娘はとにかく票が欲しい
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──娘はとにかく票が欲しい
事件は昼休みの時間帯に起きた。
バシッと投げつけられるのは手袋。
投げつけられた相手はジョン王太子派の2年生。中等部2年においてはジョン王太子への票を取りまとめている人物である。
投げつけた人物はクラリッサ。
「決闘だ」
「ええええっ!?」
クラリッサが告げるのに、2年の男子生徒が悲鳴染みた声を上げる。
「君は私の選挙戦へのネガティブキャンペーンを行っている。それによって私の名誉は大きく傷つけられた。その名誉を挽回するために、今ここに決闘を申し込む」
「はあああっ!?」
さっきから驚き続けている2年の男子生徒だ。
「君の選択肢はふたつだ。ひとつ、私の名誉を汚したことを謝罪し、もう二度とこのような真似をしないということ。つまりは選挙活動から身を引くこと。もうひとつはここで私にボコボコにされて、その上で選挙活動から身を引くこと」
「きょ、脅迫か! その手には乗らんぞ! 決闘だ! 私が勝つ!」
ようやく2年の男子生徒はことを理解した。クラリッサはジョン王太子の票を固めている自分を妨害するために決闘騒ぎを起こしているのだと。
決闘から逃げるのは貴族の恥。戦う前に降伏することもありえない。
ならば迎え撃つのみである。
「結構。立会人は君に務めてもらおう」
「あ、は、はい」
クラリッサの野次馬のひとりを指名すると、立会人に選んだ。
「決闘だ! 決闘だぞ!」
「相手はあのクラリッサ・リベラトーレだ!」
中等部の教室が騒がしくなり、野次馬たちが中庭に視線を向ける。
「クラリッサちゃん……。何やってるの……」
サンドラはあきれ果てた様子で中庭に視線を向けた。
「それでは、両者名誉ある決闘を。始め!」
流石は中等部2年ともなるとフィジカルブーストを無駄なく使ってくる。男子生徒はそのままクラリッサの懐に飛び込み、拳を──。
と思ったところでクラリッサから強烈なカウンター。フィジカルブーストを隠し味程度ほどに使ったクラリッサの拳が2年の男子生徒の腹部に叩き込まれ、彼は2メートル余りの距離を吹っ飛ばされると、そのまま胃の内容物を吐き出し、倒れた。
「勝者は?」
「ク、クラリッサ・リベラトーレです……」
わーっと歓声が巻き起こる。
理不尽な要求で突き付けられた決闘でも決闘は決闘だ。勝者には歓声が浴びせられてしかるべきなのである。それに今のは凄かった。
「君」
クラリッサは倒れた2年の男子生徒を立たせて耳元でつぶやく。
「これ以上、選挙戦に関与しないでね。次は命がないよ」
クラリッサのつぶやきに顔を青ざめさせてコクコクと頷く2年の男子生徒。
「それでは、ごきげんよう」
クラリッサは軽く手を振って去っていった。
「上出来だったな。荒事だからと思って部下を待機させておいたが必要なかった」
「もちろんだとも。決闘で私にそう簡単に勝てる人間なんていないよ。この調子で進めていこうか。次は誰だっけ?」
「格闘部の部長だ。俺がやるか?」
「まあ、ここは私に任せておきたまえ」
それからクラリッサによる連続決闘事件──辻決闘事件が幕を開けた。
選挙戦から手を引かなきゃ、ぶん殴るぞ。というシンプルな要求を突き付けて、それに逆らうなら文字通りぶん殴るという極めて高度な選挙戦術。こういうことを誰が教えたのかというと、大体ベニートおじさんが悪い。
ただぶん殴るのでは暴行罪に問われる犯罪だが、決闘という場面を作れば合法的に相手をぶん殴れるのがアルビオン王国なのだ。
クラリッサは敵対するジョン王太子陣営の選挙スタッフを次々に襲撃し、血祭りにあげていった。ジョン王太子陣営は選挙戦の重役が次々にリタイアするという阿鼻叫喚の地獄絵図となり、迅速なクラリッサ・リベラトーレへの対策が必要とされた。
「それで私の力が借りたい、と」
「そうですわ。あなただってクラリッサ・リベラトーレのことは苦々しく思っているのでしょう。例の闇カジノの件では結局手が出せなかったと聞きますわ」
「うぐ」
理科準備室にあるジョン王太子陣営の選挙スタッフにしてフローレンスの率いる『ジョン王太子殿下名誉回復及びクラリッサ・リベラトーレ対策委員会』に招かれていたのは、いつぞやのちびっこ風紀委員クリスティンであった。
「今、学園の風紀は乱れに乱れ切っていますわ。それを正すためにも風紀委員として力を発揮してくださいまし。あのクラリッサ・リベラトーレに正義の鉄槌を」
「しかし、選挙期間中に特定の陣営に加担するのは風紀委員の仕事として間違っています。こういう苦情は選挙管理委員会の方に申告してください」
