娘は友達との夜を堪能したい
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──娘は友達との夜を堪能したい
あの後、魔物除け網に穴が開いていることが確認された。
経年劣化とマーマンの攻撃と思しき跡があり、安全が確認されるまで海水浴はできなくなってしまった。クラリッサはせっかく水着を2着用意したのにと不満だ。
「ごめん。遅くなっちゃったかな?」
「大丈夫。夜はこれからだから」
サンドラの方は既に体調も回復し、夜のバーベキューパーティーには参加できるようになっていた。保健の担当職員もサンドラにはもう別段健康上の問題はないとして、保健室から彼女を解放することに同意した。
「いやあ。一時はどうなるかと思ったよ。サンドラちゃんって呼吸も止まってたんでしょ? それをクラリッサちゃんが生き返らせちゃったわけだし。凄いよね」
「そう? あれぐらいはできるものだと思ってた。医者も普通みたいに言ってたし」
ウィレミナが告げるのに、クラリッサが首を傾げた。
クラリッサに蘇生術を教えた医者は『世の中、これぐらいできないとやっていけないよ。特にクラリッサちゃんの家は家が家だしねえ。いざって時にファミリーを救うのは鉛玉やナイフだけじゃない。医学も役に立つよ』などと言っていた。
無論、これはクラリッサがマフィアの娘であることを念頭に置いた発言である。この世界の一般の人間は蘇生術など知らないし、その方法が知れ渡っている現代の地球においてもクラリッサのようにいざという場合に即行動に移せる人間は少ないだろう。
物怖じせず、親友のために行動に移せたのはクラリッサの肝っ玉の太さゆえだ。
「クラリッサちゃん。本当にありがとう。クラリッサちゃんが助けに来てくれなかったら、あのまま死んじゃうところだったよ。ありがとう、クラリッサちゃん」
「身内をそう簡単に死なせたらリベラトーレ家の名が廃るから。それにサンドラが助かったのはサンドラが助かりたいって思ったからだよ」
サンドラが改めてクラリッサに礼を言うのに、クラリッサは気にするなというように肩をすくめて見せたのだった。
「いつから私はクラリッサちゃんの身内になったのかなー」
「初等部1年生の夏休みの日からだよ。あの日は特別だったでしょ?」
「ああ。私たちが勝手に売られるかって思ってた日のことだね」
クラリッサにとっては宝石館に招き入れて、パールたちを紹介したあの日からサンドラたちは自分の身内だと思っている。
「あら。サンドラさん。もう動かれて大丈夫なんですか?」
そこでやってきたのはフィオナだ。
クラリッサたちもバーベキューパーティーを前に動きやすい服装に着替えていたが、フィオナもまた着替えていた。
彼女の今日のドレスは短めのキュロットスカートと半袖のカラーシャツ。襟元にはリボンタイをしている。夜でも気を抜かないのが彼女のファッションだ。
対するクラリッサたちはクラリッサがホットパンツにTシャツ。ウィレミナはハーフパンツにノースリーブのシャツ。病み上がりのサンドラはジャージのパンツと体操着の上着である。サンドラは流石にお洒落をする余裕はなかった。
実に開放的な雰囲気である。マナーも学ぶ王立ティアマト学園であるが、今は学生たちにとっても夏休み。堅苦しいことは置いておいて、今日ばかりはバーベキューパーティーとその後の催しを楽しもうというわけである。
「ちょっとまだ暑さが残るね」
「これぐらいの方がいいよ。夏って感じで。夏ってテンション上がるよね!」
クラリッサが告げるのに、ウィレミナが本当にテンション高くそう告げた。
「私も夏は好きですわ。開放感があって、活動的になれて。それに私の誕生日が夏だからでしょうか。だから、夏は好きですわ」
「フィオナさん。話が合うね!」
フィオナとウィレミナが意気投合する。
「クラリッサさんは好きな季節はあります?」
「私か。私は秋が好きかな。夏の終わりの静けさと冬の始まりの静けさの間。その微妙な空気が好きなんだ。紅葉していく木々と収穫を行う人々。肉も魚も食事も美味しい季節だし、野菜も美味しい。そんな静けさの間のお祭り気分が好きなんだ」
クラリッサは空に昇る月を眺めながらそう告げた。
秋といえば月見の季節でもある。人狼ハーフであるクラリッサにとっても月の動きは、その活動を左右しているのかもしれない。
「クラリッサちゃん。詩人みたいだったよ」
「え。ただ食べ物が美味しいって言っただけなのに……?」
「それ以上に言ってたよ!」
クラリッサが信じられないという顔をするのにサンドラが突っ込んだ。
「おやおや。皆さん、香ばしい匂いがしてきませんか?」
