娘は王太子の素行調査をしたい
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──娘は王太子の素行調査をしたい
「屈辱的な敗北でしたわ」
使用されていない理科準備室でそう告げるのは『ジョン王太子殿下名誉回復及びクラリッサ・リベラトーレ対策委員会』の委員長であるフローレンスである。いつものきつい表情がより一層きつくなっているぞ。彼女は今猛烈に怒っているのだ。
「私は別のクラスで授業は一緒ではなかったのですが、それほどまでにクラリッサ・リベラトーレの行動は調子に乗っているのでしょうか?」
「ノリノリです。乗りに乗りまくっています。エリザベス・タワーの天辺で曲芸しているくらいには乗りまくっていますわ」
どんな調子の乗り方なのかさっぱり分からない例え方である。
「私は気持ちよかったからよかったですよう。今度は寝技を決めてもらいたいですう。関節をこうやって締め上げて、関節が外れるくらいにい!」
「ヘザー!」
満足していたのはヘザーだけである。
「私が投げ飛ばされただけならば100歩、いや1000歩譲って良しとしましょう。相手の力量を考えずに勝負を挑んだ私が悪いのです。クラリッサ・リベラトーレは強い。幼少の時から格闘術を学んでした私すらも上回っています」
「フローレンス。今度、私のこと、投げ飛ばしてくれませんかあ? ついでに『このゴミ屑の役立たずが』って表情で見てもらえたらお金払ってもいいですよう!」
「ヘザー! もうあなたは黙ってなさい!」
「来た! 放置プレイ来たあ! 蔑まれているう!」
実をいうとヘザーとフローレンスは学園入学以前からの知り合いであり友人なのだ。だから、ヘザーの頭がどれだけ温かろうと、フローレンスにはヘザーを切り捨てるという選択肢は取れないわけなのである。
「とにかく! 体育の授業で我々が恥をかかせられるのは二度目です。今度こそ雪辱を果たさなければなりません。私も、ジョン王太子も、あの傍若無人にして調子に乗り放題のクラリッサ・リベラトーレに勝利しなければならないのです」
「そうですね。我々貴族の誇りにかけて」
フローレンスがそう告げるのに別のクラスの男子生徒が頷く。
「まずはクラリッサ・リベラトーレを弱らせなければなりません。ということで、ここにいる誰かが風邪をひいてそれを移すという作戦で行きましょう」
「いや、それだと普通に欠席するだけじゃないですか」
自信満々にフローレンスが告げるのに、いつぞやのいじめ失敗犯エイダがそう告げた。確かに普通、風邪をひいてまで体育の授業には参加しないものである。
「では、授業前に一服盛るというのは?」
「やめましょう。絶対にやめましょう。壮絶な報復が来ます!」
エイダはあのファビオがいるのにクラリッサに一服盛るのは無理だと理解している。
「エイダ。あなたはさっきから反対してばかりではないですか。意見を述べなさい」
「えっと、その、クラリッサ・リベラトーレは放置ということで。た、ただの放置ではないですよ。みんなして無視するんです。体育の授業の時も相手にしない。勝負をしてあげない。そうやってクラリッサ・リベラトーレを孤立させるんです」
フローレンスがそう告げるのにエイダがそう告げた。
確かにこれは効きそうな技である。相手と同じ土俵で勝負することを避ける。それでいて、相手に心理的なダメージを与える。特定の個人を集団で無視することは、現代におけるいじめの基本のような行為である。
「それでは我々の雪辱は果たされません。なんですか、その底意地の悪い方法は。私はあなたの性格の悪さに驚いていますよ」
「あ! とても理不尽!」
数々のいじめを立案しておきながらこれである。意地の悪いのはフローレンスだ。
「これはもう正々堂々と挑んで打ち破るしかないようですね。そうと決まれば特訓です。エイダ、ヘザー。あなたたちも特訓には参加するのです。私たちの中の誰かがクラリッサ・リベラトーレを放り投げてやれば勝利ですから」
