娘は新年を南部で迎えたい
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──娘は新年を南部で迎えたい
「ドン・アルバーノが倒れた?」
リーチオがそう尋ねるのはクラリッサの誕生日パーティーも終わり12月下旬に入ったころだった。ピエルトが真剣な表情をしているのに、リーチオが唸っている。
「軽い心臓発作だそうですが、ドン・アルバーノもそろそろ後任を決める必要があるようです。新年はシチリー王国に集まるようにと書状が届いています」
「ドン・アルバーノの後任か。揉めそうだな……」
ドン・アルバーノはドンの中のドンだった。
これまで七大ファミリーを束ね、麻薬戦争を主導した。その権力は絶大であり、そうであるが故に七大ファミリーはドン・アルバーノに従ってきたのだ。
その後任人事となるとひと悶着ありそうである。
「誰かやりたい人間は名乗りを上げているのか?」
「いいえ。今のところ表向きにはどのファミリーもドン・アルバーノの回復を祈るという旨の声明を発表しています。ドン・アルバーノが本当に亡くなるまでは、下手に動かないつもりでしょう。我々もそうするのでは?」
「そうだな。俺たちも下手に動くべきじゃない」
ドン・アルバーノが亡くなる前から後任に立候補するというのは、ドン・アルバーノが絶対に死ぬということを確信していると思われる。今はドン・アルバーノの回復を祈るという声明を発表しておくべきだろう。
「しかし、ドン・アルバーノの後任は誰がなるんでしょうね。場合によっては麻薬戦争に影響が生じかねませんよ」
「そうだな。ドン・アルバーノと政府のコネクションも怪しくなってくる」
今の政府とマフィアの繋がりを作ったのはドン・アルバーノだと見て間違いない。彼が政府とどのような取引をしたのかは謎だが、マフィアは暗黒街の守りを固めて麻薬の流通を防ぎ、政府はマフィアに活動資金や政治的便宜を与えた。
だが、そのドン・アルバーノが亡くなったら?
誰かがドン・アルバーノの代わりに取引を継続しなければ、政府とマフィアのコネクションは途絶える。麻薬戦争も滞り、政府はマフィアに対して厳しい態度で出るだろう。
そうならないようにするためには誰かがドン・アルバーノの代わりに政府と取引を継続するという旨を伝えなけれならない。
「麻薬戦争は何があろうと継続する。これには俺たちの利害も含まれている。七大ファミリーはヤクには手を出さない。その決まりは守る。俺はそういう方針の人間を支持することにする。麻薬戦争を止めてもいいのではないかという奴は支持しない」
「そうですね。ヤクはあらゆるものを汚染して政治とのかかわりも怪しくしますから。しかし、ボスは立候補しないので?」
ピエルトは疑問を感じてそう尋ねた。
「しない。お前たちも薄々理解していると思うが、リベラトーレ・ファミリーは合法化される。少なくともクラリッサが跡を継ぐときまでには」
「リベラトーレ・ファミリーの合法化ですか。確かにそんな感じの動きがあるのは分かっていましたが、本当に暗黒街から手を引かれるおつもりなので?」
「引く。そして、暗黒街というものは存在しなくなる。これからは警察が夜道を明るく照らしてくれるだろう。暗黒街は過去のものになる」
暗黒街からは完全に手を引く。
移行当初はリベラトーレ・ファミリーが仕事をしなければいけないだろうが、徐々にその役割分担を都市警察に移していく。これから先、都市警察は間違いなく力をつける。マフィアが麻薬戦争を繰り広げているのに、都市警察が今のまま傍観を続けていていいはずがないのである。
完全な移行がいつになるかは分からないが、確実に暗黒街と呼ばれていた場所は存在しなくなるだろう。娼館や娼婦たちは残れど、犯罪組織というものは暗黒街から消え失せるはずである。上手くいきさえすれば。
「ボスがそこまでお考えならばいうことはありません。自分もボスのお手伝いをさせていただくだけです。それにファミリーが合法化されれば、自分も結婚の機会が巡ってくるかもしれませんしね!」
「はあ」
