娘は講和について考えたい
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──娘は講和について考えたい
「ううむ」
「どうした、クラリッサちゃん。お昼に何食べるのか迷っているの?」
「失礼な。人を食いしん坊みたいに言わない」
何やら教室で唸っているクラリッサを見て、ウィレミナとサンドラがやってきた。
「でも、何か悩んでるんでしょう? 相談に乗るよ」
「うむ。どうやったら人間と魔王軍の戦争が終わるのかなって」
「え、ええー? そんなに壮大なことで悩んでいたの?」
クラリッサの悩みは壮大であった。
「まあ、壮大と言われれば壮大だけれど、私たちの今後にも関係することだよ。魔王軍との戦争がこのまま続いたら、アルビオン王国の財政も圧迫され続けるから、各種予算は削減を受ける。サンドラが宮廷魔術師になっても研究費が下りないかもしれない。私だって大陸中からお客さんを集めるつもりが、みんなそんな余裕ないかもしれない。ウィレミナは社会保障費の削減で、患者が減るかも」
「むう。確かに」
不況というのは全ての業種に打撃を与えるものだ。宮廷魔術師も医師もホテルとカジノの経営者も不況の影響からは逃げられない。そして、魔王軍との戦争が続く限り、不況が訪れる可能性はあったのだった。
だが、クラリッサは不況の心配をしているよりも、父リーチオの心配をしていた。リーチオはひとりで和平に挑もうとしている。そんな父をどうやったら助けられるだろうかというのが、クラリッサの悩みであった。
「そういえば前にクラリッサちゃんは戦争は終わらせようと思えばいつでも終わらせられるって言っていたよね? 人類は魔王軍の領域で戦っているって」
「そう。でも、政府の偉い人は疑心暗鬼だし、欲張り。もっと有利な条件で講和するために戦争をだらだらと長引かせてる。いい加減にしないとお金がなくなっちゃうのに」
政府上層部はまだ講和を考えていなかった。そこには魔王軍への不信があったし、講和するならばこれまでの出費と出血に相応しいものをという思惑があった。そうであるが故に政府は魔王軍と現段階で講和することを考えていなかった。
「なら、署名を提出してみるのはどうかな? 魔王軍と講和してくださいって趣旨の署名を集めて、政府に提出するの。それなら政府も講和についてちょっとは考えてくれるんじゃないのかな?」
「そんな甘い方法じゃダメだよ。首相のスキャンダルを握るぐらいのことはしなきゃ」
「どうやってそういうことするの!?」
「頑張って」
頑張って、でごまかそうとするクラリッサであった。
「頑張っても首相のスキャンダルは手に入らないぜ、クラリッサちゃん。署名なら手に入るかもしれないけれどな」
「ううむ。それしか方法はないのかな?」
「ないんでないの?」
クラリッサが唸り、ウィレミナが軽くそう告げた。
「署名集めするなら手伝うよ。放課後にやる?」
「そだね。あまり勉強の支障にならない範囲でやろう。みんながもう戦争にうんざりしていることを突き付けてやらないとね」
というわけでクラリッサたちは講和要求署名を集めることに。
果たして署名は集まるのか?
