娘は父と買い物に行きたい
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──娘は父と買い物に行きたい
「ただいま、パパ」
「おう。お帰り。テストはどうだった」
「虚無」
「虚無」
クラリッサは今日は期末テスト最終日だったのだ。
実感としては虚無だったぞ。虚無……。
「虚無ってお前なあ……」
「それはそうと」
「それはそうとじゃありません」
クラリッサも何も全く勉強しなかったわけではない。初等部1年のころから毎週1冊の読書は続けているし、第一外国語も最近では割合安定してきたし、第二外国語もフェリクスとトゥルーデの協力のおかげで日常会話なら問題なくできるようになった。
だが、王立ティアマト学園の期末テストはクラリッサの努力以上に難しかったということである。ちなみにフェリクスもクラリッサと同じくらい勉強嫌いだぞ。
「第一外国語だけでも大変なのに第二外国語までやってられない。どうかしてる。歴史と地理も覚えることが多すぎて大変。悪いのは私じゃなくてテストの方」
「テストに責任転嫁するな。今度、博物館にでも行くか? アルビオン博物館ならガイド付きで、実物を目の前に学べるぞ。教科書の資料集を読むより、現物を目にした方がいろいろと学べることもあるんじゃないか?」
「うーん。もう勉強は遠慮したい」
「ダメ」
クラリッサは入学するときにちゃんと勉強すると約束しているので、お父さんも甘い顔はしてくれないのだ。
「今度の夏休みは各地の博物館を見て回るか。たまにはそういうのもいいだろう」
「夏休み。その夏休みについて相談がある」
リーチオが告げるのにクラリッサがそう告げた。
「何か行きたい場所でもあるのか?」
「ある意味では。夏休みに友達と一緒に過ごす時間を作ることにした。サンドラ、ウィレミナ、フィオナ、ヘザー、フェリクスで一緒に山に行く。釣りをしたり、キャンプをしたり、魔女を火あぶりにしたりする」
「魔女を火あぶり……?」
「間違った。マシュマロを火であぶる」
クラリッサがてへっというように舌を出す。
「それで山に行くときの服といろいろな道具がいる。キャンプ道具はフェリクスが持ってくるらしいけど、釣り具とかは自己負担。私も大物が釣りたい」
「釣りか。いいな。お前も釣りに興味を持ってくれるとはな」
リーチオも釣り好きである。
彼の場合は海に船を出す海釣りだが、釣りの楽しさは共通だ。
クラリッサはこれまでリーチオが何度釣りに誘っても興味なしだったのだが、ここにきてようやく釣りに興味を示してくれた。こんなに嬉しいことはない。
……しかし、それも他の男の影響だと考えると素直に喜べないところである。
「パパは釣りしてたよね。釣り具ってどこで買うの?」
「俺は海釣り専門だから川釣りや沢釣りについてはよく分からんが、釣り具屋は知っている。そこで聞けば揃えられるだろう。だが、川釣りや沢釣りはいろいろと気を付けろよ。うっかり流されでもしたら大変だぞ」
「大丈夫。筋肉が解決するから」
「……そうか」
確かに人狼ハーフの筋力とアークウィザード級のフィジカルブーストがあれば、川で流されるなどということはないだろう。この娘について心配すべきなのは、非合法な行動をしないかどうかである。
「言っておくが、クラリッサ。釣れないからといって、川に爆発物を投げ込んだり、魔術を叩き込んだりするなよ。それは違法だぞ」
「……! そんな方法が!」
「言わなきゃよかったか!」
その手があったかという顔をするクラリッサにリーチオが叫んだ。
「まあ、フェリクスとサンドラが釣りが得意みたいだし、私たちの分まで釣ってやるって豪語してたらから私たちはのんびりやるよ。それから水着も買わないと。フェリクスが私たちのこと、色気のない子供だって馬鹿にするんだよ?」
「いや。実際そうだろ」
「酷い。娘の成長を見ていない酷い親だよ」
身も蓋もない言葉を返すリーチオにクラリッサが抗議した。
「ついこの間まで初等部の生徒だったんだぞ。急に成長するものか」
「パールさんに選んでもらって、もうブラだってつけてるんだよ。私は成長した」
リーチオにとってはクラリッサはまだまだ子供も子供のままだった。
「分かった、分かった。じゃあ、またサファイアに来てもらって水着を選ぼう。それから必要なもののリストを書いておきなさい。試験も終わったし明日から買い物に行こう」
