娘は進路を確定させたい
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──娘は進路を確定させたい
6月には再度の進路相談がある。
そして、その前の5月には模試がある。
「またテストか……」
「入試前なんてこんなもんだぞ。学園としては一発合格を目指してほしいし、本人にその進路が本当に合っているか調べておきたいから、模試はこれから夏の補習と12月の期末テスト前に2回あるぞ」
「テストばっかりで遊ばないと、クラリッサは今に気が狂う」
雪山のホテルに立てこもりそうなセリフを告げるクラリッサであった。
「とりあえず、模試対策しようぜ。クラリッサちゃんとは同じオクサンフォード大学だから、一次試験の模試は一緒だ。そして、出題範囲が広いのもこれだ。ここさえ乗り切れば、二次試験はクラリッサちゃんが得意な数学がメインだし、いけるでしょ?」
「ううむ。そうだね。お昼休みとか放課後とか勉強会しよう。グレンダさんが家に来るのは5時くらいだから、4時30分くらいまでは勉強しておきたいね」
「クラリッサちゃんが勉強に前向きになってくれて嬉しいぜ。初等部の時は何が何でも勉強しないって感じだったのに」
「私だって成長するんだよ。それに今の私には夢があるからね」
クラリッサは語る。
「私には夢がある。それは、いつの日か、ロンディニウムの新規開発地区で、裕福な貴族の子女たちと裕福なブルジョア層の子女たちが、大金を賭けてくれる客として同じカジノテーブルにつくという夢である」
「なんかやべー感じするから、その演説やめておかね?」
怒られるぞ。
「何はともあれ、私には確かな夢があるからね。ホテルとカジノの経営者。何が何でも成し遂げて見せるよ。そのためにオクサンフォード大学で経営学の学位を取るのだ。夢がある人間は強いのである」
「あたしも医者になるって夢があるからね。医者になって儲けて、家族に楽をさせてやるんだ。でも、あたしが医者になって稼げるようになるころには、一番下の弟ももう大学に入るころだな。学費くらいは負担してやりたいところだ」
「兄弟思いだね、ウィレミナ」
「まあ、大切な家族だから」
ウィレミナは8人の兄妹がおり、一番上の兄は既に大学を卒業して建設会社でバリバリ働ている。ロンディニウムの世界的金融センターとしての再開発に携わり、各地にエレベーター付きの高層ビルを建造している。
一方、一番下の弟は初等部4年生で、ウィレミナと同じく成績がいい。将来の夢は既に法曹関係者と決めているというのだから、これで家が貧乏でなければ名門一家と言えただろう。
ウォレス一族は頭がいい。けど、子沢山で領地の収入が少ないから貧乏。
「私も一家のために頑張らないとね。私が事業に失敗すると一家が路頭に迷っちゃうんだ。そしたら、ロンディニウムが大変なことになるよ。毎日テムズ川に死体が浮かぶよ」
「……責任重大だな、クラリッサちゃん」
リベラトーレ・ファミリーの合法化はリーチオが準備し、クラリッサが完成させるので、クラリッサがしくじるとリベラトーレ・ファミリーは空中分解して派閥ごとに分かれて抗争を始めるか、あるいは元の暗黒街の組織に戻ってしまうのだ。
クラリッサは本当にホテルとカジノの経営者として成功しなければならない。もちろん、リベラトーレ・ファミリーが合法化された後もリーチオやピエルトが相談役になるので、ひとりで戦う心配はしなくてもいいが。
「そうそう。責任重大。だから、この仕事は他の人間には任せられない。私がやり遂げなければならないのだ。というわけで、昼休みと放課後に勉強会ね。1年、2年のときの復習から始める?」
「まあ、そんなところだろうね。1年で習ったこと覚えている?」
「任せろ」
「よし。張りきっていこー!」
クラリッサとウィレミナは夢の大学合格を目指して頑張り始めた。
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結論から言えば勉強会は難航した。
勉強会はクラリッサ、サンドラ、ウィレミナのいつもの仲良し3人組で行われたのだが、クラリッサは途中で歴史においては美術史がちんぷんかんぷんになり、サンドラは化学の計算で四苦八苦し、ウィレミナがそれらをサポートすることになった。
