第三十四話 きこえた呼び声
「……ニズム。そう、私に呼びかけ続けていたのは、ニズムなんでしょう?」
「そうだよ」
突然の閃光と共に現れたそれによって、ミモルは現実に引き戻されました。エルネアの腕にしっかりと抱きかかえられているのを感じます。
次いで、そんな二人の前に大きな影が立っているのに気がつきました。
「……?」
すぐには理解できませんでした。見えたものが誰かの足だと判り、それからゆっくりと見上げていきます。ゆったりとした白い服を纏う、随分と背が高い――。
「彼」が振り返った瞬間、驚きで「誰」と問う声を失ってしまいました。銀髪に涼しげな瞳で微笑む青年は、眼鏡の端を指で持ち上げます。
「やっぱり、ミモルが僕をここへ連れてきてくれたね」
「ニズム、なの?」
以前出会った彼は、ミモルと同じくらいの少年でしたが、今目の前にいるのはエルネアに近い大人です。むしろ彼女より背丈は上でしょう。
「話はあとで。それより……」
優しげな目線をきっと引き締めて、マカラの前に立ち塞がります。
「約束どおり、僕は会いに来た。だから、もうこんなことはやめるんだ」
両手を広げて説得にかかる姿が、あの少年と重なって見えました。
うぅ、とマカラの口から呻きが漏れます。顔を歪め、未だ眠ったままのダリアに襲いかかろうとしていた手で頭を抑えました。
「お前なんか知らない。アタシは天へ復讐するんだ。邪魔をするな」
「だったら、復讐する理由を思い出してよ。何がそんなに悔しいのさ。思い出して、それでも行いを止める気にならないなら、僕も手伝う」
「ニズム!?」
ミモルが信じられないといった視線を投げ、受け止める彼はそれを軽くいなしました。
「……悪いけど、僕はマカラの味方だから」
まさかの発言に愕然とします。
ネイスと話したように、ミモルは精霊と契約を交わすことで「聞く」力を身に付けました。
それはマカラとの衝突が避けられなくなった時、ニズムを探し出して説得させるためだったのです。経緯は予想と異なったものの、目的を果たしたと思ったのに。
「駄目だよ。そんなことしたら、折角会えたのにまた――」
たった二人で全てを生み出した「創造主」に叶うはずがありません。末路は同じか、もっと過酷かもしれないのです。
「僕は、何度も何度も生まれ変わりながらこの時を待ってたんだ。それこそ、色々な人間に生まれ変わったよ。……その人が送るべき人生を奪い取ってね」
ニズムが吐き出す過去は、皆の口を閉ざすのに十分の重みを持っていました。
「生まれ変わるための儀式を行ったあの瞬間、意識がぷつりと切れて。気が付いたら全く別の両親が僕を覗き込んでいた」
どんな気分か分かる? と自嘲的に問いかけてきます。
「幸せそうな笑顔を見ていたら、『あぁ、とんでもないことをした』と思ったよ。でも、やめてしまう気にはなれなかった。忘れられなかったから」
「やめろっ」
反抗するかのようにマカラが声を荒げる中、動じもせずニズムは続けます。
「マカラがどこにいるか、最初は見当も付かなくて、あてもなく探して旅をしたこともあったよ」
でも、ある時彼はふと立ち止まって考えました。この世のどこかに居るなら、自分の呼びかけに応えない訳がないと。だとすれば、行き着く結論は一つです。
「もう知ってるだろうけど、僕らは悪魔と戦っていた。結局はチェクも親友を助けるために悪魔を葬らなければならなかった。……哀れな話だよね」
「倒した、の?」
「文字通りね」
ミモルの瞳が揺れます。チェクやエルネアがかつて悪魔と戦ったのは知っていました。しかし、同時に悪魔が堕とされた天使だったことも判明しているのです。
そこへ完全に死を肯定され、希望が打ち砕かれた心地がしました。
「マカラも罰せられたのなら、その悪魔と同じ運命を辿ったんじゃないかってね。もちろん、自分で地の底へ渡る術を探したよ。でも出来なくて、次に思い付いたのが」
「地の底と繋がる力を持った人間を探すこと?」
エルネアが言葉を継ぎ、ニズムも頷きます。
「つい先日、誰かがマカラを喚び出したのは感じたけど、どこにいるのかまでは分からなかったんだ」
ふいに口調を変え、「知ってる?」と聞いてきました。
「選ばれし者、つまり僕達のような人間は圧倒的に女性が多いみたいだね」
彼にとって幸いだったのは、生まれ変わってもその力が落ちなかったことです。もしかすると、ただの人として埋もれていった方が幸せだったのかもしれませんが。
「色々試したうちの一つが、自分の意識を飛ばしたり、人の意識に干渉する方法だった」
急に話が飛ぶことに違和感を覚えていたミモルが「あ」と声を漏らしました。あの夢のことを言っているのだと思い至ります。
「マカラの存在を感じ取った傍にミモルが居た。手掛かりが欲しくてコンタクトを取ったんだよ」
彼はずっとミモルに呼びかけ続けていたのでしょう。
「ミモルが成長して、僕の声を完全に聞き取れるまでになれば、『そこ』へ行くことが出来るから。……疑問は解けた? さっきも言ったけど、僕はマカラのために生きてきたし、これからも変わらない。ただ、それに他の誰かを巻き込む気はないよ」
ミモルがどういう意味かと訊ねる前に、エルネアが眉根を寄せました。
「ダリアの代わりにあなたが門を開くと言うの?」
「本気?」
「マカラ、そんなに望むなら僕が力を貸すよ」
苦しそうにしていたマカラの口が驚きの形に変化し、提案に興味を抱いたのか、ベッドからおりてきます。そんな彼女に、ニズムは手を差し出しました。
エルネアが警告します。
「確かにあなたならダリアの代わりには十分かもしれない。でも、いずれにしても身を滅ぼすだけよ」
「黙れっ」
いきり立ったのはマカラで、その腕で一閃、空を斬りました。
生まれた鋭い衝撃を、ミモルを庇う格好で、しかも近距離で受け止めたエルネアの肩からは服が切れ、血が滲みます。
「エル!」
「大丈夫よ。それよりあなた、本当はもう思い出しているんじゃない?」
「うるさいっ!」
叫ぶと同時にニズムの手を乱暴に取りました。激しい光が二人から発せられ、ミモルは強い痛みを瞑った目蓋に感じました。
服がはためき、狭い室内で激しい空気の流れが起こっているのを知ります。がたがたと家具が揺れ、ダリアが心配になりつつもエルネアの腕から抜け出すことも出来ません。
「えっ……」
ぎぎぃ、と聞こえたのは何だったのか。それを境に、突然音も光も止みました。
そこはすでに宿の一室ではなく、荒れ果てて草木一本生えていない不毛の土地でした。空は暗く、雲が厚く覆いかぶさっています。
「どうやら巻き込まれてしまったようね」
「ここが天……じゃないよね?」
エルネアに支えられて立ち上がりながら、直感で違うと理解していました。神々の住まう世界が、こんなに寂しい場所のはずがありません。
乾いた音の風が吹き、巻き上げられた砂が肌を弾きます。
「違うわ。ここは、地の底よ」