「分かった」
「言っておくが武器の類は買わないからな」
「……分かった」
既に目論見を見抜かれているクラリッサだ。
「それからキャンプ道具、こっちでもちょっと揃えておいた方がいいんじゃないか?」
「ん。そうしよっか。でも、私、何買っていいか分からないよ」
「大丈夫だ。俺が知ってる。教えてやろう」
実を言うとリーチオはクラリッサが釣りやキャンプをすると聞いて親としてワクワクしている。リーチオも人狼だったこともあって山での生活は日常のことであったので、釣りやキャンプ、それから狩りは好きなのだ。
だが、夏休みはクラリッサが海がいいというので、別荘も海沿いに建て、毎年海にしていたら、すっかり海に染まってしまい、人狼としては少し寂しい状態になっていた。
なので、クラリッサがここで山の喜びに目覚め『夏を山で過ごすのも悪くない』と思ってくれると、来年辺りからはクラリッサと山で過ごせるかもしれない。人狼として養ったサバイバルスキルが活きるときである。
まあ、こうしてリーチオを頼りにしてくれているだけでリーチオは嬉しいのだ。
リーチオもお父さんだからね。お父さんは頼られたいのだ。
……………………
……………………
翌日。
リーチオとクラリッサ、そしてサファイアはクラリッサの夏休みの準備のために街に繰り出した。釣り具やキャンプ道具はイースト・ビギンでは手に入らないので、少しばかり郊外の店まで馬車で向かうことになる。
「ここだ。この釣具屋だ。キャンプ道具も扱っている」
「ほうほう」
クラリッサたちはロンディニウム郊外にあるアウトドア専門店を訪れた。
釣り具を中心にアウトドアグッズが揃っている。これもリーチオのシマであり、店主とは懇意にしていて、釣り話に花を咲かせることも多々ある。ただ、クラリッサはこれまで釣りに全く興味を示してこなかったために、クラリッサがここに来たのは初めてだ。
「店の看板が既にアウトロー感があるね」
「店の看板がアウトローだったら困るだろ。警察に喧嘩売ってんのか。恐らく、それを言うならアウトドアだ」
大きな木製の看板を見てクラリッサが告げるのにリーチオが突っ込んだ。
「おお。ミスター・リーチオ。ようこそ。今日はお子さんも一緒で?」
「ああ。今日はこいつのための道具を揃えに来た」
「それはそれは。どうぞ、お好きなものを選んでください」
リーチオは釣り具にも何にでも大金を惜しみなく支払うので店の受けはいい。
「いや。意見を聞きたい。俺は海釣りについてはそれなりに知っているんだが、こいつは今度山に行くんだ。沢釣りってところだな。海釣りとはまた道具が違うだろうし、ちとばかり選ぶのを手伝ってもらえないか?」
「それでしたらご案内します」
リーチオはそう告げるのに店主が釣り具コーナーに向かう。
ずらりと並ぶのはロッドとリール。かなりのバリエーションがある。
「……いくらなんでも多すぎでは?」
「狙う魚や場所によって道具が変わるんだよ」
たかだか魚を釣るためにこんなに大量の道具があるのかとクラリッサは戦慄した。
「で、まず聞いておきたいんだが、餌で釣る? それともルアーで釣る?」
「ルアーって何?」
「魚を模した形をした釣り具だ。こういうのだ。見てみろ」
リーチオはそう告げてルアーのひとつを手に取って見せた。
「……魚はこんなのに騙されるの?」
「上手くやればな。素人は餌釣りが無難かもしれんな」
「フェリクスはフライっていうので釣るって言ってた」
「そいつはまた渋い男だな」
クラリッサはフライがどういうものか理解してないぞ。何かが空を飛んで、魚をキャッチするのだと思っているのだ。
「ロッドの長さは──」
「あれぐらいのお子さんが沢釣りで使われるのであれば──」
リーチオと店主が専門的な話に入ったのに、クラリッサは早々に飽きた。
「サファイア。キャンプ道具見てみよう」
「そうね。私もキャンプってしたことないからどんな道具を使うのか気になるわ」
クラリッサとサファイアはアウトドア製品コーナーへ。
「おお。ランタンだ。いろいろあるね」
「これなんてお洒落じゃないかしら」
「いいね。使ってみたくなってきた」
店主とリーチオが釣り話にのめり込んでいる間に、クラリッサたちはランタンやらハンモックやらを眺めている。テントなどもかなり立派なものがあり、クラリッサはリーチオとふたりでキャンプに行くのも楽しいかもしれないと思い始めた。
