父はかつての部下と話し合いたい
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──父はかつての部下と話し合いたい
4月2日。天候、曇り。
「ここか」
リーチオはロンディニウム郊外にある教会の前に来ていた。
手紙に指定されていた場所──リーチオとディーナが結婚式を挙げた場所だ。
その向かいにある公園のベンチにリーチオは腰を下ろした。
そして、思い出していた。あの時の思い出を。
魔王軍を抜けて、ディーナと共にアルビオン王国に渡り、そこで幸せな生活を送ったこと。ディーナとともにマフィアを乗っ取り、抗争の日々を送ったこと。ディーナとの間にクラリッサが生まれ、ディーナにクラリッサを託されたこと。
魔王軍を抜けたことに後悔はなかったし、魔王軍がこのアルビオン王国にまで手を伸ばすなどとは思ってもみなかった。自分はどこかで死んだと思われており、そのまま魔王軍との縁は切れた。そうとばかり思っていた。
だが、魔王軍はリーチオの存在を忘れてなどいなかった。
ブラッド・バスカヴィル。
魔王軍におけるリーチオの部下だった男だ。リーチオと同じ人狼で、優秀な男だった。奴に何も言わずに魔王軍を抜けたことは少しばかり後悔されたが、相手はそんなリーチオのことなどお構いなしにアルビオン王国に姿を見せた。
これはどう意味を持っているのか。
裏切りを清算しに来たか、それとも戦争に関する交渉に来たか。
リーチオは周囲を見渡す。
人間の臭いしかしない。遠くから見張られている様子もない。
マックスがこのことをしればリーチオは裏切るつもりだと思うだろう。実際のところ、リーチオはブラックサークル作戦などという秘密作戦にいつまでも関わるつもりはなく、ただ戦争を終わらせたいのだ。
リーチオはベンチに座り、考える。
これまでの薬物取引組織の存在。それは恐らく魔王軍によるものだ。
ブラッドがそれに関わっていないとは考え難い。魔王軍の上級幹部のひとりとして、アルビオン王国における麻薬戦争に携わっているだろう。
魔王軍は急激に方針を変えたとバジーリオは言っていた。確かに魔王軍はこれまでならば思いつくはずもなかった間接的アプローチ戦略によって、人類の継戦能力の弱体化を狙っている。そして、人類はそれに対抗するためにマフィアまでも動員して麻薬戦争を始めた。戦火は新大陸にまで広がり、終わりは見えない。
バジーリオは魔王軍におけるクーデターの可能性を示唆していた。それが正解ならば、今の魔王軍がどのように動いているのか、リーチオには全く分からない。
魔王に子供はいなかったし、クーデターを起こすような連中がまた魔王をトップの座に据えようと思うとは考えられない。
ならば、今の魔王軍はどのような体制で動かされている? 有力な魔族による合議制の指導体制か? 確かにそれならば即断即決は難しくなるが、間違った方向に向かい続けるのを阻止することは以前よりも容易になる。
だが、それは憶測だ。まだ魔王がクーデターで排除されたという情報は確かなものではない。バジーリオの推測に過ぎない。
全てを聞くにはブラッドと話し合うしかない。
そこでリーチオの鼻に人狼の臭いが届いた。
臭いは着実に近づき、濃くなり、やがてすぐ傍から漂ってきた。
「お久しぶりです、リーチオ閣下」
「久しぶりだな、ブラッド」
目の前にいたのは以前と変わらぬ元部下の姿だった。
紳士的なスリーピースのスーツこそ身に着けているにせよ、その顔立ちも体型も、リーチオが最後に見たときのままだった。
「隣に座っても?」
「構わん」
見張られている様子はない。
それにマックスたちはまだブラッドの情報を入手していないはずだ。
もし、彼らがブラッドの情報を入手していたら、ここまで堂々とブラッドがリーチオに接触できるとは思えない。何らかの妨害が入ったはずだ。
「手紙には俺たちの今後について話し合いたいとあったが、何について話し合うつもりだ。場合によっては応じてもいいし、場合によってはそちらの首元を噛みちぎる必要がある。言ってみろ。何について話し合いたい」
「相変わらずせっかちですね。そう急がずとも話し合いはできますよ」
