第十三話 しろい霧
「なっ」
無言で先を急いでいたミモル達は、突然のナドレスの声に足を止めて振り返りました。
「ど、どうしたの? ティストに何かあったの!?」
ミモルが走りよって問い詰めます。青年は何かに狼狽えた表情で視線を受け止め、かさかさに乾いた唇を開きました。
「強い『声』を聞いたんだ。多分、送ろうとしたんじゃなくて、溢れたものだと思うけど」
「……それって」
少女にも覚えがありました。パートナーとの繋がりは、時として伝えようと思わないものまで伝えてしまうことがあるのです。
大抵が、怒りや悲しみなどの抑え切れない感情です。想像が嫌な方へと加速します。そんな不安を断ち切るようにエルネアが口を挟みました。
「ティストは何て言っていたの?」
「『嘘だ。どうして』って……、あとは」
ナドレスは青い顔をして言葉を切りました。その態度は先を促して欲しいとも、これ以上聞かないでくれとも取れるものです。ムイが、再び髪をくしゃっとかきました。
「相変わらず煮え切らないわね。ことは一刻を争うって、さっき説明したばかりなんだけど?」
ここで来るまでの間に、彼には事の成り行きを話してありました。それを思い出したのか、勇気と声とを絞り出します。
「さ、叫び声だ。俺の全身を、ティスト様の叫び声が貫いたんだ」
聞き終わる前にムイとエルネアが同時に駆け出しました。パートナーに手を引かれ、ミモルも転ばないように続きます。
「何タラタラやってるのよ! それってかなりヤバいじゃない。早く来なさい!」
「あなたが居ないと場所が分からないわ!」
「あっ、あぁ!」
ナドレスは弾かれたように走り出しました。途切れ途切れに感じられる少年の居場所。それは霧のように頼りなく危うい感覚です。
城の者は皆、「彼ら」の手に落ちてしまったのでしょうか。ミモル達は誰一人としてすれ違わない廊下を長い間進み、階段をどこまでもおりていきました。
螺旋状のそれには、ところどころしか灯りがついておらず、不安を掻き立てられます。
「どこまでおりればいいの?」
自分達の足音だけを耳に留めながら足を動かしていると、気がおかしくなりそうです。まるで、終りがないような錯覚に陥ります。
ふと、ミモルはもう一人の自分がもっと傍に寄り添ってくれたらと思いましたが、何故か今回の旅では、ほとんど意識の上へと現れていませんでした。
『リーセン、どうしちゃったの?』
こちらからも呼びかけるタイミングがありませんでした。でも、それにしたところでこんなにも声を聞いていないのは久しぶりです。
『ねぇ、返事してよ』
「ミモル?」
「え? な、何?」
暗がりへおりていく行為がミモルを意識の底へと誘おうとした時、ふいに引き戻したのはムイの声でした。
「ごめん、ちょっとぼんやりしてた」
「そうじゃなくて、今――」
「ずっと下だ。多分、地上じゃない」
何かを言いかけたムイを遮って、ナドレスが断言します。僅かな時間を要してから、先程の問いに対する答えだと気が付きました。
「地下があるということ? 大丈夫かしら。この階段が地下に繋がっていなかったら、通路を探さなきゃならなくなるわ」
「あり得るわね。何か企もうって連中が簡単に入れる場所で事を構えるとは思えないし」
話している間にもミモル達は階段の最下層まで辿り着き、ぽっかりと開いた入り口から再び廊下へと飛び出します。
そこからは色とりどりの花で飾られた中庭が、柱と柱の間から確認出来ました。
「やっぱり。ここは一階よ」
「階段もここで終わりみたいだな。くそっ、まだもっと下のはずなのに。どこから行けばいいんだ?」
せめてもっと早く召喚されていれば、城の地理も頭に叩き込んで置けたのに。ナドレスはどうしようもない悔しさで胸がいっぱいになっていくのを感じました。
