娘は使い魔を可愛がりたい
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──娘は使い魔を可愛がりたい
「パパ。ただいま」
「おう。お帰り。そろそろ文化祭の季節だが、お前のところは何か──」
クラリッサが書斎をのぞき込んで告げるのにリーチオが返事を仕掛けて止まった。
「な、なんだ、それ?」
「アルフィ。私の使い魔」
娘が不定形な名状しがたい生き物を連れているのにリーチオの目が丸くなる。
「いや。ちょっと待てよ。使い魔って普通猫とか犬とか鳥だろ。何なんだよ。その外宇宙から飛来したような名状しがたき生き物は」
「パパ。大声出さないでアルフィが驚いてる」
「多分、俺の方がもっと驚いている」
クラリッサがアルフィの触手を撫でてやるのをリーチオは神妙な表情で見ていた。
「……まさかそれを家で飼うとか言わないよな?」
「飼うよ。一緒に寝るの」
リーチオとクラリッサの間に沈黙が流れた。
「外で飼いなさい」
「やだ。アルフィは私と一緒に寝て、一緒に食事するの」
「つまり俺もそいつと同じ食卓を囲むのか……?」
リーチオが戦慄する。
アルフィはそもそもどこが口なのかもわからない。目玉らしきものは不定形に蠢いており、一か所にとどまらない。触手は生えたり、引っ込んだりしている。親愛の情を示しているのか、それとも餌として狙っているのかクラリッサの手に触手を伸ばしている。
「ダメだ。ダメ。絶対にダメ。アルフィはお外で飼いなさい。それから脱走しないように鉄のゲージに入れておくんだぞ。そいつ、首輪とかつけようにも、どこが首なのかすらも分からんしな……。その上、そこら辺の犬や猫を襲いそうだ」
「アルフィはそんなことしないって言っているよ。それにアルフィはずっと寒い場所にいたから、暖かい家の中がいいって言ってる。外に鉄のケージに入れてたらアルフィは寒いし、可哀そうだよ。アルフィは鉄も溶かしちゃうし……」
「その鉄を溶かす滅茶苦茶危ない生き物を家の中で飼うつもりか」
アルフィは場合によっては強酸を吐くことができるぞ。
「アルフィはこんなに可愛いんだよ。家の中で飼っていいでしょ?」
「なあ、お前にはその不定形な名状しがたき生き物がどんな風に映っているんだ?」
「不定形でぷにぷにした生き物に見えている」
クラリッサにとってこれは可愛い部類に入る生き物なのだ。
「とにかく、家の中はダメだ。家の外に小屋を作らせるからそこで飼いなさい。それから勝手に逃げ出さないようにしつけるんだぞ」
「ぶー……。アルフィはそんなこと、しつけなくても逃げたりしないよ。使い魔の契約を結んだから私から離れたりしないんだ。それに主に危害も加えないって先生が言ってた。本当にアルフィを家の中で飼っちゃダメ?」
「ダメ」
流石のリーチオも名状しがたい生き物との同居はごめん被る。
「小屋ができるまでは一緒に寝ていい?」
「ダメ。地下倉庫に入れておきなさい」
「パパは子供の健全な発育を妨げている。子供は他の生き物を飼い、そのお世話をすることで命の大切さと動物保護の精神を学ぶんだよ?」
「それが犬や猫だったら俺もそれに同意したんだけどな!」
不定形で名状しがたい生き物では命の大切さもよく分からなくなるだろう。
「というか、もうなんだよ、それ……。なんて種族かくらいは分かっているのか?」
「テケリリと鳴くからテケリリって生き物だと思う」
「正体不明の生き物なんだな」
アルフィは正体不明である。そもそもこの世界の生き物かどうかすら分からない。
「やっぱりそいつは肉食だよな」
「何でも食べるよ。このドアも美味しそうって言ってる」
「おいこら。碌でもない悪食じゃねーか」
アルフィはクラリッサから離れて書斎の扉に触手を伸ばしている。
「アルフィ。後でご飯あげるからね。今日は何がいい?」
「テケリリ」
「パパ。アルフィが『深きものの活け造り』が食べたいって」
