娘は誤解を解く手伝いがしたい
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──娘は誤解を解く手伝いがしたい
「はい。では、柔軟体操を始めましょう。皆さん、座学で体が強張っていると思うので、思う存分手足を伸ばして、体を柔らかくしましょうね」
今日も今日とて体育の時間だ。
打倒クラリッサ・リベラトーレを掲げるフローレンスたちは戦意に燃えている。それはそれとして柔軟運動はちゃんとしておかないと怪我の原因になってしまうぞ。
「皆さん、しっかり体はほぐせたようですね。では、今日も体を作る運動から始めて、それから護身術を学んでいきましょう。分からないことがあったり、コツが知りたくなったらいつでも先生を頼ってくださいねー」
男子生徒側の体育教師と違って、女子生徒側の体育教師は物腰が柔らかい。元はバレリーナであり格闘家でありテニス選手であったという凄い過去の持ち主だが、今の柔い物腰からは人のいい印象しか受けない。
「生徒諸君! 筋肉を付けよう! 全身にくまなく筋肉を付けよう! 筋肉があれば大抵の問題は解決するぞ! さあ、今日も筋トレだ!」
男子生徒側では体育教師がマッスルなポーズを決めながら男子生徒体をひーこら言わせていた。もう男子生徒と女子生徒の筋トレ量にもそれなりの差が生じている。
その中でひとりだけぼんやりしている人物がいた。
「殿下! どうしましたかな? 具合が悪いのでしたら保健室に行かれてください」
「はい……」
あれだけリベンジのために特訓していたジョン王太子は魂が抜けたような形相でトボトボと保健室に向かっていった。
「どしたんだろ?」
「フィオナさんに振られたのが堪えているんじゃない?」
クラリッサが怪訝そうな視線を去っていくジョン王太子に向けるのに、ウィレミナが横からそう告げて返した。
「振られたの?」
「振られたというと語弊があるかもしれないけど、フィオナさんって最近全然ジョン王太子と口きいてないんだよ。視線すら合わせないし」
あの体育倉庫の一件以来、ジョン王太子とフィオナの間に亀裂が生じていたのだ。
「ふうん。困ったね」
「まあ、何とかなるんじゃない? それはそうとクラリッサちゃん、勝負だ!」
「よし来た」
クラリッサたちは早速投げたり投げられたりを始める。
「クラリッサ・リベラトーレ!」
そんなことをしていたら、早速お客がやってきたぞ。
「あ。ジョン王太子の浮気相手だ」
「誰が浮気相手ですか!」
やってきたのは当然フローレンスである。
エイダとヘザーも引き連れているが、エイダは戦う前から士気喪失しており、ヘザーは投げられたがっているので話にならない。
「リベンジですわ! 今日こそあなたをぎゃふんと言わせてやります!」
「それはいいけど、君のせいでジョン王太子が保健室に行っちゃったよ」
「え?」
クラリッサが告げるのにフローレンスが素早く男子生徒側を向く。確かにそこにジョン王太子の姿はなかった。
「ジョン王太子。あの体育倉庫での事件以来、フィオナに口をきいてもらえてないんだって。あ、もしかしてそれが狙いだったのかな? なかなかあくどいね、君も」
「ち、ちが……私、そんなつもりは……」
クラリッサがクスクスと笑うのにフローレンスがあわあわと取り乱す。
「さて、勝負しようか」
「あー! あなた、それが狙いでしたわね!」
心理戦も戦術のひとつである。
「ていっ」
「ぎゃふん!」
というわけで、フローレンスは特訓の努力もむなしく、精神を乱されたところをクラリッサに投げ飛ばされてしまったぞ。
「覚えていなさい、クラリッサ・リベラトーレ! 諦めませんことよ!」
「またねー」
エイダに抱えられて去っていくフローレンスにクラリッサが手を振った。
「あのう」
「何、今日は君を投げ飛ばす気はないよ。投げ飛ばすなら有料だよ」
そして、ひとり残ったヘザーがクラリッサに話しかけてくる。
「いえ、そういうサービスは是非ともお願いしたいのですが、そうではなく、ジョン王太子とフィオナさんが今不仲になっているって本当ですかあ? それも体育倉庫におけるフローレンスのせいでっていうこともお?」
「まあ、そう推測はできるよね」
「むう。困ったような、都合がいいようなあ……」
ヘザーが珍しく困った表情を見せる。
「何々? 何かあるわけ?」
「クラリッサさんとウィレミナさんは内緒話を内緒にできる人ですかあ?」