「うん。どうやらパーティーの始まりみたいだ」
ウィレミナが告げるのに、クラリッサが舌なめずりした。
クラリッサたちが匂いのする方向に向かうと、炭火でぱちぱちと肉や野菜、海産物が香ばしく焼き上げられていた。今年の合宿参加生徒は60名前後だが、その全員のおなかをいっぱいにしてもまだ余るといわんばかりの量の材料が積み上げられている。
「クラリッサ嬢。それにサンドラ嬢も。今日は大変だったね」
「まあ、そういう日もあるさ」
炭火の明かりが見える場所でジョン王太子が男子生徒たちと肉が焼きあがるのを待っていたのに、クラリッサがそう告げる。
「サンドラ嬢はもう体調の方は?」
「万全です。今日のバーベキューパーティーは食べますよ!」
ジョン王太子が尋ねるのに、サンドラがそう告げ、同時にサンドラのおなかが鳴った。サンドラは顔を真っ赤にして、おなかを押さえる。
「元気そうでよかった。せっかくの合宿なのだから全員で楽しまないとね」
ジョン王太子はそう告げると男子生徒たちとともに去っていった。
「は、恥ずかしい」
「それぐらい元気になったってことだよ。しょんぼりされているより、こっちも元気が出てくるからサンドラはもっとおなか鳴らして」
「もう鳴らさないよ!」
そう告げた直後またサンドラのおなかが鳴った。
「体は正直ですな」
「う、うう……。恥ずかしい……」
ウィレミナが意地悪く告げるのにサンドラの顔は真っ赤だ。
「さて、私たちも出陣といこう。今日は食べまくるよ」
「おー!」
クラリッサがそう告げてウィレミナたちは食事に繰り出した。
「うちの実家の料理よりゴージャスなのが学費だけで食べ放題。これだから王立ティアマト学園はいいところだぜ」
「シェフも一流のものを招いているのですよ」
焼き上げられる串を前にしてワクワクしているウィレミナにフィオナがそう告げる。
王立ティアマト学園の夏の合宿には一流のシェフが招かれている。彼らはバーベキューパーティーの支度をする他、この2泊3日の合宿での料理を提供する。流石は貴族たちが集まる王立ティアマト学園といったところだろうか。
「この串、焼けた?」
「もう少しお待ちを」
食欲をそそる肉の焼ける匂いに惹かれてクラリッサがワクワクと炭火を眺める。
「サンドラは食欲は大丈夫?」
「うん。私もお腹減って来たよ」
クラリッサが一応確認するのにサンドラが頷いた。
「では、バーベキューパーティーの始まりだ。お腹いっぱい食べよう」
そして、お肉が焼き上がるとクラリッサが串を配っていき、ウィレミナが取って来た飲み物を配っていく。流石にビールやワインはないので、果実ジュースだ。
「それではこの度の合宿とサンドラの生還を祝って」
「乾杯!」
クラリッサが乾杯の音頭を取り、サンドラ、ウィレミナ、フィオナ、ヘザーが乾杯する。グラスがカンと音を立てて合わさった。
「ヘザー。いつの間に」
「ふへへ。さっき焼き網に触れたらどれだけ痛いかなと思ってたら、怒られましたあ。おかげで焼き網には近づけませんよう」
「自業自得だ」
ヘザーが告げるのにクラリッサが呆れたようにそう告げた。
「うん。このお肉、美味しいね。ソースも美味しいし、お肉も美味しい」
「赤ワインをベースにしたソースですわね。それからビネガーかしら?」
ウィレミナはポンポンとお肉と野菜を食べていき、フィオナは味わうように食べる。
「うむ。美味い。文句なし」
「クラリッサちゃん。こっちのシーフードも美味しいよ」
クラリッサも満足のお味にサンドラがお勧めをする。
「サンドラ。本当に元気になってくれてよかった」
「もう。まだ言うんだから。もう全然大丈夫。クラリッサちゃんのおかげだよ」
クラリッサが告げるのにサンドラが小さく笑った。
「おーい。クラリッサちゃん、サンドラちゃん。そろそろ花火が始まるぞー」
「分かった。行こう、サンドラ」
今から始まるのは夏のイベントのひとつ。花火だ。
「私、海で花火見るの初めて」
「私も」
サンドラが告げるのにクラリッサが頷く。
彼女たちが空を見ていたとき、空に色とりどりの花火が広がった。
そこまで大きなものではないが、空を彩る炎の華がいくつも広がり、誰もが花火の方向を見つめている。ドンドンという花火の音だけが響き、フィオナたちも、ジョン王太子たちも、夜空に広がる花火に感嘆の声を漏らしていた。
「来年からはさ」
そんな様子を見ながらクラリッサが告げる。
「入場料とって一般人も参加させよう」
「ダメです。この花火は私たちだけの思い出。大切な思い出……」
サンドラがそう突っ込み、花火を見続けた。
ひと夏の始まりを告げる花火だ。