組織よりも自分の結婚願望を優先していそうなピエルトの答えにリーチオは深々とため息をついたのだった。
「とにかく、リベラトーレ・ファミリーは七大ファミリーですらなくなるかもしれん。それなのにドン・アルバーノの代わりを務めることは不可能だ。ドン・アルバーノの代わりは別の人間にやってもらう」
「でも、そいつがボスに暗黒街から抜けることを許さなかったら?」
「その時は力尽くだ。なんとしても俺たちは暗黒街から離れて合法化する。今は七大ファミリーの中の人間として発言力もある。それなりに手を打つ」
ピエルトの心配も確かなことだった。
ドン・アルバーノの後継者が七大ファミリーによる現状維持を掲げるならば、リベラトーレ・ファミリーは七大ファミリーに残らなければならなくなる。それは暗黒街から手を引いて、合法化を目指すリベラトーレ・ファミリーにとって好ましくない。
リーチオは力尽くでと言ったが、実際は交渉によって解決するつもりだった。七大ファミリー同士が衝突する抗争など、今の麻薬戦争を抱えた七大ファミリーには不可能であるのだから。
「とりあえず、話し合いには参加しなければならないだろう」
「クラリッサちゃんはどうします?」
「一応連れていこう。あいつもドン・アルバーノには懐いていたからな」
ドン・アルバーノにとって、クラリッサは孫娘のような存在だった。
「承知しました。ボスの留守の間は任せてください」
「ああ、任せたぞ、ピエルト」
こうして、クラリッサとリーチオはシチリー王国に向かうことに。
果たして、ドン・アルバーノはどのような決断を下すのだろうか?
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12月31日。
リーチオとクラリッサは船、鉄道、馬車を乗り継いでシチリー王国のドン・アルバーノの屋敷にやってきた。
「失礼。どちら様でしょうか?」
「リーチオ・リベラトーレだ」
「……確認いたしました。どうぞ中へ」
警備は以前来たときよりも増強されているようだった。どこから手に入れたのか、新型軍用小銃を手にしている警備までいるようだった。
リーチオはそんな警備を横目に見ながら、屋敷の中に入り、屋敷の使用人の丁重なもてなしを受けた。屋敷の使用人は主の最後を悟っているのか、物憂げながらも、どこまでも丁重にリーチオたちをもてなした。
「ニーノおじさん!」
「おお。クラリッサちゃん、カジノの経営者にはなれそうかい?」
「ばっちり」
クラリッサは広間に入ってすぐにニーノの姿を見つけて飛んでいった。
「なんて不幸な日だ。ドン・アルバーノが倒れるだなんて」
「俺たちはどうしたらいい?」
広間に聞こえるひそひそ話には明らかな不安が混じっていた。
どうするもこうするも俺たちは自分の仕事を続けるだけだろうとリーチオは思う。敵の手からシマを守りながら、商売を続ける。それだけのことではないかとリーチオは思っていた。それはドン・アルバーノが倒れようと倒れまいと変わることはない。
しかし、それがドン・アルバーノが倒れたことで不安定になっている。ここはドン・アルバーノに力強い姿を見せてもらうか、後継者を指名してもらうよりほかない。
リーチオはそう思いながら、ドン・アルバーノが現れるのを待った。
部屋の扉が開いたのは、リーチオがそんなことを考えているときだった。
「諸君、急な呼び出しによく来てくれた」
ドン・アルバーノは力強い姿どころの話ではなかった。
腕には点滴を釣り、寝間着姿で車いすに座っている。明らかな病人だった。
こいつは面倒なことになるぞとリーチオは内心思った。
「私の様子を見に来たものはこれで何が起きたのかはっきり分かっただろう。私は病との戦いに敗れた。今や死にぞこないだ。いつ死んでもおかしくはない。だが、その前にやっておくべきことがある。後継者の指名だ」
ドン・アルバーノの言葉に広間が僅かにどよめいた。
「私には子がおり、孫もいるが、彼らに私の仕事を引き継がせるつもりはない。能力的に相応しくないし、面倒な仕事を押し付けられた彼らが哀れになる」
血筋では判断しない。となると?
