第十一話 うるわしい案内人
ミモルには、もう人の波に紛れてしまった少女を探すのは、並大抵のこととは思えませんでした。
この街には、家の近くにあった村とは比べられない数の人間が住んでいます。手がかりは顔と服装くらいで、名前さえ知らないのです。
「一体、どうやって探すの? エルには居場所が分かるの?」
期待を込めた瞳で天使を仰ぎました。
これまで人にはない力の片鱗を垣間見せてきた彼女は、人探しが出来そうな能力をも、持ち合わせているのかもしれないと。
しかし、エルネアは苦笑して首を振ります。
「残念だけれど、私が感じられるのは主であるミモルちゃんのことだけなの」
がっかりしたミモルを励ますように、彼女は「でも」と続けました。
「ここは占いの街だもの。凄腕の占い師なら、人を探すことなんてきっと簡単よ」
注意深く見回してみれば、あちらこちらに水晶や不思議な形のペンダントなどを置いた店が目に付きます。
どれもが奥は暗く、フードを目深に被った占い師らしき怪しげな人影がぼんやりと見えました。煙って、中の様子が全く分からない店もあります。
「エルは、占いを信じてるの?」
意外でした。人よりずっと優れた力を持っている天使が、人間の「占い」という不確かなものを頼るとは思えなかったのです。
ルアナも占いをしていましたから、未来を予知したり、見えないものを見たりするにはそれなりの素養が必要なことを、ミモルは承知していました。そして、そんな人間が滅多にいないことも。
「人にも強い力があるわ。あなたのように」
「私?」
エルネアは少女の目をじっと見据えて、まだ目覚めていないだけで、いずれそういった能力も開花するだろうと言います。青く澄んだ瞳はまるで、彼女のもっと深くを見通すように思われました。
ミモルは、慌てて目を伏せます。もう一人の自分が暴かれそうな気がしたからです。「彼女」の存在を知られることに、何故か不安を覚えていました。
「私には人を探す力はないけれど、強い力を秘めた人を感じることは出来るの。この街で最も強い力を感じるのは、あの塔ね」
指差した先は、この街に入ってからずっと見えていた高い塔でした。
白く長いその建物は、どこからでも視界に入ってくるほどの存在感で、真っ先に気になるものでもありました。
通行人に訊ねると、あそこにはこのハエルアを含む一帯を治める領主が住んでいるといいます。
しかし、ミモルがそれよりも驚いたのは、ハエルアが代々占い師の一族によって治められているという事実でした。
「だから『占いの街』なんだね」
「きっと優れた占者が大きな災害や世界の流れを予知して、街の人達を守っているのよ」
一筋の光のように、真っ直ぐに天を刺す塔。円柱形のその頂きから地上を見下ろして生きている領主とは、どのような人物なのでしょうか。
「とにかく行ってみましょう。お願いすれば、占って貰えるかもしれないわ」
「えぇ? そんな偉い人が私達の話を聞いてくれるかなぁ」
ひどく楽観的なエルネアに手を引かれ、しぶしぶミモルも塔に向かって歩き始めました。
「うわぁ、大きいね~!」
いくらか歩くと、いよいよ間近に搭が迫ってきました。周りの建物がさばけ、全体が見えてくれば、予想以上の威圧感を放っています。
さすがにどこからでも見えるだけあり、巨大の一言に尽きます。細く長いように思いましたが、太さもかなりのものでした。
山で言えば裾野にあたる地上部分には、塀も柵も設置されてはいません。入り口らしき門と、門番らしき人影が二つあるだけです。
一種の観光名所のようで、ミモル達のように搭を見上げている人も多く見えました。
「首が痛くなっちゃいそうだよ」
口を開けっ放しでいたことに気がつき、慌てて赤い顔で首をさするミモルに、エルネアもクスクスと笑ます。冷やかしやからかいではなく、もっと優しい、こちらの恥ずかしさが紛れる声でした。
