第三話 二つのとびら
ミモルは気が付くと、まっ白な世界に立ち尽くしていました。
「あれ、何? ここ、どこ?」
「夢の中、みたいなものらしいわね」
妙に耳慣れた声に目をやると、そこにはなんと、もう一人の自分が立っています。腕を組み、重心を崩した姿勢で何ごとか考えているようです。
「……リーセン」
自分と唯一違う、その燃えるような赤い瞳を見て、呆けたように呟きました。リーセン、と呼ばれたもう一人の少女は、小さく溜め息をついて真っ直ぐにこちらを見すえます。
彼女は物心付いた頃からミモルの裡に棲んでいる、もう一つの意志のような存在でした。自分の思考が傾いた時に、反対側へ引っ張ろうとする気持ち……とでも言うのでしょうか。
「リーセン。あなたは私の気持ち……じゃないの?」
でも、どうしてその彼女が今、こんなありありとした実感をともなって目の前にいるのでしょうか。ただの「感情」が、自分と同じ顔をして立っていることが理解できません。
リーセンという名前だって、友達が欲しくて自分の中で付けただけの遊びに過ぎなかったはずなのに。彼女は「さぁね」と疑問を軽く受け流して、首を巡らせました。
「それより、この夢って『儀式』の続きなんじゃないの?」
儀式を受ける前にされた説明を思い出そうとすると、同じ物をなぞるようにリーセンが繰り返します。
「夢は選定の材料になる、って言ってたでしょ」
「……うん。10歳を越えると『才』を持つ子は『声』を聞くんだよね? それをサポートするのがルアナさんの役目だって」
ミモルはそこまで振り返って、今はそんな問答をしている場合でないと気付きました。ルアナは何か叫んでいました。あのせっぱ詰まった感じは、きっと何を警告していたのに違いありません。
「戻らなきゃ。……あっ、待って!」
止める間もなく、すぅっと溶けるようにリーセンは消えていきます。
ミモル自身、正確には儀式で何が起こるのかは知りませんでした。こんな目がチカチカする白い空間に一人ぼっちにされるなんて、あんまりだと思いました。
「出してよ」
不安から、がくりと膝が落ちます。しゃがみ込んで俯くと、鏡みたいに磨かれた床に自分が映っていました。叩き割る勢いでガンガンと両手を振り下ろします。
「出してよ、ここから出して!」
夢と同じ。いや、それよりも、もっと閉じこめられているように感じられました。拳を振るうほどに惨めに思えてきて、目には涙が滲みます。
「大丈夫。出してあげるって言ったでしょ?」
声が聞こえ、ミモルははっとして体を硬くしました。頭上からふってくるのは、聞き覚えのある優しい響きと、淡く光る白い何かです。
「だ、誰……?」
「さぁ、立って」
差し出される腕から顔へと視線を動かせば、美しい金髪の女性がにこやかに笑っていました。おそらく、彼女が夢で聞いた声の主なのでしょう。ミモルをゆっくりと引き上げて立たせ、言いました。
「会いたかったわ。私はエルネア。エルって呼んでね。これからよろしく、ミモルちゃん」
「どうして名前を……?」
「分かるの。だって、私は」
落ちてきた白く光るものが足先に触れたので、反射的に拾い上げてみると、それは一枚の羽でした。滲んでいた視界が開けると、エルネアの背には確かに翼が生えていて、ミモルは息をのみます。
「天使だもの。そして、あなたは私のご主人様ね」
「私が、主人?」
えぇ、そうよ。応える声は柔らかで耳に心地よいものでした。
「夢を見て、声を聞いて、私を喚んだでしょ? これで契約は成立したわ」
「儀式が成功したんだ……ルアナさんが言ってた、『あちら』と繋がるっていう儀式が――」
分かったこともありましたが、疑問はミモルの中でどんどんと溢れてきます。けれど、その勢いのままに質問しようとすると、エルネアは初めて表情を陰らせました。
「もっと説明してあげたいけれど、時間がないわ」
そう、忘れていました。何かが起きたはずなのです。ルアナとダリアはどうなったのでしょう? 姉は目覚める直前だったはず。そして叫び声が聞こえて……記憶はそこで途切れてしまっています。
エルネアは「さぁ」と声をかけてきました。
「あなたの大切な人たちを助けに行きましょう。しっかり掴まっていて」
言いながらぐっと抱き寄せられ、ミモルも慌てて腕を回してその身にしがみつきます。説明などなくても、何が起こるのかくらいは想像が付きました。
軽い羽ばたきの音と巻き起こる風に、思わず目蓋を強く閉じたのでした。
数秒と経たないうちに、体に馴染んだ空気を感じて、怖々目を開くと、そこは地面ではありませんでした。
「わっ」
「大丈夫?」
いつの間にあの白い世界を脱したのか、緑や黄色や赤に彩られた森が眼下に広がっています。二人はエルネアの翼で空中に浮かんでいました。
こんな高さから落ちたら、人間の体はひとたまりもありません。恐怖からしがみつく手に力がこもり、体が強ばります。
「空は初めてよね。でも、安心して」
いつも遊び回っている広場や、近くの村の家並みがオモチャのように見えます。エルネアは少し高さを落とし、ミモル達の家へ向かって移動し始めました。
「な、何あれ」
異変にはすぐに感付きました。家へ近づくほど、晴れていた空に雲が目立ち、大地を這うように黒い霧が立ちこめてきています。嫌な匂いをかいだようにエルネアが顔をしかめ、呟きました。
「……障気ね」
「しょうき?」
「穢れた空気のことよ。触れたら危険なの」
「えっ、どうしてそんなものが」
ミモルは驚きの声をあげました。自分達は『儀式』を行っていただけです。そして成功し、こうしてエルネアを喚びました。
だから一瞬だけ、自分のせいかと訝しみましたが、目の前の美しい天使を見る限り、そんな恐ろしい事が起きようとは思えません。
「ねぇ、ダリアは? 同じ『儀式』をしたはずなの!」
だとすれば、残る可能性は一つです。霧は、木々の間を縫うようにどんどん風下へと流れていきます。
その先、少し離れた場所には小さな村が点在していました。親しく付き合いがある村ではありませんでしたが、ルアナの手伝いで行ったことは何度かあります。
「……きっと、地の底と繋がってしまったのね」
「地の底……?」
「私達が住んでいる世界とは反対の、悪魔が住んでいる世界よ」
二つの世界は性質も距離も大きくかけ離れていますが、肉体によらない心の世界であるという点では似ているのだと、エルネアは説明してくれました。
その口振りからして、良くない場所であるのは明らかです。
「どちらもこの地上からはすぐ近くに在るの。だから、天との扉を開こうとした人間が、まれに地への扉を開いてしまうことがある」
「エルは、ダリアがその場所への扉を開いたっていうの?」
まだ良く理解できているとはいえません。ただ、あってはならないことが起きたのだという実感が、じわじわとわきあがってきました。
「ミモルちゃん、あれを!」
言われるままに真下を見下ろすと、広場からドス黒いモヤがどんどん吹き出してきています。
「ふふ……」
「だれ? 誰かいるの?」
どこかから響く陰湿な笑い声に、ミモルはぎょっとしてエルネアの腕の中で更に身を固くします。しかし見回しても姿はありません。
収まらない笑いは楽しくて仕方ないという、暗い喜びを帯びていました。きっと、あのモヤの中にいるのでしょう、不敵に笑う何者かが――。
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