ウィレミナは復習になるからと言って勉強をサポートしてくれたが、彼女自身の勉強はあまり進まなかったのである。
これは問題とクラリッサとサンドラはより勉強に力を入れることになる。
「やっぱり美術史難しいよ」
帰宅してからグレンダを迎えての授業の時間にクラリッサがそうぼやく。
「美術史は興味がある人にはとことん面白い分野なのだけれど、そうじゃないと確かに難しいね。教科書の通りに勉強していると、ただの暗記になっちゃうし。傾向としては美術史に変化が訪れるのは国が豊かな時期ってことを理解しておけば、ちょっとは覚えやすくなるかな?」
「けど、なんとか様式とかかんとか美術とか分かり悪すぎるよ。結局は暗記するしかないのかなあ。なんともつらい話だ」
「クラリッサちゃんは海外旅行に行ったとき美術館とか見てない?」
「ほぼ見てない。見たときも農民の虐殺される絵しか覚えてない……」
「そっかー……」
農民の虐殺される絵はいつ時代のどんな作風の絵画なのかも不明だぞ。
「じゃあ、地道に覚えるしかないね。勉強ってときどきそういうこともあるの」
「うーむ。元素番号を覚えるようなものか。仕方ない。地道にやろう」
クラリッサはコツコツと覚えていくことにした。
幸いにして予習復習でやったことは比較的覚えている。一から全部暗記ということはせずともいい。忘れかけている点やあやふやになっている点を洗い出していき、そこからコツコツと暗記を進めていけばいいのだ。
コツコツ、コツコツ、コツコツ、トンコツ。
「飽きた……」
クラリッサは30分で暗記に音を上げた。
「気分転換に数学する?」
「する」
数学に関する公式などを覚えることにはまるで抵抗のないクラリッサである。公式の証明もばっちりだ。本当に理系にかけては何の問題もない娘なのである。
経営もある種の数学のようなものなので、クラリッサは確かに経営者に向いているのかもしれない。だが、経営者になるような上流階級に所属すると、ウィットに富んだ会話ができなければならない。ホテルに泊まりに来る上流階級の接待では、そういう会話が必要になってくる。故に美術史や古典文学にも通じていなければならないのだ。
頑張れクラリッサ! 一流のホテルとカジノの経営者になるために!
「よし。気力湧いてきた。美術史に再度挑もう」
「その調子、その調子。覚えやすい語呂合わせもあるからね。私も入試の時には語呂合わせで暗記して、なんとか凌いだんだよ。まずはミスライム文明の──」
こうしてクラリッサはコツコツ、コツコツとかたつむりの観光客のような歩みながら、確実に美術史について暗記していったのだった。
そして、模試の当日を迎える。
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模試当日。
「よし。行ける気がしてきた」
「根拠はある自信?」
「あまりない」
クラリッサは根拠のない自信でテストに挑もうとしていた。
「けど、クラリッサちゃん、美術史結構できるようになってたじゃん」
「そんな気もするような、そうでもないような……」
「できてるって。自信持とうぜ」
そして、今度は自信を失い始めるクラリッサである。
「じゃ、あたしとクラリッサちゃんはオクサンフォード大学の模試受けてくるね」
「頑張って! 私も頑張るよ!」
ここで志望校ごとに分かれるのでサンドラとはお別れ。
アルビオン王国にはセンター試験のような全国一律で行われるテストはなく、大学ごとの一次試験、二次試験を受けることになる。その試験の難易度も大学ごとにことなり、クラリッサたちが目指しているような名門大学になると難易度が跳ね上がる。
それもマークシート方式などではなく、全て記述式なので、運に任せることもできない。自分たちの実力を発揮しなければならないのだ。
そして、そのテストにクラリッサたちが挑む……のは来年。
今年はあくまで模試である。
オクサンフォード大学などの大学の一次試験は1月。まだ余裕はある。
模試は3日間の日程で行われる。
一次試験が2日、二次試験が1日の配分だ。
そして、結果が出るのは6月の進路相談前の5月下旬。
果たして結果は?
