第二十二話 魂のひかり
『私が刺されていたら、ああなっていたんだ』
あのナイフはつい先ほど、ミモルを襲うために使われたものの可能性が高いでしょう。事件の後、ヴィーラが抜け殻のようになってしまったせいもあって、慌ただしい中、凶器を取り上げるのを忘れてしまったのです。
目蓋を閉じても浮かんできてしまう姿は、「あり得た自分」そのものでした。
「やられたわね」
「これは予想外と言わざるを得ません」
存外、神の使い達の口調は冷めています。そこには与えられた任務を遂行不能になったことへの悔しさはあっても、焦燥は感じられません。もう「焦る必要がない」のです。
「申し訳ありません。申し訳ありません……」
「もう良い」
ヴィーラの謝罪は細々と続き、ショックから我に返ったネディエが腕を掴んで諭しました。確かにそれで声は消えましたが、ミモルには心の中では謝り続けているように思えました。
「……」
沈黙が流れます。
場に居合わせた者達は、事件の呆気ない幕切れに戸惑う者と、考えを巡らせる者とに分かれ、前者は誰かが次の言葉を発するのを待ち続ける心地でした。
そんな沈んだ空気の中、周囲を窺いたくとも踏ん切りが付かなかったミモルの顔を上げさせたのは、他でもなくエルネアでした。
「見て!」
声に弾かれて目線を彷徨わせ、二度と見たくない「あの光景」があった場所で焦点が定まります。
そこには力なく横たわる青年の、真っ赤に染まった背中があるはずでした。
「え……?」
体はあります。けれど、その色は強烈に死を主張する赤ではなく、仄かに光る青で――。
「申し訳ありません。……アレイズ様」
「アレイズだぁ?」
再度口を開いたヴィーラがぽつりと零した呟きは皆に伝わりました。
実際に発したのはスフレイだったものの、ミモル達とて衝撃を受けなかったわけではありません。ただ、種類が少しばかり違いました。
「やっぱり、そうだったのね」
「様々な疑問は残りますが、そう考えるのが一番しっくりくるでしょう」
「どういうことだ?」
勝手に話を進めてしまいそうな雰囲気のエルネアとフェロルに、ネディエが怪訝そうな顔を向けます。
スフレイも「お前らばっか納得してんじゃねぇ」と露骨に不機嫌を表します。
「アンタ達が昼間会った女と、コイツが同一人物だったってことよ」
面倒な手間をかけさせるなと言わんばかりに、ムイが髪をかき上げます。
謎の青年と良く似た色のそれがふわりと揺れて降りる様は、一つのインスピレーションを二人に抱かせました。
「あ……」
ヴィーラを助けてくれた女性は、一体どこへ行ってしまったのでしょう。これだけの騒ぎが起きて姿を現さないのはあまりに不自然です。
「どうしてすぐに気が付かなかったのかな」
そもそも夜襲があった時点で、誰かが起こしに走ってもおかしくはありませんでした。
関係ない人間が巻き込まれないよう配慮すべきだったのに、ただの一人として口に上らせませんでした。
意識を向け始めた途端、疑惑がむくむくと膨らみ始めます。
こうした状況の中で思い返せば、記憶が戻りかけて苦しむヴィーラを庇った彼女のあの行動さえ、単なる優しさや親切心からとは思えなくなってきます。
「おいおい、こりゃあ、どういうことだよ……?」
誰もが同じ感覚に襲われていることを、スフレイの言葉が示しています。
脳裏では、心の奥が見通せない目をした女性と、本当の目的を明かす前に事切れた男性の影が、ぴたりと重なり一つになりました。
……こんなにも似ていたのに気づかなかったなんて。
「命が失われ、暗示もまた途切れたのでしょう」
淡々と説明してくれたアルトの言葉通りなら、疑問に思わないよう惑わされていたことになります。初めから騙すつもりだったと知り、ミモルは唇を噛みしめました。
「違います!」
胸の奥から吐き出されるような、悲痛な声が場を貫きます。はっとしてヴィーラを見れば、今なお溢れ続ける涙を拭うところでした。
「お前、意識が戻ったのか?」
ネディエが顔を覗き込むと、彼女はそっと頷きました。もしかすると、少し前から呪縛が解けていたのかもしれません。でも、タイミングは最悪でした。
記憶を失っていた間のことを覚えていたにしても、そうでないにしても、目の前に広がる現実は彼女の心を容赦なく突き刺したに違いないのです。
きっと、自分でも気持ちの整理が付かないのだろうとミモル達は思いました。しかし、再び上げた瞳には予想に反して別の意思が宿っていました。
「アレイズ様は、皆さんを騙そうとしたわけではないのです」
「お前は何を言ってるんだ?」
やけにきっぱりと断言する口調です。ネディエが面喰いながらと問いかけると、ヴィーラはすっと手を上げました。
「……あれを」
差された指の先には、未だ青く光り続けるアレイズの亡骸が横たわっています。その輝きはどんどんと増し、直視するのも苦しいほどになっていきました。
亡骸が光る様は、まるでこの世を去った首謀者が死んだあとになって何かを告げようとしているかのようでした。
「おいおい、これ以上何が起きるってんだ?」
「おかしいわ。魂が上がって来ない」
フェロルが、普通なら肉体から魂が離れるはずなのだと教えてくれます。
その話なら前にエルネアから聞いた覚えがありました。天使はそうやって浮き上がった魂を天へと導くことが、大事な使命の一つなのだと。
「じゃあ、まだ死んでないってこと?」
口にしながら、同時に違うとも感じています。自ら敷いた赤い絨毯の上に伏すそれが、すでに肉の塊に過ぎないことは誰の目にもはっきりしているからです。
だからこそ、おかしい。そう思った瞬間、光が弾けました。
『!!』
眼球を焼きそうな光量に思わず目を背けた時、少女の短い悲鳴が聞こえ、辺りは一気に夜の暗さを取り戻しました。
「……?」
今のはなんだったのでしょう? それに今の叫びは?
ショックで失われてしまった光をミモルが再び呼び戻し、辺りを照らすと、親友がパートナーの腕の中でぐったりしているのが目に入りました。
「ネディエ!?」
「……あぁ」
急いで駆けつけて顔を覗き込むと、かろうじて意識は保っています。うっすら目蓋を開いたまま、肩で荒く息をしていました。
「何があったの?」
彼女は己の胸のあたりをぐっと掴んで低く呻くと、苦しさにどこか憂いを乗せた表情で呟きます。
「あの光が、私の中に……」
夜もすっかり明け、日が赤から白へと変わりつつありました。
「んで、どういうことなんだよ?」
唯一残ったミモル達は、ひとまずアレイズの家の客間に集まっていました。
事態を治めるまで残っていろとムイに言われたせいもありますが、何の謎も解明されないまま日常に戻る気になど、到底なれなかったためでもあります。
「……」
椅子に座って暫くはまだ辛そうだったネディエの表情が和らぐと、昨日と同じようにヴィーラがお茶を運んできてくれました。
違いは彼女のしっかりとした顔付きと、家の主人の不在だけです。
「ネディエ、聞いてもいい?」
「……あの時、光が体の中に飛び込んだのを感じた瞬間、アレイズの記憶が強烈な勢いで流れ込んできた」
一気に押し寄せる光の洪水は、まるで激流に飲み込まれた時のよう。入ってくる情報を受け止めきれず、世界がぐるぐると回り、全身が悲鳴を上げました。
「あれはアレイズ様の魂です。あの肉体に留まろうとする意識が消えたため、本来の持ち主に引き寄せられたのです」