リーチオが告げるのにブラッドが苦笑いを浮かべる。
「ここで式を挙げられたのですよね」
「ああ。お前を招待した記憶はないんだが、よく分かったな」
「地道な調査ですよ。リーチオ閣下はあまり自分の足跡を隠そうとなさいませんでしたから。その偽名だって、南部潜入時から変えることなく使われているでしょう。潜入工作員というものは名前を最低でも6つは持っているものですよ」
「悪かったな。俺はこの名前が気に入っていたんだ。それから閣下はやめろ。俺はもう四天王じゃない。魔王軍とは無関係だ」
「それではリーチオ様。結婚生活はどうでした? 充実していましたか?」
「そんなことを話し合いに来たわけじゃないだろう」
「個人的な興味ですよ。まだ独身の身としては結婚がどういうものなのか気になるのです。特に種族を超えた結婚というものは」
リーチオが睨むのにブラッドがそう返した。
「はあ。結婚は短い間だったが充実していた。マフィアを乗っ取ったり、海辺のリゾートに行ったり、勉強をしたり。ディーナはよきパートナーだった。俺を一人前の人間にしてくれたし、クラリッサという愛すべき存在を与えてくれた」
「お子さんには会いましたよ。あなたにも似ているようでしたが」
「ディーナにも似た。あの子はディーナそっくりに育った」
クラリッサはディーナの美貌を引き継いだ。ディーナの性格の一部も引き継いだ。
「お子さんとは上手くやれていますか?」
「本当にお前はどうでもいい雑談がしたいんだな。上手くはやれている。時として無茶をする子供で、手のかかるところもあるが、俺たちは親子だ。導き、支え、あの子が夢に向かって努力しているのを見守っている」
「なるほど。結婚というのもそう悪いものではないようですね」
「相手がいるのか?」
「それは追々。私も人間の花嫁を迎えてみたいものです」
リーチオはそのブラッドの態度に奇妙な点を感じた。
魔王軍にとって人類は敵だ。それを花嫁にする? 奴隷ではなく?
「魔王軍に何が起きた?」
「クーデターですよ。あなたが出ていって数年後にクーデターが起きて、魔王は斬首されました。我々は新しい指導体制として、四天王を中心とした合議制の委員会が魔王軍を指揮することになりました。もう魔王軍ではなく、魔族軍と言うべきでしょうね」
「合議制の委員会か。よくそんなものが認められたな」
「魔王の無能さは際立っていましたから。魔王に粛清されるよりも早く手を打たなければ戦争に負けるどころか、自分たちの命も危うい。そう考えれば、クーデターとその後の体制が上手く行ったのも当然でしょう」
ブラッドは肩をすくめてそう告げた。
確かに魔王の無能さは際立っていた。何をしても悪手で、碌な成功は収められない。そして、そのことを指摘すれば粛清される。そうなれば魔王軍の中でクーデターの動きが出るのも当然といえた。
「だが、合議制の委員会には弱点がありました」
「判断力の遅さか?」
「それもありますが、もっと問題だったのは派閥の形成ですよ」
派閥。複数人で権力の座を構築する際には必ず生じるもの。
「魔王軍の派閥は今、真っ二つに分かれ、敵対しています。ひとつはこのまま薬物を人間の支配領域内に流し込み、人間が弱体化したところで攻撃を仕掛けようという派閥。もうひとつは今ある戦果で人類と和平を結ぼうという派閥」
「和平か」
魔王軍は継戦派と和平派に分裂したということである。
「それで、お前はどちらの派閥に所属している?」
「和平派です。魔王軍にとって、これ以上戦争を続けることにメリットはないし、資源の無駄遣いです。そして、人類が急速に科学力の発展を強め、魔族の身体能力というアドバンテージが消えつつあるのに戦争を続けることは致命的な敗北を招きかねない」
ブラッドは既に人間と戦争を続けることの危険さを理解していた。
人間たちは身体能力でこそ魔族に劣るが、科学的発展にかけては魔族に遥かに勝っていた。鉄道も、今配備中の後装式連発銃も、野砲も、魔王軍の持っていない武器であり、人類の生存圏を守り抜いて来た武器であった。
その武器はさらに急速に進化を続けており、部隊間の遠距離通信を可能にする電信や、空からの攻撃を可能にする飛行船など、どこまでも進化していっている。
