娘は親友を取り戻したい
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──娘は親友を取り戻したい
クラリッサがリーチオから情報を得ていたとき、ポリニャック伯爵とサンドラの姿はアルビオン王国の港湾都市ドーバーにあった。
「だから、船は出せねえって。俺たちは漁から帰ってきたばかりなんだ。今から獲れた魚を市場で捌かにゃならんのです。海峡の向こう岸に行きたければ、客船なりなんなりで渡ってくださいよ。あんた、身なりからして貴族でしょう?」
ポリニャック伯爵は海峡の向こう側──フランク王国に渡ろうと必死になって船を確保しようとしていた。
「いいか。いつも魚はどれだけで売れる?」
「そりゃあ、時期によりますが5万ドゥカートは確実に……」
「なら、25万ドゥカート出す。これで私たちをフランク王国まで運べ!」
ポリニャック伯爵は必死の形相で25万ドゥカートを漁師に手渡す。
既に外交官の資格が剥奪されている可能性は十二分にあった。アルビオン王国の官憲たちはポリニャック伯爵を追っているかもしれない。そうなると客船などの足がつく手段を使えば海峡を越える前に捕まるかもしれない。
だから、漁船などの手段に頼らなければならないのだ。
「わ、分かりましたよ。けど、あんた、ひょっとしてフランク王国の犯罪組織の人間じゃないでしょうね? リベラトーレ・ファミリーが連中を追っているって話を聞きますし、俺たちもリベラトーレの旦那方には世話になっていますからね」
「も、もちろん、違うとも。無関係だ。だから、我々を海峡の向こうまで運べ!」
リベラトーレ・ファミリー!
その名は知っていた。アルビオン王国を牛耳る犯罪組織であると。だが連中の手がどれほどのものかは知らなかった。まさか、フランク王国の犯罪組織が瞬く間に降伏してしまい、自分たちを追ってくる立場になるとは。
(思えばおかしかったのだ。私の道具がどうしてあの部屋に残っていたのか。どうして処分したはずのアヘンが残っていたのか。誰かが手を加えたに違いない。そして、そのようなことがなせるのは、リベラトーレ・ファミリーのような犯罪組織……!)
ようやくここで気づいた。自分が敵に回してしまったのはアルビオン王国政府でも、その官憲でもなく、リベラトーレ・ファミリーであると。
「じゃあ、乗ってください。言っておきますが揺れますよ」
「構わない。迅速に対岸まで送ってくれ」
ポリニャック伯爵が漁船に乗ったのを、密かに見つめているものがいた。
その視線に気づくことはなく、ポリニャック伯爵は漁船に乗り、海峡の向こう側を目指した。このドーバーから海峡の向こう側の都市カレーまでは、風に吹き方によっては3時間程度の日程になる。そして、ポリニャック伯爵はカレーで結婚式を挙げてしまうつもりであった。
「ファビオ。ポリニャック伯爵は間違いなくこのドーバーに来たんだね?」
ポリニャック伯爵が出発してから、30分後のクラリッサとファビオはドーバーの港湾都市に到達した。だが、どうしてファビオはドーバーからポリニャック伯爵が逃げるということが分かったのであろうか?