「え、ええー……。やめときましょうよ。そのうち骨とか折られますよ」
「骨の1、2本で怯えるのではありません」
「普通怯えます!」
骨が折れるのは想像しているのより痛いぞ。
「そうと決まれば今日の放課後から特訓を始めましょう。特訓にはジョン王太子にも参加していただきます。あの方も勝利しなければ、クラリッサ・リベラトーレはこれからも調子にノリノリになるでしょう。それだけは許せません」
「フローレンスはなんだかんだで放課後に理由を付けて、ジョン王太子といちゃつきたいだけなのではあ?」
「ちーがーいーまーすー! 私にはこの王立ティアマト学園が貴族による、貴族のための、貴族の学園であることを示すために頑張っているんですー!」
「それじゃあ、今回のことがフィオナ嬢にばれても大丈夫ですかあ?」
「そ、それはちょっと困ります……」
フローレンスはジョン王太子が大好きだけど、ジョン王太子には婚約者のフィオナがいるからアプローチできないのだ。フローレンスの乙女心はうずいているぞ。
「まあ、私はフローレンスの親友なので黙っておきますよお。皆さんもフローレンスがジョン王太子のことが好き好き大好きなのは内緒にしていてくださいねえ」
「言い方!」
サドなのかマゾなのか分からないヘザーである。
「では、今日の放課後より特訓です。呼べるなら教師も呼びましょう」
「でも、体育館はバレー部が使ってますよ?」
「ちょっと間借りすることぐらいはできるはずです。それにマットさえあればどこででも練習はできます。いざとなればマットを外に運び出して外で特訓です」
「は、恥ずかしい……」
外で特訓するのはなかなかの度胸がいるのだ。
「はあ。外で、衆人環視の中で無様な姿を晒すう……。興奮してきましたよう!」
「あなたはやっぱり来なくていいわ、ヘザー」
「そんなあ!? これも放置プレイ! 放置プレイなんですかあ!」
頑張れ、生徒たち。その努力が笑われないように!
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「クラリッサさん。ちょっといいですか?」
「何かな、天使の君」
フローレンスたちが特訓を始めてから1週間が過ぎたときだ。
お昼休みの時間、フィオナが深刻そうな表情でクラリッサたちの下を訪れた。
「それが殿下の様子がおかしいんですの」
「……? どういう風に?」
ジョン王太子がおかしいのはいつものことではと言いかけたが、クラリッサは辛うじてその言葉を飲み込んだぞ。最近では空気の読める子供に成長しているのだ。
「それがですわね。最近、放課後になるといそいそと支度をして出ていって、一緒に帰ってくださらないんですの。そして、翌朝はげっそりとしていらっしゃるんですのよ。放課後に何かあったのでしょうか? クラリッサさんたちは何かご存じありません?」
フィオナがそう告げるのにクラリッサたちが顔を合わせる。
「あたしは部活だったからジョン王太子の姿は見てないな」
「私も部活動で教室にいたから見てないです」
ウィレミナとサンドラがそう告げる。
「私も部活。けど、思い当たる節はあるよ」
「なんでしょうか、クラリッサさん」
「これは──」
クラリッサが声を落とす。
「浮気だね」
「う、浮気!」
クラリッサの言葉にフィオナが悲鳴染みた声を上げる。
「そう。放課後に逢引きしているに違いないよ。だから、放課後は急いで支度するし、君と一緒には帰らないんだ。君という美しくて、可憐な婚約者がいるにもかかわらず、浮気をするだなんて私は失望したよ」
「クラリッサちゃん。かなり憶測でものを言っているよね?」
クラリッサがやれやれという風に肩をすくめるのにサンドラが突っ込んだ。
「殿下が浮気だなんて……。私、何か悪いことをしたでしょうか……」
うん。君はクラリッサにお熱だったりして、悪いことだらけだったぞ。
「君は悪くないよ、フィオナ。悪いのはいつだって男の方だ。君という天使のような婚約者を持ちながら、さらに女性を手にするつもりのジョン王太子は悪い奴だね。君の魅力に気づいていないのかな。だとしたら、酷いものだよ。君はこんなにも彼のために努力を重ねて、美しくあると言うのに」