クラリッサがアルフィが告げた言葉を翻訳して伝える。
「そんなものはない。というか、深きものってなんだ。深海魚か。今日は確か羊肉のシチューと鮭のムニエル、それからサラダとチーズタルトだ。その材料の余りでも食わせておけばいいだろう。何でも食うんだろう?」
「パパ。アルフィは美味しいものが食べたいって」
「ドアが美味しく見える奴はなんだって美味しく食うと思うぞ」
アルフィは4つ足以外のものも食べてしまうのだ。中国人もびっくりだな。
「パパはアルフィに冷たいね。アルフィ、悲しくない?」
「テケリリ」
「うんうん。アルフィはパパとも仲良くしたいんだね」
クラリッサの翻訳が事実なのかアルフィの不定形な眼球はリーチオに向けられている。親愛の情というものが感じられ……るような気がする。
「パパ。アルフィを抱っこしてもいいよ」
「どちらかというと遠慮してもいいよって言ってもらいたいな」
「ほら、アルフィは大人しく抱っこされるんだよ」
クラリッサがアルフィを抱きかかえるのにリーチオがぎょっとする。
「アルフィ。いい子、いい子。大人しくて、優しい子」
「テケリリ」
アルフィはクラリッサに抱きかかえられたままサイケデリックな色合いに変色したり、うねうねと不定形に蠢きながら、その生えたり、縮んだり、伸びたり、混ざったりする触手をクラリッサの手に回した。
「ほら、パパも抱っこして」
「絶対に遠慮する。俺はそんな奇怪で危険そうな生き物には近寄らないぞ」
「パパの意地悪」
「意地悪なのはそんなものを抱かせようとするお前の方だぞ」
クラリッサが促すが、リーチオは断固拒否の姿勢を貫いた。
「アルフィに毛布を買ってあげなきゃ。地下は寒いからね」
「ああ。物置に昔のシーツやら毛布やらがあっただろう。それでいいな」
「ダメ。ちゃんとしたのを買ってあげて。ふわふわでアルフィを包み込んでくれるようなものがいい。私の毛布は私のだからあげられないし」
「そいつは毛布に大人しく包まれているタイプなのか?」
アルフィはただうねううねとタコとスライムを足した感じで蠢いている。
「ボス。ピエルトさんがいらっしゃいました」
「ああ。通してくれ」
ファビオが告げるのに、リーチオがそう返す。
「ボス。カレーの件ですが、無事に確保──」
ピエルトがリーチオの書斎に入ってきたとき、そのまま彼はクラリッサの腕の中にあるものを見て、硬直してしまった。
「あ、あれ? 昨日飲みすぎたかな。どうにもクラリッサちゃんの手の中に奇怪なものがあるように見えるんだけれど……」
「ピエルトさん。この子はアルフィだよ。ほら、アルフィ。ご挨拶して」
ピエルトが目をこすってクラリッサの方を向くのにクラリッサがそう告げる。
「テケリリ」
「あ。はい。テケリリ」
アルフィの言葉で返事を返すピエルトであった。
「クラリッサ。ピエルトが発狂する前にそれを地下の倉庫に連れていきなさい。毛布は倉庫のものだ。そもそも本当に冷たいとか分かるのか、そいつ」
「失礼だね、パパ。これまでアルフィはとても寒い場所にいて悲しかったって言ってるよ。アルフィにはこの家ではぽかぽかに暖かく過ごしてもらうんだ。じゃあ、倉庫の毛布もらうね。後で食事ももらうから」
クラリッサはそう告げてアルフィを連れて地下の倉庫に向かった。
「アルフィ。地下はやっぱり寒いね。悲しくない?」
「テケリリ」
「うんうん。ネズミがいるから食べていいよ」
いったいどんな会話が交わされたのか謎である。
「毛布はこれがいいかな。でもちょっと臭うかも。アルフィは気にしない?」
「テケリリ」
「そうか、そうか。アルフィはアルビノのペンギンの臭いが好きなのか」
そう告げながらクラリッサはアルフィに毛布を巻いてやった。
「それじゃあ、後でご飯持って行ってあげるからね。大人しくしてるんだよ?」
「テケリリ」
「いい子だ」
こうして名状しがたき生き物との同棲生活が始まった──!