ウィレミナが興味を持って尋ねるのに、ヘザーがそう告げる。
「私はもちろん守れる人だよ」
「私は時と場合とお金によっては守れる人だよ」
「クラリッサちゃん。ここは素直に秘密を守ろう、な?」
貴族の秘密は金になると理解しているクラリッサである。
「実はですね。うちのフローレンスはジョン王太子にぞっこんなのです。なので、なんやかんやあって、ジョン王太子とフィオナさんの婚約が崩れるとラッキー? みたいな」
「いやいや。代々公爵家は王家に嫁ぐ立場でしょ? それで公爵家の立場にあるわけだし。国王陛下の近親者だから公爵なわけじゃん。それがいきなり婚約破棄になったら、フィオナさんち大変なことになるじゃん」
「それもそうなんですよねえ。私としてはフローレンスを応援したくもあるんですけど、そういう事情があるから、フィオナさんにはジョン王太子と結婚してもらわないと困るわけでしてえ。なんとも困った話ですよう」
そうなのである。
公爵家は特別な家なのだ。王室の系譜に連なる近親者が特別に公爵家に任じられ、アルビオン王国最高位の貴族として君臨する。場合によっては国王の弟などが特別に公爵の地位を与えられることになるほどに特別なのだ。
その公爵家は近親婚にならないように調整しながら、王室と婚姻を結んでいく。近親婚は遺伝病をもたらすということは経験則的に理解されているのが今の世界だ。遺伝子というかDNAの概念はまだないが、メンデルの研究レベルの考察を得ているのがこの世界である。結構進んでいるのである。
そんないくつかある公爵家から婚約者としてジョン王太子と結婚することになったフィオナ。彼女の結婚はこのアルビオン王国の政治と密接に関わっており、個人の事情でどうこうしてはいけないお話なのだ。
だが、その個人レベルでのどうこうが起きそうなのが今の現状。
「困ったね」
クラリッサも現状をある程度把握して首をひねった。
「ちなみにさ。公爵家から婚約破棄した場合ってどうなるの?」
「最低でも侯爵家に格下げ。場合によってはお家取り潰しも……」
「うわー。マジでやばいじゃん」
王室と結びついて繁栄してきた公爵家だ。その糸を途切らせればそれなりの報いはある。
「はいはい。君たちー。今はお喋りの時間じゃないわよ。さあ、体を動かして。自分の身は自分で守れる女の子になろう。投げて、投げ飛ばされて、体を鍛えていこう」
クラリッサたちが喋り込んでいるのに体育教師がやってきて注意する。
「このことは後で考えよう」
「ということで、投げ飛ばしてくださいよう、クラリッサさん!」
「ヘザーは投げられ役としてウィレミナに投げ飛ばされるといいよ」
さてさて、問題のフィオナとジョン王太子はどうなるのだろうか?
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「クラリッサ嬢。折り入って頼みがある」
ジョン王太子がやつれた表情でクラリッサにそう告げたのはお昼休み。
「フィオナのこと?」
「そう、そのことだ。彼女の誤解をどうしても解きたいんだ……!」
ジョン王太子は必死の形相でそう告げる。
「いいよ。手伝ってあげる」
「本当か!?」
「その代わり、このことも貸しだよ?」
「あ、ああ。これで君には借りがふたつだな……」
初等部1年の時の体育祭のリレーの順番交代の貸しもクラリッサはまだ返してもらっていないぞ。どんどん借りが増えるジョン王太子の明日はどこだ。
「まあ、今は貸しを取り立てるつもりはないよ。今はフィオナのことに集中しよう。私としてもフィオナが公爵家から追放されたりするのは困る」
「そうなんだ。私との結婚は確かに政略結婚なのかもしれないが、私は彼女を幸せにするつもりだし、私は彼女に不幸になってほしくはない。彼女が婚約を破棄するというのならば、受け入れざるを得ないが、そうなると彼女自身にも不幸がふりかかる……」
クラリッサが神妙な表情で告げるのに、ジョン王太子が力なくそう告げた。
「そうだね。私としてもフィオナには幸せになってほしい。友達だから」
クラリッサの中では既にフィオナは面倒くさいちゃらんぽらんから、必要な友達にランクアップしているぞ。これまであれこれとクラリッサの苦手な勉強を手伝ったりもらったりして、ランクアップしていたのだ。
「しかし、どうすればいいだろうか。恐らくフローレンス嬢に誤解を解くために説明をしてもらっても、フィオナは信じてくれないだろう」