「間違いありません。海峡を越えてフランク王国に逃げ込もうというのならば、ドーバーが最短です。既にポリニャック伯爵はフランク王国から外交官としての資格を剥奪されており、正規のルートでは逃げられません。この漁船などの多い場所を選ぶでしょう」
そうである。ドーバーは対岸のフランク王国の都市カレーまで僅かに3時間程度の距離ともっとも早い。他の港湾都市では船も少なく、またフランク王国までの距離も長いものとなる。素早く、アルビオン王国から脱出したいポリニャック伯爵はドーバーの港で船を調達したとみて間違いなく、それは事実であった。
「どの船で逃げたかな」
「ここは情報屋に聞いてみましょう」
ファビオはそう告げるとドーバーに停泊する船を眺めている釣り人に声をかけた。
「リベラトーレのものだ。情報が聞きたい。40代後半の太った貴族風の男が8歳ほどの子供を連れて船に乗らなかったか」
「ああ。乗った。リベラトーレには世話になっている。5000ドゥカートでいい」
「5000ドゥカートだ。教えてくれ」
ファビオはその釣り人に5000ドゥカートを手渡す。
「海峡で漁をしている船に乗った。マイノ号って船だ。30分前に出航した」
「感謝する。これからもリベラトーレはお前の面倒を見るだろう」
「ありがたい」
釣り人から話を聞き終えたファビオがクラリッサの元に戻ってくる。
「お嬢様。相手の船が分かりました。追いましょう」
「船を雇わないといけないね」
「船でしたらすぐに」
ファビオはこの海峡を往復している連絡船の船長に話かけ、その船長は青ざめた顔で何事かを告げ、ファビオはクラリッサに手招きする。
「この船はファミリーの?」
「貸しがあるものです。快く承諾してくれました。追いましょう」
ファビオがそう告げて、クラリッサたちがその船に乗り込む。
「ようこそ、リベラトーレのお嬢様。本船は全ての予定を変更して、フランク王国のカレーを目指します。ご期待に沿えるならば何よりです」
「うん。なんとしてもカレーに急いで。リベラトーレは貸しを返すことを望む」
「は、はい。ただちに!」
クラリッサの一言で船長が大急ぎで出港準備を始める。
帆が張られ、船が動き出す。
「船長。なんでそんなにビビってるんですかい? 相手はただの優男と子供じゃないですか。今日の予定は滅茶苦茶になるし……。これで今日の稼ぎはパーですよ。追い返した方がよかったんじゃないですか?」
「お前は相手が誰か分かって喋っているのか!? 相手はリベラトーレだぞ!」
船員のひとりか怪訝そうに尋ねるのに、船長がそう叫んだ。
「リベラトーレってマフィアの……」
「私がここで商売を始めるのにもリベラトーレに世話になった。我々は彼らに借りがあるんだ。そしてリベラトーレ家のモットーは『受けた恩は絶対に返す。受けた害は必ず血を以てして報復する』だ。受けた恩は絶対に返さなければならない」
リベラトーレの恐ろしさは船員たちも知っている。
カードゲームでリベラトーレを相手にいかさまをしたら、その手を叩き切られたとか、リベラトーレの機嫌を損ねた人間が海峡に浮かべられたとか。そんなおどろおどろしい話は聞こえてきている。そんなリベラトーレの人間が今、この船にいるのか?
「相手はリベラトーレのボスが溺愛するひとり娘だ。失礼のないようにしろ。明日、海峡に浮かぶようなことになりたくなかったらな」
「りょ、了解です、船長」
船長が厳重に告げるのに、船員たちが大急ぎって散っていった。
そして、船は進む。ポリニャック伯爵と同じ目的地であるカレーに向かって。
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カレーに一足先についたのはポリニャック伯爵だった。
彼は街の教会を目指すと、その扉を潜った。
「司祭! 司祭! 結婚式だ! 結婚式を挙げるぞ!」
ポリニャック伯爵が叫ぶのに教会の司祭が姿を見せた。
「随分と急ですな。しかし、どなたが結婚式を挙げるので?」
司祭は眼鏡を正しながらそう尋ねた。
「私とこの娘だ。我々が婚姻する」
「それはまた……。私が思いますに些か歳が離れすぎているのでは? 新婦の合意はとれているのでしょうか?」
「取れている! そうでなければアルビオン王国からここまで付いてくるものか! さあ、結婚式の準備を進めてくれ。我々は今日中に結婚式を挙げておきたいのだ」