「仕方ないわ。緊急事態だものね」
「エル?」
美しく敷き詰められた煉瓦の廊下を見下ろしながら、天使は顔にかかる髪を払ってゆっくりと数歩後退します。
「ナドレス、この真下なのね?」
「この辺りなのは確かだけど……どうするつもりだ?」
「道がないなら、作るまでよ」
ふうっと息を吐き、エルネアは瞳を閉じます。目蓋の長い睫毛同士が触れ合いました。彼女は足を思い切り上げ、地面に振り下ろしました。
ガラガラガラッ! 硬い煉瓦がまるで積み木のおもちゃのように、脆く崩れ去ります。見る間に人が通れるほどの穴が開きました。
「さぁ、行きましょう」
ぱたぱたと払うその肌は傷一つどころか赤らんでさえいません。一体その細身のどこにそんな脚力が備わっているのか、本当に不思議です。
ミモルは改めてパートナーの力を実感しました。と同時に、それは彼女が人間ではないのだと思い知った瞬間でもありました。
「エル、すごい……。と、とにかく行かなきゃ」
そう言って穴を覗き込もうとしたミモルの肩を、誰かが強く掴みます。見れば、顔を顰めて外へ目をやるムイが腕を伸ばしていました。
「待って。誰かいる」
「えっ?」
「随分と乱暴な天使ねぇ」
「まさか穴を開けちまうとはな」
聞こえてきたのはくすくすという笑いと、複数の声です。一つは女性、もう一つは男性のもののように聞こえました。すぐさま、先ほどの男の影が頭を過ぎります。
しかし、姿を確認しようと目を凝らすよりも前に、霧が辺りに立ち込め始めました。白い人影が蠢きます。
「ロシュの邪魔をしないでくれる?」
「あいつの仲間か? 生憎、お前達の相手をしている暇はないんだ」
「威勢がいいのね。実力を伴っていれば、もっといいんだけど」
絡み付くようなねっとりとした口調は、かつてミモルが敵対した悪魔を彷彿とさせました。霧はどんどん濃さを増します。敵の術によるものだということは明らかでした。
「エル、これって」
「大丈夫よ。毒じゃないみたい」
「失礼ね。そんな詰まらない真似はしないわ」
辺りはいよいよ白く、近くにいる互いの顔もはっきりとは見えないくらいになってきました。
「私の手を離さないで」
「う、うん」
掴んだ手に力を込めるミモルの肩に、ムイもまだ触れたままです。ナドレスも傍にいる気配があります。
一か所に固まっていれば格好の標的にされてしまうことは分かっていましたが、バラバラになってしまうよりはマシだと、パートナーは判断したのでしょう。
「ナドレス、声でなんとか出来ないの?」
ムイが焦れったく言うと、空気の流れで首を横に振っているのが感じられました。
「効果の範囲には限界があるんだ。敵が見えないんじゃ、威力も半減だ」
彼の武器は声です。効果は本人から円状に広がることになります。相手の居所が分かれば距離を延ばすことも可能ですが、この状況では不可能でした。
「それにこの霧に響きを邪魔されて、満足に歌えそうにない」
「どちらにしても、霧をなんとかしなきゃ話になんないってことね」
湿った空気がじっとりと体に纏わり付き、服も重みを増したようです。どこから攻められても対処出来るように、じりじりと互いが触れ合うほど近付きます。
「ミモルちゃん、風で吹き飛ばせないかしら」
「やってみる」
片手をゆっくりと差し出し、風の名を呼ぼうとした時でした。耳元で、低く声が囁きました。
「それで守っているつもり?」
えっ、と思う間もなく、何かが少女を後ろから貫いていました。強い衝撃に、体が前へ持っていかれそうになります。
繋いでいた手が離れ、地面が迫り、視界がぼやけていきました。ミモルは咄嗟に思います。
『リーセン、助けて……』