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翌日は日曜日と休日であった。
「じゃあ、ここら辺に頼む。大きさはそこまで広くなくていい。物置小屋だと思って作ってくれ。窓とかはいらんぞ。ドアがついていればいい」
「了解です、ボス」
リベラトーレ・ファミリーは公共事業を不正に請け負ったりするので、土木工事のできる構成員もいるのだ。今日はそんな構成員たちを呼んで、アルフィのための倉庫づくりを始めていた。場所は裏庭の隅だ。
「パパ。セントラルヒーティングにしておいてね」
「暖房は付けねえよ」
クラリッサはアルフィを地下の倉庫から連れ出して、ぐるぐると毛布を巻きアルフィとともに工事の様子を見守っていた。
「アルフィが寒いって言うよ」
「俺としてはあれは絶対に凍死とかしないと思うぞ」
「酷い。パパには動物を慈しむ心がないの」
「んんん。あれを慈しむ対象として見るべきか俺は物凄く迷っている」
アルフィは目玉が出たり消えたりして、触手がうねうねしていて、サイケデリックな色に変色して、鉄を溶かす強酸を吐きだし、食事はどこかから吸収する謎生き物だ。犬や猫のような感情の変化も見せないぞ。
「毛布は好きなだけ使っていいから、それで我慢しなさい」
「仕方ない。それからもうちょっと小屋は広くして。アルフィはもっと成長するかもしれないから。その時に小屋をまた工事するより最初から大きい方がいいよね?」
「……あれ、でかくなるのか?」
「分からない。アルフィは謎」
あれからどれだけ文献を調べてもアルフィに該当する生物は見つからなかった。
「でも、ミステリアスなアルフィも魅力的だよね」
「ホラー染みたミステリアスさだな……」
そのミステリアスさはプラスになっていないぞ、クラリッサ。
「それからアルフィに玩具を買ってあげなくちゃ。パパが私が小さいころにくれたような遊ぶだけで頭がよくなる玩具。あれってどこで売ってるの?」
「売ってる場所は教えてやるが、あれに知恵を付けるのか……?」
「アルフィが賢いと私が助かる」
ミステリアスなアルフィがスマートなアルフィになったらどうなるのだろうか。人類に対して反旗を翻したりしないだろうか。リーチオはそこはかとなく不安に感じた。
「だが、それは賢くなるのか?」
「それじゃなくて、アルフィ。覚えてよ、名前。それにアルフィは天才の素質を持っているからきっと賢くなるよ。ねえ、アルフィ?」
クラリッサがアルフィに話しかけるのにアルフィは蠢いて見せた。
「ほら、アルフィも勉強したいって」
「……お前らどうやって意思疎通を取ってるんだ?」
リーチオは心底疑問に感じた。
「テケリリ」
「『僕も勉強して賢くなって、ご主人様のお役に立ちたいよ』ってアルフィも言っている。アルフィに玩具買ってあげよう。それから何が要るかな」
アルフィがクラリッサに触手を伸ばして鳴くのにクラリッサが首をひねる。
「いざという時に始末するための毒だな」
「酷い。アルフィを殺さないで」
リーチオが即決するのにクラリッサが抗議した。
「それがでかくなって、その上賢くなったりしたら悪夢そのものだぞ。なるべく餌は控えめにして、玩具も制限する。そもそもよく分からない生き物を大きく育てようとすることがどうかしているぞ。せめてなんて動物なのか調べなさい」
「ぶー……。アルフィは私の使い魔なのにー……」
クラリッサが唇を尖らせるのにアルフィはもぞもぞと蠢いた。
「じゃあ、アルフィ。玩具を買いに行こうか。好きなのを選ばせてあげる」
「待て、待て、待て。それを連れて行くつもりか?」
「だって、アルフィの玩具を買うんだよ。パパだって私に玩具を買ってくれるときは選ばせてくれるよね。だったら、アルフィにも玩具を選ばせてあげないと」
「お店の人の正気が失われるからやめなさい。玩具はお前とファビオで買ってくるんだ。犬や猫に玩具を与える時も、犬や猫には玩具は選ばせないものだぞ」
「どうしてもダメ?」
「どうしてもダメ」
クラリッサは交渉を諦めるとアルフィを家の地下倉庫において、ファビオとともに玩具を買いに行ったのだった。
翌日、アルフィは玩具の遊び方をマスターし、知育玩具で非ユークリッド幾何学的で、冒涜的な角度で構築された構造物を構築していたが、それを知っているのはクラリッサのみである。リーチオにばれたら玩具を取り上げられちゃうからね。
頑張れ、アルフィ。リベラトーレ家における可愛いペットの座を手に入れるんだ。
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