クリスティンは確かにクラリッサを恨んでいるが、私情で風紀委員の権限を行使するような人間ではないのだ。良くも悪くも彼女はルールに忠実なのだ。
「それではダメなんですの。既に選挙管理委員会も脅迫と買収を受けているんですわ。風紀委員の方も買収されたのでしょう?」
「そ、それは……」
確かに闇カジノを摘発しようとしたときも風紀委員長は動かなかった。あれは明らかに買収されていたのだ。自分が買収できる相手ではないと考えたクラリッサが、買収しやすい風紀委員長に目を付けたのだろう。
そのせいで今も闇カジノは摘発できていない。
「例の闇カジノ、クラリッサ・リベラトーレ陣営の選挙資金になっていると思われますわ。このまま放っておけば、クラリッサ・リベラトーレが生徒会長となり、風紀は乱れに乱れるでしょう。我々はそれを阻止しなければなりませんわ」
そう告げてフローレンスはクリスティンの目をのぞき込む。
「ジョン王太子が生徒会長になった暁には今の風紀委員長を更迭し、新たな体制の下で学園の風紀を守るとお約束しますわ。予算も増額されるでしょう。どうですか?」
「それは買収です! クラリッサ・リベラトーレと同じことです!」
フローレンスが告げるのにクリスティンが叫んだ。
「いいえ。違います。正義のためです。それにこういうことわざがあるでしょう。『敵の敵は味方』という有名なことわざが。私たちにとってクラリッサ・リベラトーレは共通の敵。ここは協力するのが最善だと思われますわ」
「むう……」
クリスティンの父は男爵で、裁判官を務めている。そんな父のことをクリスティンは尊敬していた。悪者に正義の判決を下す。弱者を犯罪の被害から救う。自分が大人になったらそういう価値観の大人になりたいと思っていた。
そうであるがゆえにクリスティンは曲がったことが嫌いである。小さなマナーから校則にいたるまでルール違反は我慢できない。
クラリッサ・リベラトーレ。確かに彼女が生徒会長になろうものなら、風紀が乱れることは間違いない。闇カジノをフェリクスとともに運営し、今では選挙戦で勝利するために決闘騒ぎを起こして回っているという。
だからと言って、本来中立であるべき風紀委員が生徒会の選挙戦に手を出していいものだろうか。それは間違ったことなのではないだろうか。やはりここは選挙管理委員会に任せるべきではないのだろうか。
「クリスティン・ケンワージーさん。綺麗ごとだけでは世の中は回っていかないのですわ。時には己の信条を歪めてでも止めなければならないことがあるんです。どうかクラリッサ・リベラトーレを止めると約束してください」
フローレンスはそう告げてクリスティンの手を握る。
「分かりました。クラリッサ・リベラトーレを止めましょう。ですが、風紀委員の問題は風紀委員の問題。選挙後の口利きや予算分配の便宜などは不要です。我々風紀委員は立派に成果を示し、その成果に見合った予算をいただきますから」
「分かりましたわ。きっとジョン王太子も名誉に思われることでしょう」
クリスティンが立ち上がってそう告げるのに、フローレンスが頷いた。
「それでは、この学園に蔓延る暴力と戦いましょう」
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「決闘だ」
「うわああっ! 俺のところにも来たー! ま、待ってくれ。俺は来週大会があるんだ。中等部最後の大会になるんだ。だから、頼むよ。殴ったりするのはやめてくれ」
犠牲者13人目。
「それなら選挙戦から手を引くことだね。選挙戦から手を引くなら痛い目を見ずに済むだろう。それとも選挙戦からリタイアする気はないかな? それなら手の骨を一本やっちゃおうか? 何、後遺症が残らないように綺麗に折るよ。流石に来週の大会までには治らないだろうけれどね」
「わ、分かった。選挙戦からは手を引くよ。約束する」
クラリッサと男子生徒がそんな会話を交わしていたとき、笛の音が響いた。
「そこまでです、クラリッサ・リベラトーレ!」
颯爽と現れたのは『風紀委員』と記された腕章を身に着けたちんまい女子生徒。
そう、クリスティンである。
「何の用?」
「学園内の決闘は校則で禁止されています! 王立ティアマト学園校則13条の2! 学園内における生徒同士の私的な暴力行為はこれを一切禁止する! あなたの決闘はこの校則に接触します! ただちに決闘を止めなさい!」
そうなのである。
ジョン王太子がやっていたから大丈夫だろうと思われていた決闘だが、実は校則で禁止されているのだ。ジョン王太子がやっちゃったからなあなあになっていたけれど、そういう点は見逃さないクリスティンだ。