「それにフローレンスは誤解が解けなくてもいいと思ってる節がある」
「本当かね!?」
「まあ、そういう気がするって話」
ヘザーから聞いたフローレンスの事情はまだ内緒だ。
「しかし、フローレンスをも信頼してくれないとなると誰を頼ればいいか……」
「ヘザーは?」
「彼女は私の誤解を解くのに協力してくれるだろうか?」
「まあ、それなりのご褒美を準備しておけば」
そう考えてクラリッサの頭に浮かんだのがファビオだった。
ファビオがヘザーに“ご褒美”を与えるならば、ヘザーは喜んでフローレンスを裏切るだろう。そもそもフローレンスにしたところで、当事者だから信用がないだけで、本当にジョン王太子とフィオナの婚約を台無しにしたいわけでもないはずだ。
「ご褒美となるとやはり何かしらの金銭を……?」
「心底軽蔑した視線で鞭打ってあげるといいよ」
「それは本当にご褒美なのかね……?」
ジョン王太子はフィオナより温室育ちなのでサドとマゾなプレイは理解してない。
「とにかく、ヘザーを巻き込もう。それから証人は多ければ多いほどいい。あの時はエイダも一緒だったよね?」
「ああ。彼女も同じクラスだったからね」
「じゃあ、エイダも引き込もう」
クラリッサは本人の承諾なく、エイダを説得チームに加えることにした。その時、エイダは学食でくしゃみをしていたのだった。
「後は……私がやるしかないか」
「頼む。フィオナは君のことをとても信頼している。君の言うことならば信じてくれるはずだ。君からの言葉がもっとも有力な材料になるだろう」
「ダメだよ、言葉だけじゃ。行動も伴わないと」
「行動……?」
クラリッサの発言にジョン王太子が怪訝そうな表情を浮かべる。
「思い出して。そもそも体育倉庫で何を目的として、あんなことをしていたのか」
「ああ。そうか! し、しかし、それだと君は……」
「フィオナのためだ。一肌脱ぐよ」
「クラリッサ嬢……! ありがとう……!」
何をするのかはまだ不明だが、クラリッサとジョン王太子の中ではやらなければならないことが決まったようである。
「それじゃあ、私が放課後にフィオナを誘うから、君は準備してて」
「ああ。任せたよ、クラリッサ嬢」
というわけで、フィッツロイ家の破滅とジョン王太子の失恋とフィオナの不幸を避けるためにクラリッサはフィオナの誤解を解くことになったぞ。
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その日の放課後。
何故か体操着姿のクラリッサに誘われて、フィオナは体育館に向かった。
「フィオナは体育で何している?」
「バトミントンやテニスですわ。どちらも楽しいですわよ。クラリッサさんも非戦闘科目の方にいらしてくれたらより楽しかったのですけれど」
「そういうわけにはいかないよ。お姫様を守るのには騎士が必要だろう?」
「クラリッサさん……」
また懲りずにそういうやり取りをしているクラリッサとフィオナである。
「戦闘科目の方では、実践的な護身術について学んでいるんだ。相手を投げ飛ばしたり、ねじ伏せたりする技をね。どういうものか想像はできるかな?」
「ええっと。よく私の家の騎士たちがやっていた軍隊格闘術のようなものでしょうか」
「まあ、大体その通り」
クラリッサたちが学んでいる格闘術も警察や軍隊で使われているぞ。
「ですが、それは危険ではありませんか? クラリッサさんが怪我をなされたりしたら悲しいですわ。気を付けてくださいまし」
「大丈夫。怪我をしない方法も学ぶから。それにしてもフィオナは優しいね。私のことを心配してくれるだなんて。さて、話は戻るけれど、男子も同じように格闘術を学んでるんだ。ジョン王太子も同じように投げたり、投げられたりしている」
「……ジョン王太子なんて知りませんわ」
クラリッサが告げるのに、フィオナがそっぽを向いた。
「まあ、彼はもっぱら投げ飛ばされる側だったけれどね。私にも思いっきり投げ飛ばされてたし。でも、男の子としては思うところがあったみたい」
「……といいますと?」
「初等部1年の時の体育祭、覚えている?」
「もちろんですわ。みんなで頑張りましたわよね」
「そうそう。ジョン王太子もリレーのアンカーを頑張ったりね。でも知ってた? 本当はアンカーは私になるはずだったんだよ?」
「え? そうでしたの?」
