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「はぁあ……もう朝なのね……」
ルーナは目覚めたルーク邸の客間で大きな窓から差し込む光を眺めながら力なく呟いた。
幾ら爽やかな朝の光を浴びようとルーナの心はどんより。
昨晩ギルド隊員総出で捜索にあたったがどちらに向かったか見当もつかない上、2時間の差は大きくジェシーは見つからなかった。
サバルトーネ家の御者は他家の御者達と話をしていて馬がいなくなった事にすら気付いていなかったと供述。
まさか逃亡するなどと予測していなかった為、パーティー会場で任務に当たっていた隊員以外にジェシーの事は伝えられていなかった。
門兵に確認したがパーティーの為門を出入りした者は多く、身分証を呈示して貰っていたにも関わらず「馬に乗っている人は何人か出入りした」程度の情報しかなくジェシーを特定する事すら出来ないという状況。
宝石店はやはり開いていてジェシーの着けていたアクセサリーは予想通り換金されていた。
ただ売りに来た女性は赤茶色の髪では無かったと店主が証言したので侍女と一緒に逃げているのだろう。
結論として色々な要因が重なりジェシーは逃げ果せ、これはもう遠くに逃げているだろうと推測された。
だが、ルークと一緒で言葉のスキルを持っているのではないかと思える程強力な宰相ジェロルドの一声でルーナとノーラはジェシー確保までフェルロンド家で保護される事になった。
(宰相に逆らえる人王族以外にいる?ジェシー確保までっていつまでよ……お姉ちゃんどうしよう?助けて)
ルーナは心の中でノーラに助けを求めたが家の方に帰ったのかルーク邸には現れず、一旦解散となった明け方通された客間でようやく眠りに就いたのだった。
「皆様おはようございます。暫くお世話になります」
朝の挨拶を済ませ席に着いたルーナは目の前の机に用意されたクリームスープを遠い目で眺めた。
朝食専用の部屋だと案内された先はディナー用の長いテーブルとは違い、家族が気楽にコミュニケーションを取る為の居間のような部屋。
一人掛けソファの目の前に丁度いい高さの1人用テーブルが置いてある。
燭台等視界を遮る物が無い為隣の席や正面の席と距離が近く感じる。
右隣にはニーノが嬉しそうに座っている。
左隣はルーク。ここまでは大丈夫。
正面にジェロルドや夫人のキャサリン、ルークの兄ガイルまでいる。
キャサリンは艶のある黒髪をゆるりと巻いた美人。ガイルはルークを一回り大きくしたような筋骨隆々と言った体格の持ち主で顔も男らしい。
その3人全員がやたらと優しい瞳で見つめてくるので、ルーナはスープどころか空気すら飲める気がしない。
ニーノは元気よく「いただきます」を言い、音を立てずスプーンで上手にスープを飲んでいる。
(近くで見るとよく分かる。所作が綺麗。髪の毛もスッカリ銀色になって……何処から見てもお坊ちゃまだわ)
ルーナはニーノの成長をにこやかに見つめる。
いや、見つめ続ける。
他に気軽に見られるところはないからだ。
「クリームスープは嫌いだった?」
ふいにルークに声をかけられ愛想笑いで返事を返す。
「そう言うわけじゃないんだけど……あまり食欲がなくて……」
「……僕の家族に緊張してるんだね?父上も母上も兄上もあまりに彼女を見すぎではありませんか?」
「ははははは、名を馳せているルーナ嬢でも緊張するんだな」
ジェロルドが豪快に笑うとキャサリンはナプキンで口元を押さえる。
「だって、こんなに可愛いお嫁さんがいるんだもの。嬉しくてつい。ずっと見ちゃってごめんなさいね」
(お・よ・め?ルークのお母様、一体何を……)