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その日の夜。
合宿の部屋は個室と4人部屋のふたつが選べるようになっており、クラリッサはウィレミナたちと一緒に4人部屋を確保した。ヘザーは加わる気満々だったが、フローレンスによって『ジョン王太子殿下名誉回復及びクラリッサ・リベラトーレ対策委員会』の方に引っ張られていった。
フローレンスにしてみれば、ジョン王太子の婚約者であるフィオナばかりか、友達のヘザーにまでクラリッサ陣営に寝返られてはたまらないというところだろう。
そんな合宿の夜。
「みんな、起きてる?」
「起きてるぞー」
消灯の点検が行われた後にサンドラの声が響き、ウィレミナがそれに応じる。
「クラリッサちゃん。起きてる?」
「辛うじて」
クラリッサも何やら眠たげな声で返事を返した。
「私も起きてますわ」
「よし。合宿の夜はやっぱり夜更かししないとね」
フィオナも返事をするのに、サンドラが小さく笑ってそう告げた。
「夜更かしか。何するの? ポーカーで賭ける?」
「クラリッサちゃん。本当にギャンブル好きだね」
クラリッサは隙あらばギャンブルを試みているぞ。
「夜中に友達とお喋りってきっと楽しいだろうなって思ってたんだ」
「あたしも。今日のクラリッサちゃんとかマジで凄かったね。でも、フィオナさんから聞いたんだけど、クラリッサちゃんがサンドラちゃんを救助するときに、その……」
「……? どうしたの?」
ウィレミナが言い難そうにするのに、サンドラが怪訝そうな表情を浮かべる。
「フィオナさん」
「ええっと。そのサンドラさんは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、クラリッサさんがサンドラさんの口にキスを……」
ウィレミナが話題を放り投げるのにフィオナが言い難そうに説明する。
「!? な、何故にクラリッサちゃんが私にキスを……?」
「人工呼吸。サンドラの呼吸は止まってたから、肺に空気を送り込んでやる必要があった。あれはキスとは呼ばないよ。そんなロマンチックなものじゃない。ただの心肺停止者の応急手当の一つに過ぎないんだよ」
「そ、そっかー」
クラリッサは全く気にしていないというようにそう告げる。
「もしかして、サンドラちゃんのファーストキスの相手ってクラリッサちゃんになっちゃったとか? まあ、女の子同士ならノーカンだけどね」
「だから、キスじゃないってば。応急手当。医療行為」
ウィレミナがからかうように告げるのに、クラリッサが憤慨した様子でそう告げる。
「クラリッサちゃんは他の人にも、その、医療行為はしたことあるの?」
「ん。人工呼吸の実践は初めて。模型相手になら何度かやったけど」
サンドラが尋ねるのに、クラリッサが過去を思い返しながらそう告げる。
何分、人工呼吸にもリスクがあることをクラリッサは知っている。場合によっては症状を悪化させるし、人工呼吸を行うことで感染症にかかることも闇医者から教わった。そうであるがゆえに、そうそう簡単に人工呼吸はできないのだ。
「それならクラリッサちゃんのファーストキスって……」
「だから、あれは医療行為。ノーカンだよ」
キスというのがただ唇を合わせるだけの行為であるならば、クラリッサのファーストキスはサンドラということになるのではないだろうか。
「ちなみに、ちなみに、フィオナさんのファーストキスの相手は?」
「ま、まだですわ。初めては殿下のためにとっておきたいんですの」
「おお。ロマンチックな乙女の表情が。これはジョン王太子も落ちますね」
フィオナが頬を赤くするのに、ウィレミナがはやし立てる。
「それで、サンドラちゃんとクラリッサちゃんはファーストキスの相手は誰が希望?」
そして、ウィレミナがクラリッサたちに話題を振った。
「私は……特に希望はないかな」
サンドラはしばらく悩んだ末にそう告げた。
「私はパパみたいな男の人がいい。やっぱり男手がないと困るからね」
「いや。ファーストキスの相手と結ばれるとは限らないぞ?」
クラリッサはリベラトーレ・ファミリーを共に繁栄させてくれるパートナーを募集中だぞ。身長2メートルはないといけないけれどな。
「ウィレミナはー?」
「私はお金持ちがいい。玉の輿!」
「ファーストキスの相手とは結婚すると決まったわけじゃなかったんじゃないの」
ウィレミナが答えるのにクラリッサが突っ込んだ。
そして、夜は更けていく……。
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