……………………
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アルビオン王国のテムズ川に面する古い建物にその組織は収まっていた。
王立軍事情報部第6課。
アルビオン王国国外の情報作戦に従事する組織で、魔王軍との戦争が続いている現状では魔王軍を対象に情報集めを続けていた。魔王軍の攻撃の前兆の調査、魔王軍による破壊活動の阻止、魔王軍に対する破壊活動の実施、そして魔王軍による薬物密輸に関する情報収集とそれの阻止。
そして今現在、その魔王軍による薬物密輸について王立軍事情報部第6課は極めて機密性の高い作戦に従事していた。
それがブラックサークル作戦だ。
「ブラックサークル作戦は順調なようだな」
「ええ。ブラックサークル作戦は問題なく進行中です、課長。魔王軍による薬物密輸の阻止にマフィアたちはよく使えます。このアルビオン王国でもリベラトーレ・ファミリーが薬物取引に強硬な姿勢で臨み、魔王軍の作戦は順調とは言えません」
書類に目を通しながら、男が告げるのに対して、別の若い男がそう告げた。
「ブラックサークル作戦の第二次目標については?」
「現在、進行中です。マフィアたちは良くも悪くも金で動きます。こちらが大金を積めば、マフィアたちも第二次目標に協力するでしょう。そうすれば国内に潜む、魔王軍関係者と思しき人間に対する尋問が行えます。我々は全くのクリーンな状態で、政府にどのような手段を使ったかの報告義務もなく」
ブラックサークル作戦の第二次目標とは、マフィアを隠れ蓑にして、拷問や暗殺を行うことにあった。王立軍事情報部第6課は既に魔王軍に協力している人間として、ロンディニウム内だけでも32名もマークしている。
ヤクの売人のようなチンピラからロンディニウム市議会議員まで、魔王軍に協力していると考えられる人間は大勢いた。だが、今の王立軍事情報部第6課では彼らに手出しできない。国内に関する作戦は王立軍事情報部第5課が実施しているし、仮にもアルビオン王国国民を逮捕状などもなく拘束し、まして拷問を加えるなどという作戦には絶対に上の許可がおりない。情報部も法律で縛られているのだ。
そこでブラックサークル作戦だ。
マフィアに対象の拉致監禁を行わせ、マフィアに尋問させる。そうすることで、王立軍事情報部第6課を始めとする情報機関は全くリスクを冒さずに、国内の不穏分子の取り調べと抹殺が行えるのである。
そして、何もこれは魔王軍に対する攻撃だけにとどまらない。エール地方におけるエール独立派の指導者や北ゲルマニア連邦内の民主化を求める勢力の指導者、エステライヒ帝国における分離独立派の指導者への攻撃にも使えるのだ。
魔王軍による薬物密輸を防ぐことが第一次目標としてありながら、またこのような第二次目標を有しているのがブラックサークル作戦なのである。
「だが、そう簡単にはいかないのではないか。マフィアにとっても拉致監禁や拷問、処刑はリスクだ。我々が可能な限り都市警察を押さえるとしても、自分たちがやっていることが犯罪として告発される可能性がある限り、協力は難しくなるのでは?」
課長と呼ばれ、報告書に目を通して男がそう告げる。
「それに加えてリベラトーレ・ファミリーはマフィアという立場を捨てようとしている。そうでしょう?」
鋭くそう指摘したのは他の誰でもなく、マックスだった。
「確かにリベラトーレ・ファミリーは合法的な組織に方向転換を図っている節があります。ロンディニウム新規開発地区におけるホテルとカジノの建設からそれが窺えます。また武闘派の急先鋒であったベニート・ボルゲーゼの引退により、その傾向はより強まっています。ですが、マフィアが一朝一夕でマフィアを止められるとは思えません」
「彼らが確実にそのような方向に動いていたとしても? 彼らは着々と組織の合法化を始めている。これからはホテルとカジノ業で活動するでしょう。これまでの荒くれ者はホテルとカジノの警備員となり、幹部たちはリーチオ・リベラトーレの娘であるクラリッサ・リベラトーレに忠誠を誓って、彼女にアドバイスする。そういう仕組みを彼らは確実に作ろうとしている。残り5年もすればリベラトーレ・ファミリーは合法的な組織になり、ブラックサークル作戦という作戦にはかかわらなくなるでしょう」
若い男が楽観的な意見を告げるが、マックスはあくまで慎重だった。
「もし、彼らが我々との協力関係を打ち切るというのであれば──」
課長と呼ばれた男が告げる、
「リーチオ・リベラトーレを魔族として告発すると脅すしかなくなる。これは両者の間に致命的な亀裂を生む恐れがあり、また向こうも我々との関係を暴露する可能性のある諸刃の剣だ。あくまで最終手段だな」
