娘は鍛えさせたい
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──娘は鍛えさせたい
王立ティアマト学園魔術部の存続と再びの繁栄を目指してトレーニングが始まった。
まずは筋トレである。短距離走は足の筋肉以外にも様々な筋肉を使う。それを満遍なく鍛えるのだ。クラリッサは筋トレに関するメニューを作って、魔術部の部員たちはそれに従って鍛えることになった。
……のだが。
「ダメ……。もう死ぬ……」
「体育祭が始まる前にばてる……」
普段の運動は非戦闘科目のそこそこに健康な体を作るというものだけだったサンドラを含めた魔術部員たちにとって、戦闘科目の鍛え方はつらすぎた。全員が一日のメニューをこなす前にばてている。
「頑張るんだ、諸君! 魔術部の明日がかかっているんだ!」
「部長もやります?」
「あいたたた。足が痛い……」
ダレルは掛け声だけである。
「ううむ。もう体育祭まで時間がないからびしびし行きたいんだけど、無理?」
「無理だよ、クラリッサちゃん」
クラリッサが唸りながら尋ねるのに、サンドラが白旗を上げた。
「しかし、基礎体力がないと相手もフィジカルブーストを使ってくるだろうし、勝ち目が薄くなる。だが、魔術部としてはフィジカルブーストで勝負するのが最適なのだろうか。それなら筋トレじゃなくてフィジカルブーストを鍛えていきたいけれど」
「そうそう。私たちは魔術部員なんだし、魔術で勝負しないと」
クラリッサが告げるのに、サンドラが頷いて見せる。
「それじゃあ、フィジカルブーストを鍛えよう。鍛え方は知ってる?」
「知ってるよ。体内に魔力を流していき、強化したい場所に集中させるんでしょ?」
フィジカルブーストの鍛え方はサンドラの告げた通り。
まずは魔力を体内に満遍なく流していき、それから強化したい場所に魔力を集中させるのだ。こう書くと簡単なようだが、実際は魔力を上手く体内に流せなかったり、強化したい場所に集中できなかったりして意外と大変なのである。
「強化する場所はいくつかあるよ。陸上部は恐らく脚部だけに集中させてくるだろうけれど、こちらは魔術部として高度に複数の個所を強化しよう」
「おー!」
クラリッサが告げるのに部員たちが威勢のいい掛け声を上げる。
「まずは基本的に脚部の筋肉から。それから肩まわりの筋肉、次に股関節周囲の筋肉について強化していこう。全ての筋肉が満遍なく強化出来たら、走るのに適切なフォームを教えるから実際に走ってみようか」
「まずは脚部から……」
魔術部員たちがリラックスした姿勢で体内に魔力を流し、そしてそれを集中させていく。ひとつの個所に魔力を集中させるだけでも難しいのに今回は3か所だ。それなり以上の難易度である。だが、魔術部員たちならばきっとやれるはず。
「で、できた!」
「おお! でかした、サンドラ君! 君ならばやれると思っていたよ! ここはファンファーレを鳴り響かせるべきだろうか!?」
「集中力が途切れるので先輩は静かにしていてください!」
「そ、そうか……」
ダレルも悪気があるわけではないのだ。ただ、骨折していて部に貢献できないので、彼なりにできることをしようとしているだけなのだ。
「俺もできた!」
「わ、私も何とか! 魔術部員ですからね!」
部員たちは全員が高度なフィジカルブーストができるようになった。
「それじゃあ、短距離走のフォームを教えよう。外に出るから準備して」
「了解!」