ポカンと口を開けるとガイルも微笑む。
「ルークが羨ましいなぁ。3男の僕より先にお嫁さんを連れてくるなんて」
(もの凄く誤解されてる事だけは分かったわ……)
「あの、誤解されているみたいなのですが……」
あまりにも微笑ましく見つめられているので言い辛く、ボソッと小さい声で呟く。
「母上、兄上、そう言う事はまだ言わないでもらえますか?」
ルークが否定してくれたと思ったがルーナは困惑気味。
(あの、その言い方じゃそのうち婚約するような言い方に聞こえない事もないって言うか……はは……)
深い意味は無いかもしれないのにここでルーナが強く否定してしまうのは失礼に当たるだろうと口をつぐむ。慌てなくてもきっとジェロルドが誤解を解いてくれるはずだ。
(でもとても気まずい)
中々食が進まないルーナに気を遣ったのかジェロルド、キャサリン、ガイルはさっさと食べ終え「ごゆっくり」と部屋を出ていった。
「はぁ」
ルーナがほっと息を吐き、テーブルに両腕を置き伏せるとニーノが心配そうに覗き込む。
「ルーナ姉様大丈夫?僕がパンを食べさせてあげるよ。家のパンはすっごく柔らかくて美味しいんだ」
すっかりフェルロンド家の一員になっているニーノはパンを一口サイズに割り、ルーナに「あーん」と近付いてくる。
その姿が可愛くてルーナは素直に口を開ける。
ニーノが笑顔でルーナの口に入れようとした瞬間、ルーナの隣を見て目を見開き、手が止まった。
「あっ……ルーク兄様が食べさせてあげてください!」
「ぼっ、僕が?!」
「はい、だって今とてもうらやまし」
「あー!僕はいらないからそのまま彼女に食べさせてあげてくれるかな」
(なに?家ではニーノにもツンデレなのかしら?)
気にはなるが地味にメンタルを削られたルーナは体を起こす事もせず口を開けたまま首を傾げる。
ニーノが少し困ったような笑顔で口に入れてくれたパンはふかふか柔らかく、バターの香りが口に広がってとても美味しい。
「本当、柔らかくて美味しい。ニーノ、もう一口」
あーんと口を開けるとニーノは笑いながらパンをちぎって入れてくれる。
(あー!気を張ってた分癒やされる。ニーノは天使だわ)
だが3度繰り返した時ニーノの笑顔が消え手がピタリと止まった。
眉尻を下げた悲しそうな目線はルーナの左上、いつのまにか立ち上がって見ているルークだ。
「あ、あの……兄上、そんなに」
「うわぁぁあ、なんでもない、なんでもないんだよニーノ。気にしないでくれ」
「でも兄上、目が潤んで……」
ルークが「うわぁぁ」と取り乱す事もあるのだなと意外に思い顔を上げ見ると確かに目が潤んでいる。
「どうしたの?」
「……その……うっ……うら……やま……しくて……」
「ルークもパンを食べさせて欲しいの?」
やたらと言い淀み恥ずかしそうに答えたルークに問いかけると、ぱっとニーノにパンを手渡されたのでそのままルークに向かって差し出す。
「はい、どうぞ」
口を開けろと言わんばかりにルーナがあーんと口を開けて見せる。
「っ!!」
途端にルークが息を飲み顔を真っ赤に染め更に瞳を潤ませた。
今にも涙が溢れんばかりだ。
「うぅっ……」
すぐに目元を手で覆い、声まで漏らしている。
「えーっ?!なんで、何で泣くの?なんだかごめんなさい。ニーノ、ニーノが食べさせないと駄目なんだよきっと!」
ルーナは慌てて立ち上がりニーノの背に立ち肩を掴む。
「ニーノ、ルークお兄ちゃんにパンを食べさせてあげて」
「あ、兄上……」
「ニーノ、なにも、何も言わないでくれ……」
そういって口を開け少しかがんだルーク。
ニーノはとても悲しそうな瞳で一口大のパンをルークの口に押し込んだのだった。




