第二十一話 追い詰めるものたち
痛いシーンや血の描写があります。ご注意下さい。
「協力しよう。全てのしがらみから、天使たちを解放するんだ」
「……」
彼は間違っています。取ろうとしている手段に賛同はできません。でも、その考えについてだけは、否定することもできずにいました。
「近寄らないで!」
エルネアが更に強く睨み付けたが、彼の足は止まりません。あと五歩、いや四歩で手が届きます。三、二、……。
「そこまでッ!」
ぱぁんと何かが弾ける感覚があって――世界が制止しました。頬に触れていた風の流れがふっと消え、静かに揺れていた草木も直立します。
まるで、突然ガラスケースにこの場だけがすっぽり覆われてしまったみたいでした。
「……ムイなの?」
ミモルは信じられない思いでその名を呟きます。人の垣根を割いて現れた二人はどちらも見覚えのある人物でしたが、中でも片割れには特に懐かしさを抱きました。
「久しぶり、ミモル」
明るく応えたのは、幼顔に似つかわしくない笑みを浮かべた少女・ムイです。陽光を編んだような髪も宝石の如く輝く瞳も、最後に別れた時と全く変わっていません。
以前、女神を探す旅へとミモルを引っ張り出した張本人でした。
彼女は神の側近で、本来は地上へ降りることはありません。もう二度と会うことはないとさえ思っていたのに、こんなに早く再会しようとは。
「散々手こずらせてくれちゃって」
彼女は青年に目を向けてため息をつきました。その口ぶりから、長い間追い続けていたことが窺えます。
「あれ、バレてたか。隠すために色々算段してたのに」
「白々しい。まさか、永遠に逃げ続けられるなんて思ってたわけじゃないでしょ」
「貴方は存在をくらます一方で、私達にある種のアピールもしておられました。実に巧妙なやり方で」
静かに切り出したのは、ムイの隣に楚々と佇む長い黒髪の少女でした。ミモルは彼女にも一度だけ会ったことがあり、素性も知っています。
肌を極力隠した服装の儚げな少女の名はアルト。ムイと同じ神の使いの一人です。
常に余裕たっぷりな態度のムイとは対照的に、大人しく上品な立ち居振る舞いをしています。
もっとも、二人とも少女なのは外見だけで、実際はかなりの年月を重ねているだろうことは、エルネア達天使が何年経っても年を取らないのを見れば明らかでしょう。
「ほんと、良く頭が回るわねー。これだけの天使を手品みたいに消して見せただけじゃなくて、自分の兵士に転用しようってんだから」
「同時に、その事実はご自身の実力のアピールになります」
ミモルは思わず成程と納得してしまいました。
天使とその主が忽然と消息を絶つ。しかも神々の追跡を許さないレベルでの失踪です。それを成し得ている時点で、存在を強烈に知らしめることが出来ます。
「お褒めにあずかり光栄だ、と言いたいところだけど、こうして見つかってしまっているのだから、素直には喜べないな」
残念そうな割には、口元は笑みの形に歪んでいます。自分でもそろそろ発見されるだろうことを予測していたのか、それともわざと見つからせたのか。
ムイは彼とミモルとの間に体を挟み入れるようにして、二人を引き離しました。すぐさま、エルネアが主を引き寄せ、後ろへ下がらせます。
「エル……」
「近寄っちゃ駄目よ。安心して、指一本触れさせないから」
もしあのまま差し伸べられた手を取っていたら、今頃どうなっていたのでしょう。
彼の言葉が真実なら、薄氷の上を歩くような取り引きの現場に、文字通り命がけで赴かなければなりません。
一つだけ確かなのは、ムイとは敵対関係になっていただろうということです。
『エルやみんなを辛い運命から解放してあげたいとは思う。でも』
1年前の旅は、あまりにも突発的な旅立ちでした。自分にとっては無用のいざこざに巻き込むムイを、最初は快く思っていなかったのは事実です。
ただ、行く先々で彼女の明るさや誠実さ、そして責任感の強さを知りました。
疎ましさはやがてミモルの心から消えていき、最後には互いに別れを惜しむ関係にまでなれたのです。
しかし、青年と共闘する道を選んだ瞬間、それは失われてしまいます。
『友達と争うなんて嫌だよ』
どれだけ言葉を尽くしても、ムイが心変わりすることなどありえないのをミモルは良く承知しています。神々の命ならば、こちらに刃を向けることでしょう。
そんな場面は想像するだけで胸が痛みます。
「まさか、この期に及んで逃げるなんて格好悪い真似、しないわよねぇ?」
青年が肩をすくめると、今度はアルトが「もう逃げ場所はありません」と告げました。
「空間を切り取らせて頂きました。この村は今、外界と完全に断絶した状態です」
アルトがそう話すそれは何かの比喩でなく、厳然たる事実です。神の使いにはそれぞれ特別な能力が備わっているらしく、彼女は空間を操る力を持っているのです。
以前、ミモル達もその力によって助けられたことがありました。
「……ここまでか。もう少し粘れると思ったのに」
青年は案外、あっさりと諦めを口にしました。逃げようとしたり、口先で時間稼ぎをして何かを仕掛けてくるかと思っていたこちらとしては、拍子抜けなくらいです。
ムイも同じ感想を抱いたのでしょう。
「へぇ? あんなに苦労させてくれたにしては、往生際がいいじゃない」
「引き際くらい心得てるさ。もともと、うまくいけば上の連中の首をひっつかんでやれるかも、程度にしか考えていなかったからね」
どこか違和感のある言い方に聞こえました。まさか、「最初から達成できるわけがない」という諦めではないでしょう。青年の口が、笑みの形に歪みます。
「落としどころは、ここでいいのさ」
次の瞬間、鋭い閃きと迸る赤が静止した世界を彩りました。
男の漏らす濁った吐息に、別の誰かの嗚咽が混じります。それは彼の背後から届いたものでした。
「も、もうし、わけ、ありま……せん」
ぽたぽたと地面を濡らすのは大粒の涙です。声を長く聞いていないような気がしたのは、二度と耳に出来ないのではという恐れを抱いていたからかもしれなません。
「これで良いんだ。……ヴィーラ」
時折咳き込みながらも、それまでの不敵な印象からは想像もつかないほど声音は優しく柔らかいものです。
しかし、口からは幾筋もの赤い液体が止め処なく流れ、顎を伝って地面に落ちていきました。追って体も前のめりに崩れます。
どさり、と麻袋を叩き付けるような音を立てて倒れました。
つんとした匂いが鼻先を掠める。背にはナイフが深々と刺さり、服が元はどんな色だったのか思い出せないくらいに、周囲を朱に染め上げました。
「いやあぁあぁあっ!」
ミモルが叫び声を上げ、慌ててエルネアが抱きしめて視界を遮りましたが、手遅れでした。恐ろしい光景は、すでに目に焼き付いてしまっています。
『なんで? どうしてヴィーラがあの人を……!?』
エルネアの腕の中にいても、空気の流れで周囲の人間の動きをぼんやりとは感じられます。けれど、誰も駆け寄って救おうとする気配はありません。
まだ息があったとしても、処置しなければ確実に死に至る傷なのは明白です。それとも、もう手遅れなのでしょうか……。
しばらく重々しい場面が続きます。
一区切り付くまでは投稿頻度を上げる予定ですので、よろしくお願いします。




