娘は挨拶したい
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──娘は挨拶したい
いよいよ入学式がやってきた。
入学式ではクラリッサが新入生代表で挨拶することになっている。
これを見逃すわけにはいかないとリーチオは執事役のファビオとともに、王立ティアマト学園に乗り込んだ。
「凄い貴族どもの集まりだな……」
リーチオはそこら中に貴族の紋章バナーを翻した馬車が止まっているのを見て呟いた。
「流石は王立ティアマト学園といったところでしょうか」
「そうみたいだな。おい、クラリッサ。行くぞ」
リーチオはそう告げて、クラリッサに手を貸す。
「ん。人がいっぱいだね」
「そうだな。緊張してきたか?」
クラリッサが新入生とその保護者たちで溢れる学園の前庭を眺めて告げるのに、リーチオがそう尋ねた。
クラリッサはあまり人の多い場所に出たことがない。リーチオも各種パーティーなどを催すが、集まるのはその筋の人間ばかりで、その数はさして多くはないのだ。
故にリーチオはクラリッサが緊張しているのかと思った。
「別に。パパのパーティーに来る人たちに比べたら空気みたいなものだし」
「そうだよなあ」
数は少数でもリーチオのパーティーで集まる人間というのは、少なからず犯罪に手を染めているものばかりである。中には殺しに手を染めているものもいるし、ここのお上品な貴族の集まりと比較すれば、物騒極まりない集まりだ。そんなパーティーを何度も経験しているクラリッサにとってこれぐらいの集まりはなんでもない。
「じゃあ、行ってくるね、パパ」
「おう。帰ったら入学祝いのパーティーだ。楽しみにしとけよ」
「分かった」
これから新入生はクラス別に分かれて、それから体育館で入学式を行う。
「やあ。君もA組?」
「ん。そうだよ。君も?」
「そうなんだ。私はサンドラ・ストーナー。よろしくね!」
クラリッサにまず話しかけてきたのはくすんだアッシュブロンドの快活な少女だった。背丈はクラリッサよりやや小さく、あたかもリスなどの小動物のような顔立ちをしている。美人というよりも可愛い系の女子である。
「私はクラリッサ・リベラトーレ。よろしく」
「リベラトーレ? どこの家系の人?」
「リベラトーレの家系の人」
「いや、そうじゃなくて。男爵家とか子爵家とか……」
サンドラが困った表情を浮かべる。
「私、貴族じゃないから」
「えっ!?」
クラリッサがさらりと告げるのにサンドラが驚愕の表情を浮かべた。
「そっかー。でも、うちはお金持ちの人?」
「入学するのに1500万ドゥカート使った」
「裏口ー!?」
サンドラがさらに驚愕の表情を浮かべる。
「そ、そのことはみんなには言わない方がいいよ。それから君が平民でも私は友達になれるからね。苛められたりすることもあると思うけど、私のこと頼っていいよ」
「君、優しいね。私のリベラトーレ家のモットーは『受けた恩は絶対に返す。受けた害は必ず血を以てして報復する』だから、必ず恩は返すよ。君は私の初めての学園での友達。改めてよろしくね、サンドラ・ストーナー君」
「よ、よろしく」
ひょっとしてこの子の家ってヤバイところなのではとサンドラは感じ始めていた。
「じゃあ、そろそろ体育館に行こうか。知ってる? 今年はジョン王太子が入学するんだよ。王太子もA組らしいし、楽しみだよね」
「何が?」
「え、えっと。その、王太子ってとっても偉い人じゃない? そんな人と一緒に授業が受けられるのって楽しみじゃない?」
「あんまり」
「そ、そっかー」
クラリッサはこの学園の制服が可愛かったから入学したのであって、王太子のことなんてどうでもいいと思っているぞ。
「それよりも行こう? 遅刻したら怒られるでしょ?」
「そうだね。急ごう」
クラリッサがそう告げてサンドラは体育館に向かったのだった。
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新入生挨拶は今年入学するジョン王太子がやるものだと誰もが思っていた。