クラリッサたちは運動靴に履き替え、グラウンドに。
グラウンドは雨の影響も薄まり、乾燥し始めている。もう足を取られるようなことはないだろう。もっとも、グラウンドは陸上部が練習に使っているのでクラリッサたちは別の練習場所を探さなければならないが。
「とりあえずこの辺りで練習しよう。人もあまり来ないから、スパイもされにくい」
「スパイなんてする人、いないと思うよ」
クラリッサが適度に開けた場所に出るのにサンドラが突っ込んだ。
「分からないよ。私たちは密かに優勝しなければいけないんだからね。魔術部が優勝候補に近いと知れると、オッズが下がってしまう。大勝ちできない」
「クラリッサちゃんはもー……」
クラリッサはいつでもお金のことを考えているのだ。
「それじゃあ、私がお手本を見せるから真似してみて」
「うん。お願い」
サンドラがそう告げるのにクラリッサが一気に加速していった。
そして、ぐるりとUターンするとサンドラたちの前に戻ってくる。
「分かったかな?」
「速すぎてさっぱりだよ!」
今ので分かった人間がいたら、相当な動体視力をしている。
「仕方ない。ゆっくりやるからちゃんと見ててね?」
クラリッサはそう告げるとさっきよりゆっくりと走っていく。
腕の振り方。足の動かし方。体の角度。そういったものをクラリッサは適切なフォームで示す。サンドラたちは真剣にクラリッサの走る様子を見ていた。
「今度は分かった?」
「うん。なんとなくだけど分かったよ」
「なんとなくじゃなくて完全に理解しよう。私が監督するから走ってみて」
クラリッサが告げるのにサンドラたちが走る。
「ファイト、魔術部! ファイト、魔術部!」
「先輩は静かにしてて!」
することがないので応援してみたが怒られたダレルである。
「どうだった、クラリッサちゃん?」
「んー。サンドラは手の振り方が足りないかな? そっちの人は──」
クラリッサは全員のフォームを見てみて、それからアドバイスをする。
「あ。不味い。フィジカルブーストが解けそう」
「頑張って維持して。陸上部に対するアドバンテージはフィジカルブーストだけだよ」
魔術部員のひとりが告げるのに、クラリッサがピシッとそう告げる。
「あれ? クラリッサちゃんたち何してるの?」
「げっ。ウィレミナ」
「げってなんだよ、げって。失礼だな」
クラリッサたちが練習している場所に休憩中のウィレミナがやってきた。
「今度の体育祭で部活動対抗リレーがあるでしょ? それの練習してるんだ」
「あれ? サンドラって何部だったっけ?」
「魔術部。ウィレミナちゃんにも言ってなかったっけ?」
「聞いてないね。しかし、魔術部か……」
サンドラの答えにウィレミナがにやりと笑う。
「優勝は陸上部がいただくよ。陸上部にそう簡単に勝てるとは思わないことだね」
「むむむ。私たちだって勝てる自信はあるからね!」
ウィレミナも陸上部の新入部員募集のために頑張るつもりなのである。陸上部も部員は減少傾向にあるので、陸上部も必死なのだ。
体育祭でいいところを見せて、新入部員を確保するつもりなのはどこも同じ。
「じゃあ、サンドラ。頑張ってね。正々堂々勝負しよう」
「もちろん! 受けて立つよ!」
珍しくウィレミナとサンドラが別々の陣営に所属している。
「うわー! ダメだー! 陸上部にはやっぱり勝てないー!」
「先輩! 一番に弱気になってどうするんですか!」
そしてひとりで絶望しているダレルである。この部長は!