「しかし……」
「私はポリニャック伯爵だぞ。伯爵だ。政府への伝手はいくらでもある。このちっぽけな教会から追い出されたくなければ、早く私とこの娘の結婚式を行うのだ!」
司祭が渋るのに、ポリニャック伯爵がブルドックのような表情で司祭を脅した。
「……分かりました。式を行いましょう。参列者は?」
「必要ない」
ポリニャック伯爵にとって結婚とは合法的に少女たちをいたぶるための手段であった。これまで数名の少女たちと降霊術を利用して結婚してきたが、それは彼女たちを愛するためではなく、自分のものにし、いいように弄ぶためのものであった。
これまでの少女たちはあまりも荒々しく弄んでしまったために早死にしてしまった。それにポリニャック伯爵は若い少女たちにしか興味はなかった。彼女たちが成熟するまでに遊びつくし、そして死なせる。その繰り返し。
ポリニャック伯爵の知り合いには自分のいいように死亡診断書を書いてくれる医師もおり、その医者に任せておけば、自分が少女たちを殺したことが発覚することなどない。
今度のサンドラは8歳だ。これまでの少女たちの中でも一番若い。楽しませてくれることだろう。それも今までの少女たちよりも長い間。あまりに急いで壊してしまわないように慎重に扱わなければなるまい。
フランク王国政府からの信頼は落ちただろうから、暫くの間は大人しくしておかなければならない。だが、ほとぼりが冷めたら、また降霊術を利用して、若くて美しい娘たちを手に入れていこう。それまではサンドラで楽しむ。
ポリニャック伯爵はそう告げながら汗でべたつく手でサンドラを引き摺って行く。
「さあ、結婚だ、サンドラ。我々が結ばれる時が来たのだ」
「……はい」
サンドラは既に抵抗することを諦めていた。
ここはもうアルビオン王国ではなく、フランク王国だ。
サンドラが如何に貴族の娘であったとしても、フランク王国という外国でその名前が通じるとは思えなかった。もう、いくら抵抗しても無意味で、このままこの怪しげな男と結婚するしかないのだと諦めきっていた。
「それでは我らが神の名において──」
司祭が結婚式の誓いの挨拶を読み上げていく。
フランク語を第一外国語として学習してきたサンドラにはある程度意味が分かった。永遠の愛。病めるときも、健やかなるときも。永遠の愛。永遠の愛。永遠の愛。
嫌だ! こんな男と永遠の愛など結びたくはない!
「新婦。死がふたりを分かつまで永遠の愛を誓いますか?」
嫌だ……。
そこでサンドラの頭によぎったのはクラリッサの顔だった。いつも澄ました表情をしていて、みんながぎょっと驚くことをやらかす彼女の顔が思い浮かんだ。
クラリッサなら助けに来てくれるのではないだろうか。
それがただの妄想に過ぎないことは分かっている。クラリッサには別れを告げる暇すらなかった。彼女は自分がフランク王国にいることすら知らないだろう。それがどうやって自分を助けに来るというのだろうか。
「新婦?」
「サンドラ。誓いなさい」
司祭が怪訝そうな顔でそう告げ、ポリニャック伯爵が促す。
「……私は誓いません」
「!?」
サンドラが口を開いたのに、ポリニャック伯爵がぎょっとした表情を浮かべる。
「な、何を言っている、サンドラ! 大人しく誓いなさい!」
「いいえ! 誓いません! 私はあなたなんて愛してない!」
ポリニャック伯爵が叫ぶのに、サンドラが叫び返した。
「ええい! 司祭! ここはもう誓ったことにして進めたまえ! この子の両親からは婚約を正式に結んでいるのだ! これがその証拠の書類だ!」
「確かに……。ですが、新婦が愛を誓わなければ進めることはできません」
ポリニャック伯爵はアルビオン国教会が発行した婚約の書類を見せるが、司祭はそう告げて首を横に振った。
「言っただろう! 私にはフランク王国政府に伝手があるのだと! たかが一司祭を辺境に飛ばすことぐらい容易いのだぞ! それが分かったら進めるんだ! たかだが子供がわがままを言っているぐらいでこの婚約の書類が覆るとでも──」
「覆るよ、クソ野郎」
ポリニャック伯爵が叫んでいたとき、教会の入り口から声がした。
「誰だ!」
「クラリッサ・リベラトーレ。親友を返してもらいに来たぞ、この変態野郎。てめえのケツにてめえの頭突っ込んで海峡に浮かべてやるから覚悟しろ」
現れたのはクラリッサだ!
