第十六話 ひなびた村で
昨晩の出来事が夢か幻に思える旅日和。放牧された動物達が草をはむ広大な野原に、ときおり雲の影が滑るように流れる様は平和そのものです。
整備された街道をいく人々もみな笑顔で、「のどか」という言葉がぴったりくる光景でした。
「あっ、ちょうちょ!」
「遠くへ行っちゃ駄目だよ」
ミモルと手を繋いでいたジェイレイが駆け出し、その背を声が追います。
「回り道をしてまで図書館を訪れた甲斐はあったな」
目的地へ向かう道中でネディエが呟きます。そう、彼らは帰途にあるのではなく、すでに向かう先を定めていました。
大きな図書館で大量の資料をさらった結果、ハエルアでは分からなかった新たな事実が浮かんできたのです。
「急速に大きくなった影響で、付近の地形まで変わってました、なんて誰が気付くかよ」
最後尾をやる気のない足取りで付いてくるスフレイが、ネディエに睨まれ欠伸をかみ殺しました。
歴史をより深く知っておくべきという、フェロルの読みは当たっていたのです。
シュウォールドは単にその場だけで巨大な都市へと成長していったのではなく、資材を求めて周囲の山や平地を削り、かなり遠方からも土や木を運んで造られていました。
数年ごとの地図を比較すると、驚くほど変化していることが判明したのです。
「最近の地図ばかり眺めていても見つからないはずだね」
「皆さんの予測通りなら、あれは700年前の光景でしょうからね」
気付いたネディエ達はどんどん昔に遡っていき、やっと探し求める場所に近しい地点を見つけました。
それは、現在の地図と照らし合わせると、全く思いもよらないところでした。
「まさか、村になっていただなんて……」
エルネアが全員の気持ちを代弁します。
占いで得た手がかりは、ぽつんと建てられた一軒家。だからこそ広大な森や崖といった、外界から隔絶されていそうな場所ばかり探していました。
昔と今、二枚の地図を重ねると、浮かび上がってきたのは小さな集落だったのです。
「でも、そう考えると辻褄もあいますね」
「どういう意味?」
ミモルが問い掛けると、フェロルは考えを順序立てて説明してくれました。
「ネディエさんの予測通り、今回の事件の首謀者がヴィーラさんの前の主だったなら、我々に悪魔をけしかけることも可能だったでしょう」
今やすっかり小さな子どもになって、ひらひらと舞う蝶を追いかけているジェイレイ。
なんのためかは不明のままだけれど、700年前の悪魔の娘であるらしい彼女を操るなどという芸当ができたのも、素性と居所を知っていたからです。
「昨晩の敵も、こちらを解っていて襲ってきた節がありました。彼らは専門のハンターでしょう。実力や口ぶりからすると、組織の末端のようでしたが」
ハンター、組織。天使を知り、狩ろうとする者達。エルネア達が常に注意を払っている相手……。
ミモルは頭の中で反芻しながら、不安が黒い染みのように広がっていくのを感じました。
「そんな集団をひっそりと抱え込むのに、村というカモフラージュは最適だわ」
エルネアが冷静に言います。真実であれば、これから向かう村は、表向きはちっぽけな農村、実態は犯罪に手を染める者達の集まり、ということになるでしょう。
「つまり、ヴィーラの前の主が700年間生き続けていて、天使を狩る組織のボスをしているわけか?」
「はぁ? ありえねぇだろ」
自分で推理したものの半信半疑のネディエと、否定に顔を歪めるスフレイが首を捻りました。確かに、普通ならあり得るはずのない話です。
人間がどれほど長生きしようと、数百年を生きることなど出来ません。でも、ミモルは知っています。それが決して「ありえない」ことではないのを。
「ニズムは700年生きてたよ」
肉体が朽ちても、神の手による転生を望まなかった青年。
禁じられた方法で記憶を保ったまま生まれ変わり続けた彼の目的は、かつてのパートナーとの再会でした。
「マカラを探してずっと……ずっとこの世界に留まり続けてた」
天と通じるほどの力があれば不可能ではないのです。今回も同じなのでしょうか? もし本当にそうだったらと思うと、胸が痛みました。
暖かい陽気に、ふいに冷たい風が混じります。ため息を零さないように空を見上げると、ちょうど太陽を雲が横切るところでした。
シュウォールドからやや南。
街道から外れて草原を抜けると、急に畑が広がり始めました。
緑の世界から一変、黄色や赤が目につきます。どうやら植えられているのは麦や野菜のようでした。
その畑と畑の間のあぜ道に踏み込んだあたりで、もう村の中なのだと気付きます。
――ソニア村。荒れた土地から住みよい場所を求めて旅した人達が開いた村で、初代の村長の名が村の名前の由来だといいます。
図書館で見た地図には名産や歴史が簡潔に記されていましたが、読んだ限りでは取り立てるものもない、ごくありふれた村という印象しかありませんでした。
やがて、建物が目立つようになります。じょじょに密集した方向へと進んでいくも、平屋のこぢんまりとした家ばかりで、壁はどれもくすんでいます。
人はまばらでした。布を帽子代わりに頭に巻き、収穫した野菜を洗ったり干している者、作業で疲れて軒先で休む者。
朗らかな表情で談笑しあっている人達もいます。
川沿いには水車小屋もことことと音を立てながら回っており、絵に描いたような、まさに「農村」といった雰囲気でした。
「旅人さんかね?」
ひとりの年寄りが近付いて声をかけてきました。街道から離れた、こんな小さな村に来る者は少ないのでしょう。不思議そうな顔をしています。
ミモルは落ち着かなさを覚えました。先ほどから視線も痛いほどに感じています。
敵意ではないにしても、好奇を含んだ、探るような眼差し。エルネア達は都会でさえ目を惹く存在ですから仕方がないと解っていても、慣れない感覚です。
いえ、それだけではありません。もしかしたらこの村は敵地かもしれないのだと思うと、落ち着けという方が無理でした。
エルネアはそんな心のうちを一切悟らせずに微笑みかけます。
「旅人というほどでもありませんけど、あちこち見て回っていて」
「……へぇ」
返事が一呼吸遅れたのは、彼女の美しさ見とれていたからでしょうか。
「村長さんはいらっしゃいますか? 勝手に歩き回るのも気が引けますし、色々とお話をお聞きしたいのですが」
「あぁ、それなら通りをまっすぐ行ったところに大きな家があるからすぐに分かるよ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて別れると、彼の言った通り村長の家はすぐに見つかりました。
つやのある褐色の壁と立派な扉、なにより綺麗な花々が咲き乱れる花壇が他とは違う雰囲気を醸し出しています。
その時でした。
家を訪ねようと玄関に向けた視線は、花壇に水をやっていた人に吸い寄せられました。その女性もこちらに気付いた様子で立ち上がると、腰まである長い髪が風に靡きます。
「お客様ですか?」
息を呑む音がしました。それも、誰のものでもなく、全員の。小首を傾げる女性は黙り込むミモル達を前に「あの……?」と問いかけてきます。
ややあって、ようやく口を開いたのはネディエでした。
「ヴィーラ……?」
言葉にしてみてやっと衝撃が形になり、途端に詰まっていた肺が元気を取り戻しました。




