純粋で男性に免疫無いんだから軽口ばっかり叩かないでよね」
「さすがに俺だって誰にでもは言わない……」
「返事は『ハイ』よ」
「ハイ……」
食事を終え早速役場へと向かうと拍子抜けするほど簡単に身分証を手に入れる事ができた。
出来上がった身分証を両手で持ちニーノは嬉しそうにその場で左右に体を揺らしている。
「凄いよ、僕の名前はニーノだってこれが証明してくれるんだよ!僕は本当にニーノになったんだ!僕にはもうちゃんと名前があるんだっ!」
大興奮である。たった一枚の身分証でこんなに喜ぶ子供が他にいるだろうか。
この街に来る道中、カリーナは名前をつけてくれなかったのかと不思議に思って尋ねたらカリーナはニーノの事を『可愛い子』と呼んでいたらしい。
そんなニーノのあまりのはしゃぎっぷりに首を傾げたニコル。
朝から良い事ばかりで浮かれていたニーノは数日前ルーナ達に出会うまで名前が無かったとポロっと言ってしまった。
お陰で本当の弟じゃないとバレてしまったがそれ以上何も詮索してくる事はなく、ニコルは瞳を潤ませ優しく微笑みニーノの頭を撫でた。
(私達今ニコルの優しさに生かされてるわ)
ルーナも出来上がった身分証を眺める。
この北の街の出身だと町役場の印鑑が押してある。
「これ問題ないの?」
「ああ、俺が身元保証人になったんだ。何も心配する事はない」
ルーナとノーラは顔を見合わせてからニコルに向き頭を下げた。
「ニコル様、こんなことまで力になってくださって、感謝しても感謝しきれません」
「知り合ったばかりの私達を信じてくれてありがとうございます」
「気にするな。でもなんだよそんな急にかしこまって!普通に喋ってくれ」
ルーナとノーラは再び顔を見合せ頷いた。
「心からの感謝を伝えたかっただけ。ニコルは優しくて良い人ね」
「そこにカッコ良くて素敵もつけてくれたら最高に嬉しいんだけどなー」
「はー。すーぐ調子に乗る」
そう言いつつルーナはニコルはわざと3枚目を演じているのではないかとふと思った。
合っているかは分からないが理由もなんとなく思い当たる。
(私見た目より人生経験豊富ですからね。まぁお姉ちゃんが3枚目を演じている状態のニコルを好きになったりしなきゃなんでも良いわ)
「はは、ルーナは厳しいなぁ。じゃー馬車待たせてるから行こうか」
待たせてあった馬車は御者さん付き。乗り込み出発するとすぐに王都に着いてからの話になった。
「王都に着いたらその規格外魔法を生かせる仕事を紹介しよう」
「ごめん、目立ちたくないからそれは遠慮するわ」
「何言ってんだ、それだけの力を持っているんだから世の中の役に立てるべきだ。昨日の光魔法なんて使い手も少なく……」
力説し始めたニコル。
前々世のようにルーナと同じレベルの魔法使いが溢れている世界なら迷わず魔法を仕事にしただろう。
だがこの魔法使い自体が少ない世界で『規格外』のパワーを見せてしまうと嫌でも目立ってしまう。
「ニコル、忘れたの?私達は悪い人達から逃げて来たの。目立ってどうするの?」
「その悪者は絶対捕まえられないのか?」
「無理よ!絶対に無理だわ。あの人達は……」
ルーナではなく、ノーラが厳しい口調で答え最後は言葉を濁し俯いた。
ニコルは3人の顔を心配そうに見つめる。
「……信用出来る貴族の方がいるんだがその方に相談してみたらどうかな」
「気持ちは有難いけどあの人達の事を話す気はないわ。貴族には尚更」
「……でも、どう考えても魔法で稼ぐのが1番現実的で安定してるんだよ。安定と言うより良い暮らしが出来る。家も買えるし、ニーノを学園に通わせてあげる事だって出来る」
(ニーノを学園に……)
その一言はルーナの心を大いに揺さぶった。
この世界、平民で学園に通える人はそう多くはない。とりわけ裕福な家の者だけだ。
学園で友人を得て知識を持てばニーノが一人立ちする時に間違いなく力になるだろう。
産まれてからずっと名もなく生きてきたニーノを支えてあげようと誓ったばかりだ。もう2度と惨めだったり辛い思いをさせたくない。勿論、それは姉のノーラにも。だがどうしてもローシェの顔が浮かんでしまう。
「でも、目立ってしまったら……もし生きてるってバレたら……」
「学園に行ける平民は将来が約束されてる。ニーノの人生よりも犯罪者に気を遣うのか?俺から見たらまだ捕まってるみたいに見えるよ」
屋敷を出てから初めてルーナは下唇を強く噛んだ。
(何も知らないくせに。悔しい)
でもニコルの言っている事も分かるのだ。
何も言い返さないでいると場の空気に後悔したのかニコルが少し気まずそうに笑顔を作った。
「なーんて偉そうな事言ってみたけど、折角逃げて自由になったはずなのに縛られてるのがもどかしくてさ。どーにかならないかなと思っちゃうんだよね。何も知らないのにキツイ事言って悪かった」
「……ニコルの言ってる事もわかるから……仕事の事は考えてみる」
「ああ、俺もルーナが目立たず働ける方法を考えてみる。まーもしもの時は俺が3人を幸せにするさ!」
「何言ってんのよ」
ルーナは目を細め渋い顔をしたが、ノーラとニーノはそんなニコルに頼もしさを感じているのか嬉しそうに笑ったのだった。