だが、演台に立ったのは見知らぬ少女。
確かな美しさと可憐さを持ち合わせた少女であるが、こんな少女はこれまでどの貴族も社交界で見たことがない。どこの家の子供だろうかと保護者の貴族たちがひそひそと話し始める。新入生もジョン王太子が挨拶をするのではないことに驚いていた。
そして、クラリッサが新入生代表の挨拶をする。
いつもならばアルビオン王国のさらなる繁栄のためにとか、国王陛下のためにとか、そういう文言の挨拶が行われるのだが、行われたのは自分の父親に感謝する内容の挨拶。締めくくりに述べられたクラリッサの名前に誰もが首を傾げた。
「あれは平民では?」
「リベラトーレ家など聞いたことがない」
保護者の貴族たちはざわめき、拍手は起こらない。
いや、ふたりだけ拍手をしていた。リーチオとファビオだ。
彼らは娘の晴れ舞台を堪能できたことに感動し、周りのざわめきも無視して、クラリッサに拍手を送っていた。
だが、ことがただの噂話で済まなくなるのは明白だった。
「あなた!」
クラリッサが次に行われる新入生オリエンテーションのために教室に戻っていたとき、攻撃的な声色の声がかけられた。
「あなた、なんですの? 平民の分際でジョン王太子から新入生代表の挨拶の場を奪うとか何を考えていますの? 平民は平民らしくしていなさい」
声をかけてきたのはゴールドブロンドの髪の毛をカールさせて、縦巻きロールにした見るからなお嬢様だった。気の強そうな顔立ちをしており、そのマリンブルーの瞳にはクラリッサに対する敵意の色が浮かび上がっている。
「平民だと挨拶しちゃいけないの?」
「当たり前でしょう! ここは伝統と名誉ある王立ティアマト学園ですわよ! 平民が入学しているということだけでも問題ですわ!」
この少女の名前はフィオナ・フィッツロイ。グラフトン公爵家令嬢で、噂のジョン王太子の婚約相手でもある。大貴族の中の大貴族だ。
「ふーん」
クラリッサは小娘がきゃんきゃん吠えた程度ではびくともしない。これより物騒な荒くれ者たちのやり取りを普段から耳にしているのだ。『てめえ、目玉掻き出して、指の骨全部折ってやるぜ』『借金が返済できないなら、ガキを売れ』とかなんとか。
「な、なんですの、その態度は! あなた、私を馬鹿に──」
フィオナがクラリッサに近づいたとき、クラリッサがフィオナの顔を正面から見つめて、壁をドンと叩いた。いわゆるイケメンだけに許された壁ドンである。
「そんなに怒らない方がいいよ。せっかくの可愛い顔が台無し」
「か、可愛い……?」
クラリッサが甘い声で囁くのにフィオナが赤面した。
「その髪の毛。ふわふわで奇麗だね」
「そ、そんなことはありませんわ……。あなたのプラチナブロンドの髪に比べたら、荒れてますし、それにくせ毛だからこういう髪型にしかできなくて……」
クラリッサが耳元で囁くのにフィオナがますます赤面していく。
クラリッサはホストたちから女性を口説くための手段を学んでいるので、これぐらいのことは造作もないぞ。リーチオの暗黒街の顔役としての交友関係のせいでクラリッサには余計な知識が山ほどついているのである。
「そんなことないよ。天使の羽みたい。自信をもって。君は可愛いよ」
「ふ、ふにゃあ……」
とうとうフィオナは真っ赤になって床に崩れ落ちてしまった。
「君、何をしている!」
クラリッサがフィオナを落としていたとき、今度は男子の攻撃的な声が響いた。
「ジョン王太子殿下!」
「殿下だ!」
ジョン王太子が出現するのに、周囲で歓声が響く。
「私の婚約者に何をしているんだ。彼女、泣きそうじゃないか」
フィオナが泣きそうなのは感動のあまりです。
「別に何もしてないよ。お喋りしてただけ」
「君は噂の平民か。どうやら礼儀どころか社会常識も知らないようだね」
クラリッサが首を横に振るのに、ジョン王太子がそう告げた。
「私が礼儀と社会常識というものを教えてやろう」
そう告げてジョン王太子は手袋を外すと、クラリッサに投げつけた。
「決闘だ! 私の婚約者フィオナ・フィッツロイのために君に決闘を申し込む!」
ジョン王太子がそう告げるのに周囲では歓声が響いた。