このままでは魔族は身体能力の優位というアドバンテージを失い、人類の科学を前に敗れる。和平派の多くはそう考えていた。
何回か鹵獲した人類の武器を魔族たちがコピーしようとしたことはあるが、その試みは上手くいかず、魔族たちの科学的発展の遅れは深刻であると認識されている。
和平派の焦りは強い。
「継戦派は今も薬物を使って人類の継戦能力を削ごうとしていますが、正直なところ、その程度の小手先の方法で人類が本当にこの戦争で音を上げるとは思えないのです。人類は実際、すぐに対応処置を講じてきた。あなた方を使うことによって」
「和平派は薬物密輸にはかかわっていないと?」
「初期は少しでも講和条件を優位にしようと、我々も協力態勢を取りましたが、今では完全な逆効果になると判断して手を引いています。リーチオ様は疑っておられたかもしれませんが、私は薬物取引にはかかわっていませんよ」
「それが聞けて安心したよ」
ブラッドは昔から正々堂々とした戦いを好む男だった。人間の書いた騎士物語に胸を馳せ、かつての騎士たちと同じように堂々と戦いたい。そう言っていた。そんな男が薬物取引に関わっているなどとはリーチオは思いたくなかったのだ。
「しかし、お前は俺に何を求める? 講和がしたいのならば政府の人間と話すべきだ」
「残念なことに今の魔王軍には人間との外交チャンネルがないのです。我々はただただ戦い続けてきただけの関係。どのタイミングで戦争を終わらせるか、講和条件はどのようにするか、そういうものを話し合う場を設けることすらできないのです」
魔王軍と人類はただ戦い続けてきただけの関係だった。ブラッドの言うように魔王軍と人間との間には外交チャンネルが存在しない。これまで魔王軍が人類に交渉を持ちかけたこともなかったし、その逆もなかった。
だが、今はその外交チャンネルが必要だ。
戦争を終わらせるために。
「俺がその外交チャンネルを持っているとでも? 俺は犯罪組織のボスだぞ。確かに政府へのコネはあるが、魔王軍との講和を斡旋するほどの力はない。どうやらお前は頼る相手を間違えているようだな、ブラッド」
「いいえ。あなたは政府に強いパイプをお持ちだ。情報機関の関係者が見張りを付けるほどの存在であり、あなたの娘は王太子と交友がある。あなた自身も公爵家を始めとした多くの貴族たちとかかわりを持っている」
リーチオが肩をすくめるのに、ブラッドが鋭くそう告げた。
「……娘を巻き込むつもりはないぞ」
「ええ。ですから、あなたが講和のために政府に掛け合ってください。我々は捕虜の返還や占領地からの撤退などのまず最初に見せるべき誠意を見せます。そして、本当に講和が進むのであれば、継戦派も黙らざるを得なくなるでしょう」
「その言い分だと継戦派は妨害に出そうだな」
「確かにその通りです。継戦派にとって講和は面白くないことです。私がこのアルビオン王国でもっとも警戒しているのは情報機関の関係者ではなく、身内であるはずの薬物取引組織の魔族です。彼らは私が講和のためにここに来たと知りつつある。そうなれば、私の命が狙われることもあるでしょう」
ブラッドはさも当たり前のようにそう告げた。
「……本当に魔王軍に講和する意志があるならば、こちらとしてもそのための仲介を手助けしてもいい。俺としてもいつまでも麻薬戦争なんて続けたくないし、戦争が終わることは素直に歓迎する。この商売も平和が何よりだ」
「助かります、リーチオ様。近いうちに講和条件についての連絡が来るはずです。和平派は大きく譲歩するでしょう。その代わり、人間の技術を学ぶ機会を求めるはずです。これからは共存路線というのが和平派の望みですから」
「そうなることを祈るばかりだ。講和条件が伝えられたらまた連絡してくれ。ただし、こちらには情報機関の監視がある。気を付けてな」
「ええ。もちろん」
こうしてかつての四天王とその部下は別れた。
半世紀以上続く戦争に変化の兆しが見えつつある。
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