第二十四話 魂のゆくすえ
残酷な描写があります。ご注意ください。
生贄。ぐっと胸を鷲掴みにされるような嫌な響きです。
「覚えてるだろう、ニズムが行った儀式を」
「……」
忘れるはずもありません。あれは魂を天に通さず生まれ変わる禁術でした。
儀式そのものは成功しましたが、それで来世でも幸せになれるなど甘い考えです。すぐさま天の知るところとなり、マカラは地の底へと落とされてしまいました。
ニズムはパートナーに訪れた悲劇を知るよしもなく、何百年も地上を彷徨います。
忘れることも許されず、自らが作った魂の牢獄にいるような心地だったでしょう。
「アレイズがしたことも似たようなものだ。ただ一つ、大きく異なる点を除いては」
「異なる点?」
ネディエはすぐには続きを告げようとはしませんでした。そこに何か葛藤の元となることがあるのか、時間をかけて迷っているように見えます。
きっと言い辛いことなのだろうと思いつつ、見当の付かない面々には黙して待っていることしか出来ません。やがて、彼女が口を開きました。
「……魂を二つに分けたんだ」
それこそまさに、神々の目をすり抜けるための秘策――いや、苦肉の策でした。
「片方は普通どおり転生させる。ヴィーラに運ばせて綺麗に記憶を洗い流し、新しい魂となって生まれ変わる。そうすれば天を誤魔化せると踏んだらしい」
それでも詳しく調べれば細工がばれてしまいかねません。二つに分けてしまえば質量は半分になってしまうのですから。
でも、魂はすり減ることがあるのを彼はヴィーラから聞いて知っていました。
戦場のような著しい苦境に立たされたり、裏の世界へ身を落としたり、何かに苛まれ続けた魂は歪んで摩耗し、小さくなってしまうのです。
私が、と暫く口を閉ざしていたヴィーラが言いました。
「私が最後にアレイズ様から受けた命令は、神々に『アレイズ様は最後まで事件の記憶に苦しめられていた』と申し上げることでした」
悪魔との悲壮な戦い。流された血。忘れることが容易だったとは思えません。それを天使の口から伝えさせるのです。いかにも、もっともらしく聞こえたことでしょう。
「実際、詳しくお調べにはなりませんでした。綺麗にして、小さくなってしまったそれを創り直し、地上に解き放ったのです」
清らかな魂は白い光となって飛んでゆきます。辛い経験をした過去を知らず、新しい幸せを感じられるようにと願いながら。
「そして、もう片方は『アレイズ』のまま生き続けて計画を続行した」
転生は人間の領分を明らかに超えた行為です。そんな紛い物の方法では魂は生まれ変わるたびに形を歪めていきます。
行き着く――そう遠くない未来は、想像するのも恐ろしいものに違いありません。
アレイズの場合は、その肝心の魂が半分しかなく、極力ヴィーラを巻き込まないために協力も拒んで行われました。
「あいつは人間を辞めたんだ」
ネディエが続けて語った事実は目を背けたくなるものでした。
計画を実行するには「人の姿」が必要だと考えたアレイズは、朽ちていく体を核に、色々なものを寄せ集めて形を作ります。
それはもう決して「人間」ではありません。一皮剥けば血でも肉でも骨でもないものが露わになる「何か」です。
「外見が変わるのもそのせいだ。あまりに色々とやり過ぎて、本人にもよく分からなくなっていたらしい」
自分は男だったと思う。でも、その記憶は本物なのか。
体は自我そのものです。器が変われば中身も変わってしまいます。そうして新しい何かを組み込むたび、「自分」が曖昧になっていきました。
忘れなかったのはヴィーラとの楽しかった日々と、己の存在理由だけ。でも、それだけあれば彼には十分でした。
「そのうち、周囲に暗示をかけられるようになった。本能的に、自然に」
時に二人が一人に見え、一人が二人に見える。不自然を誰も疑いません。だから本人さえも暗示にかかって、生きていました。
「悲しい……悲しいよ」
ミモルは涙が滲んだ瞳で、ノドの奥から声を絞り出します。
「そうまでして、ヴィーラを、天使を解放したかったのなら……なんであっさり死んじゃうの? おかしいよ」
今なら分かることがあります。彼は自ら死を選び、ヴィーラに刺させたのだと。
けれど、切れ切れになっていく自我が完全に崩壊してしまう前に死にたかった、とでも言うのでしょうか?
「僕も疑問に感じます」
フェロルが呟きました。
「そうまでして、数百年もかけて準備してきた計画でしょう。そもそもヴィーラさんを呼び寄せたことだって、発見されるリスクが高まるだけで何のメリットも見出せませんし」
来たるべき争いへの戦力とするためとは思い辛い状況です。ヴィーラは彼にとって最も救いたかった相手なのですから。
「願いが成就する瞬間だったなら理解できます。長年の夢が叶うところをヴィーラさんに見てもらいたかったというのならば」
だとすれば、タイミングが早過ぎます。エルネアが言いました。
「……まるで、見つけて欲しかったみたいね」
止めて欲しかったわけでもないはずです。最期の瞬間、彼の瞳に浮かんでいたのは諦めではありませんでした。
最大の望みには届かずとも、十分の満足を得た人間の目をしていたのです。
彼の夢はまるで砂の城のよう。
緻密に作り上げたそれを本物の城に変えることは出来なかったけれど、崩れる前に誰かに見てもらうことを願う、一夜きりの夢のようでした。
ちょうどネディエの話に一区切りが付いた頃、ムイとアルトが室内に入ってきました。
「あ~、疲れた。こっちにも一杯ちょーだい」
そう言って、空いた椅子にムイがどっかりと腰を下ろします。対照的に疲労の色が見えないアルトは同僚の要望を聞き入れ、ティーセットを手に取りました。
白い陶器に入れられた湯はまだ温度を保っているようで、消え入りそうであった湯気が再びふわりと立ちのぼります。
客人にお茶を淹れさせるわけにはいかないとヴィーラが慌てて立ち上がり、彼女にも座るよう声をかけると、つやのある長い黒髪を揺らして首を振られました。
「お茶を淹れる瞬間は心が休まりますので。お気遣いありがとうございます」
「……そうですか」
ふと、ミモルは誰もが気付いていながら敢えて目を逸らしていたことに改めて思いを巡らしました。やけに静かすぎることにです。
事件の当事者や被害者という区分さえ曖昧な者達はどうなったのか、実はとても気になっていました。
これまで、屋内でネディエの――アレイズの話を聞いている間、外からは何の喧噪も聞こえてはきませんでした。
極めて不自然です。もっとガヤガヤと……物騒な音や声が聞こえてきて当然の状況だったのですから。
「……何よ」
視線はおのずとムイに集まりました。本人もそれを察していて、テーブルに頬杖をついています。彼女の性格からして、面倒な質疑は避けたいのでしょう。
だからといって、放置出来るはずもありません。
「ムイ、あの人達をどうしたの?」
「然るべき処罰を与えた」
息を呑む音を立てたのは何人だったのでしょう。彼女も疲れた顔で静かに続けました。
「分かってるでしょ、それがこっちの仕事なの」