「そういえば、シャロンって軍人だったんだよね。テントとか詳しいかも」
「聞いてみようかしら?」
「聞いてみよう」
退屈だったので店の入り口で警護をしていたシャロンを呼ぶクラリッサ。
「テント、でありますか?」
「そう。どんなのがおすすめ?」
クラリッサに引っ張られて店内に入ったシャロンにクラリッサが尋ねる。
「自分は個人用のテントしか使ったことがないのでありますが、折り畳み性能に優れているといいであります。野営はいろいろと装備が重なりますので、なるべくベルゲンに余裕を持たせるために小さく折りたためるテントがよかったでありますね」
「ベルゲンって何?」
「頑丈なリュックサックと思ってくださいであります。あれに食料やら何やらを詰め込んで、行軍するのであります。それが重いこと重いこと」
シャロンはそう告げてため息をついた。
「じゃあ、軽くて、折りたたみやすいテントがいいのかな?」
「そうでありますね。ただ、軍事目的のキャンプではありませんので、お嬢様が居心地のよさそうなテントを選ばれるといいと思うであります。軽さと折り畳み性能ばかりを追求すると、やはり居住性は犠牲になるものでありますから」
「ふむふむ。キャンプも奥深いな」
クラリッサたちがそんな会話を交わしていたとき、リーチオがようやくロッドとリールが決まったと声をかけてきた。
「今度はラインだな」
「ライン?」
「釣り糸のことだ。これもいろいろと種類があってだな──」
クラリッサは釣り具に関しては全てリーチオに任せることにした。
あまり専門的なことから入ると初心者は逃げてしまうぞ、リーチオさん。
……………………
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「水着!」
クラリッサがはしゃいだ声でそう告げる。
「サファイア。クールでセクシーな奴を選ぼうね」
「セクシーなのはどうかしら。今回は男の子も一緒なのでしょう?」
「その男の子に見せつけるんだよ」
一通りの釣り具とアウトドアグッズを揃えたクラリッサたちは次はロンディニウムの商業地区に位置する百貨店で水着や下着、アウトドア用の衣類を揃えにやってきた。クラリッサは早速セクシーな水着を探しているぞ。
「パパもその子も酷いんだよ。私たちには色気がないから私たちの水着なんてどうでもいいとかいうの。ねえ、ねえ。サファイアはそうは思わないよね? 私にももう十分色気があるって思うよね? そうじゃない?」
「どうかしらね。まだまだ改善の余地はありそうよ」
「酷い」
ちなみにリーチオはクラリッサが男子に水着を見せつけるとか、自分には色気があるとか言っているのに戦々恐々としているぞ。まだまだ男と女の付き合いは早いと思うリーチオなのだ。せめて18歳までは待ってもらいたい。
「では、早速水着を選ぼう、サファイア。どんなのがいいかな?」
「そうね。クラリッサちゃんも成長したからそれなりの水着じゃないと恥ずかしいわよね。これなんてちょっと大人っぽくていいんじゃないかしら?」
「ほうほう」
こうなると釣り具屋の時と違ってリーチオが暇になる番だ。お父さんは水着選びに加われるようなタイプではないのである。
「シャロン。お前も水着を準備しておけ」
「はっ! って、水着でありますか?」
「そうだ。クラリッサに何かあった時のためにもな。それにお前もよく働いてくれているし、ちょっとはバカンスだと思って楽しんできてももいいぞ」
リーチオはそう告げて水着代だというように3万ドゥカートを渡した。
「……くう。ありがたいであります。この御恩は決して忘れないであります!」
「分かった、分かった。いいから、行って来い。サファイアがいるうちにあれこれと選んだ方が悩まずに済むぞ」
「了解であります!」
シャロンはそう告げるとクラリッサたちの方に向けて駆けていった。
「まあ、流石に沢でクラーケンに襲われるとは思わんが、クマぐらいはでるかもしれんからな。シャロンにはクラリッサのそばにいてもらおう」
シャロンは素手でクマよりも体力のある魔狼を倒した経験がある。それもナイフだけで。それなのでリーチオはシャロンに信頼を寄せているのだ。
頑張れ、シャロン。キャンプ地に猛獣が出たら君の出番だぞ。
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