だが、彼女のフランク語は発音は滑らかなのだが、凄く汚いです……。というのも、第一外国語でサンドラと同じようにフランク語を教わっているクラリッサでも、第一外国語の正式な文法やらはあまり覚えておらず、リーチオの部下たちがフランク人と取引しているときに使っている言葉をそのまま使っているからだ。
まあ、ベニートおじさんが悪いところもあると思う。
「な、なんて口の汚さだ。それにリベラトーレだと? まさか……」
「リベラトーレ・ファミリーのボスであるリーチオ・リベラトーレは私の父だ、この蛆虫野郎。司祭の爺、この書類を読み上げやがれ」
クラリッサはサンドラのところまで一気に跳躍すると、司祭に向けて書類を叩きつけるように差し出した。司祭はそのことに驚きながらも、その書類に目を通す。
「ふむ。どうやらこの結婚は無効となるようです、閣下」
「なんだと! ここにある婚約の書類が目に入らないのか!」
「その書類はすでに無効です」
そう告げて司祭は書類を読み上げる。
「我らが主とカンタベリー大主教の名において。サンドラ・ストーナーとの婚約はいかなるものであろうともただちに無効とする。いかなる例外も認められない。これはサンドラ・ストーナー本人の意志によってのみ撤回することができ、その場合はカンタベリー大主教の許しを得なければならない。我らが主の子供たちに幸があらんことを。カンタベリー大主教トマス・ベケット」
それが読み上げられるのにポリニャック伯爵の表情が青ざめた。
「ど、どうやってこの書類を手に入れた、小娘!」
「さて、どうやっただろうな、クソ親父。私が王室を動かせればクソみたいに簡単に手に入った書類かもしれないぞ」
ポリニャック伯爵が叫ぶのに、クラリッサが肩をすくめた。
「無効だ! 偽造に決まっている! 平民の小娘にどうやってカンタベリー大主教が動かせるというのだ! ありえない!」
「いいえ。この書類は本物です。残念ですがその婚約の書類は無効となります、伯爵閣下。そしてこの結婚式も中止となります。あなたがフランク王国の政府を動かせても、アルビオン国教会の意志は動かせないでしょう」
司祭はそう告げて聖書を畳み、ポリニャック伯爵を見つめた。
「あ、ありえない……。こんなことがあり得るものか……」
「諦めろ、クソ親父。そして、その汚い面を私の視界に入れるな。貴様には向かうべき場所に向かってもらう。リベラトーレ・ファミリーを敵に回したんだ。覚悟しておけ」
「おのれ、おのれ、おのれ! 私をなめるな、小娘! 私にはフランク王国の政府要人たちと繋がりがあるのだ! アルビオン国教会のことなど知ったことか! どんな手段を使ってでも、私はその娘を手に入れるのだ!」
相変わらず口汚くクラリッサが告げるのに、ポリニャック伯爵がわめき続ける。
だが、そのわめきも長くは続かなかった。
「国家憲兵隊だ! ここにパトリック・ド・ポリニャックはいるか!」
「おお。国家憲兵隊! ここにいる小娘を逮捕してくれ! この小娘は犯罪組織と繋がりがあって、私のことを貶めようと──」
ポリニャック伯爵が顔を明るくするのに、魔道式小銃の銃口がポリニャック伯爵に対して向けられた。国家憲兵隊の兵士たちはポリニャック伯爵に銃口を向けたまま近づいていく。そのことにポリニャック伯爵はただただ困惑していた。
「何をしているんだ? 逮捕するのは私ではない。そこの小娘だ!」
「パトリック・ド・ポリニャック。貴様には詐欺、脱税、並びに殺人などの容疑がかかっている。既に貴様の爵位は剥奪された。同行してもらおう」
国家憲兵隊の指揮官がサーベルを突き付けて告げるのにポリニャック伯爵の表情が強張り、見る見るうちに血の気が引いていった。
「な、何かの間違いだ。内務大臣の──」
「黙れ。このペテン師め。連行しろ!」
ポリニャック伯爵の手には手錠が嵌められ、国家憲兵隊の兵士たちに引き摺られるようにして連れていかれた。
「終わったね、サンドラ」
「クラリッサちゃん……。でも、どうしてここに……」
クラリッサが何事もなかったという表情で告げるのに、サンドラがそう告げる。
「私たち友達でしょ? 友達は助けるものだよ。理由なんてそんなものさ」
そう告げてクラリッサはサンドラに手を差し伸べた。
サンドラがその手を掴んで立ち上がる。
「それにしてもカンタベリー大主教の書類ってどうやって……」
「ジョン王太子に頼んだ。体育祭のときの貸しを返してもらうためにね」
「え? あのアンカーを交代したって話だけで?」
「そうだよ。貸しは貸しだから」
体育祭のアンカーの座を譲っただけでアルビオン国教会の最高位の聖職者による婚約破棄の書類を作らされたジョン王太子はたまったものではないだろう。
「さあ、帰ろう、サンドラ。みんな待ってる」
「うん。帰ろう」
教会の扉ではファビオが馬車を待たせて待っている。
クラリッサとサンドラは手を握って、教会を去っていった。
「あのものたちに慈悲深い主の加護がありますことを」
司祭は去っていくクラリッサたちの背中を見てそう告げたのだった。
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