フィオナにとっては初耳の話だ。てっきり彼女はジョン王太子はアンカーになるべくしてなったとばかり思っていた。
「彼にどうしてもって頼まれて、交代したんだ。彼、フィオナが応援団をやっていたから、いいところを見せたかったみたい。やっぱり男の子っていうのは女の子にいいところを見せたいって思うものなんだよ」
「そうなのですか……」
フィオナは初等部1年の時の体育祭ではこんなことになるとは思ってもみなかった。
ジョン王太子は常にフィオナの方を向いてくれている。彼女はそう思っていた。
「今回もね。そういう話なんだ。授業の時間に私にこっ酷くやられちゃってね。男の子としては黙ってられなかったんだよ」
そう告げてクラリッサが体育館の扉を開く。
そこではいつものようにバレー部が掛け声を上げながら練習していた。
が、その脇に奇妙な空間が。
マットが敷かれ、そこではジョン王太子とヘザー、エイダがいた。
「フィオナ嬢。来てくれてありがとう」
「…………」
ジョン王太子がそう告げるのにフィオナはそっぽを向いて黙り込んだ。
「フィオナさん。この間のことは誤解なんですよう。ジョン王太子は体育の授業でクラリッサさんに勝利するために密かに特訓をしていたんですよ。ただ、特訓している場面を目撃されるのは恥ずかしいということで体育倉庫での練習だったんですよう」
「……そうなのですか?」
ヘザーが告げるのにフィオナが反応する。
「そうです、フィオナ嬢。私も証言します。フローレンス様と殿下はクラリッサさんに負けたのが悔しくて密かに特訓していたんです。我々もあの場にいたことはご存じでしょう? 嘘はついていません。決して」
エイダがやや表情を青ざめさせてそう告げる。
彼女は事前にファビオに脅迫されており、本来証言する気がなかったのにここで証言させられているのである。エイダはあの件がトラウマになっているのだ。
「……本当にそうだったのですか?」
フィオナがここで初めてジョン王太子の顔を見てそう尋ねる。
「そうなんだ。信じてもらうためにここでクラリッサ嬢と勝負をして見せよう。私の成長の過程が良く分かってもらえるはずだ」
ジョン王太子がそう告げるのに、クラリッサがマットの上に立つ。
「ちなみにこの間はジョン王太子の惨敗だったよ。受け身も取れずに投げ飛ばされた」
「ごほん。まあ、その通りなのだが、今の私はそうではない!」
そう告げてジョン王太子が構える。
「受けてたとう」
クラリッサも構える。
「では、始めえ!」
ヘザーの号令でジョン王太子とクラリッサがじわじわと動く。
クラリッサがジョン王太子を掴もうとするがジョン王太子はそれを躱す。
そして、またにらみ合い。ジョン王太子の額に汗が流れる。
「……頑張って、殿下!」
フィオナがそう告げた時、ジョン王太子の手がクラリッサを掴んだ。
そしてそのまま、クラリッサを投げ飛ばす。クラリッサは受け身の姿勢を取り、衝撃をやり過ごすとジョン王太子の手を借りて立ち上がった。
「一本! ジョン王太子の勝利!」
ヘザーがそう告げたとき、フィオナは涙を流していた。
「殿下。疑ったりしてすみませんでしたわ……。殿下はクラリッサさんに勝つための特訓をしていたというのに私としたらみだらな想像をしてしまって……。全く、恥ずべきことです。こんな私が殿下の婚約者でいいのでしょうか……?」
「私にも落ち度はあった。そもそも君に最初から説明するべきだったのだ。それが自分のプライドばかり気にして、隠してしまったから、君が勘違いをしてしまった。悪いのは私だよ。これからも君には婚約者として傍にいてもらいたい」
「殿下……」
いい感じの空気が流れているがさっきのは完全な八百長だぞ。
クラリッサとジョン王太子は事前に打ち合わせをして、ある程度緊迫した状況を演出して、それからフィオナがジョン王太子を応援するようになったら、クラリッサはジョン王太子に投げ飛ばされるという流れを設定しておいたのだ。
ある意味では子供向けのヒーローショー。
でもいいじゃない。実際に子供だし、本人たちが幸せなのだから。
というわけで、ジョン王太子とフィオナの婚約破棄の危機は一先ず解決したのであった。めでたし、めでたし。
「はあ。この後にご褒美があ……。罵られながら鞭で打たれるう……」
「!?」
ヘザーから衝撃の一言が飛び出したが、大丈夫だ。多分。
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