「やった! A判定!」
「私もなんとかA判定だ……」
ウィレミナとサンドラが自分たちの勉強の成果に安堵する。
「クラリッサちゃんはどうだった?」
「ふふふ。聞いて驚くがいい。A判定だ」
「そっかー。よかったね!」
「驚いてよ」
クラリッサも今では成績5位内に入っているので、そこまで驚くほどのことでもない。それにクラリッサは苦手だった美術史と古典を少しずつ克服しつつあるのだから。ウィレミナとサンドラとは勉強会で理解度を確認し合っているし、そのことはサンドラとウィレミナも知っている。
「みんなの結果を聞いてみよう。みんな、志望校に合格できそうかな?」
「ねえ、驚いてよ」
クラリッサ、驚く要素はどこにもないぞ。
「フィオナさん、どうでした?」
「A判定でしたわ。なんとか合格できるかもしれないという見込みが出てきて安堵しています。だが、油断はまだまだ禁物ですわね」
A判定は100%の合格を保証しない。80%程度の合格の可能性を示唆するものだ。
そして、これから1月の一次試験、2月の二次試験までにしっかりと今の学力を維持しておかなければ、今A判定をもらったとしても、不合格になる可能性はあるのである。
フィオナの言う通り、油断は禁物。
「ヘザーさんはどうだった?」
「一応はA判定ですよう。けど、もっとC判定ぐらいの方が鞭打たれてる感じがしていいのですがあ……」
「そうですか……」
模試にまでサドを求めていくヘザーであった。
「フェリクス。どうだった?」
「ん。A判定だ。だが、俺は北ゲルマニア連邦の入試を受けるからな。問題文もゲルマニア語だし、問題製作者も北ゲルマニア連邦の人間だし、あまりあてにはできんな。それでもクリスティンには感謝しておくか」
「多分、クリスティンもA判定だと思うからおめでとデートしてきなよ」
「茶化すなよ」
フェリクスはへそを曲げた。
「さて、ジョン王太子」
「な、何かな?」
ジョン王太子は試験結果の書かれた紙を背後に回した。
「今だ! 奪え!」
「ゲットー!」
クラリッサの合図でウィレミナが背後に回り込み、ジョン王太子の手から試験結果の紙を奪い取った。
「こら、ウィレミナ嬢! なんてことをするんだ!」
「どれどれ」
クラリッサたちはジョン王太子の試験結果を見る。
「B判定?」
「うぐ。この間は調子がでずに……」
「苦しい言い訳」
周囲がA判定を取る中、ジョン王太子はB判定だった。
やはり理系が苦手なのに、理学部に入ろうとするジョン王太子には無理があるのかもしれない。一次試験は文系で支えられたとしても、二次試験がダメダメだったと思われる。二次試験は完全にジョン王太子を殺しにかかっている理系3科目だ。
「殿下。諦めずに一緒に勉強しましょう。一緒に入学すると決めたではないですか」
「そうだね。フィオナ嬢。ここで諦める私ではないよ!」
フィオナの言葉でジョン王太子は復活した。
「それでは毎日一緒に勉強しましょうね、殿下。放課後も図書館で」
「ああ!」
図書館デートをするわけじゃないよ? 分かってる?
「さて、私たちも気を抜かないようにしないとね。試験は1月と2月。それまでみっちりと勉強だ。今年の夏は遊べないぞ」
「うへえ」
クラリッサはさらなる勉強の気配にため息をついたのだった。
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