閑話6 なぞの歌姫
再び閑話を数話挟みます。
最初はティストとナドレスのちょっとコメディ?な後日談をどうぞ。
「正体不明の『歌姫』?」
ティストは朝食のスープを口に運ぶのをやめ、母である王妃の科白を繰り返しました。
長いテーブルにレースをあしらった白いクロス、曇り一つなく光を放つ食器に、城お抱えの料理人が存分に腕を振るった料理。
王様の意向により過ぎた豪華さは抑えられているものの、どれ一つ取っても十分に吟味されたものだとわかります。
食事を取る場としては広すぎるほどの部屋には、何人もの給仕係が慌ただしく行き来し、それらを包み込むように柔らかい陽光が差し込んでいました。
「ええ」
しばらく食べることに集中していた王家の面々は、一区切りついたところで会話を始め、その流れで王妃が使用人から聞いた噂を披露しました。
王妃の、一度は死の直前まで衰弱しきっていた体力も、最近ではこうして食卓につくことが出来るまでに回復を見せています。
「城の者達の間ではかなり広まっているようです。夜になると、どこからともなく美しい歌声が聞こえてくると」
見回りの兵士が耳にしたのが最初で、その時は使用人の誰かがこっそり歌っているのだろうと思ったようでした。
「夜な夜な聞こえる歌声を多くの者が聞きとめるにつれて、正体を突き止める動きが出てきたのですが……」
「誰だかわかったの?」
王妃は首を横に振りました。それから声をやや潜めて囁きました。
「それはもう、この世のものとは思えないほどに美しい歌声、という話です」
夫婦は絡めるように視線を交わして軽く頷き合い、息子はもしかしたらという思いを胸に天井を仰ぎましだ。
「ティスト様、ごめん!」
ぱん! と両手を合わせて、ナドレスは小さな主人に頭を下げた。王子の執務室には彼ら二人だけで他に人の気配はありません。
それでもティストは扉の外を再度確認すると、しっかり閉めてから振り返ります。
「じゃあ、やっぱりナドレスなんだね、『歌姫』の正体」
三つ編みに結った淡い紫の髪を揺らして、彼は「だと思う」と認めました。
「術の訓練をしていたんだ」
所在なげに項垂れ、目は完全に泳いでいます。こうしていると、見目形の整った点を除けば、どこにでもいる普通の若い男性にしか見えません。
けれど、この王子の側近にはこのオキシアという国を守護する天使という、もう一つの顔がありました。
力を振るう時、彼はその姿からは想像もつかない美しく高い声で歌うのです。
「いざって時に鈍ってたら笑い話にもならないから。けど、まさかこんな噂になるなんて」
思いもしなかったと、大きく息を吐き出します。
「そりゃあ、なるよ」
「どうして? 別に、ただ歌っていただけなのに」
これにはティストもびっくりしてしまいました。どうやら「歌」そのものが問題だという点に、彼は全く気付いていないようです。
「あのね……。そうだ、ちょっと歌ってみてくれる?」
「ここで? ……わかった」
唐突な提案にきょとんとしていた青年も、主人の目つきに真剣さを感じ取って頷きます。二三のどを調整すると、柔らかい旋律を響かせ始めました。
小鳥のさえずりを連想させる、透明感のある曲です。何の術ものせていなくとも、人に理解出来ない詞は心地よい音となって耳に吸い込まれていきます。
いつまでも聞いていたくなる歌声でしたが、ナドレスはワンフレーズだけ歌い終えると元のいつもの声に戻って「これでいい?」と訊ねました。
すっかり魅せられていたティストは気持ちを切り替えて浅く息を吐き、まっすぐにパートナーを見据えます。
「自分の声や歌を、どう思ってる?」
「どうって……力をのせて術を編むための手段、かな」
彼によれば、歌で力を行使するのは天使の間でも特殊な力のようです。しかし、今議論すべきはそこではありません。
「上手だとか、キレイだとか」
「上手? 歌うのは好きだけど、天使なら誰だって歌うよ。エルネアだってさ」