「クラリッサさん……」
そういうところだぞ、フィオナ。
「待て待て。待ちなさい、クラリッサさんや。ジョン王太子にあらぬ疑いをかけるのはよくないですよ。ここはひとつ、真実を確かめてみないと」
「浮気に決まっているのに?」
「凄い自信だね。けど、証拠はないでしょ?」
「疑わしきは死刑」
「過激だな……」
クラリッサがジョン王太子浮気説を唱えるのに、ウィレミナが止めに入る。
「ここはさ。ジョン王太子の素行調査といこうぜ。放課後に尾行してみれば、ジョン王太子が実際は何をやっているのかぱっと分かるよ?」
「いいね。それでいこう」
探偵っぽくてワクワクするクラリッサである。
「あんまりそういうことをするのはよくないと思うけどなあ……」
「サンドラだって気になるでしょ。ジョン王太子、放課後の密会。お相手は? って」
「そんなゴシップ誌みたいな……」
ウィレミナもかなりノリノリだが、サンドラは渋い表情を浮かべている。
「サンドラさん。私からもお願いしますわ。どうか手伝ってくださいまし」
「フィオナさんがそこまで言うなら。素行調査をしよう」
フィオナが頼むのに、サンドラが渋々という具合に同意した。
「じゃあ、今日の放課後にジョン王太子に感づかれないように」
「ちょっとワクワクしてきた」
さて、果たしてクラリッサたちは何を発見するのだろうか。
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放課後。
フィオナが言っていたようにジョン王太子はいそいそと支度をすると、フィオナに別れの言葉を告げて、そそくさと教室から出ていった。
「よし。尾行開始だ」
「おー」
ウィレミナがこっそりと教室の扉から顔を出し、クラリッサが続く。
「いいのかなあ」
「ああ。浮気ではありませんように……」
サンドラが渋々と続き、最後にフィオナが心配そうに続く。
「隊長。被疑者は体育館に向かっているようです」
「ふむふむ。追跡を続けよう、ウィレミナ隊員」
クラリッサたちはフィオナの心配も他所にノリノリだ。
「体育館って放課後はバレー部が使っているよね?」
「殿下はフェンシング部ですわ。体育館に用事はないはずなのですけれど」
フェンシング部は独自の部室を持っている。体育館は使用しない。
「バレー部の部員と密会でしょうか、隊長」
「バレー部全員でハーレムを作っているのかもしれない」
そして、愉快な妄想を繰り広げるクラリッサたちである。
「そういえばこの中で婚約者がいるのってフィオナさんだけ?」
ジョン王太子を追跡しながらウィレミナがそう尋ねた。
「私はいないよ。結婚とか考えてもない。結婚するとしても婿に来てもらう。私はパパの後を継がなくちゃいけないから」
クラリッサはリーチオの後継者になる気満々だ。
「サンドラは?」
「……分からない」
ウィレミナの問いにサンドラが呟くようにそう返した。
「サンドラ。何か悩みがあるの?」
「ううん。大丈夫だから」
クラリッサが様子がおかしいことに気づいてそう尋ねるのに、サンドラは小さく微笑んでそう返したのだった。
「さて、ジョン王太子は体育館に入ったままでてきませんぞ、隊長」
「うむ。ここは突入するしかないね」
そして、また探偵ごっこに戻るクラリッサたち。
彼女たちは体育館の窓から内部をのぞき込んでジョン王太子たちがいないことを確認すると、ひそひそと体育館の中に忍び込んだ。
体育館ではバレー部が練習に励んでいる。シューズが床をこする音を立て、気持ちのいいスパイクの音が響く。バレー部員たちは大きく掛け声を上げながらプレイしており、ジョン王太子の気配はさっぱりと消え去ってしまった。
「あれー? 体育館に入ったよね?」
「ふんふん。こっちだね」
ウィレミナが周囲を見渡してジョン王太子の姿がないことを確認するのに、クラリッサが鼻を鳴らして体育倉庫の方に向かった。