門番は女性と男性が一人ずついます。どちらもすらりとした長身で、腰に細身の剣を帯びています。今は鞘に収められている刃物を想像し、ミモルはどきりとしました。
「すみません。領主様にお会いしたいのですが」
エルネアは武器を一瞥しただけで、笑顔で門番に話しかけました。凄い度胸です。
一歩前に出たのは女性の方でした。黒い服の上から白い布を垂らしたような格好は、甲冑を纏っていないためか、堅苦しさを半減させています。
「旅の方、ですか。どのような理由で我が領主への謁見を?」
得体の知れない自分達を、邪険にはしない声音です。すぐさま門前払いをされると思っていたミモルは、この応対に安堵しました。きちんと話を聞いてくれるとは考えていなかったのです。
「人探しをお願いしたいのです。こちらの領主様は、素晴らしい占者だとお聞きしましたので」
「……しばしお待ちを」
軽い自己紹介と用件だけで取り次いで貰えるだけでも驚きでしたが、ほんの僅かの間待たされてから受けた返事は「どうぞ中へ」でした。
門番は持ち場へ戻り、代わりに「麗しい」という言葉がぴったりの美しい女性が案内役を務めてくれることになりました。
扉の中は一段気温が上がったように暖かかで、明かり取りの窓の数からは不自然なほどに明るく感じます。
中には柔らかい絨毯と、ちょっとしたお喋りが出来そうなテーブルと椅子が傍らに置かれています。玄関を兼ねた、人を出迎える為の簡易な客間なのでしょう。
「この搭は遥か昔、最初の領主となられたお方が創られたそうです。今に伝わっているのは使用法のみで、技術自体は失われた物がほとんどだとか」
物珍しげにキョロキョロしているのを見とめて、案内をしてくれる女性が説明してくれました。その後ろでは扉が静かに閉まっていきます。
完全に閉められたのを見届けてから、エルネアがおもむろに言いました。
「久しぶりね、ヴィーラ」
「はい、エルネアさんもお元気そうで」
「えっ、知り合い?」
ヴィーラと呼ばれた女性が微笑みました。淡い空色の髪と瞳を持ちながらも、前髪の一部と片目は緑がかった不思議な色をしています。
「初めまして、ヴィーラと申します。あなたがエルネアさんのご主人様ですね」
差し出された手はエルネアと同じように白くて綺麗でした。森の生活に慣れた自分の手とはあまりに違う大人の女性らしさに、握手をするのを躊躇ってしまうほどです。
「あ、えと……ミモル、です」
「よろしくお願いしますね」
それでもおずおずと出した少女の手を、ヴィーラが両手で包み込むように優しく握ります。とても暖かくて、安心させてくれる感触がしました。
「エルが探していたのは、この天使さんだったんだね」
自然と口をついて出た科白に、エルネアが一瞬目を見張り、微笑みます。彼女が笑うと、ミモルはいつも花が咲くようだと感じます。人を幸せにする笑顔です。
「確かに気配を追っては来たけれど、ヴィーラと再会出来るなんて思わなかったわ」
「でも……」
握手した手から伝わってくるものの中に、何か異質なものを感じてミモルが呟きます。
「なんだか、元気がないみたい」
それぞれ色の違う瞳の奥に、暗くて淋しい、天使に似つかわしくない心の翳りが視えました。
そういえば、人の感情を今までより敏感に感じ取るようになったことに気付きます。これも、契約によって自分に身に付いた能力なのでしょうか。
「やはり、お気づきになりましたか」
解けるように手が離れていきます。その手をもう一方で庇い、胸元で握り締めます。無言でうつむく姿は痛々しく、肩の部分が開いた白い服が揺れています。
エルネアがそっと彼女の腕を取りました。
「あなたにも、助けが必要なようね」
自分達には余り時間がありません。それでも、放っておくことなど出来ませんでした。