「あ? またお前か。ちびの癖にしゃしゃり出やがって。邪魔なんだよ」
そして、クリスティンの周りからフェリクスたち闇カジノのスタッフが姿を見せる。フェリクスも拳を鳴らしながらクラリッサの隣に立ったぞ。
「フェリクス・フォン・パーペン! 仮にも北ゲルマニア連邦の大使の息子として国を代表しているのに恥ずかしくないんですか! 国というものはその国の人間によって印象が固まるのですよ! 国を代表する自覚を持ってください!」
「うざっ……。どうする、クラリッサ。とりあえずボコっとくか?」
クリスティンが告げるのにフェリクスが心底嫌そうな顔をする。
「いいよ。ここで下手に風紀委員を攻撃して、選挙に逆風を吹かせたくはない。ありがたいことに彼女は校則を説明してくれたし、ここは大人しく引くことにするとしよう」
クラリッサは意外なほど素直に撤退した。
「お前、これ以上邪魔するつもりなら容赦しないからな。どこでも先生と親が守ってくれるとは思うなよ。学園では“事故”が起きることだってあるんだからな」
フェリクスはそう告げると部下たちを引き連れて去っていった。
「その程度の脅しには屈しません! 王立ティアマト学園の風紀は私が守る!」
去っていくフェリクスたちの背中に向けてクリスティンが叫んだ。
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あのクリスティンの警告もあって、クラリッサ陣営はジョン王太子陣営に対する辻決闘作戦を中止した──と思われていた。
だが、クラリッサがそう簡単に手を引くはずもない。
彼女は彼女の父親リーチオに習って法の穴を突くことにした。
王立ティアマト学園、早朝。
今日も多くの生徒が登校してくる。
馬車で登校してきた生徒たちも正門の前で馬車を降り、風紀委員による服装検査を受けてから、学園の敷地内に入っていく。
クラリッサが狙ったのはそこである。
バシッと手袋が投げつけられる。風紀委員と生徒たちの目の前で。
「決闘だ」
「ええええっ!?」
クラリッサは手袋を投げつけてそう宣言した。
「君のジョン王太子を過剰に持ち上げ、私をけなすという手段によって、私の名誉は汚された。この名誉を回復するために君に決闘を申し込む」
「ま、待った。学園内で決闘は禁止になったはずだぞ……?」
クリスティンが告知して回ったので、誰もがもう学園内でクラリッサに怯えて過ごす必要がないがないと分かっていた。だが、クラリッサはよりにもよって風紀委員の目の前で男子生徒に対して決闘を申し込んだのである。
「学園内なら禁止だね。でも、君が立っているそこは学園の敷地内かな?」
「あーっ!?」
そうなのである。
クラリッサは生徒が馬車を降り、数メートル進んで、学園の敷地内に入る隙を狙ったのである。これなら学園の校則で取り締まられる範囲外で、合法的に決闘ができる。
「さあ、選挙戦から撤退するか、この大勢のいる前で食べたばかりの朝食を地面にまき散らすかだよ。早速だけど選択して」
「せ、選挙戦からは手を引きます……」
立派に法の抜け穴を突く娘に育ってリーチオも誇りに──思わないだろう。真面目に選挙やってくれよって思っていることだろう。
「クラリッサ・リベラトーレ!」
そして響くのはクリスティンの声。
「あなたという人は私があれほど注意したのに!」
「残念だけどここは学園の敷地外。風紀委員に出番はないよ」
クリスティンが唸るのにクラリッサがひらひらと手を振った。
「うがーっ! 一緒! 一緒です! 学園の外でも中でも生徒同士で決闘したらダメです! それぐらいのことも分からないんですか!」
「あ。おはよ、ウィレミナ」
「人の話を聞いてください!」
もうそっぽを向いて友達に朝の挨拶をしているクラリッサであった。
「クラリッサちゃん。また風紀委員ともめてるの? 可哀そうだからやめたげなよ」
「勝手に同情しないでください! 私にも誇りがあります!」
ウィレミナが告げるのにクリスティンが叫んだ。
「さて、後3名はここで仕留めておかないとな」
「そういうことしてると票を失うぞ」
「マジで?」
「マジで」
クラリッサは暴力と金があれば選挙戦を勝利できると思っていたぞ。流石はマフィアの娘である。リーチオはそんなことを欠片も教えていないが。
「フェリクス」
「おう」
「これからは地道な選挙活動に勤しもう」
頑張れ、クラリッサ。まだ選挙に負けたと決まったわけではないぞ。
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