「なんとしても優勝を狙いに行くよ。打倒陸上部」
「おー!」
魔術部員たちは気合を新たに練習を始めた。
「頑張ってくれ、君たち! 私もいざ本番のときにはペンタゴン君の刻まれたシャツを着て応援するからね!」
「やめて。先輩、それは絶対にやめて」
応援したいのか妨害したいのか分からないダレルであった。
頑張れ、ダレル。体育祭で優勝すれば、新入部員はきっと来てくれるはずだ。
……………………
……………………
適切なフォームも教えたし、クラリッサは闇カジノの方に顔を出すことにした。
「よう。クラリッサ。今まで何してたんだ?」
「んー。内緒」
「それはないだろ。教えてくれよ。儲け話か?」
シャロンが警備を務める闇カジノではフェリクスが客たちの賭ける様子を眺めていた。ここの会員たちはクラリッサが裏で催している非公式スポーツくじの購入者たちだ。誰もが次の賭けの対象である体育祭の勝敗について話しながらカジノを楽しんでいる。
「仕方がない。フェリクスにだけは教えてあげよう。私のシマを守るのにも手を貸してくれたことだしね」
「あれは気にするなよ。俺の利害も絡んだ話だ」
「ちびっこ風紀委員が気になる?」
「そんなわけないだろ。ただ単に学園内でこれ以上揉め事が起きて、それが俺たちのせいにされるのが困っただけだ。それだけだ」
「ふうん」
フェリクスはクリスティンに気があるとクラリッサは見ているぞ。
こう見えて何かとクリスティンのことを気にしているのだ、フェリクスは。それでも不良をやめる様子はないが。どちらかというと真面目なクリスティンを不良の道に引きずり込もうとしているのかもしれない。
「それで、儲け話って」
「ここだけの話だよ?」
「分かっている。秘密は守れる」
フェリクスが壁際でクラリッサに告げるのに、クラリッサが耳打ちした。
「今度の体育祭の部活動対抗リレー。魔術部が優勝するかもしれない」
「おい。冗談言っているのか?」
「真面目に言ってる。部長が骨折したから、代わりに私が出るんだ」
「なるほど……」
クラリッサが告げるのに、フェリクスが顎を押さえて考え込む。
「今の魔術部のオッズは274だ。勝てば274倍の払戻金になる。大儲けだな」
「でしょ?」
「まあ、それでも魔術部が優勝するとは思えないがな」
「私のこと信用しない?」
「そうとは言ってない。だが、勝ち目は薄い。一番人気のない部だ」
クラリッサが尋ねるのに、フェリクスが首をすくめた。
「私が出て、私が鍛えた選手が出るよ。ふたりで儲けを山分けしないかい?」
「……そそられる話だな。俺も乗っておこう」
フェリクスはそう告げて500ドゥカートをクラリッサに手渡した。
「毎度あり。負けても私のことを恨まないでね」
「ああ。賭けは時の運だ。逆恨みはなし」
クラリッサがポケットから非公式スポーツくじをフェリクスに手渡すのに、フェリクスがそう告げて返した。
「それで総合優勝はどっちに賭けている?」
「紅組。白組に人気が集まっているから敢えてね」
「奇遇だな。俺も紅組だ」
クラリッサは友達に紅組に賭けるように勧めているぞ。
「委員会対抗リレーはどこが人気?」
「体育委員会と生徒会が争っている」
「生徒会が?」
「お前とウィレミナ、そしてジョン王太子がいるだろ。それでだ」
「ジョン王太子は戦力外だと思うけど」
「それが意外と評判がいい」
クラリッサは男女別になってからジョン王太子がどれほど成長したか知らないが、男子生徒たちの間ではジョン王太子はやる男だと認識されているようである。クラリッサにとってはとても意外なことに。
「人気がないのは?」
「図書委員会。まず勝たない」
「図書委員会じゃね」
フェリクスの言葉にクラリッサが肩をすくめる。
「それで、生徒会と体育委員会。どっちに賭ける?」
「俺は生徒会だ。勝たせてくれよ?」
「どうだろーね?」
フェリクスが笑って告げるのに、クラリッサは肩をすくめた。
「まあ、盛大な賭けだ。俺たちの儲けはでかい」
「まさしく。裏と表のブックメーカーで収益金は500万ドゥカート。これは対立するブックメーカーがなく、収益金を還元する必要のない裏のブックメーカーの儲けのおかげだ。この調子で私たちのビジネスを進めていくとしよう」
「ああ。賭けで勝つよりこっちの方が確実だ。俺とお前で儲けようぜ」
「いえい」
クラリッサとフェリクスは拳を突き合わせて友情を示した。
体育祭の開催まで残りわずかだ。
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