ナドレスが説明すると、少年は何度目かの溜め息のせいで減りそうになる空気を肺に大きく吸みました。
「人間はそう思わないんだってば!」
主人のいつにない激昂に、彼はぽかんと口を開けて見詰めます。
「人間は、あんな風に歌ってたらびっくりするんだよ」
「……俺が男だから?」
「それもあるけど、それだけじゃあこの騒ぎは説明がつかないでしょ」
今のところ、歌っている現場を目撃されてはいません。にも関わらず噂はあっという間に広がり、正体を探る動きはかなり表面化しつつありました。
「ユーレイか何かだと思われてるのかな……」
「気付いてないの? もし現場を押さえられたら、人間じゃないって絶対にバレるよ」
視線で問う側近に、王子は人差し指を突き立ててきっぱりと告げます。
え、と短く声が零れます。そこまでマズい状況だとは考えていなかったようで、彼は目に見えて狼狽えました。
「歌っている時、信じられないくらい綺麗なんだから」
男性を褒めるのに相応しい表現かどうか解りませんでしたが、他に思い付きませんでした。
彼が歌うのは、聞く者が羽根の降る錯覚さえ覚えるほどの、祝福の歌なのです。
「そ、そう?」
自らのノドに触れて喜ぶべきか悩んだ反応をするナドレスに、再度ティストは強くクギを刺します。
「上手く言えないけど……神秘的な感じがする。他の人に見られたら一発でわかっちゃうよ」
ただでさえ突然の登用と人間離れした美貌に、男女問わず注目の的になっているのです。
「歌姫」と名付けられる程の美声を発しているところを目撃されたら、間違いなく大騒ぎどころでは済まなくなってしまうでしょう。
「僕、嫌だからね。もうナドレスも僕の家族なんだよ?」
やっと事件がおさまり、家族が揃う落ち着いた日常を手に入れたのに――。食いしばった歯の隙間から絞り出すように、ティストが呟きます。
青年はそっと膝を折り、俯く主人の顔を覗き込みました。その緑の瞳に涙は見えなくとも、不安に胸を痛めているのは分かります。
「……大丈夫。歌で起こした騒ぎは、歌で静めればいい」
「歌で……?」
まかせて。天使は自信たっぷりに笑ってみせました。
それからも深い時間になると、歌声は響いてきました。時に楽しげに、時に切なげに。美しさには変わりがなく、耳にした誰もが手を止めて聞き入ります。
変わったのは周囲の反応でした。あれほど口を開けばその話でもちきりだったのが、次第に人々の話題にのぼらなくなっていったのです。
「一体どういう仕掛け? 歌をやめたわけじゃないのに」
傍らで拝聴していたティストが、その日最後の一曲を終えた青年に尋ねました。
特等席をおさえられる権利を捨ててしまうのが、あまりにも勿体なくて、問い詰めて以降、時々こうして聞きにきているのです。
「最後の一曲だけ、術をのせてあるんだよ」
宵闇の中、部屋に灯した明かりだけがほんのりと顔を照らします。
でも、歌っている間だけ白く輝いて見えることに本人は気付いているのだろうかと少年は思いました。
「もしかして、みんなの記憶を?」
「そう、ぼんやり薄れさせる術。みんな、夢か幻だと思いこんでるはずだ」
言って、彼は悪戯っぽく笑みを濃くします。
「僕も忘れちゃうのかな」
「ティスト様には効かないよ。国王様にも、王妃様にもね」
歌の間は譲って静かにしていた虫や獣たちが、競うように鳴き始める中、それにかき消されない程度の声音で二人は会話を交わします。
「明日も聞きに来ようかな」
「あんまり毎晩ウロウロしてると怪しまれるよ」
ご所望ならこちらから参ります。わざとふざけてナドレスが腰を折ると、ティストは目を細めて忠告しました。
「分かってると思うけど、飛んできたりしたら駄目だからね?」
終
エルネアやヴィーラと違ってナドレスはまだ未熟なので、あちこち抜けているところがあります。
王族の三人は時々ヒヤヒヤしていることでしょうね。