「ここは純粋に能力で判断する。候補はふたりだ。ニーノ・ヴィッツィーニかリーチオ・リベラトーレ。このふたりのいずれかだ」
リーチオが自分が指名されたことに驚愕を隠せなかった。
自分が七大ファミリーの仕事から手を引くことはドン・アルバーノも知っていたはずだ。そのためにファミリーの合法化を急いでいるということも。それなのに自分を七大ファミリーのまとめ役に指名するだと?
リーチオは考えた。これには何かの思惑があると。
「どちらが私の後継者になるか決めてくれ」
ドン・アルバーノが告げるのにニーノがリーチオを見た。
どこか申し訳なさそうな表情である。
そういうことか。リーチオは納得した。
「俺は辞退する。能力的にはニーノの方が上だ。ニーノこそ七大ファミリーを率いるのに相応しい。彼にはドン・アルバーノと同じ素質がある」
こういうことだ。
ドン・アルバーノはリーチオが辞退することを知っている。そのついでにニーノの能力を保証してくれれば、選考から漏れたファミリーのボスたちも納得するだろうというわけだ。いわば噛ませ犬の役割をやってくれと暗に言われたわけである。
リーチオとしては問題ない。彼はどのみち七大ファミリーから降りるし、ニーノがドン・アルバーノの代わりを務めてくれれば安心できる。
「では、ここに新たなる七大ファミリーの牽引役ニーノ・ヴィッツィーニのために乾杯しよう。乾杯!」
「乾杯!」
予想していたより穏やかな雰囲気の中でニーノはドン・アルバーノの跡を継いだ。
「おめでとう、ニーノ」
「ああ。ありがとう、リーチオ。お前のおかげだ」
リーチオがシャンパングラスを持ってニーノに告げるのに、ニーノが苦笑いを浮かべて返した。彼は先ほどの演技を恥じているようだ。
「しっかりしろよ。これから七大ファミリーは六大ファミリーになるかもしれず、あるいは八大ファミリーになるかもしれないんだ。それを取りまとめるのが、お前の仕事だぞ、ニーノ」
「ああ。これからはマフィア稼業も大変になる。以前までのようにはいかないだろう。それでもどうにかして見せるさ。お前が残ってくれたら心強いんだがな」
「あいにく、俺は引退だ」
お世辞ではなく、心の底から引き留めたいと思っているニーノの言葉にリーチオは首を横に振った。リーチオはファミリーを合法化して、自分は引退することを決意しているのだ。もうマフィアと関わり合いになることはない。
「寂しくなるな、リーチオ」
「おいおい。引退すると言ったが昨日今日で引退するわけじゃない。暫くの間は世話になるし。こちらとしても世話をするよ」
リーチオはそう告げてニーノの肩を叩いた。
「ニーノ様。ドン・アルバーノがお呼びです。どうかご一緒に」
「すまん。行ってくる」
ドン・アルバーノの使用人が告げるのにニーノはリーチオに手を振って去った。
「やれやれ。これで一安心か」
「パパ」
リーチオが肩の荷が下りたというようにほっとしていたときクラリッサが現れた。
「どうした? 今日の晩餐会は豪勢なものになるからおなかをすかせて置きなさい」
「うん。それでね。新型軍用小銃の試し撃ちをやるらしいから、参加してきていい? 運動になるし、おなかも減ると思うんだ」
「ダメ」
「何故に」
「ダメ」
隙あらば要らぬことをしようとするクラリッサであった。
「そんなことよりニーノおじさんにしっかり挨拶しておきなさい。ニーノおじさんがドン・アルバーノの跡を継ぐ。お前も世話になるかもしれないからな」
「了解。で、ニーノおじさんは?」
「ドン・アルバーノと話している。待っていなさい」
それからクラリッサたちはニーノの新しい七大ファミリーの元締めへの就任と新年を祝って御馳走を食べた。料理はたっぷりと出され、クラリッサはしっかりと料理を満喫したのであった。
こうして、マフィアたちの新年は明けた。
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