そう告げて課長と呼ばれた男はマックスを見る。
「君ならばリベラトーレ・ファミリーをある程度コントロールできるのではないかね。君はリベラトーレ・ファミリーの構成員のひとりとなり、我々と彼らを繋ぐと同時に、彼らの構成員として仕事をしてきた。彼らの信頼は得ているのでは?」
「お言葉ですが、私が得ている信頼程度では、リベラトーレ・ファミリーは方針を変えないでしょう。リーチオ・リベラトーレは娘の将来を何よりも案じています。方針転換の原因も娘であるクラリッサ・リベラトーレのためだと思われます。私が何を言おうと、クラリッサ・リベラトーレのためにリーチオ・リベラトーレは方針を変えるでしょう」
「そうか。となると、強硬策も考えておかなければならなくなるな」
課長と呼ばれた男は顎を摩る。
「リーチオ・リベラトーレの弱点は明白だ。彼の娘が彼の弱点だ。だが、同時にそれは逆鱗でもあるだろう。娘を利用するならば、リーチオ・リベラトーレとの決裂は覚悟しなければならない。組織内に他にボスになる候補者はいるのかね? 特に我々との協力関係を維持するのに好ましい人材は?」
「現状、組織のナンバー・ツーはピエルト・ペルシアーニです。ですが、彼はリーチオ・リベラトーレが組織を降りたからと言って、トップにつく人材ではありません。他の幹部にしても同様です。リーチオ・リベラトーレがボスであるからこそ、リベラトーレ・ファミリーは団結しているのです」
マックスは自分のみてきたままのことを告げた。
リベラトーレ・ファミリーがリベラトーレ・ファミリーとしてまとまっているのは、リーチオの努力によるものだ。リーチオが組織を的確に運用し、揉め事を解決し、敵には断固とした態度を取り、味方には存分に利益を与えたからこそ、リベラトーレ・ファミリーは存在しているのだ。ピエルトはボスの器ではないし、他の幹部にもリーチオと同じことができる存在がいるとは思えなかった。
リーチオは天才的な組織運営者だ。それには彼らが魔王軍四天王だったことも経験として含まれているだろう。
「となると、リベラトーレ・ファミリーは解体するしかないな。他の犯罪組織を利用する方向で行くしかない。リベラトーレ・ファミリーはギリギリまで利用するが、こちらとの協力関係を断つのであれば、あらゆる手段を使ってリベラトーレ・ファミリーを解体する。その後とは他の利用しやすい犯罪組織を新しいロンディニウムの暗黒街の王者に据えるとしようではないか」
課長と呼ばれた男はそう告げて、参列者たちを見渡した。
「候補となる犯罪組織をリストアップしておきます。ほとんどの犯罪組織はリベラトーレ・ファミリーとの抗争に負け、地方に逃げている状態なので、ロンディニウムに戻すのには時間がかかるでしょうね」
「加えて、生粋の南部人でないと七大ファミリーに認められない。リベラトーレ・ファミリーの後にロンディニウムを治めることになる犯罪組織にも七大ファミリーに加わっておいてもらわなければブラックサークル作戦は成立しません」
王立軍事情報部第6課に所属する工作官たちがそれぞれの意見を述べていく。
「マックス。君はどう思う? この手段は上手くいくと思うかね?」
王立軍事情報部第6課課長がマックスに尋ねる。
「上手くはいかないでしょう。七大ファミリーの結束は固いものです。私はドン・アルバーノに仕えていたのでそれを知っています。いきなりリベラトーレ・ファミリーが解散し、他の犯罪組織をロンディニウムに据えたとして、彼らはリベラトーレ・ファミリーほどうまくやれないでしょうし、七大ファミリーに認められもしないでしょう」
「辛辣だね。だが、他に手段はないだろう?」
「魔王軍との戦争を止めればいいだけですよ。もう半世紀以上、我々は魔王軍と戦っている。いい加減に限界です。経済的にも、軍事的にも。戦争を終わらせれば、ブラックサークル作戦も必要なくなる」
マックスもまた戦争の終わりを望んでいる人間だった。
「それが、現状夢幻に近いということは君自身が分かっているだろう」
「いずれは実現しなければならないことです。ここでこうやって次の隠れ蓑にする犯罪組織を探るよりも、戦争を終わらせる方法を探る方が生産的だ。終わらせ方の分からない戦争を続けることほど愚かなこともない。そうでしょう、フランクリン・フレミング課長? 違いますか?」
マックスは王立軍事情報部第6課課長の名を呼び、そう告げた。
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