「わ、私のためにクラリッサさんとジョン王太子が……。でも、どちらかなんて選べませんわ……。どちらも素敵ですもの……」
フィオナは少し頭が残念だぞ。
「いいよ。決闘、受ける。場所は?」
「中庭だ。覚悟したまえ。私は相手が女性だからと言って手を抜いたりはしない」
わーわーと教室や廊下がざわめき、クラリッサとジョン王太子が中庭に向かうのに、大勢の生徒たちがついてくる。
「それでは名誉をかけて決闘だ。勝敗は相手が戦闘不能になるか、降参を宣言することで決める。伝統的な方法だ。準備はいいか?」
「いつでもどーぞ」
ジョン王太子が鼻息を荒くするのに、クラリッサが適当に頷いて見せた。
「では、立会人。勝負開始の合図を」
「はい、殿下。両者、位置について」
立会人は学園の生徒だった。
「はわわ。どうしてこんなことになってるの、クラリッサちゃん……」
観客のほとんどがジョン王太子を応援する中、サンドラだけはクラリッサを心配していた。ジョン王太子は王太子として、小さなころから武術を学んでいる。それに対してクラリッサは可憐な少女だ。勝ち目があるとは思えない。
「では、始め!」
それは立会人が合図したのと同時だった。
クラリッサの拳がジョン王太子の腹部にめり込み、ジョン王太子は今日の朝食の残骸を吐き出すと、その場に崩れ落ちた。
「立会人。判定は?」
「ク、クラリッサ・リベラトーレの勝利です……」
クラリッサが尋ねるのに立会人は何が起きたのか分からないという顔でそう告げた。
クラリッサは人狼の父を持つ半魔族だ。その身体の力は人間を遥かに超えている。その上、母親であるディーナ譲りの魔力でフィジカルブーストをかけているので、その戦闘力はもはや殺人的だと言っていい。ジョン王太子が死んでいないのはクラリッサが手加減したからだ。
「おいたわしや、ジョン王太子殿下……。けど、クラリッサさんも素敵でしたわ……」
決闘の様子を見ていたフィオナはそんな感想を漏らしていた。
フィオナはちょっとお馬鹿である。
「凄いな、あの子」
「強いし、可愛いし、無敵じゃね?」
ジョン王太子が保健室に運ばれていく中、観客たちが囁く。
「でも、平民だろ?」
「平民でもこの学園に入学できたってことは凄い金持ちなんだよ」
周囲がざわめくのをよそに、クラリッサはVサインを掲げると、中庭から去っていった。この後、クラリッサとジョン王太子の決闘を見に行って新入生オリエンテーションをさぼった全ての生徒が怒られたのは、また別の話である。
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「初めての学園はどうだった?」
リベラトーレ家ではクラリッサの入学祝いのパーティーが開かれていた。
食べきれないほどの御馳走が並べられ、数多くの暗黒街の人間がボスの子女が学園に入学したことを祝福しにやってきている。
「友達できた」
「おお。やるじゃないか。流石は俺の娘だな」
クラリッサが告げるのにリーチオが嬉しそうに笑った。
「それから変な子に絡まれた」
「おいおい。早速かよ。それで、どうしたんだ?」
「口説いた」
クラリッサの言葉にリーチオがワインを吹きかけた。
「口説いたって、お前……」
「それから王太子にも絡まれた」
「お前というやつは……」
リーチオはクラリッサの言葉に肩を落とす。
「で、王太子はどうした?」
「決闘した」
「決闘って」
「教えられたとおりに速攻でボディブローを叩き込んだよ」
クラリッサがどこか自慢げに語るのにリーチオは天を仰いだ。
うちの娘は少しおかしい。リーチオはそう思ったのであった。
「ところで、やっぱり相手の下駄箱に馬の首を放り込んでおいたほうがいいかな? これからまた手出しをするなら次はお前がこうなるぞって」
「下駄箱に馬の首は入らねえよ」
これから先が思いやられるリーチオである。
ちなみに馬の首は下駄箱には入らなかったので、ジョン王太子の机の上に置かれた。
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