クラリッサは人狼の嗅覚があるので、いざとなればジョン王太子の臭いを追うことができるのだ。もちろん、そのことは友達には内緒だぞ。
「体育倉庫かー。またいかがわしいスポットですな」
「全くだ。何をしているのかな?」
ウィレミナ、クラリッサ、サンドラ、フィオナがそれぞれ体育倉庫に耳を当てて中の音を聞き取ろうとする。そこで聞こえてきたのは──。
「はあ、はあ。その調子ですわ、殿下」
「これでいいのかね?」
「はい。その調子です……」
何やら不審な声と音が聞こえてくる。
喘ぎ声と何かが叩きつけられる音。そこから導き出されるのは──。
「ハードなサドとマゾのプレイ……!?」
クラリッサが戦慄の一言を告げた。
「う、嘘ですわよね? 嘘ですわよね? 殿下がそんなアブノーマルなことを……。それも浮気相手にしているだなんて……」
「現実を受け入れるしかない……。宿敵だと思っていたのにがっかりだ……」
うろたえるフィオナとそれを宥めるクラリッサ。
「ええー……。何か他の人も声も聞こえるんだけど……」
「まさか複数人でいかがわしいことを……!?」
「いや。そうじゃないと思うよ」
クラリッサが恐れ戦くのに、サンドラが冷静に突っ込んだ。
「ねえねえ。突入しない? ここで憶測で語ってもどうにもならないしさ。もし、本当にジョン王太子が複数人でハードなサドとマゾのプレイをしていたら現場を取り押さえられるし、そうじゃなかったら万々歳。どう?」
「変態の巣窟に踏み込むのはちょっとためらわれる」
「今さら何を言っているんですか、クラリッサ隊長。行こうぜ!」
「トラウマになっても知らないよ」
クラリッサが乗り気でないのも束の間、ウィレミナが体育倉庫の扉を大きく開いた。
「たのもー!」
そして、踏み込んだ先にあったのは──。
「フィ、フィオナ嬢?」
「クラリッサ・リベラトーレ……!」
マットの上で息を切らして倒れているフローレンスとびっしょりと汗を流しているジョン王太子の姿であった。
「そんな……。本当に殿下が浮気相手とサドでマゾなプレイをしていただなんて……! もう殿下のことなんて知りませんわー!」
「待ってくれ、フィオナ嬢! 誤解だ! 誤解なんだー!」
逃げるフィオナを追いかけていくジョン王太子。
「で、実際のところ、君らこんなところで何してたの?」
クラリッサは既にこれがサドがマゾなプレイでないことは理解している。そういうプレイに必要ないかがわしいアイテムがないのだ。何故、クラリッサがそういうアイテムのことを知っているかというと、大体ベニートおじさんが悪い。
「フン。あなたにそれを教える義理はありませんことよ」
「なら、君たちが体育倉庫でジョン王太子といかがわしいことしてったって言いふらすね。学年どころか学園全体で周知されることにするね」
「ちょっと! 脅迫するつもりなのかしら!」
「違うよ。見たままの事実を伝えるだけだよ」
見たまま。息を切らせてマットの上に横たわるフローレンスと汗だくでその前に立っていたジョン王太子。これが週刊誌にでもすっぱ抜かれたらスキャンダルである。『ジョン王太子、学園での痴態! 謎の女性の正体は!?』とでも書かれるだろう。
「この……! いいですわ。教えて差し上げます。あなたにリベンジするために特訓していたのですよ! これまでは易々とやられてきましたが、今度はあなたにリベンジして差し上げますわ! 次に投げ飛ばされるのはあなたですわよ!」
「なんだ、そんなことか。幽霊の正体見たり枯れ尾花、だ」
「は? え? 幽霊?」
クラリッサは国語の成績は依然として悪いが、パールたちから難しい言葉を教わっているぞ。もっとも使い方が正しいかは謎であるが。
「まあ、頑張って。次は勝てるといいね」
「ほざいてるがいいですわ! 後でぎゃふんと言うのはあなたですわよ!」
クラリッサはひらひらと手を振ると去っていったのだった。
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